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4吊るされた死体

「この橋を渡ればカートリー領に入るぜ」

 クライヴが言った。


 リバーサイドを出た三人は、カートリー領とシャーウッド領を隔てる川の前に着いた。


 「小僧、あれを見ろ」


 エイジャイが橋の方を指さした。


 朽ちた木の橋の脇で、二つの吊るされた死体が腐っていた。人間の死体だ。足元には看板が立っている。


 『王の法を犯した者の末路』


 看板にはそう書かれている。


 三人が看板のそばで止まるとカラスたちが一斉に死体から飛び立った。


 ミラたちは馬の背から降りる。馬たちは道端の枯れ草をはみ始める。蠅がよどんだ空気の中を飛び回っている。


 「ジジイ、俺はこいつらのこと知ってるぜ。《太陽》と《十字》だ。そこそこ名の知れた騎士達だったはずだ。強力な魔術を使うってきいたことがある。今はもう蠅を集めるしかできねぇが」

 「サー・マーカスを殺そうとして、返り討ちになったみてぇだな」


 エイジャイは二つの死体を顎で指した。

 

 「こいつらは俺たちの未来の姿かもしれねぇぜ」


 エイジャイとクライヴから離れてミラはカートリー領へ繋がる川を見ていた。


 一度この川を渡ったなら、二度と元の場所には戻れないだろう。なぜだかミラにはそんな予感がした。


 しかし、ミラはためらわなかった。彼女は馬をひいて、橋を渡ろうとする。だが、クライヴが彼女を呼び止めた。


 「待ってくれ、ジジイが死体を埋めてやりてぇって言ってる」

 「放っておけばいい。死んだ人間は何かを感じることもない。埋められようが吊るされようが気にすることもない」

 「ジジイはそうは思ってないみたいだぜ」


 すでにエイジャイは剣を使い地面を掘り始めていた。彼は言った。


 「ミラ、こんなのは哀れすぎるぜ。俺が死んだとしたら吊るされるのだけはごめんだね」 


 エイジャイがどうしてもと言うので、ミラは根負けした。彼女は少し離れた木陰に寝っ転がった。二人が縄を切って死体を下ろし始めた。太陽は中天に差し掛かり、夏の暑い日差しを投げかけていた。荒野と岩と空に満ちるおおらかな空虚さをミラは肌に感じた。


 クライヴとエイジャイは汗だくになりながら、剣を使い地面を掘っていた。クライヴがにやにやしながらミラに聞こえないように小声で言った。


 「あんたは本当はミラと結婚したかったんだ」

 「盗み聞きしてたのか?雌犬の子め!」

 「残念だったな。ミラはあんたのことなんて屁とも思ってねぇ」


 エイジャイはクライヴを無視して無言で穴掘りをつづけた。


  蠅が低い音を立てて、エイジャイの周りを飛び回っていた。エイジャイは顔をしかめて蠅を手で追い払う。蠅は今度はミラの周りを飛び始める。一瞬の早業で、ミラは飛んでいる蠅を指でつまんで捕まえる。


 手持ち無沙汰なミラは、蠅の羽をむしって遊び始める。羽のない蠅がぴくぴくと足を震わせてもがいている。


 二人が埋葬を終えたときには夕方になっていた。太陽は赤く濃くはっきりとした形になり、空は薄紫になっていた。


 クライヴとエイジャイは沈んでいく太陽をじっと見つめていた。二人とも汗をかいていた。二人とも無言だった。


 ミラは一人だけ月を見ていた。半円の月はまだ薄く、だれもその存在に気付かなかった。


 彼女は思い出した。夫のことを、『名前のない人々』のことを、初めて愛を交わした時のことを。


※ 


 夏だった。海から風が吹いていた。


ミラの夫は騎士であり、考古学者だった。雪に埋もれた太古の遺跡やそこで暮らした人々を彼はいつも夢見ているようだった。

 

 「北部は古い土地だ。地面を掘ればすぐ遺跡に行き当たる」


 彼とミラは半ば雪に埋もれた古代の神殿を見ていた。支柱はすり減り、土台の石も欠けていた。かつて崇められた古代の神も、それを崇めた人々も今はもういない。祭壇のあった場所には木が一本生えているだけだ。海から吹く強い風が雪を舞い上げていた。


 彼は芸術品を愛でるように柱に手を触れた。言葉にならない喜びと純粋な神秘を感じていた。

 

 「ミラ、かつてここは港だったんだ」

 「海は丘の向こうにあるのに?」


 ミラが指さした先には、段々に連なる丘が地平線まで続いていた。


 「あの丘は、丘の向こうの畑は、かつては海だった。長い時間をかけて陸に変わっていったんだ。ここは海運の要衝でとても栄えていたんだよ」


 彼はすでに失われた過去のことを思ってため息をついた。 


 「五千年前、僕たちの祖先がこの土地に入植したときにはこの遺跡を建てた人々はすでに滅んでいた。誰も彼らの名前を知らないから彼らを『名前のない人々』と名付けたんだ」


 海から風が吹いていた。五千年前の人々が感じた風が。五千年後の人々も感じる風が。 


 ふいに雨が降り始めた。夏の夕暮の雨だ。


  「『名前のない人々』の言葉には雨を表す単語がとても多い。雨の音、雨の匂い、雨の強さ、雨の味、雨の季節、そのそれぞれにいくつもの名前を付ける。雨を浴びる喜びを、寝床で雨の音を聞く安らぎを、雨の中で愛する人を見つめる切なさを意味する言葉がある。その全ては消えてしまった。いまはもう彼らの言語の話者はいない」


  「私たちもいつかは滅んでしまって、だれの記憶にも残らずに『名前のない人々』になるの?」


  

 ミラの質問に彼はなにも言わなかった。ただ希望を知らない忍耐だけがあった。かつて彼を責めさいなんだ数々の不遇が彼の背中に朧な影を残していた。そのすべてはミラのせいなのだ。


 ミラは彼を抱きしめた、言うべき言葉を知らなかったから。


 彼女は肌と感覚と精神で感じた。彼の熱を、彼の鼓動を。こんなに温かいものに触れたのは初めてだった。こんなに深い喜びがあるとは思いもしなかった。彼は落日の最後の光のようだった。


 夫の太く大きな指が腰を撫でるのをミラは感じる。

 

 ミラは『名前のない人々』の言語を知りたいと思った。彼らにはあるはずだ。雨の中で自分の愛とその儚さに気づくことを意味する言葉が。


 降る雨粒が地面に落ちるまでの間、ミラは一瞬を永遠のように感じた。



 朽ちた木の橋がきしむ音でミラは我に返る。クライヴとエイジャイは橋を渡り始めていた。


 すでに太陽は沈み、空の底が深くなっている。虚ろにうごめく星々は雨のようだ。ミラも二人の後を追う。


 三人は橋を渡る。


 そして、カートリー領に入る。




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