11 地獄編-10
大人の鬼たちが動き出した。
最も見晴らしの良い集落中央に向かっているようだ。
かなり殺気だっておりほとんどの者が石造りの武器を手にしている。
小鬼たちも同様に中央へと向かっている。
ただ大人たちと違い殺気と言うよりは高揚、興味深さを表しているかのような興奮が感じられた。
(この雰囲気……戦闘か? 相手は? 鬼たちの意識はどこを向いている……)
聡慈は鬼たちの向く方を見た。
集落北側の、斜面が緩やかになっている所から土煙が上がっている。
多人数が勢いよく駆け下りて来ているのだ。
(やはり急襲か! 鳥人間の住処は南――敵は誰だ!?)
遠い上に煙に包まれ敵の姿は判然としない。
さらに
(この煙は!?)
興奮した鬼たちがその方向へ駆け出そうとした時、一戸の家屋から火と煙が立ち昇った。
(放火か!)
だが現場から遠ざかる者は見当たらない。
鬼たちは憤り咆哮を上げながら、火災の現場と敵の方へと駆けて行く。
(これは……! 今だ、今しかない!)
振り返ることもせず鬼たちは駆けて行く。
聡慈たちの周りから南側の山にかけて鬼は居ない。
リンも馬たちも全て揃っている。
聡慈は震える脚を平手で叩き、逃走の決行にかかった。
鬼が向かった方からなるべく死角となるように、以前から細工を施していた厩舎の柵の一部を外し馬たちを外へ出した。
全力で駆けさえすれば馬たちはおいそれと捕まりはしないが、混乱して見当違いの方向に逃げてもいけない。
聡慈が先頭に立ち馬たちを誘導する。
遮る鬼のいない集落を走り抜ける。
脱落者もおらず順調だ。
もうすぐ山の手前の森に入る。
今の状況は――まだこちらに気づく様子はないだろうか。
小高くなった場所から振り返った。
(牛人間……やはり外敵の襲来なのだな。いや、しかしあれはどういうことだ?)
鬼たちが戦っているのは、大人の鬼と遜色ない大柄の牛頭人だった。
細かいところは見えないが大槌か大斧、そのような武器を振り回し、鬼の石棍棒と打ち合っている。
力だけで見ると拮抗しているようだ。
それはともかく、聡慈が気になったのは別のところであった。
――鬼が鬼を襲っている。
(小鬼が大人の鬼を攻撃している? もしや、と思ったが……あいつらから感じていた不気味な気配はこれだったのか)
鬼たちの心や常識を推し測ろうとしても無理だと聡慈は思っている。
それでも最近の小鬼たちの様子は不審であった。
果たして今回の襲撃は単なる牛人間の不意打ちだろうか。
それとももしや小鬼が何らかの手引きを……
(む、気づかれたか!?)
聡慈に考える間を与えず、鬼が一人猛然と向かって来るのが見えた。
文字通り鬼の形相で走り来るのは、右目が傷で引きつっているあの小鬼のリーダーであった。
(やはりあいつは執念深さがあるか。だがここを乗り切って逃げ切ってやる!)
聡慈はここが勝負所と覚悟を決めた。
森の入口まで来た。
「止まるな、行け! 行くんだ!! 二度と捕まるんじゃないぞ! 自由に生きよ!!」
共に行こうと聡慈を見つめる馬たちを叱咤激励、森の奥へと散開させ彼は一人小鬼を待った。
いや、リンがどうしても去らずに聡慈に寄り添う。
「そうか……あいつはお前に執着していたものな。分かった、ここを出る最後の仕上げに二人であの鬼を懲らしめてやるぞ」
他の馬たちが逃げ易くなるようにとリンが囮役を買って出た。
本当は逃げて欲しかったが、リンも自分と同じ考えであったことに嬉しさも感じる。
聡慈はリンを撫でて強気に笑った。
小鬼だと思っていた奴だが、いつの間にか大人に近い体格になっていた。
差し詰め若武者と言ったところか。
それでこそ出し抜き甲斐もあると言うものだ。
聡慈は右目の横の皮を引っ張り鬼に向かって声を張り上げた。
『さあ来い! 鳥人間にやられた臆病者の傷面小僧!!』
初めて使ったここの言葉での雄叫び。
鬼と同じだと思いたくはないが、自身が高揚している自覚がある。
隣のリンからも喜び混じりの興奮が伝わってくる。
きっとリンも胸のすく思いを感じたのだ。
鬼は激昂している。
上手く伝わったらしい。
言葉にならない叫び声を発し、そばの家屋を殴りつけた。
やはり凄まじい膂力、そこそこ太い柱はへし折れ、家屋は大きく傾いた。
聡慈は震えた。
これは武者震いだ。
――鬼の集落で虐げられる内に自分には卑屈な心根が根付き広がったことだろう。かつて青少年期に理不尽な行為を受けた時は、その後の進路において重大な選択ミスをしてしまった。多くの人を傷つけた。自身も多大な喪失感を味わった。今度は間違えるわけにはいかない。若い頃の過ちの分も乗せて鬼に怒りをぶつけてやる――
思い出すのも苦しく恥ずかしい、身悶えしたくなる過去を頬を張って追い払い、迫る鬼をキッと見据え森に入った。
森の入口付近ならば、毎日毎日植物採取をしていた聡慈は誰よりも詳しいと自負できる。
鬼をここで打ちのめす。
そのためには振り切ってはいけない。
その上で鬼を倒す準備をするのだ。
「ファアアア!」
リンが力強く一鳴きした。
分かっている、任せろ、と言っているらしい。
「……」
聡慈は僅かの間沈黙して考えた。
「そうか、分かった。頼む。決して捕まるなよ」
そして「手を挙げて呼んだら来るのだぞ」と言い聞かせると、リンを置いて先へと進み準備に取り掛かった。
リンは鬼を待つ間に回想する――
親や兄弟がいた覚えは無い。
物心ついた時には鬼に捕まっていた。
痛さ、苦しさ、何故かは分からないがとにかく苦痛を与えられた。
捕食される恐怖とは違う、苦痛を楽しまれている。
不気味に思った。
しかし痛めつけられ連れられた先に待っていたのは、鬼の仲間かと思ったが全く違う者だった。
彼――聡慈――も手酷い扱いをされているようだが、自分を癒し慰めてくれた。
鬼よりもずっと弱いのに賢く逞しい。
力ある目の輝きを放っている。
そして、年老いているはずなのに、どういうことか幼子のような無限の未来を感じる。
リンは彼に力を貸そうと思った。
どうやるのか、そのやり方――繋がる方法――は本能的に分かる。
……なのに繋がることができない。
何ということか。
彼に受け入れる力が無いのだ。
極僅かの力すらも。
一人きりにしか使えない繋がる力を、鬼に使う気は無い。
リンは聡慈に力を貸せないことで落ち込んだが、いつかこの地獄と言う場所から出て行くと誓う彼を信じた。
それから少し自分と似た所のある馬という仲間が増えたり、その仲間が殺されたり、鳥人間との争いに巻き込まれたり、比較的平穏な日を過ごしたりする内に、環境に適応していく自分を感じつつあったが、聡慈の言う「来るべき時」への希望を忘れたことは無かった。
今、とうとうその日が来た。
聡慈が鬼に決戦を挑んだのだ。
鬼を激怒させたあの一言にはシビれた。
体の芯から震えた。
しかも相手は何度も何度も自分を噛み傷つけた、憎々しいあの若い鬼だから尚更だ。
聡慈と共にあの鬼を倒す。
仲間の馬たちとはここでお別れだ。
――ロージュー、ショーグン、皆をよろしく。さようなら。トノサマ、ヒメ、ハタモト、あの世って所にいるんだろ?そっちからちょっとだけ、僕に力を貸しておくれ――
リンの体の周囲を黒い粒子が渦巻く。
鬼が一瞬体を強張らせ動きを止めた。
かつて鳥人間から食らった緑色に膨らんだ力の破裂は、未だ深い傷となり鬼の心に残っている。
それと同じ緑色の力がリンの脚に宿っていた。
黒い渦巻きはリンの脚に収束し、逆回しのように脚から緑色の渦巻きを出している。
――かかってこい腰抜けの鬼ヤロウ!――
聡慈に倣うように鬼に堂々と向かい、力強く地面を二、三踏みしめたリンは、敵を誘うように背を向け悠々と森の中へと入って行った。




