第2話 転生!
目を開けると、木の天井が広がっていた。
布団の上で横になっているようだけど、どうも頭がぼんやりして回らない。
「お嬢さま、お目覚めになりましたか」
「ふぇ?」
頭を動かして、耳慣れない女声に目を向けると、そこには着物姿の女性が正座していた。
……着物姿?
部屋を見渡して目に入るのは、畳に、襖に、ふかふかの布団。極めつけに側にいるのは和服のお姉さん。
ゆっくりと頭が回り始める。
たしか、私は放課後、校内で持病が悪化して倒れたはずだ。
今、生きているということは誰かが救急車を呼んでくれたのだろうか。
ありえそうなのは、あの時、近くの教室にいたミサキか、それとも――
「お嬢さま? 顔色がまだ優れないようですね」
和服のお姉さんが心配そうに私の顔をのぞき込んだ。
「……飲み物をお持ちしますので、少々お待ちくださいね」
お姉さんはそう言うと、部屋から出て行ってしまった。
残されたのは状況がつかめず、何もわかっていない私一人だけ。
ただ、彼女の言うとおり、気分が良くないことだけは確かだ。
「……ミサキの、ばか」
見慣れない和室の中で、ちょっぴり舌足らずな声が、誰にも届かずに消えた。
◆
それから、しばらく色々見聞きしてわかったのは、どうやら私は気を失う前とは全く違う世界にいるらしいということだ。
自分の姿形まで変わっているから、記憶だけ異世界に飛ばされたとでも言えばいいのだろうか。
ただ、異世界といっても、全く知らない世界ではないみたいで。いや、それどころか、むしろ、私はこの世界のことをよく知っている。
ここは私が好きな乙女ゲーム『くくり姫』の世界そのものだ。
国名は羅刹、元号は安永。
だれも彼も着物姿で、部屋も和室。どう見ても昔の日本の雰囲気が漂うけど、国名も元号も架空のなんちゃって和風ファンタジー。
ファンタジーの名に恥じず、少し街を外れると妖怪が跋扈していて、それを退治する妖祓師という職業もある。
どこを切りとっても完全に『くくり姫』の世界観だ。
そして、私は『くくり姫』の登場人物になっていた。
「なんで、よりにもよって心葉瑠璃になってるかな」
女中のかいがいしい介護を受けて体調も良くなった私は、自室に置かれた鏡の前で盛大にため息をついた。
鏡に映るのは、腰にもかかるほどの長い黒髪の女の子。
もともと悪い目つきが、私の不機嫌に合わさってさらに鋭く光っている。
ゲームで散々見なれた陰湿陰険高飛車お嬢様。私が最も嫌いなキャラクターだ。
「あぁ、神さま、生まれ変わるならせめて主人公にしてくださいよ」
『くくり姫』の主人公は、没落した妖祓師の家系に生まれた天才妖祓師。
心葉瑠璃も一応、名門妖祓師の令嬢なのだけど、家の権力や態度ばかり大きくて、肝心の妖術の腕はまあしょうもない。
悪役らしいといえばらしいけど、自分がその心葉瑠璃になってしまった以上、笑っていられない。
さらに笑えないことに、鏡に映る姿はゲームの心葉瑠璃と比べて、とても小さかった。
どうひいき目に見ても、小学五年生程度。
どうやら、私が来たのは『くくり姫』のゲーム開始以前の世界らしい。
「ゲームの世界に来ちゃった上に、お子様に逆戻りか」
とはいえ、考えようによってはこれはラッキーともいえる。
心葉瑠璃になった以上、バッドエンドを回避せねばならないわけで、対策を講じる時間は多ければ多いほどいい。
私は文机の前に移動した。
筆をとって、墨壺の蓋を開けると、部屋に墨の匂いが広がっていく。
私は心葉瑠璃が『くくり姫』でたどる末路を、覚えている限り書き連ねた。
妖怪に意識を乗っ取られる。
妖怪に殺される。
家から勘当される。
投獄される。
…………。
「あー、書きづらい!」
こちとら、現代の女子高生。筆なんて習字の授業でしか持ったことないっての。
書き上がった文字は案の定、読みづらくてこんなことなら頭の中で考えた方がマシだと、くしゃくしゃに丸めて襖に向かって投げつけた。
その瞬間、襖が開いた。
「あ」
ぺち、と音を立てて女中の顔にクズ紙がぶつかった。
「……瑠璃お嬢さま」
怒られる。これは確実に怒られる。
だけど、予想とは裏腹に女中はそのままお椀の乗ったお盆を文机に持ってきた。
「こちら、本日のお薬でございます」
「え、ええ、ありがとう」
私はお碗をつかむと、ぐいと飲み干した。
苦くてとてもマズい。
私はひとしきり顔をしかめた後、おそるおそる女中へとたずねた。
「……あの、怒らないの?」
女中はぱちりと目をしばたいた。
「あら、今日のお嬢さまはずいぶんとしおらしいのですね」
「そ、そうかしら」
「小言がほしいのでしたら、お叱りさしあげましょうか?」
「それはナシ!」
女中は、首をぶんぶん横に振った私を見てくすりと微笑むと、空になったお碗をお盆に乗せた。
「……そうですね。最近のお嬢さまは文句を言わずにお薬を飲んでくださるので、そのご褒美ということにしておきましょう」
「薬くらい飲めて当然でしょ」
「ふふ。ええ、そうでございますね」
女中はにこやかに微笑むとクズ紙を拾い上げると、部屋を後にした。
静かに襖がしまるのをぼんやりと見つめていた私は、ぼそりとつぶやいた。
「薬が飲めてエラい、か」
薬なんて好きじゃない。むしろ、大嫌いだ。
実際、お母さんいわく、私が子どもの時は飲ませるのにも一苦労だったらしい。
それでも、幼い頃から毎日ずっと飲み続けていれば、さすがに慣れる。
見慣れない部屋、覚えのない身体、知らない人。
そんな中でも唯一変わらない薬の苦味。
まさか、そんなものに落ち着きを覚える日が来るなんて。
私は小さくため息をついたのだった。