第15話 稽古!
指南役の女性が教室に入ってきた。
それを合図に、私と山桜百を中心に止まっていた時間も動き始めた。
遠巻きに私たちを眺めていた人も、興味なさげにしていた人も、みんな自分の席へと座っていく。
そんな中、私だけはその場から動かずに三つの空席を見つめていた。
あの三つの席のどれかが、心葉瑠璃の席。
当たりはどれだ?
いや、その前にここは学校というわけでもないんだから、指定の席があるとも限らない。ただ、みんな何となくいつも使う席に座っているだけなのかも。
考えても仕方ないので私は手近な席に座った。
隣の女子は一瞬だけこちらを見たけど、とくに何も言わなかった。
これは、当たりか?
それとも、指定席じゃなくて自由席だったパターンか。
どっちにしても、無事やり過ごせたならよしだ。
「心葉さん、稽古を始めたいので自分の席に座ってくださいね?」
「ええ。今、座りますわ」
くぅー、ここじゃないのかい!
指南役にやんわりとたしなめられ、私は席をそそくさと移動する。
に、二分の一かぁ。
ビクビクしながらも次の席に座ると、今度は間違っていなかったようだった。
「今日は魚住さんと、東藤さんはお休みと聞いてますので、これで全員ですね」
魚住は希里華の、東藤は凛之助の苗字だ。
「それでは、はじめましょうか」
◆
突然背中を突き飛ばされた時と、来るとわかっていた時では、ケガのしやすさがまったく違うものだ。
つまり、何が言いたいのかというと。
「心葉さん? 術符への霊力注入がまったく進んでいないようですが」
叱りだろうと、呆れだろうと、どんなアウェイな空気でも、それが来るとわかっていればなんだかんだ耐えられるということ。
「これは、その、ちょっと調子がですね」
「……本当にどうしたんですか。今日は様子がおかしいですよ」
始めは試験が終わって気が弛んでいると叱られたのだけど、あまりにも私が実践で何もできないからか、今では一周回って心配されている。
「……まず、霊力を全部、一度に流し込もうとするのではなく――」
「あの、できたら。そもそも、自分の中の霊力を感知するところから教えていただけると助かるのですが」
指南役の顔に困惑が浮かんだけど、その色は次第に真剣なものへと変わっていく。
「……一度、医務室に行ってきなさい」
「いえ、別に体調が悪いとかでは」
「自分の霊力を感知できないのでしょう? そういう病気もあります。とりあえず、診てもらってきなさい」
有無を言わさぬ口調で告げられた。
いや、ほんとに、教えてくれるだけで、それだけでいいんですが。
「……はい」
どうやら、今の私は稽古を受けることすら許されないらしい。
◆
「うーん、異常なしだね。体も器もいたって健康そのものかなー」
柔和な目をした男のお医者さんはそう言って、困っているのか安心しているのか、よくわからない笑みを浮かべた。
「ですよね。じゃあ、私やっぱり教室に戻ります」
私はそう言いながら、席を立った。
恥をかくとわかっていても、人にはやらねばならぬ時がある。私にとってはそれが今。
あの黒雷もまた来ると言ってたし、いずれ来たる別のバッドエンドへの対策もしなくちゃいけない。それなのにこのまま、妖術を使えないままでいたら、どんどん状況が悪化していくのは目に見えている。
稽古の時間もあと少しだし、早く戻らないと。
「まあ、待ちなよ。健康とはいったけどもね、少しくらいゆっくりしていってもバチは当たらないと思うよ」
「……それって、仮病では?」
「たまにそういう日があるからこそ、健康でいられるんだよ」
はいはい、ものはいいようですね。
「はい、これ」
もたもたしているうちに、湯飲みを渡されてしまった。
「ただの白湯だけど、飲んだら落ちつくよ」
しぶしぶ、陶器の縁に口をつけた。
柔らかい温度が喉をつたって、胸のあたりに広がっていく。
さすがに一息で飲むには熱すぎて、私はいったん口を離した。
「ふっ、立って飲まなくても、座ったらどうだい?」
私は椅子に腰を戻した。湯飲みを両手でつかみ直す。
温かかった。
この湯飲みは普段から彼が使っているものなのか、どうにも子どもの手には大きい。
手元を眺めていると、自分は本当に転生してしまったのだと思った。