1、転落
空を自由に飛びたいな。
これはとある歌の歌詞であることは世界中の皆々様はご存知ですか。私はその歌が主題歌の漫画を読んで育ちました。
かの漫画は、はるか昔風当たりの強かったとある時期に、世間や世界情勢という暴風雨に耐え抜き、今現在は子供たちに夢や希望を与える存在の一つとして、誰でも知っているそれとして、世界で、映画の中で、活躍を果たしていることでしょう。
その誰でも知っているものは未来の科学技術の結晶であり、決して魔法なんかではない。本来は「なんでもできる!なんにでもなれる!」と勇気をもらうべきところを、幼い頃の私は「魔法なんてありはしない空想だ」と受け取りました。
戦隊モノや仮面のヒーローは好んで見ましたが、その後の番組……魔法少女の漫画はデタラメだと決めつけ(実際そうなんだろうけど)泣きわめき、女児向けだからと親が買って来てくれたそれの関係書籍も破り、親が急いで止めに入るまで、おもちゃも子供向け雑誌のそのページも、何もかもを処分せざるを得ない状態まで、一生懸命傷つけました。
これが私、高橋小鳥の半生で唯一の後悔とトラウマである。
「なのに一体これはなんの体たらくよ」
月日は流れ、十六歳になった小鳥は自分の服装を見てゲンナリする。
白と黒を基調にした、ところどころに蛍光色をあしらったエプロンドレス。
メイド服にしては派手で丈の短いこの衣装は恐らく、今流行りのアニメのキャラクターの衣装か何かなんだろう。
「貴族魔法少女シリーズの、新人魔法少女カップちゃんだよぉ」
腰元のリボンを前触れなく締め上げられ、小鳥の喉からはヴッ!と女子高生らしからない呻き声が出た。
誰だよカップちゃん。知らないよ。
姿見の前で静かに絶望する小鳥の後ろで、クラスメートの女子は鏡の中の小鳥を睨む。
視線を追うと、どうやらスカート丈を見ているらしいが、これ以上短くなると下着が見えてしまうのでやめてほしい。
むしろロング丈に今からでも替えて欲しい。
そう伝えると、クラスメートの女子はきょとんとした顔をした。
「このアニメにロングスカートは存在しないよ?」
「嘘だ……」
「知らないってカオしてるねぇ。まぁ人気といえど深夜アニメだし知らなくてもしょうがないか~。必殺技はもえもえきゅーんみたいなやつだし」
「知らないよ」
「ドンマイじゃーん」
腰元からそんな声が聞こえる。
見下ろすとごそごそ動くクラスメートの薄い茶色の髪の真ん中に、小さなつむじが二つ見えた。2つもつむじがあるのは珍しい。
「ていうか小鳥ちゃん、魔法少女すき?」
「嫌い」
「あはは。存じ存じ~」
なんとなくイラっとくる発言も、彼女が言うとさほど腹が立たないのが不思議だ。
「そうかぁ。治ってないのかぁ、魔法少女嫌い」
ふぅとため息を吐く彼女を一瞥し、鏡に向き直る。
「そう治るもんじゃないよ」
「治す気もないじゃん? ……ここもう少しボリュームあってもいいなぁ」
「まぁね。ていうかなんでそれ聞いたの」
じとりと足元の彼女を見ると、彼女はスカートを触りながらあのね~と嬉しそうに喋り出す。
「んーと……昨日のニュース。真面目な小鳥ちゃんは見ただろうなぁって。そんで嫌な顔してそーだなって思ったから。ほら、『謎の少女、またも事件解決』」
そう言われ、ぼんやりとした昨日の記憶を引っ張り出す作業をする。
確か、ここ最近全国を騒がせていた凶悪殺人犯や脱走する囚人を牢屋に逆戻りさせたり、あと一歩で大事故になっていたであろう工事現場から事故を防ぎ、大嫌い同士だった婚約中の二人をお互いを好きにして見せたり、何かと不可解な事件現場の写真や映像にには必ず女の子が写り込むという内容だ。
女の子はフードや傘で顔がよく見えないが、髪の色は綺麗な赤毛で、およそ十代後半から二十代程度だと推察されている。
だからどうした。
「はいできた。あとは担当の子やってもらうね。もう着替えていいよ」
女の子はそう言うと、袖口もウエストも余裕のないほど体型に近づけた、どう見ても一人では着脱の不可能なメイド服をするりと音を立て、小鳥から剥がす。いや、剥がすように見えただけで、本当は脱がせたのだが。
自分の抜け殻になったそれを彼女は拾い集める。
いつ見ても手品の様に、あっという間にどんな物も透過させてしまう。
これは彼女の固有の力だ。
さて、この世界には二種類の人間がいる。
まずは普通の人間。
次に魔法の使える人間だ。
その割合はというと、魔法の使える方が世界総人口の一割以下と極端に少ない。これは偉い学者先生様曰く、ごく近年生まれた子供たちに発現したとされる潜在能力らしい。
子供たちの得意分野が従来と異なる形で現れたことにより、頭の固い大人たちは国会、職場、道端で、子供の未来を暗示議論し続け、とりあえずそういう人類の誕生を喜ぶことにしたのだ。
この異常な力をその道のプロフェッショナルを名乗る大人はたくさんの所説を生んだ。現在では人類の進化説が最も有力な説とされている。
まぁなんというかつまり、ここはそういう世界なのだ。
小鳥はリボンできゅうきゅうに締め上げられたあとの体に鞭を打ち、クラスメートに一秒足らずではぎ取られた制服をもそもそと拾い集める。
シャツに袖を通すか通さないかの時、クラスメートの喉から「あ!」と声が上がり、彼女は体をぎゅるんと半回転させ、ごめーんと甲高い声を出す。
「梨央ちゃんもだよね!?そうだよそうだよ!忘れちゃってた~~!!ごめーん!」
シャツのボタンを留め終わった小鳥が遅れて後ろを向くと、そこには長い黒髪を二つにくくった女の子が不満げな顔で座っていた。
スカートは太ももの真ん中より上の長さ、両手の爪にはネオンピンクのネイルで彩られ、制服の襟にはピアスがつけられ、首元には目にあまり優しくない光沢を放つアクセサリーが、健康的な色をした肌の上で自己主張している。
「ホントよ。でもいいわ」
「えぇ~?なんで?」
「今日はもう帰る。病院の予約入ってんの」
梨央は自分の足元に倒してあった松葉杖を拾い、出入り口に向かって歩き出す。
小鳥が梨央のアクセサリー類から足に視線を移すと、梨央のしなやかな線を描く足首には包帯がぐるぐる巻きにされていた。
捻挫でもしたのだろうか。
「病院ならしゃーないね!気を付けてね!事故んなよ!」
クラスメートがメジャー片手にそう声を掛けると、梨央は「うぜー」と言い、扉を乱暴に開いて出て行った。
「もー、開けたら閉めなきゃだめだよ!」
「ねぇ。今の子誰だっけ」
「荒川梨央ちゃん。小鳥ちゃんの斜め後ろじゃん」
言われてみればそんな子がいたような気がする。
無言の返事をどう捉えたかは知らないが、「もう四か月もクラスメートなんだから覚えようよ~」と呆れた声がかかる。
そう言われても、自分と交流のある同級生の名前だけ覚えておけば困ることは基本的に無い。それくらい小鳥は交流が浅い。
小鳥は、コピー用紙より薄い自分の交流の浅さに現実逃避しながら「ごめん」と呟いた。
「あ、小鳥ちゃんもう帰って大丈夫だよ。お疲れ様」
「いいの?片づけ手伝うよ」
流石に、時間を割いてもらって衣装の裾上げをしてもらったのに、散らかした分だけでも片づけをさせてもらえないのは少し罪悪感がある。
断られるとは何となくわかっているが、形式だけでも言わずにはいられない。
「大丈夫だよ。ある程度片付いてるし、このくらいなら一人でできちゃうから」
「そう? じゃあお言葉に甘えて」
「うふふ。ばいばい。また明日~」
「うん、また明日」
やはり、と思いつつも考えが合っていたことに少しだけほっとしてしまう。
申し訳なさそうにクラスメートに手を振って、廊下に出て立て付けの悪い扉を頑張って閉めた。
一人で教室に向かっていると、廊下の端の方からは先輩たちの楽しそうなに部活動へ向かう声やどこかの誰かが先生に怒鳴られている声が聞こえた。
まぁどうせ私には関係の無い事だ。
小鳥はそれをBGМに、教室への道のりを急ぐことにした。
「……でさぁー!やっぱあたし、きぞまほはアプリコットちゃんとローズ様のくっつきそうでくっつかない関係こそがお茶を美味しくさせる要因だと思うんだよねー!」
「は、あの三男坊にアプリコットちゃんは釣り合わねーだろ。それよか先週のご主人様対決がアツかったよなぁ。あそこでポットが執事を守って倒れるところなんて……」
着いた教室では、いわゆる『イケてる』クラスメートが大声でアニメの話をしていた。
小鳥が教室内に入っても彼らは気付くことなくおおっぴらに話し続けている。
小学校や中学校の頃は子供向けアニメは恥ずかしいもの、大人は見ないもの、見ている奴は赤ちゃんだなんていう暗黙の了解のようなものがあったから、誰一人として魔法少女だのヒーローだのの話はしなかった。したとしても、幼い弟妹がいる同級生が話題としてごくたまにあげるくらいだ。
だから、ああやって偉そうな顔した同級生が、偉そうな態度で子供向け番組の内容を大声で喋っているのを見ると、不思議と腹が立つ。
「ガキくさ」
誰にも聞こえない声の大きさでそう呟いて教室を出る。
魔法なんて科学を知らない大昔の人が考え付いた空想だ。そんなものに憧れてのめり込んで、人間関係の構築も学校の勉強も食事も何もかもを怠るなんて。頭のおかしな新興宗教にはまりこむ方がまだましだ。
誰に向けるでもない怒りがむくむくと膨れ上がる。
これは視野の狭い自分勝手な考え方だってことも、魔法が実在するから世間的に認められていることも、本当は分かってるんだ。
さっきの言葉だって、それこそガキ臭いのもわかっている。人が好きで話しているものを馬鹿にするのは最低だ。
でも誰かのせいにしないと、何もかもが信じられなくて、足元がおぼつかなくなってしまう。
「ねぇ、大丈夫?」
いつの間にか目を固く瞑っていたようで、目を開けると小鳥は階段の踊り場に座り込んでいた。
しかも日の入り方から察するに、ここは行き先である昇降口がある南階段とは逆方向の北階段らしい。
北階段から降りても昇降口に行けないことは無いが、湿っぽい空き教室や物置がこちら側に多くある上、少しだけ遠回りになるので、生徒は大抵からっとして明るい南階段を使っているのだ。
小鳥が顏を上げると、通りがかりの生徒が心配そうに小鳥を覗き込んでいる。
「体調悪いの? 保健室に行くの手伝う?」
「……ちょっと眠かっただけです。大丈夫。ありがとう」
親切な生徒の方に不安そうな目で見送られながら階段をあとにする。
そうだよ。これっぽっちのことで何悩んでんだ。取るに足りないどうでもいい事なのに。
ふらつかないように壁をなぞりながら、階ごとに階段の近くに設置されているベンチに腰をかける。
が、座ろうとした途端、地面がぐるりと回転し、ふわりと重力を失い、目の前がいきなり真っ暗になったのを見た。
……見た?
おそらく上にあたるであろう方向を向くと、そこにはぎざぎざ模様のついた楕円がベンチの真上の天井を切り取っていて、その楕円は段々と小さく遠ざかっていく。
「……えっっ?」
私、落ちてる。
そう気づいた瞬間、全身をうねらせる衝撃が腰に響いた。