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3エイジャイ


 リバーサイドは大河の岸辺にある村だ。大河の水は澄んでいて、砂は白い。滾滾とした河の流れは決して尽きることはない。きっと、時が終わるまで流れ続けるのだろう。


 ミラとクライヴは河のほとりにある岩に馬を繋ぐ。


 向こう岸には幾重にも山が重なり、朝霧に霞み淡くなっていく。こちら側の岸辺には一艘の小舟が河のふちに泊まっていて、蓑傘をつけた老人が釣り糸を垂れていた。静かな音を立てて枯葉が落ちた。


 ミラは言った。 


 「老けたね、エイジャイ」


 老人が振り向く。


 「ミラ、あんたは変わらねぇな。子供のままだ」


 ミラの記憶の中のエイジャイは活力に満ち、鋭い顔つきをしていた。だが、時はあらゆるものを変化させる。年月のうちに彼は白髪を生やし、髭は霜のように真っ白になっていた。


  石の上の苔を払いのけて、ミラは腰を掛ける。砂の上で焚き火の光が踊っている。クライヴは火のそばに腰を下ろし、両手をかざした。彼は穏やかな暖気に体を震わせる。


 ミラとエイジャイは様々な話をする。お互いの知り合いの名前を出し合って、彼らの近況を確認しあう。


クライヴは話についていけず、手持ち無沙汰な様子でミラの方を伺った。だが、ミラは気づかなかった。クライヴは飼い主をとられた犬のように砂をいじりはじめた。


 「エイジャイか。親父がよく言ってたぜ。犬ほどの役にも立たねぇ男だってな」

 「あの子はクライヴ。ソーンヒルの息子だよ」

 「実の息子じゃねぇさ。小僧のことは知ってるぜ。ほら吹きソーンヒルの拾った父なし子だ」


 エイジャイは言った。


 「母親はおめぇを川に投げこんで殺そうとしてたんだってな」

 

 クライヴはいきり立って、エイジャイに飛び掛かる。目にも止まらぬ早業で、クライヴがエイジャイの首にナイフを突きつける。


 「ジジイ、口には気をつけろよ。侮辱には刃で応える」


 エイジャイは頭をそらせて笑う。クライヴはますますいきり立つ。ナイフの刃がエイジャイの首に食い込んでいく。


 「クライヴ、やめなさい」

 

 ミラはクライヴの右腕を掴んで彼を押しとどめる。クライヴは引きはがそうとしたが、ミラの手は根を張っているかのようにびくともしなかった。まるで牡牛を百頭も束ねたような力だ。クライヴは思い出す、ミラが北部でも最高の魔術師であることを。

 

 クライヴはついに音をあげ、ナイフを取り落とす。ミラは彼から手を放す。


 クライヴは右腕を押さえながらエイジャイを睨みつけた。


 「へっ、女に庇われて恥ずかしくねぇのか?」

 「クライヴ、私はあなたを庇ったんだよ。エイジャイから」


 突然、クライヴの首元から低い音がする。蛇のうなり声だ。あわてて彼が身をゆすると彼の服から数えきれない程の蛇が落ちてくる。クライヴは驚いて色を失くした。


 エイジャイは地震のような大笑いをする。


 「これが俺の魔術さ」


 エイジャイは腕を横に振った。すると、蛇が現れた。蛇は虚空から現れたように見た。今までクライヴが見たどんな蛇にも似ていなかったが、それが蛇だということが確かだった。

 

 「もしあなたがナイフを刺そうとしていたら、あなたは酷い目にあっていた。死にはしなかっただろうけど」 

 「納得いかねぇぜ。あのジジイは俺を父なし子って呼んだんだ。ソーンヒルが俺の父親だ。奴は親父を侮辱した」

 「先に突っかかったのはあなたでしょ」クライヴをたしなめるとミラはエイジャイに言った。「エイジャイ、あなたも言い過ぎ。クライヴの母親のことまで持ち出す必要はなかった」


 エイジャイは恥ずかしそうに頭を掻いた。


 「朝飯はもう済ませたのかい?うちに寄って食っていくといい」


 ミラに促され、クライヴはいやいやうなづいた。



 日が昇り始める。空気は柔らかく暖かくなってくる。エイジャイは妻に朝餉を用意させる。彼の妻はやせて干からびて険しい目つきをしている。彼女が口を開くことはめったにない。


 朝食を食べながらミラはエイジャイに賞金首について話した。


 エイジャイは言った。


 「あんたは足を洗ったんじゃないのか?なんでこんな儲け話に乗ったんだい?」

 「手紙が来たの」

 「どんな?」


 ミラは答えない。


 「旦那はどうした?今回のことなんて言ってるんだ?」


 暖炉の中で炎がはぜる。ミラの記憶が蘇る。夫の記憶だ。あの人はいつも喪服を着ていた、とミラは思う。見たことないはずなのに、彼が喪服を着ているのを。


 「五年前だよ、あの人は私を置いていってしまった」

 「疫病か。ひどい年だったな。みんな死んだ。いい奴も、悪い奴も」

 「答えてほしい、この話に乗るのか」


 エイジャイは少し考えてから言った。


 「あんたら二人は外で待っててくれ。女房と相談する」


 外には小雨が降っていた。河の澄み切った浅瀬に静かな波紋が立っている。雨は鳥たちを打ち、彼らは降りる場所を探し始める。村の灯が雨霧に霞み、かすかになる。この雨は前触れだ、とミラは思う。夏の雨期が近づいているのだ。


 クライヴはにやにやしながら、エイジャイの家の窓に忍び寄った。ミラは呆れかえった。だが、止めはしなかった。クライヴはそっと窓に耳をつけると盗み聞きを始めた。


 「あんたは私のことなんてなんとも思っちゃいないんだ」

 「金が手にはいりゃ、おめぇの暮らしも楽になる」


 エイジャイの女房は金切り声を上げ始め、口論は罵り合いに変わり、しだいにすすり泣きになる。


 彼女は散々エイジャイを引き留めようとあらゆる手段を試し、すべて失敗に終わるととうとう観念した。


 「あんた本当はあのミラとかいう女と結婚したかったんだ。でもそれができないから私と結婚したんだ」


 彼女は泣いていた。


 「行っちまいな、顔も見たくない」


 皮肉なことにこの言葉は真実となる。

 

 これ以降、彼女はエイジャイの顔を見ることはない。


 そうとは知らず、彼女はエイジャイが旅だった後、毎日戸口に立って彼の帰りを待つだろう。後に、エイジャイの訃報を聞いてからも彼女は変わらずに戸口に立ち、雪煙の奥に夫の幻影を求めるのだ。


 ※


 戸の開く音がして、エイジャイが小屋から出てきた。クライヴは慌てて窓から離れた。エイジャイはまっすぐミラの前まで歩いていくと、彼女の前にひざまずいた。


 恭しい態度で彼は言った。


 「俺の膝はあんたの前でかがむ。どこへでも行くぜ。あんたが俺を呼ぶのなら」


 エイジャイは思う。人生の中には濃くはっきりした年と、淡くぼやけた年がある。彼にとって、ミラの手下として過ごした日々は決して忘れられぬものだった。ミラはいつも彼の胸の一番大事な場所にいた。


 エイジャイはミラに会ってまるで若返ったように感じた。失われた活力が体に戻ってきたかのような感覚を覚えた。過ぎ去った青春の日々が戻ってきたかのように。

 

 記憶とは壊れた鏡だ。映す姿は真実とはほど遠い。そして、思い出はいつも美しい。



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