第一章 痛感忘却 〜冬に咲き誇る向日葵〜 02
似非探偵事務所。別名跳梁跋扈探偵。俺はそう呼んでいる。別に正式名称もないので、敢えて俺はそう呼んでいるのだ。創設者がなんと呼んでいるのかは、知らない。
事務所は、白銀山温泉街から離れた、どちらかというと繁華街にあるビルの一角に構えている。もとい、事務所と呼べるのかは、さておき、ビル内に入って三階のオフィスの扉を開けた。
立て付けの悪い扉を開けると、何とも殺風景なオフィスが視界に広がる。特に物は置かれておらず、灰色基調の机が三つ、人数分置かれているだけだ。だから、事務所と呼べるのかさえもわからない。
「あれ、円城か。よく来たな」
殺風景でコンクリートで作られたビルの三階に、一際異色の人物がいる。紅白がやけに眩しいその姿。
巫女である巫弥が俺を早速出迎えた。
「今日は非番なのか?」
若干強きな口調で、俺に問う。「そう、一日中ね。折角だから、来たんだ」と返事を返すと、「ならちょうどいい!」と、巫弥のテンションが一層高まった。どうやら、俺は愚っとタイミングにここに訪れたようである。
巫弥佳奈美。ここの所長、言わば探偵ごっこの言いだしっぺである。近場の神社で武者修行の巫女として働いており、その傍らでこの事務所を作って今に至る。なにをやるにしても突発的であり直感的。この探偵ごっこも、ただ単に「ただやってみたかったんだ」と言っただけで発足したのだ。俺も、探偵メンバーの一人である。
巫弥のことだ。またよからぬ依頼でも請け負ってきたのだろうか。あの非道刑事から。
「で、どんな依頼だ?」と訊くと、巫弥は「察しがいいじゃない」と俺の直感力に関した様子で続けた。
「稜治からね、遊び半分でいいから、神隠しサイトの真相を暴いてくれって、言われたのよ。あっ、神隠しサイトって知ってる?」
今朝観たニュースのことで間違いないだろう。俺は「知ってるけど」と答えると、「へー、あんたにしては珍しいじゃない。そういったことには疎いから、知らないかと思ってた」と、思わぬ返答に目を丸くして答えた。巫弥は知っている。俺は異常なアナログ人間であり、つい最近テレビの扱いに慣れてきたことを。
「サイトの真相を暴くっていっても、どうやってだよ」
俺に捜索の手立ては一切ない。なにより、パソコンの扱いから学ぶ必要がある故に、それもこの依頼主は「遊び半分」と言っているみたいで、主は事件の解決になんら期待も込めていないのがわかる。どうせ、巫弥だけが情熱を注いで終わるだろう。
「巫弥……。もう少しましな依頼はなかったの? 最近やった猫捜索とかさ……」
「あぁ、あれね。あれは駄目。物足りないわ」
少し弱気な声が聞こえた。声の方に視線を向ける。光があまり行き届いていない、その区域に机が一つ置かれている。そこに声の主はいた。
そこだけが闇に閉ざされている中、眼鏡が光を反射させて、不気味に光を灯っている。つまるところ、衛樹がそこにいる、ということである。
衛樹球耶。ある宝石商の一人息子であり、一介の魔術士である。少しばかし弱気な性格の持ち主で、何ごとも優柔不断である。ただ、魔術のことに関しては、俺と巫弥の二人の知識を総合しても勝てない程の知的持ち主で、宝石曰くパワーストーンを基本とする魔術士だ。さり気なく、そこらの魔術士よりも強かったりする。ただ、弱気なことさえなければ、それなりに名を馳せれるだけの力は持っているのだ。
巫弥と衛樹との関係は、中学以来の友人であり、もはや腐れ縁といっても過言ではなかった。
お互いがお互いをよく理解し合い、よき仲間として今日までこの探偵メンバーは成り立っている。
「あまり一人で突っ走らないでくれよ……。仲間なんだから、せめての相談くらいは……」
「わ、わかってるわよ。あれでしょ、猫依頼の前にあった、退魔依頼のことを言ってるんでしょ、あんたは。いい加減、忘れなさいよ。後悔先に立たず、いつまでも引きずってても仕方ないわよ」
さり気なく、この探偵事務所は、巫弥の意向によって退魔までも請け負っているのだ。
巫弥は呪術士であり、衛樹は魔術士である。別段、退魔関連に手が出せないわけでもなかった。
魔術士と呪術士。二つの言葉は若干異なるが、基本は一緒である。魔力、呪力を原動力に各々が個人で所有する魔術及び呪術刻印を用いて術式を作り上げて、詠唱する。ただそれだけである。二つはただ東洋西洋の風土の違いから呼び名が違うだけだ。
二つの術士にとって、刻印は必要不可欠なものでもある。刻印は、術式発生、魔力呪力の生産及び貯蔵といった、根本的な役割を担い、言わば心臓である。これなくして、術士と呼べない。刻印は誰もが持っているもので、ただ使うか使わないかだけである。
巫弥も衛樹も、それぞれ純な魔術及び呪術家系に生まれた者であり、刻印は一際強かった。二人の術式は、俺の想像を凌駕するものばかりで、自分は対して能力がないことに、少なからず自負していた。
「あれは、俺が無意味に行動に走っちゃったからで、別に衛樹が悪いってわけじゃないだろ」
「まあ、それもそうなんだけど」
俺はちょっとしたトラブルを引き起こしてしまったのだ。それが大きな過ちとなり、衛樹に過剰な負担をかけてしまったのだ。
「前々回の依頼は、ちょっと走り過ぎたわよ。誇大妄想ってやつかしら。自身を過大評価し過ぎた故の私の判断ミスよ。別に、円城にも衛樹にも責めてるわけじゃないんだから」
若干語句の弱らせながら、そっぽを向く巫弥。バツが悪そうに沈黙を決め込んだ。
少々の沈黙の間を三人で演じた後、衛樹が一言口にして、沈黙は破壊された。
「というわけだ。所長は以後反省するように」
「わ、わかってるわよ。あんたに言われる筋合いじゃないわ」
巫弥はすたすたと歩き始めた。後ろ姿はまんま巫女でありながら、この場の雰囲気に異質を極めていることに、俺は既に鈍感となっていた。
お昼までここにいよう、と心に決めてから、自分の机に腰掛けた。
ここに来る度に思い知られる。二人は一介の能力者と言うべきものであり、俺はその才能さえもない。この場においては、ただ単に自己を守る為の剣道しか能がない男なのだ。
「あっ、そうだ。円城。最近目の方は大丈夫か? ここのところ、自宅の方で頻繁に痛みを発するって、巫弥から訊いたんだけどさ」
席について一息している時だった。机越しに衛樹が訊いていた。俺はその問いを訊いて、右目に閉じた瞼の上から触れた。
俺の右目は視力を失っている。言わば隻眼である。その右目が、最近痛むのだ。突然、電撃が走ったかの如く、強い衝撃とともに俺を苛む。そのことを巫弥に相談していたのだ。どうやら衛樹には風の便りで伝わったみたいで、心配そうにこちらを見据えてくる。俺は「あぁ、最近じゃなんら問題はないんだ」と、答えた。衛樹は訝しげに首を傾げながらも「そうか、ならいいんだけど……」と、会話は途絶えた、と思った時だった。
「どうも気になるのよね、あんたのその右目。私と似た臭いを感じるのよ」
「臭い?」
「えぇ!? 巫弥って犬並みの嗅覚?」
「馬鹿言うんじゃないよ、衛樹。私はちゃんとした人間よ。あんたこそ、なんかの動物じゃない。内気だし、弱気だし、わかった、鼠でいいわよ。こそこそと部屋中を駆けずりまわるコソ泥鼠で」
流石にそれは言い過ぎなんじゃないだろうか、と俺は止めようと仲裁に入ろうと思ったのだが、止しておこう。
「コソ泥鼠だって? 酷い言い方だな。僕こそ人間だよ。それに、鼠よりハムスターと言ってくれた方が光栄だな」
衛樹は個人でハムスターを飼っている。故に、そちらの方が本人にとって好ましいのだろう。
巫弥は「ハムスターね。そうね、あんたらしいわ。ただ、鼠という立場は一生変わらないから。そうね、所長命令ってやつかしら」と満面の笑みを浮かべて衛樹に言った。「そんなー」と不服を見せつつ、巫弥とのじゃれ合いを楽しんでいた。巫弥もそれに相違はない。無論、傍から見ている俺でさえ若干面白みのあるものであった。
「それで、本題に戻るけど、どうもあんたのその右目が怪しいのよね」
「どういったことで? 俺にはさっぱりわからないぞ」
「うーんとね、巫女的もの……、というか、口寄せというか、そんなようなものを私は感じるのよ。衛樹はなにかわかったりしない? 魔術的ま面で」
頭を抱えながら答えを導き出そうとしている最中、巫弥は衛樹にもなにかないのか問う。
「魔術的な面で? 目に、口寄せとかっていったら、うーん……、わからないな。事例がないから、僕からはなんとも。ただ、僕もその右目から不穏なものは感じるよ」
こぞって二人の頭を悩ませる俺の右目。一体、何が隠されているというのだ? 自分自身に問うが、結果は見えず仕舞いであった。
「確かじゃないけど、私から言えるのは、無能者じゃないことよね。円城に訊くけど、その失明は突発的だったんでしょ。事故にあったとか、そういった類じゃなくて」
過去を遡る。あれは、ずいぶん昔のことだ。まだ養子の前、本来の家族だったあの頃にいた話にまで遡る。その時代に、俺が右目の失明をしたのは覚えている。
俺は頷くと、「というより、それ以外考えられないのよね。まあ、これが単なる無能者であり、失明も、視神経の断裂とかだったらしゃれにならないけど」と、思考をすっぱりと切ると、巫弥は話から離脱した。
「無能者ね……。確かに笑えない話ではあるね」と衛樹も離脱する。
無能者とは、文字通り、無能ということである。対の言葉に異能者や異端者といったものがある。
異能者は、先天的能力者のことをいい、生まれた頃より授かった能力の持ち主のことを全般的に指す。つまり血や家系云々の継承によるものだ。
異端者は、後天的能力者のことをいい、元々無能者がある能力を授かることである。こちらはこちらで、厄介な分類の一つであり、文字通り異端である。元々無能者が有能者になったところで、その新たな力に溺れる者は多く、事実事件などを引き起こすことが異能者に比べて多いのだ。故にそれを滅する為に退魔がある。
俺が、隠れた異能者だということは、何の確証もなく、二人の邪推に過ぎない。真意はわからず仕舞いである。
取り分け、この事務所には有能者が二人いるので、果たしてここにいる意味はあるのだろうか、とつい疑ってしまうこともある。ただ、そういう類の詮索は、互いになしと暗黙の了解によって決まっていた。俺がここにいても、別に変ではないが、でも引け目を感じてしまうことはある。
「そういえばさ、神隠しサイトのことだけど」
俺は話を切り出した。さっきから不穏な空気が流れ始めてきたので、俺はそれをそそくさと断ち切りたかったのだ。
俺の一声に、巫弥が耳を傾け始めた。
「何? サイトについてなにか知ってるの?」
「まずさ、『サイト』って何?」
巫弥が撃沈する。言葉もなしに、机に突っ伏した。その光景を、衛樹は腹を抱えながら必死に笑いを堪えようしていた。俺は、何か変なことを言っただろうか。時代遅れなことに、それほど敏感ではなかった。
「そうね……。あんたなら言い兼ねないよね、サイトってことの意味を。円城って、パソコンについてなにも知らないわけ?」
根本的なことからまずは問い質してみよう、と巫弥は踏んで、俺に訊いてきた。俺は少々黙考する。
パソコン、と言われてまず思い浮かぶのは、画面だ。それと本体と呼ぶものだろうか。いつも、琥凛が旅館のホームページ――家頁ってなんだ? 略してHPと表記するが、体力でもあるのだろうか――を作っている最中を、傍から見ている。なにやら意味のわからない定型文ばかりが乱立して、傍から見ているだけで気が滅入ってしまう。パソコンの苦手さには、須雀にも呆れられたこともある。
俺は胸を張って豪語した。故に虚勢など張る気は一切なかった。
「全く」
「円城って、本当に無知みたね。驚いたわ、こんなご時世にパソコンのパの更に半濁音も知らない人間がいたなんて。祖父母くらいよ、だいたい知らない人なんて」
「半濁音までって、それは酷いんじゃないか、巫弥」
「いや、的確だよ。巫弥が言ってることは、実に真をついてるよ。
僕からも訊くけど、パソコンを立ち上げる、という言葉、訊いたことある?」
「立ちあげる!? パソコンは自立するのか!?」
意味がわからない。ただの機械のくせして、自立するなんてことがあるのだろうか。最近じゃ、某車製造メーカーが人間らしいロボットを作ったということで、世間を賑わせていたが、パソコンが自立するなんて思ってもみなかった。俺の知る限り、足、なんてものは一切見たことない。あるのなら、ちょっと見てみたい気分でもある。
「いやー、傑作だ。こんなことを知らないなんて、ちょっと変な意味、人間性を疑うよ」
「本当ね。本当に二十二歳なわけ? 同年代とは些か思えないんだけどな……。
まあ、それはいいとして、立ちあげるってことは、電源を入れるってことよ」
「それで自立?」
答えを急かす俺に、巫弥は「ちょっと黙ってよ!」と少しばかし声を荒げた。俺は一瞬にして押し黙って、巫弥の言葉に耳を傾けた。
「いい? 自立から離れなさい。あのね、ただの機械風情が、自立なんてことはまず考えられないわよ。まあ、ないっていっちゃ、間違いだけど、パソコンはまず自立なんてしないわ」
「わかった、自立からは離れよう。
それで、サイトについては? 家頁は? あれ、HPだっけ?」
「これは、とんだ機械音痴ね。ここまでくると、もう呆れてものも言えないわ。
あのね、サイトっていうのは、あるドメイン、つまりある部屋に集まったページの総称よ。全く、妹さんならパソコン強いんでしょ、訊けばいいんじゃない。私から説明するのは荷が重過ぎるわ」
「同意」と衛樹は未だに笑いを堪えながら言った。
「それに言っておくけど、家頁だとか、ヒットポイントだとか、言ってるけど、全く別物よ。家頁ってなによ? ホームページの間違いじゃない。ヒットポイントってゲームじゃあるまいし」
とんだ蔑まれようである。どうやら俺は相当な時代遅れ者らしい。それも、祖父母世代にまで遡るとなると、それはそれで相当な差である。
現代的知識では、七十歳相当と言うわけだろうか。
「それで、円城は何故に神隠しサイトを?」
「いや、今朝ニュースで観たもんで」
「えぇ!? テレビ観たの?」
こりゃ、明日雨でも、いや季節外れの台風、いや、台風ならぬ大嵐がやって来るかもな、と衛樹はやはり腹を押さえながら言った。
「ふーん、ニュースにまでなるってことは、それなりに事件性は高いってわけね。まあ、あの刑事からの垂れ流しの依頼だから、あまり期待はしてないんだけど」
あの刑事というのは、巫弥の伯父にあたる津田川稜治のことを言っているのだろう。訊くところによると、非道っぷりは日本中のどの刑事よりも非道らしい。異常な加虐体質であり、刑事になったのも、確か「犯人を追いつめたかったから」といった、ある意味異常な就任理由である。そこのところ、巫弥と似通っている。だが、非道っぷりとは裏腹に、それなりに刑事としての腕は高く、訊き込みも――脅しではなければの話ではあるが――誰よりも正確な情報を持っていると署内では噂立てされる程であるらしい。上手くいけば、出世も夢ではない人物である。ただ本人は今の立場を変えようとしないらしい。
「僕の観てたニュースではやってなかったな。魔術協会からの何らかの情報があったわけでもないし」
魔術協会。本土をヨーロッパのとある場所に構える、世界中の魔術士を統括する総本山のことだ。魔術協会は、魔術の隠蔽隠匿を徹することを掲げ、それに背く魔術士を悉く裁判にかけていく。別段背きもしなければ、逆に好意的な協会であり、魔術士関連の物なら、ここをまず訊ねることが一番らしい。ただ、場所がわからない俺にとっては、行く気も憚れるもんだ。
「あぁ、堅苦しい爺の屯するところでしょ。そこからのなんの通達もないってなると、これはただの一般的な事件かもね。失踪事件、か。退魔だったら、少しばかし興が湧くもんなんだけどな」
ちょっとだけであるが、退魔に関わっている三人である故に、一般的なものよりも、そういった魔の関わるものの方が興味をそそるのだ。
「まあ、たぶん、神隠しサイトとは次元が違うと思うんだけど、七つの大罪に関わる魔物が今逃走中らしいよ」
「どういうこと?」
衛樹の言っていることが、よくわからなかった。俺も巫弥も、訊き返してしまい、衛樹は二人の喰いつきように少々驚いた様子で、続けた。
「二人とも、七つの大罪は知ってるよね。キリスト教の、人間を罪に導く可能性とあるものとされたものの総称ってことは。
その七つの大罪、一つずつに魔物が割り当てられていて、ルシファー、レヴィタン、サタン、ベルフェゴール、マモン、ベルゼブブ、アスモデウス。順に、傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、貪欲、暴食、色欲。これら七つの魔物が、今世界中で跳梁跋扈してるらしくて、魔術協会から注意が全世界に呼び掛けてるんだ。
確か、神殿に封印されていた筈なんだけど、誰かが封印と解いたとかどうとかで」
「誰かが放ったってことか? 衛樹」
「放ってどうしようかっていうのは解らないけど、事実、南アジアの方で色欲のアスモデウスが見つかってね、ぺドファイルの者に憑いてね、幼児に性的な残虐非道なことを繰り返してるらしい。その憑いた者が、魔術士だったみたいで、確か、無能者から微妙な魔力と刻印の奪取だったかな」
「奪取? 盗むってことよね。それと色欲のどういう関係が?」
「だからいったでしょ、その魔術士の欲情がぺドファイルなわけ。それと魔術士としての才能が融合して、それに加えてアスモデウスが憑いたんだろ。
だいぶ、変質的な趣向の持ち主だって訊いたことあるよ」
「ふーん、そのぺドファイルがなんなのか、私はあまり知らないけど、こちらの一件とはなんの関わりもなさそうね。人をさらうことに、七つの大罪に加わってないし」
いや、そうやって短路的に決めつけてしまうのは、どうかと思う。俺は「七つの大罪に加わってなくても、延長上だとしたら?」と言うと、「うーん、延長上ね……。確証もないのに、そんなこと言ってたら、正直きりがないわよ」と呆気なく却下された。
神隠しサイト。成人男性ばかりをつけ狙う、一種の悪質サイト。これと七つの大罪をリンクさせても、これといって成果があがるわけでもない。なにより、確証がないので、なんとも言えないのだ。
「一応、そちらの方も視野に入れておいてくれるかな、所長」
「衛樹、あんたって、肝心な時は『所長』って呼んで、他は『巫弥』って呼ぶよね。まあ、それはどうでもいいとして。
まあ、そっちは若干退魔にあたりそうね。衛樹はそれについて、少しでもいいから、まあ本心言えば、どうでもいいんだけどさ、調べておいてくれるかな。私と円城で、神隠しサイトについてあたってみるから。まあ、違うと思うけど、もしかしたら二つを照らし合わせて意外な発見が出来るかもしれないし。ね、円城。妹さんでもこき使ってでもいいから、神隠しサイトについて調べておきなさいよ」
「こき使うって……」
最近、旅館は忙しいんだよ、と言ったところで巫弥が聞き入れてくれそうにはなかった。巫弥は、この探偵じみたことが至極気にいっているのだ。本人は気付いていないのかもしれないけど、巫弥が住み込み修行として巫女をしている、肆龍神社にいるよりは、楽しそうなのである。
それに、琥凛をこき使うなんて発想は、俺にはない。
「パソコンを自立するなんて発想持ってたあんただもん。サイトの真相を探るには荷が重いからね。いいじゃない、妹くらい。兄特権でも使ってでも、調べさせたら」
「兄特権ってな、巫弥。俺にそんなことは出来ない」
一方的、というのは嫌いだった。昔、一方的に間接的に心を苛められたことがあるのだから……。故に、俺は和平を申し出る派である。
「鞭でも首輪でも持ってきて、調教でもすれば? 面白そうじゃない」
若干、どこぞの非道刑事っぷりなことをおっぱじめる巫弥。女性あるまじき発言でもあることに、俺も衛樹も異を唱えた。
「あら、ごめんあそばせ。女子らしからぬことを言ってしまったわ、オホホホ」
優雅な高笑いで誤魔化そうとするが、今さらどうこうと挽回出来るわけでもなかった。あの非道刑事と血が繋がっているだけある。発想の仕方は似通っていた。
「まさか、巫弥の口から『調教』なんて言葉が出るなんて……、嘆かわしい……。それでも巫女か? 『巫女は処女故に清楚であれ!』とどこぞの人が言っていたぞ」
「誰の格言よ、それ。訊いたことないんだけど」
「畜生! 僕のイメージを崩すつもりか!」
おっとー、衛樹選手、何やら暴走を始めたようです。というより、衛樹が巫女好きなんて初耳だぞ、おい! いつも消極的だったから、これといって趣味趣向の類は知らなかったのだが、こうして改めて知ると恐ろしいものがある。
「衛樹! お前巫女好きなのか?」
「何を今さら言う! 昔からこの性は変わっていないぞ」
そうか、そうだったのか。どうりで、衛樹が肆龍神社で行われるお祭りに、なにがあっても喜んで馳せ参じるわけだ。コイツ、確か風邪で四十度を超す高熱を出そうとも、来た覚えがあるぞ。今さら知る友人の事実に、俺はただ呆れるばかりであった。
当の巫女である巫弥は、別段驚く様子はない。
「あんたこそ、アスモデウスが憑いてるんじゃないの?」
「んー、そうかもしれないな……」
そう言って簡単に認める衛樹。なんとも意味のわからない友人である。というより、巫女型アスモデウスなんて訊いたことないぞ……。
「はいはい、茶番はこれくらいにして。この格好してるのが恥ずかしいじゃない。居所が悪いわね、本当に」
「巫弥の言いたいことはわかるよ」
「うん、無理もないだろ」
俺が同意し、何故か衛樹も同意する。二人の同情の念を、巫弥はこれといってありがたくも受け取らずに、衛樹に指差して言った。
「言っておくけどね! あんたの為に着てるわけじゃないんだからね! 四神家の人達から言い付けの戒めでこうしてるだけなんだから! 本当だったら、洋服くらい着てるのが普通なんだろうけど」
「なんせ、二十二歳だもんな。年頃だし、お洒落もしたいだろ」
「円城にしては、よくわかってるわね。そうなのよね……、もう十年くらいずっとこれだからね。春夏秋冬、変わることは年に数回程。悲しいわ……」
「俺にとっては天に昇る気持ち――」
と、ここで突然衛樹の声が途絶えた。ぐふぇ! となにやら変な擬音が聞こえ、巫弥が激昂に身を任せている。
つまるところ、巫弥は懐より式礼を取り出し、それを衛樹の顔面に向かって投げたのだった。そして、一瞬にして祝詞を口にして、式神を呼び出す。小さな鼠の式神は、自重を衛樹の顔に押しつけ、また式礼となって巫弥の許に帰っていった。
「これ以上、言ったら、悪霊退散並みに、あんたを封印してあげるから、覚悟しなさい」
倒された衛樹は、俺の机からは死角となって見えない位置にいる。そして、ゆっくりと机より手が出てきた。曰く「わかった」と意思表示とともに、机より生えた手は、萎れて奈落へと落ちていった。
お昼が近づき、巫弥は俺に「昼飯どうする? 私と衛樹は近くのファーストフード店で済ませるつもりでいるんだけどさ」と、誘ってきたが「一旦帰るよ。もしかしたら、またこっちに来るかもしれないし、来ないかもしれない」とだけ言い残して席を立つと、二人をオフィスに残し、帰宅路に足を入れた。
◇◇◇
衛樹と巫弥の二人との出会い。あれは中学一年の一学期の頃に遡る。
小学から中学に上がることで、友人の視野が広まることは確かだ。六年間をともにした友人達に、新たに他校から生徒達が集まるのだ。それはそれで交流の場が広がるで、楽しい反面、不安な面はあった。他校については一切無知であった故に、どんな性格の持ち主がいるのさえわからなかった。
中学校の入学式を終える。俺が通っていた中学校は、制服制度ではなく、私服制度であった。故に、当時は巫弥との初対面は驚くばかりだった。今から当時を思えば、あれは仕方なかったとはいえ、白衣に紅袴姿は、周りからは浮いている存在として常に扱われてきた。そういったことでは、俺は案外近づき易い人物の一人としてあげられる。事実、教室内で初めて巫弥に声をかけた人物は、俺が最初だった。
「ん? 誰あんた」
初対面の者に対して、少し棘のある表情でぶっきら棒に俺に言った。
「円城珀っていうんだけど、えっと、巫弥佳奈美、っていうのか」
手持ちのクラスメイト全員の名前が入った名簿の用紙を見比べながら、俺はその子の名前を口にする。巫弥はそっぽを向いて、「そうだけど、なにか用なの?」とこちらを見ずに言う。俺が「いや、これといって」と言うと、「はい? 何の目的もなしに近づくわけ?」と驚く様子であった。「呆れた人ね」とぶっきら棒にまた言うと、席を立つ。そして、教室を離れてしまった。
少しばかし怒らせてしまたのだろうか、と心配する俺を他所目に、巫弥はそのまま教室を出ていくのであった。
「なんだ、お前狙ってるのか?」
「初日からアプローチ? 手の早いことだな、円城。もしかして、お前ってプレイボーイか?」
小学時代からの友人が、教室に混ざっていたので、俺が早速巫弥に声をかけたことを、早速からかいに、二人の友人が両脇から責め立ててきた。
「い、いや。誤解だよ。俺は別に邪な考えは持っちゃいないぞ」
「どうかな。円城のことだ。きっと、俺達の知らないところで女作ってるに決まってる」
「おぉ、そうだな。おい、何人やった?」
「な、何を言い出すんだよ! やったってなんだよ」
「もー、円城ったら、冗談が過ぎるな」
「そうだぜ。もう、何人も強淫したんじゃないのか?」
なにを言っているのだろうか、この二人は。俺にはさっぱりだ。まず、俺の今までの短き生涯に、少なからず多少の付き合いはあったものの、どこかに出かけてそれでお仕舞の程度である。それ以上でもそれ以下でもない。
もとより、二人の言っている意味がさっぱりわからなかった。
それからというものの、巫弥との馴れ合いも少しずつ増え、俺と介して他の友人との交流も増えていった。
その他の友人との交流の最中、衛樹と出会ったのだ。
最初はただ教室の端の方でじっと座っているような人物であった。これといって目立つこともせず、控えめな人物であった。度の強そうな眼鏡をかけ、紺色基調の服装。誰にも止められず、ただ単に時間を過ごしているばかりのその少年。俺はつい言葉をかけてしまっていた。彼にまとわりつく孤独を取り去りたかったのだ。自分が昔にある人に孤独を取り去ってくれたように、俺もまた別人の孤独を取りたかった。
「衛樹球耶、だよね」
「そ、そうだけど……」
か細い返事が聞こえてくる。思わず訊き逃してしまいそうなその声を、俺は確りと訊き届けてから、改めて友人の輪に誘った。最初、衛樹は拒んでばかりだった。「えぇ、おこがましいよ……」と逃げ腰だった。いつもそうだ、当時の衛樹は、何からも逃げているイメージがあった。
「そんなことないよ。折角だし」
何ごとも、足を動かない限り始まらない。千里の道にもどんなことよりも、一歩が大事なのだから。
俺の一言に、意を決して席を立つ。「じゃ、じゃあ、お邪魔していいかな?」と若干退け腰ではあったが、自ら進もうとする心意気は感じられた。やがて衛樹も輪に入っていくのだった。
それからというものの、三人で集まる日々が増えるばかりであった。
三人で集まる場所として、決まっていたのは校舎の屋上だ。取り分け、人はそれ程好き好んで来る場所ではなく、俺達が集うにはちょうどいい場所といっても過言ではない。
最近、巫弥は袴姿で来る。故に和装なことに変化は期待出来ない。
付き合い始めてから三カ月が経とうとしていたある時だ。いつものように、屋上に集い、巫弥はあるまじきことを言った。それは俺も衛樹も、驚きの色を隠せない。
巫弥は、自分が「呪術士なの」と言った。巫女故に呪術士と言われても、俺には全くといっていい程に検討がつかない。故に呪術士そのものを知らない俺にとって、巫弥の唐突に明かされた立場を理解に苦しむものがあった。
「えっ、巫弥って、呪術士だったの!?」
「そうよ。こうしてそこそこの付き合いだし、なんだか隠し通せなくなりそうだから、先手を打たせてもらったわ。この格好からして、そこらの常人とは違うからね。
さぁ、私のネタばらしは終わりよ。衛樹も、そして円城も白状したらいいんじゃない。どうせ、隠し通すことなんて、出来ないわよ。能力ある者同士、感知し合えることだって不可能じゃないんだから」
つまるところ、気配というものだろうか。あれ、もしかして、といった類もあれば、あぁ、コイツは絶対になにか能力を秘めている、といった類のものまで、人が感知する能力の気配は様々である。巫弥に関しては、感知は鋭いものがあった。衛樹は巫弥に勧められるままに、「それもそうだな……。か、隠し通せそうにない。こうして、集まったのも、奇遇なのか必然なのか。僕も魔術士さ。どこぞの宝石魔術士の見習い」と、降参の意味も含め、衛樹は自白した。こうなったら、俺も言わないといけないのだろうが、俺は無能である。呪術士だとか魔術士だとか、目の前にいるのだけれど、実体が知れない。いったい、何だっていうんだ?
「あ、あのさ。話の意図がわからないんだけど」
「ん? 何言ってるの? 話の意図がわからないって、わかる筈でしょ。手の内を明かしてるってことがわからないっていうの?」
「そ、そうだよ。円城、君だけ逃げるなんて、ちょっと解せないな」
「待って、待ってくれ。二人は呪術士だとか魔術士だとか言うけどさ、一体何なの? 俺にはさっぱりなんだ。この気持ちは正真正銘、嘘偽りもなしに言ってる」
巫弥も衛樹も首を傾げる。どんなに弁明しようとも、二人には通じていない様子だ。
「本当に? あんたからは人一倍の気配を感じるんだけど」
「それは僕も一緒だ。円城、もうお互いにばれてるんだし、今さら隠そうったって、意味はないよ」
「だから、知らないって」
「本当に? 能力者じゃないってわけ?」
「能力者?」
能力者とは一体何だ? 特別な力でも持つ人物のことか? その類のものは創作創意の中だけで作られた者だと思っている。よもや、自分がその類に当てはまるなんて到底思えない。何より確証がないのだ。
「本当に解せないな」
「そうよ。しらを切ったところで、馬鹿馬鹿しいことだわ」
「訊くけどさ、これってなんの発表会? 意味あるの?」
「意味? お互いを知る為よ。それにね、感じてるまま、それを解明せずに終わらせるなんて、私の性質上ありえなくてね。白黒ハッキリしないと、なんかこう、落ち着かないというか」
巫弥も衛樹も、僕がある能力者だということは気付いているらしいのだが、当本人である俺が全くといっていいほどに検討がつかないことに陥っていることには、変わりない。二人からどんなに言われようとも、一切わからないから、どうしようもない。
結局、俺は自分の能力について無知だということで、場の収拾とし、解散となった。
そう、あれからだ。俺が、何かしらの能力を秘めているのだろう、と思ったのは。
つい最近では、右目の失明となにか関係あるんじゃないだろうか、と解析されつつあるものの、真相は雲の上であり、いっこうに掴むことは出来ない。
巫弥の言っていた、口寄せ、つまるところ神道系列に関する能力ではなかろうか、とまできている。でも、どんなに立案しようとも、推理しようとも、結局本人が認知していないので、どうしようもなかった。
こうして過去と自分に対する黙考を深めている頃、白銀山温泉街まで戻っていた。
白銀山温泉街は、とある県のそれも山奥にあるといった若干立地条件の悪い場所にある。ただ、それとは裏腹に、街全体のモダン的雰囲気。街の中心を流れる白銀山川の両岸には、大正から昭和初期をイメージ取った旅館や建物が多く、一年中通して、やって来る宿泊者を大いに迎えていた。
今年も、人気は多かった。あるテレビ局の舞台となったり、ある漫画に出てくる荘のモデルがあったりと、一般世間に向けてのアピールの多さが一番の要因であろう。それに、この雰囲気を好んでくる者も少なからずいた。
全部で旅館数は十二件と少ないが、それぞれの旅館が個々の独特さを醸し出しており、どこも名の高い旅館ばかりだった。円城家が運営する旅館も、その一つに組み込まれている。
観光名所としては、白銀の滝、銀鉱洞など自然が大いに溢れた場所だ。山奥というのが由縁である。そして、最大の観光名所として、肆龍神社がある。
肆龍神社は言わずとも知れる、五大神道家という日本にある神道系列の頂点に君臨する五つの家系のことを指す。その一つの家系が、この付近にある肆龍神社の運営管理していた。名を四神家といい、巫弥が住み込みの修行として身を寄せている一家である。
何十年とここに住んできた俺にとって、もはや庭当然の場所でもあった。
観光客の人ごみをさけつつ、家兼旅館に向かっている途中、「あれ、珀じゃない」と咄嗟に声をかけられ、俺は足を止めた。
少し低い声。少し煙臭い。これだけで俺は声のかけた人物はわかる。
「その声は、夕衣さんですか?」
「大中り。よくわかったじゃない」
人ごみの中、異質を極める夕衣さん。ここの温泉街では、不相応な格好であった為、どれだけ人でごった返していようとも、夕衣さんの所在は明らかだった。
二十八歳にして、露出の多い服を好む女性は、夕衣さん以外知らない。全体の半分くらいは、素肌が表へと出ている。春夏秋冬、いつの時期でも、その露出の多い服装を変えることはない。それが夕衣さんスタイルというものだった。
「よ! 板前坊主。元気にしてるか?」
若干、男勝りで、口調だ。
「心配無用。ちゃんとやってますよ」
「ふーん、杞憂だったか。っちぇ、つまらないの」
ボリュームのある髪の毛。泣きホクロに妖艶の美貌。スタイルの良さは周りからの賛美を受ける程だ。大人の女性という言葉が酷く似合う人物でもある。
「夕衣さんの方はどうなんです?」
「アタシ? こっちはこっちで大変よ。若女将っていう立場も楽じゃないわね。姑は煩いし、下っ端の仲居は面倒なことばかり起こすし、夫は夫で自己で一杯だし。つまらない日々を送ってるわ」
愚痴を零しながら、煙草を咥えて紫煙をまき散らす。これで若女将というのだから、なんだか信じ難いものがあるのだが、一年前にある旅館の男性と籍を入れて以来、若女将という命運を背負うことになってしまったのだ。今さら愚痴云々を零しても仕方ないのである。
俺と夕衣さんは、時折こうして道端でちょくちょく出会い頭に間柄である。歳は少しばかし離れているとはいえども、結構仲のほうは良好だったりする。
「夕衣さんも、夕衣さんで大変そうで」
「本当よ」
溜息ばかり零し、折角の美貌を疲労で食い潰す。若干、容貌から未だに元暴走族の雰囲気を漂わせている。
「昔に戻りたいわね、日本各地を二本の車輪で蹂躙しまくったわ」と過去を懐かしむ。俺は苦笑しか出来ない。各地を二本の車輪で蹂躙って、物凄い物言いである。元暴走族なだけある。口は俺よりもずいぶんと達者でえげつない。
ただ、今となっていは一介の若女将である。昔とはきっぱりと縁を切っており、既にセカンドライフを送っているのだ。
「それじゃね、私、ちょっと用事あるからさ」
またね、と手を振りながら帰ろうとする夕衣さんを、俺は「ちょっと待ってください。一つだけ訊ねたいことがあるんですけど」と、巫弥から頼まれた一件を思い出す。
「夕衣さん、神隠しサイトって知ってますか?」
「ん? 神隠しサイト?」
一瞬、夕衣さんの顔に曇りが現れ、すぐに取りさらわれた。
「それがどうかしたっていうの? よりにもよって、坊主に訊かれるなんてね。
知ってるか、知らないかのニ択で答えるのなら、知ってるわよ」
「本当ですか!?」
思ってもみなかった展開に、俺は心を躍らせた。そして、答えをせがんだ。夕衣さんは少し黙ったまま俺を見てから問う。
「言っておくけどね、近づかない方が身のためよ、神隠しサイトには」
突然、釘を刺してくる夕衣さん。何かわけありなのだろう。夕衣さんの表情が強張っていく。憎悪に落ちていくその様は、またもや美貌を破壊していく。
「近づかない方がいい?」
「そう。そのサイトで、私の元暴走族の下っ端が喰い殺されたからね」
「喰い殺された!? サイトって人を喰うんですか!?」
「馬鹿! そういうことじゃないよ。それに常識的に考えて、なんでインターネット如きが人喰いなんだよ。あっ、そっか、坊主、パソコン苦手だもんね」
「というより、電子家具全般ですけどね」
「どっちでもいいわよ」
夕衣さんは、一本煙草を吸い終えると、二本目、懐から煙草とライターを取り出すと、煙草を口に咥えて火をつける。ちゃんと吸殻は携帯灰皿に入れるといった、案外徹底した人でもある。夕衣さんもまた、この白銀山温泉が心底気に入っていた。故に、この場を穢すような輩は、嫌いな性質である。
「本題に戻りますが、喰い殺されたって?」
「んー、あまり他人には言いたくないんだけどさ、アタシらの仲だし、特別に教えるけど、先月、下っ端がサイトに入り浸ってね、それから少しして失踪したって、下っ端の友から訊かされてね、それからまた少し経って、関東の方で遺体として発見されたらしいの。遺体の損傷は激しくてね、四股分断、内臓露呈、筋肉剥離、血も一滴もなかったって話だわ。本当に、酷い話よね」
四股分断、内臓露呈、筋肉剥離、血の抜き取り、といった情報が入った。これ以上、訊くのは夕衣さんに失礼かと思い、俺はそそくさとこの場を後にした。去り際に、「今度、漁港から送られてくる美味しい魚を礼として送っておくんで!」と言うと、「そうかい? なら期待してるよ」と互いに別れの挨拶を済ませた。
家に帰って来た。取り分け、俺はこの旅館では経営者の身内であろうと、従業員扱いな為に、裏口からの帰宅を済ませた。
古惚けた旧旅館の出入り口が、従業員用の玄関となっている。その従業員用入り口で、洋装の男が一人、全身を黒で凝り固めた人物がいた。背丈は俺の知る限りでは一番高い人物だ。基本、従業員は和装を基本とするので、この男は間違いなく来客であった。
後ろ姿を見ていると、スーツでも着ているんじゃないだろうか、と見間違えてしまう程、男の漆黒の洋装姿は似合っていた。
「なんだ、島松か」
だいたい、裏口から入ってくる人物など、決まっていた。
「ん? その声は円城か」
島松がこちらに振り返る。端正な顔立ちから、同じ歳なのに大人びているように見える。綺麗に整えた髪に、きちっとした服装、紙袋を下げて待っている姿は、島松以外俺の思い当たる人物はいない。
島松は俺と違って、大学生である。それも学力はトップクラスであり、非の打ちどころがないと言っても過言ではなかった。昔から勤勉家だったので、自ずとこうなってしまったのだ。
「珍しいな。お前が来るなんて。大学の方はいいのか?」
「大学? あぁ、別段、苦労していない。寧ろ持て余している程だ」
島松は、場合によっては教師よりも学力が上だったりもするのだ。島松にとって、日本の大学に行って意味があるのだろうか。もっと、国外の名門大学に行っても、これといって不思議ではない。寧ろ、それが当然のようなのだが。ただ、島松は「日本人故に、まずは日本での学を確りとしてから、海外に渡りたい」と言っていた。本人曰く、海外で日本人だからといって馬鹿にされたくないのだからという。
「持て余してるって、凄い言い方だな……。俺からは絶対に言えないな」
「円城に言うのは酷かも知れんが、無論そうだろう。これといって努力をしなかったんだから、当然だ」
本当に酷な言い方をするもんだ。島松の言う通り、学生時代は特に勉学などに励もうとはしなかった。今となっては後悔の種となっている。
「それよりどうしたんだ? ここに来るなんて、用事もなしに」
「アポイントを取っておくのを忘れたのは詫びよう。だが、私としても急用で、是非、これを渡しておきたかったんだ」
そう言って、力強く紙袋を見せ付ける。紙袋には、どこぞの国外洋菓子メーカーのロゴが印刷されていた。
あぁ、その為に来たのか、と俺はすぐさま島松がやって来たことの理由を察する。
「い、今、円城の妹さんは、暇かね?」
若干、語句を震わせながら島松は控えめに言ってきた。島松がここにやって来た理由は、彼女に会う為であろう。その為に、こんな洋菓子まで持って来たのだろう。
「あぁ、今日は一日中非番な筈だ」
「そ、そうか。そ、それはよかった。徒労が無駄にならなくて一安心だ」
「早速呼んでこようか?」
俺が島松に問うと、「ちょ、ちょっと待ってくれ!」と声を荒げて俺の行く手を阻んだ。それも、両手を広げての制止懇願で、大柄な為、完全に行く手を遮られた格好となっている。
「折角来たんだし、一秒たりとも無駄にしたくはないだろ。それがお前の信条ってやつじゃなかったのか?」
「あぁ、た、確かに、俺の信条は無駄の極力の排除だ。た、ただな、ま、まだ、心の準備というものが出来ていない。それに割く時間は、無駄ではないだろ……。円城、あと五分ほど待ってもらいたい」
「ご、五分も……」
意外と心の準備に時間のかかるもんだな。島松のことだから、それも数秒のうちに終わらせると思ってたんだが、今日来たのは相当本気のようだ。
あれは、衝撃的出会い、といってもおかしくない。島松が、勉学以外に興味を示したのは、俺を震撼させることがらであった。
高校時代、島松は俺の家へと、お互いに学年末テストの対策で、お互いに勉強に明け暮れていた。
島松はこの時から既に秀才であった。それに、学年の長ともいえる、生徒会委員長までも勤めあげていたのだ。将来は、生まれ育った市の市議会委員、そして最終的目標は市長になることだった。島松は今の市長を酷く嫌っていた。人に耳を傾けない人物が、市長の椅子に座っているのが許せなかったのだ。これをなんとしてでも打破したかった故に、勉学に励んでいる。そして、今日に至るまで、勉学以外に興味など示さなかった。
二人で部屋に籠り、ノートと睨めっこをしていると、そこに一つの差し入れが舞い込んできた。
「失礼しますね」
静寂な部屋に響き渡る彼女の声。この時はまだ中学生だったのに、既に仲居の仕事を少し手伝っていたから、風貌も様になっていた。
「茶菓子を持ってきましたよ、兄さん」
「ん? あぁ、ありがとう」
部屋に入ってきたのは琥凛であった。百合の花をあしらった和服に、首に巻く純白のリボン、にこやかな笑顔に長い白銀の髪は、今も昔も変わっていない。
島松が徐に顔をあげ「ありがとう」と言った、その時だった。
「はぅわ! き、君は!?」
島松の中で何かが弾けたのだろうか。止まらずに走っていたペンが、止まった。
「ん? なんですか?」
琥凛は首を傾げて島松を見返す。島松もまた琥凛に心を奪われていた。俺はそれを傍から見て、自ずと察した。
し、島松が一目惚れした!?
島松との女性関係は、一切皆無であった。普段は無口故に、女子たちの高嶺の花だった。交際など金輪際しなさそうな人物が、一目惚れするなんて、俺はこの展開を予想出来ただろうか。
「あっ、いや、何でもない。ちゃ、茶菓子をありがとう。ありがたく食べさせてもらう」
「ふふ、それはよかったわ。それより兄さん? ちゃんと勉強してますか? ちゃんとやらないと、今日の晩飯は抜きですからねー、覚悟しておいてください」
「晩飯作ってるの、俺だけだけどね」
「ありゃー、そうでした」と人の上げ足を取ろうとして失敗する琥凛に、島松は心突き動かれているのだろうか、手から離れたペンをなかなか持ち直そうとしない。顔はそっぽを向いているのだけれど、視線が琥凛を捕らえようとしている。その矛盾が、傍から見る俺にとっては面白かったりもする。
琥凛が去り、静寂な時がまた流れ出す、ことはなかった。
島松は琥凛が去ったのをわざわざ確認すると、俺に向かって言った。
「す、すまぬ……。俺の戯言た。訊き逃してもらっても構わない。いや、訊き逃してほしい。
こんなこと、兄に向っていうのは些か憚れるのだが、どうやら私は君の妹さんに恋をしてしまったようだ……。馬鹿な友人だと笑ってくれ! 滑稽だと笑ってくれ!」
やはりそうだったのか。俺は思わず笑ってしまった。島松は恥ずかしそうに俺からもそっぽを向く。ばつが悪そうに、勉学に逃避しようとする。それがまた面白かった。
「お、お前って本当にわかりやすいな。見た瞬間に勘付いたぞ」
「な、なんだと!? よ、よもや、円城如きに見破られるとは……。どうやら、私は物凄い形相だったのだろう……」
「うん、凄かったよ。琥凛は気付いていないようだけど」とまた笑い転げていると、「こ、琥凛というのか……。あ、愛らしい名前、で、であるな」と、琥凛の名を復唱した。
「そ、そんなに琥凛が――アハハハハ――気、気に入ったのか? アハハハ」
「な、そんなに笑うことではなかろう!
気に入ったといえば、本心はそうだ」
「どこに惚れたんだよ」
「……。全てだ!」
物凄い人物だ。島松は、琥凛の全てが好きだと言った。豪語するのも大概に、島松のイメージが崩れていくことに、俺は何の躊躇もせず、ただ笑っているばかりであった。
「そ、そうかい。アハハハ。いやー、まさか、お前が琥凛に恋するなんて、こりゃ、学校で噂になったらとんでもないことになりそうだな」
「っく。円城、このことには内密に願う」
あれから、ずっと島松は琥凛を恋い焦がれる対象として離さない。
五分経ってから俺は改めて「心の準備はいいか?」と訊くと、「よし、よろしく頼む」と家の玄関を二人で潜った。そのまま、部屋へと行き、島松を残して俺は琥凛を呼びに行った。
部屋を出て、廊下を琥凛捜しに出歩いていく。ところどころ、琥凛が行きそうな場所を手当たり次第に捜すのだが、なかなか見つからない。いつもなら、俺が歩いていると、「兄さーん」と見付けてくれるのが普通なのだが、旧旅館を隅々歩いていても、なかなか声がかからない。既に琥凛の居そうな場所は捜し尽くした。はて、琥凛はどこにいるのだろうか。
手伝いにでも借り出されているのだろうか、と旧旅館での捜索を打ち切り、稼働している旅館へと向かった。
旧旅館と現旅館は、それぞれ専用連絡通路によって結ばれており、十五メートル足らずの長さで両脇がガラス張り。そのガラスからは、旅館の最大の特徴である日本庭園が覗ける仕様となっている。日本庭園は四季折々で日々姿を変え、ここに暮らしている俺でさえ、その庭園の魅力には、毎度のことながら釘付けになっていた。
旧旅館と現旅館との連絡通路に着いた。そして見付けた。
琥凛は、庭園を見つめていた。俺が通路に姿を現しても、琥凛はすぐには気付くことはなかった。琥凛の視線を追うと、外を小鳥達が何の柵もなしに羽ばたいていた。庭園という敷地を我が者顔で、何にも囚われず自由に飛びまわっている
「琥凛?」
俺は声をかけた。
「あっ、兄さん」
ニッコリといつもの笑みを浮かべながらこちらに向く。
「何ですか? 私に用でも?」
「まあ、用っちゃ用だな」
「一体どんな用なんです?」
「お前にお客さん、といえば、簡単に伝わるのかな」
それも、普通の客ではないことは、敢えて伏せていた。
琥凛は首を傾げた。「私にお客さんですか?」と、訊き返してくる。どうやら見当がつかないらしく、俺はそそくさと部屋に連れ込もうとした。琥凛は若干怪訝そうな表情を浮かべながらも、「あのな、別にいかがわしいものじゃないから」とまずは釘を指しておいた。「なんだ、私を誑かそうと、企んでるのかと思ってました」と怪訝そうな表情を捨て、いつも通りの笑顔に戻る。
「俺が琥凛を誑かしてどうするつもりだよ」
「んー、そうですねー」
何故かそこで黙考に耽る琥凛。俺は答えを訊きたい気持ちではあったが、それよりも島松を待たせるわけにはいかなかった。
俺は琥凛の手をひいて、部屋へと戻った。
部屋では島松が正座で腰を落ち着かせている。礼儀正しく、女子を待っていたのだ。静寂な部屋の雰囲気。ちょっとした言葉や物音でさえ憚れるこの状況。些か、俺は島松に声をかけずらかった。その時だ。
「あれ、お客さんって、島松さんでしたか」
と、わーい! と子供染みた声をあげて島松に駆け寄る。
突然抱きつかれ、島松は心を乱した。それも琥凛が抱き付いたので、尋常じゃなく心を乱されたに違いない。暴れようは人一倍凄かった。それでも、琥凛は島松を乗りこなしている。暴れ馬に楽しそうに乗る騎手、まるでロデオの再現みたいだった。
「琥凛……。島松で遊ぶな」
「兄さん! 物凄く楽しいですよー!」
「お、お願いだ! お、降りてくれないだろうか」
それでも、琥凛は降りようとしない。どうやら、本人はとても楽しんでいる様子だ。生きた人工ロデオがそんなに楽しいのだろうか。理解出来ない。俺はとっとと琥凛を島松の上から降ろしに出た。
琥凛を島松から引きずり降ろし、一件は収拾した。
「琥凛さん、貴女は相変わらずだ」
「フフ、島松さんこそ、面白い方だわ」
島松は褒められ、頬を赤らめてそっぽを向いた。
「わ、私なんて、お、面白みの欠片一つない人です。琥凛さんに、そう言ってくださるなんて……、何と言っていいのか……」
「何と言ってくれるの?」
答えをせがむ琥凛。「ねーねー」とまたもや楽しそうに琥凛は、必要以上に島松に問い質す。島松は口籠り、琥凛の視線から耐えようとしている。島松はそれが限界であった。
正直言って、俺はこの場では邪魔だろう。島松の恋を邪魔してはいけないのが、友人として至極当然だ。部屋を音沙汰なしに出ていくのがいいのだが、俺は部屋の隅で陣取っていた。そして、二人の成り行きを見守る。俺はなんとしてでも、ここを離れるわけにはいかなかった。島松は琥凛に対しては酷く奥手だ。なかなか本心を言葉に出来ない。それに琥凛は、若干島松の相手を楽しんでいる。行き過ぎると、馬鹿馬鹿しい方へと発展しそうな故に、俺はその仲介役を受け持っていた。
「島松、そういや、土産があるんじゃなかったっけ」
助け舟を出す。島松は問答無用にしがみ付いてきた。
「そ、そうなんだ。今日は、琥凛さんにお菓子を」
「お菓子?」
琥凛はお菓子が大好きであった。甘い物から辛い物までの菓子全般を好んでいる。舌が異常なくせして、菓子の見分けはつくのだ。それは、島松の頭の中にも記憶されている。俺が昔教えてあげた情報だ。
琥凛は「えぇ!? 本当に!? 嬉しいなー」と心底喜んだ。
これで、また話しがまた一つ進む。俺の仲介役も、一つ仕事を終えた。
島松は持参していた紙袋から、一つの包装された箱を取り出す。そして、琥凛に手渡した。琥凛は「ありがとう、島松さん」と笑みを浮かべて箱を受け取ると、包装を解いて中身を露わにさせる。
激辛洋菓子! 極上唐辛子使用! 激辛当社比三倍!
まず目に入る言葉がそれだった。そして、お次に真赤なショートケーキの写真が堂々と載せられている。
俺は思わず近寄って、その箱の写真を凝視した。
ショートケーキって、だいたい白くなかっただろうか? これ、真赤だ。乗っている苺のように、赤々としている。
琥凛はその写真と文字を見て、目を光らせた。
「激辛ショートケーキね。前から食べたかったケーキじゃない。覚えててくれたの!?」
「えぇ、勿論。前に訪問させてもらった時に、言っていたので、今回はこれを」
「フフ、気が利くのね、島松さんって」
またもやそっぽを向く島松。二度、琥凛に褒められ、島松は至福に浸っているだろう。傍から見る友人として、その真意はよくわかった。取り分け、島松は案外わかり易い人物なのだ。
箱から取り出された、赤々しく、禍々しいショートケーキ。箱には激辛と書かれていたが、こんなにも赤いと、なんだか恐ろしくなってくる。
琥凛はフォーク片手に、ショートケーキを食していく。一口食べてから「んー! この辛さはなかなのものね」とショートケーキに評価を下した。それからというものの、琥凛はショートケーキをどんどんと食して、やがては皿から赤いショートケーキは消えてしまた。
美味しいのだろうか、俺はあまり洋菓子は食べないので、わからないのだが、見るからに辛そうなのでやめておこう。
◆◆◆
俺と島松と琥凛と、三人の談話でこの場は盛り上がっていた。
歳の差があるのに、それさえも感じさせるお互いがお互いに何の憚りもなしに話している。有意義な時間ばかりが過ごしていく。
光陰人を待たず。時間はどんどんと過ぎ去っていき、気付けば夕方となっていた。庭園に落ち込む夕陽の光。池の水面に橙色の、それも蜜柑に似た太陽が写り込んでいた。
「おっといけない。もうこんな時間だったのか……」
三人が三人とも、時間経過をすっかり忘れていたので、今さらながらこんな時間になっていたことに、誰もが驚いた。
「済まない、俺は明日までには関東の方に戻らないといけないんだ。勝手ながらここいらで失礼させてもらうよ」
そそくさと足早に去っていく。俺も琥凛も、島松を玄関まで送り届けた。
玄関に二人突っ立っているのも、何だかおかしいので、部屋に戻ると、一息ついた。
あっ、そういえば、島松に神隠しサイトについて訊くのを忘れていたが、もう帰ってしまったので仕方ない。残るのは琥凛だけだ。折角なので訊いておこう。
「琥凛」
「はい、なんですか兄さん?」
「一つ訊いていいかな?」
「えっ?」と琥凛は首を傾げてこちらに向く。なにやら不思議そうにこちらを見ている。どんな質問を投げ掛けられるのかと、なんだか楽しみしているような面持ちでもあった。
俺が質問することは、何の道楽もない、逆に非道な内容を孕むものだ。琥凛の期待を裏切るような質問を、俺は今訊こうとしている。
「神隠しサイトって知ってる?」
一瞬、琥凛の眉間に皺が寄った。だが、すぐに面持ちは元通りになった。俺の見間違いだろうか。
「それがどうしたんです?」
「いや。所長の言い付けで、調べろって言われててさ」
「巫弥さんにですか?」
「うん。何か知ってたら、教えてほしいんだ」
琥凛は「うーん、そうですねー」と首を傾げて黙考する。後に一言口にした。
「こんな噂を耳にしたことがあるんですが、食虫植物、ってご存知ですよね。流石の兄さんだって、知ってる筈です」
「食虫植物? い、いや、知らないけど」
己の無知さが何とも虚しい。
「えぇ!? 知らないんですか!?」
案の定、酷く驚かれた。それも異常なまでの驚きようで「兄さん、私に嘘ついてるんですか?」と疑われたのだが、「本当だって。その、食虫植物って……、どんなの?」と真剣に訊いてしまう自分がいた。本当に何とも虚しい。
「お、驚きましたよ。ここまで兄さんが無知だったなんて……。
いいですか、兄さん。食虫植物って文字の通り、虫を喰らう植物です。甘い蜜で虫を誘っては、食べてしまう」
「自らを囮にして、餌を誘うってこと?」
「まあ、簡単に言ってしまったらそうです」
「それと神隠しサイトとの関連は一体なんなのさ」
上手い具合に繋がらない。サイトと食虫植物との関連性。普通考えてしまったら、何の相互点も見出せず俺はガセとして捨てているだろう。
「噂ってことは第一に押させておいてくださいよ。神隠しサイトについては、私も耳にしてますし、真意はわかりませんが、内容も知ってますよ」
「内容も!?」
これもまた思わぬ情報だ。四股分断、内臓露呈、筋肉剥離、血の抜き取りに続いて、なにか得られるといいのだが。
「えっとー、確かですね、どこかのサイトで……、『数々の肉片の前で、男と女が交合し合う。それは歪な絵だった。やがて、片方が食虫植物に食される』って書いてあるんです」
――数々の肉片の前で、男と女が交合し合う。それは歪な絵だった。やがて、片方が食虫植物に食される。
数々の肉片の前で、男女の交合? 歪な絵なのは確かだ。抽象的に捉えるのなら、生と死の混合だろうか。そして、どちらかが、食虫植物に食される。意味がわからない。俺の無知な頭であるから、そこまでしか情報を引き抜くことは出来ない。琥凛でさえも、その言葉の真意を探ることは出来なかったらしく、謎のままとされている。
「『肉片の前で』ってことは、なにか遺体の前なんでしょうか?」
「遺体? つまり死体ってことだよね」
「そうですよ」
「人間かな?」
「人間限らず、犬や猫だって、遺体になれますよ」
なれる、という表現はどうかと思うのだが、確かではある。死体は遺体でもある故に、死んだ犬や猫だって、遺体になれるのだ。つまるところ、生き物の死体の前で男女が交合し合っていることとなる。でもやはり解せない。
「最後の、片方が食虫植物に食されるって」
「食べられてるってことですよね。あっ、それと肉片のと関わり? なら、遺体って人間なんですかね」
「人間なんだろうな……」
交合して食す。そこに何の意味があるのだろうか。真意はわからないままだ。
しかし、意外といい情報を手に入れたものだ。今度、事務所に行った時には、是非伝えておかないといけない。
これに加えて、四股分断、内臓露呈、筋肉剥離、血の抜き取り。そして、食虫植物。ワードがまた一つ増えた。これらの関連性は、持ち帰って巫弥と衛樹の二人と一緒に考えた方が、俺としては得策かもしれない。
「ありがとう。興味深いものを訊かせてもらったよ」
「こんなことで役に立てたとは思えないんですけど……」
琥凛はあまり気乗りはしていない。無論、こんなことを訊いたのだ。後味が悪いのは当たり前である。これを逆に喜んでいたら、人間性を疑うものだ。
「いや、十分だって」
俺は笑顔を含めて礼を言うと、琥凛もすさかず笑顔を浮かべた。
その時だった。ぐー、と腹の虫が突如鳴った。それは俺も琥凛も一緒だった。お互いがお互いに自らと相手の腹を見て笑った。
そういえば、まだ昼飯を食べていなかったことのだ。もう、既に夕方である故に、夕飯を作り始めないといけない時間帯である。
腹が鳴った直後に、琥凛はその場に倒れた。
「兄さーん……。お、お腹が……」
「そ……、そうだな。急いで作ってくるよ」
「うん……、頼みます……」
琥凛に見送られ、俺はそそくさと台所へと向かった。
◇◇◇
部屋を飛び出し、台所へと向かう。夕陽焼ける廊下に、隅々に陰が出来て、夜へ更けていることを示唆する。
時間帯が夕方とあって、旅館の方では大忙しであろう。この旅館にとって、夕飯は一種の顔でもある。漁港で取れた魚と地元で取れた野菜をふんだんに使った懐石料理は、様々なお客を魅了し虜にしてきた。それが今日まで続いているのは、嘸かし嬉しいことでもあった。これからも、旅館の繁栄が続けばいいと、俺は心底思っている。
台所に着くと、先客が一人いた。
後ろの割烹着姿。赤黒い長髪は、紛れもなく琥凛の姉、須雀だ。俺より一歳下な為、もう一人の妹でもある。
台所に顔を出すと、須雀はすぐに俺に気付いた。そして、無愛想な顔を広げながらも、「兄さん」と低い声で俺に挨拶を済ませた。
須雀はちょうど台所に調理器具を用意しているところであった。服装からして、既にここで料理を始める準備は出来ていた。確か、今日は須雀は非番ではなかった筈ではないだろうか。
「須雀。仲居の仕事はいいのか?」
「……。仲居の仕事は、一旦お休みです」
お休み? 小休憩ということだろうか。ならそれはそれで、ゆっくりと休めばいいのに、何故ここに須雀がいるのは、俺にはなんとも解せない。
「なんでここにいるのさ。休むならゆっくりとしてればいいのに」
そう咎めると、須雀はばつが悪そうにそっぽを向いて、弱々しいか細い声で言った。
「に、兄さんや琥凛がお腹す、空いていないかと、心配したんです。こんな時間ですし、ここに来たら、なにも用意されていなかったので……」
そういうことだったのか。俺は合点のいく答えを受け、一人納得する。
「いや、別に気を使わなくていいよ。須雀だって、朝から仲居の仕事で忙しかっただろ」
「兄さんこそ、私以上に、仕事でも家庭でも、毎日欠かさずに料理を作ってくださっているじゃないですか。せめて、礼くらいは……、さ、させてください」
確かに、毎日のように飯は作ってきた。それも、ここの家に養子としてやって来て以来、ずっとではある。礼って。別にいいのだが、これ以上咎めたところで、須雀は訊いてはくれないだろう。既に格好も格好だし、調理の支度まで完璧に揃っている。須雀の言葉に甘やかしてもらうとしよう。須雀は琥凛とは違って、料理の腕はそこそこある。これといって心配はいらない。
「じゃあ、任せていいかな?」
そう問うても、須雀は振り返りもせず、せっせと料理に勤しみ始める。俺はそのまま何も言わずに、台所を出て、部屋へと戻った。
部屋に戻ると、畳の上で琥凛は伸びていた。余程腹が減っているのだろう。俺が戻ってきても、なにも言葉も口にしない。視線だけがこちらに向いてくる。
何も言わないので、後々で何か言われるのが恐かった。いつも笑顔なくせして、こうして無愛想だと、背筋が凍る思いがする。食べ物の恨みは恐ろしい、というじゃないか。
「今、須雀が夕飯作ってるから」
先に釘を刺しておくと、琥凛はか細く「そうですか」と言った。
卓袱台を用意し、座布団を三つ敷く。ずっと畳の上で伸びている琥凛を、俺は抱えて座布団に乗せ、俺も座布団の上に乗って一段落する。
部屋の隅に置いてあるテレビに電源を入れてた。夕方とあっていつものようにニュースがやっていた。
「今朝、尾花沢市駅で遺体が発見されました。遺体は一つであり、損傷は激しく、身元の確認出来る物もなく、警察では現在周辺の捜索や聞き込みに当たっています」
遺体の発見、か。血腥い事件だ。誰がそんな酷いことをするのだろうか。俺には考えられない。
「また殺人事件ですか?」
テレビを見ず、音だけで判断した琥凛は、すかさず俺に訊いてきた。俺が「そうだよ」と言うと、「そうですか……。物騒ですね……」とぶっきら棒に言った。
確かに物騒だ。こうも、地元の繁華街で殺人事件ばかり起きていると、事務所は向こうにある為、もしかしたら俺も巻き込まれるんじゃないか、と思う。
今日は非番でもあるし、折角だから事務所寄るがてらそちらにも行ってみようかな。
「琥凛も気をつけろよ」
先に言っておくと、琥凛は「兄さんこそ、どうせ今日出掛けるつもりなんでしょ」と、思わぬところを突かれ、俺はたじろいだ。
「えっ、あっ、い、いや行かないよ」
思わず声が震えてしまった。
「フフ。兄さんってわかり易い。ちょーっと、鎌掛けただけだっていうのに。兄さんって本当に愚直ですよね」
返す言葉が見つからない。こうも簡単に、それも妹に騙されるなんて、なんだか虚しい。己の愚直さが馬鹿馬鹿しい。
「言ったでしょ、正直者が馬鹿を見るって。少しは人を欺くことを覚えたほうがいいですよ。
兄さんって、愚直過ぎて、誰かにころっと騙されそうで、私こそ心配ですよ」
く、なんと頼りない兄であろうか……。
「う、そ、そうさせてもらうよ」
「いっそのこと、詐欺師なんてどうです?」
「ならん! 犯罪者になるつもりはないぞ! 琥凛!」
「フフ、兄さんって面白い」
畜生、何だか弄ばれてる気がするぞ。
夕飯がやって来たのは、琥凛との戯言談話をしてから少し経ってからだ。思いの外は早めに夕飯がやって来たので、俺は心底喜びと礼を須雀に言うと、こちらに向くだけでこれといって動作なども起こさなかった。
琥凛は姉とは対照的に元気溌剌で困ったものだ。
この二人の性格がちょうど真ん中具合で混じりあったら、ちょうどいい人格になるんだけどな……、などと馬鹿馬鹿しいことを考えつつ、運ばれた夕飯を卓袱台に広げていく。
三人分の夕飯を並べ終えて、改めて腰を落ち着かせて、共々「いただきます」と口にしてから、それぞれ箸を手に取り、思い思いに箸の先を夕飯に向けた。
俺と琥凛は、余程腹が減っていたから、箸が進む速さは須雀に比べて早かった。須雀が怪訝そうに眉を顰める。俺が思うに「きっと、この二人は相当腹が減っていたのだろう」と思っているに違いない。ここ数年の付き合いの中で、こんな馬鹿馬鹿しい邪推は、案外中るものだ。
夕飯を口にしながら、二人を見る。
片方は喜びと楽しさ。片方は無口と無愛想。本当に正反対な姉妹である。
琥凛が嫌になるほど騒がしいのは、俺としては構わないのだが、須雀は何処となく後ろめたさを感じるのだ。これは一種の邪推の中の邪推で、ほぼ酷い推測ではあるが。
「なぁ、須雀。何か抱え込んでないか?」
食の席でこれを言うのも、場違いなのかもしれないが、正直須雀の性格が若干気にいらない部分があった。
須雀は箸を止めてこちらに向く。
「突然、何ですか兄さん」
「いやさ。いつも、こう何だか悲しそうだからさ。そんな姿は見たくないんだよ。何かあったら、頼ってくれよ。別に俺じゃなくても、琥凛にでもいいから」
俺は、今の思いを何も脚色せずに、有りの儘を口にした。
「私にですか? 兄さん、それどういうこと?」
突然振られて、食に没頭していたから、琥凛は話の話題には乗っていなかった。琥凛が改めて俺に訊いてきた。
「俺達、決して一人じゃないんだからさ。兄妹なんだかさ」
「……。ありがとう、兄さん。でも、勘違いしないでほしい。私は別に何も悩みを背負ってはいないから」
真っ向から否定され、俺は肩を竦めた。なんだか悪いことを訊いてしまったのだろうか。須雀の表情が一層堅くなった。
「あっ、いや、すまん。俺の勝手な想像だから、気にしないでくれ。別に須雀にとやかく言うつもりはないんだ。気に病んでてそうだったから」
「私は……、気に病む程弱くはありません。気に病みそうなのは、兄さんの方な気がしますけど」
うっ、ご尤も。琥凛には「愚直ですよねー」なんて言われる始末でもあり、正直なところ受け入れやすい体質なのだ。他事を馬鹿らしくそれに真剣に訊いてしまうことは、度々――その度々は、殆どが琥凛が俺に吹き込んだホラ話ではあるが――あった。
「うん、兄さんが一番弱い気がしますよー」
そう姉の話に乗じる妹。俺の頬に指を突き刺して遊ぶ姿は、悪戯っ子の仔猫のようでもあった。
「悪かったな……。これでも身と心は鍛えてるつもりだぞ」
無能故に、俺は能力者との戦いには不向きであった。だから、せめての防御策として、巫弥が住み込みで働いている肆龍神社の管理一家である四神家の人に剣道の稽古をつけてもらっている。それに、山奥の滝に打たれる修行も行っている。取り分け、気が弱い、なんてことはない筈だ。
「兄さん。幾ら外身を鍛えようとも、兄さんの内身である『愚直さ』が弱いから、意味はありませんよ」
「そうですね。愚直さは、もはや性格だし、姉さん、こればかりはどうしようもないんじゃない。愚直さを鍛えるなんてことがあったら、それこそ、兄さんが、変な方向へ……」
そう言って琥凛は俺に蔑んだ視線を送って来る。俺は逆に威嚇の視線を送った。
「おい、その眼は一体なんだよ!」
「哀れな兄を思う目ですが、何か?」
「ひ、酷過ぎる……」
「二人とも、ともかく、兄さんこそ気に病むようなことがありましたら、私達に。兄さんの言葉をお借りしますが、『一人』ではないんですから」
事態は収拾を納め、俺達はまた食事に勤しみ始めた。
◆◆◆
食事を終え、琥凛は何を思ったのだろうか、「食器は私が片付けておきますから、兄さんは夜道に散歩でも」と、勧める。俺が「え、でも」と咎めると「調べことがあるんでしょ。なら、早いにこしたことはありませんよ」と、俺は玄関から追い出される始末となった。
まあ、琥凛の言葉に甘やかしてもらうとして、俺はそそくさと夜の繁華街へと出向いた。
白銀山温泉は、夜になるにつれて人気は減っていく。午後九時をまわってということで、人気が減り始めた時間帯である。宿泊客はこの辺りの観光を程々に、予約してあった宿の中へと姿を消していく。
白銀山温泉街の中心を流れる川に沿って下ると、やがて繁華街へとたどり着く。
繁華街は、近代風の観光地区でもあり、尾花沢市駅を中心に、最近ではビルなどの商業や企業の進出など、様々な風変わりをしている。つまるところ、成長期なのである。これによって、観光客が増えることを祈るばかりである。
繁華街を出歩く。途中、ニュースに出ていた例の事件現場に寄ってみると、黄色いテープと警察官によってその場が保護されている場所を発見すると、何の躊躇もせずに、その場に近付いて行く。時間帯も若干遅いとあって、野次馬の中にサラリーマンの姿がちらほらと見受けられる。野次馬の数もそれ程多くはなかったから、現場を観察するのにそれほど苦労はしなかった。
現場は建設中のビルとビルの間の狭い路地だった。夜になると、そこは電灯さえもなく、辺りからの光も入ってこない、光の死角の路地だ。そこだけに常闇が広がっているかのようで不気味だ。昼間であろうと、立地から光はさほどさしてこないだろう。死体を遺棄するのも、この辺りはそれ程人通りが多いわけでもなく、路地の中の路地である故に、遺棄するのも容易い。ただ、何故ここに捨てたのかはわからない。
何かの見せじめの為なのだろうか。それとも、この界隈に恐怖の旋風でも巻き起こしたかったのだろうか。やはり、どれ程思考の可能性を伸ばしてみても、俺から結論は見出されることはなく、その場を離れ、事務所に向かった。
今日得た情報を踏まえて、巫弥と衛樹に相談しよう。何か手掛かりになればいいのだが。
事務所にやって来た。ビルの外見からは、事務所の電気はついており、誰か滞在していることは確かだった。
事務所の扉を開け、中へと足を踏み入れる。
いつもながらの殺風景な所内に、袴姿の巫弥と宝石を磨いている衛樹が、当然ながらいた。そして、今回は客人がいることに、俺は驚いた。
客人は、よれよれの漆黒のスーツにワイシャツ、そしてズボン。何から何までが萎れていた。ただ、表情が生き生きしていた。服装とは裏腹なその表情。俺が表れたことに、ニヤリ、と不気味に笑う。大柄な男だ。俺を軽々と見下してしまう程、いや、この場にいる者全員を安易に見下してしまう程の長身の持ち主は、来訪者を迎え入れた。
「円城じゃないか」
「稜治さん。久しぶりですね」
「そうだな。ったく、顔全然見ないから、この辺の件の事件にでも巻き込まれてるのかと思ってたんだが、意外と元気じゃないか」
そんなこと言いつつも、実のところ、稜治さんは俺と顔を合わせたことが出来て心底安心しているに違いない。
稜治さんは一介の刑事である。だから、もし知人がこの界隈の事件の被害者になるなんて、それはそれで心が痛むものがあるのだ。
結構、加虐体質なくせして、意外と他人に情のある人物である。
津田川稜治。尾花沢市警察署に所属する一介の刑事である。巫弥の伯父にあたる人物だ。加虐体質な為に、巫弥からは結構変体呼ばわりされていたりもする。それに、刑事になった理由も、ただ単に、「犯人を追い詰めたかっただけ」という安易な理由でなった人物だ。それなりのいい加減さは、誰もが知っており、それ故に一部に対しては口の軽い人物である。この似非探偵事務所に舞い込む事件沙汰の大半は、この稜治さんによって舞い込んだ話である。
「大丈夫ですよ。俺を狙ったところで、何の利益もありませんから」
取り分け、それ程実家が裕福というわけでもないし、身代金とかもそれ程期待は出来ない。狙われることは然程のことがない限り、あり得ないのだ。
「それはどうかな?」
何やら不気味加減に、そう言い放つ稜治さん。どこか謎めいた言い方で、俺は興をそそられた。
「ん? な、なんですか?」
「円城を狙って得がない? 発想が陳腐だな。いいか、円城。昔はそれがしの動機があった事件が多かったけど、最近じゃ無差別殺人って動機があるんだぞ。無差別ってことは、お前も例外じゃないってことだ」
「それもそうね。金目当てとか、どうでもいい動機がない限り、無差別殺人ってのも無くはないわね」
席に座りながら巫弥が一言付け足す。俺は合点に行く答えを受けて思わず頷いてしまった。
「それに、巷で起きてる事件だって、確証は取れてないらしいけど、今のところ猟奇的殺人の見方が強いらしいわよ、円城」
「猟奇的、か……、となると、俺も含まれるのか……」
「ぼ、僕も含まれるわけか……」
俺も衛樹も、何処となく落ち着かなかった。もしかしたら、殺されるかもしれないのだ。ニュースでやっていたように、それもあっという間に、それも人間らしい死に方をさせてくれない末路をたどるように。考えただけでもぞっとする。
「まぁ、二人とも心配なさんな。この俺が一気に犯人を問い詰めてやるからよ」
稜治さんは胸を張って、豪語する。犯人を問い詰めるって、稜治さんの十八番ではないか。それも、たぶん言葉責めで問い詰めるのだろう……。一種の強迫でもあるかもしれないが、それが署内に広まっていないというのが凄い。
「あんたって、回りくどいことは嫌いな性質よね」
「何を言う。お前こそ、そうじゃないか」
巫弥が咎めると、すかさず稜治さんも言い返す。
「そ、そうだったわ……」
「血をわけにわけた者同士だ。何だか似てるな」
「加虐体質は似てないけどね」
巫弥の発言に、衛樹が心底驚いた様子で「えぇー!」と所内に響かせた。
「嘘だー。今朝、罵詈雑言珀に向かって言ったじゃないか!」
「ん? そうなのか、巫弥」
衛樹の言葉に、颯爽と稜治さんは乗った。ノリノリである。姪が何を言ったのだろうか、と心底気になっている様子であった。
「ま、まぁ、俺に対してじゃないんだがな」
「あ、あれは、ちょっと思わず口走ってしまったことよ。円城には悪いことを言ってしまったし、妹さんに対しても失礼だと、後悔してるんだから」
「い、いや、俺は気にしてないし、巫弥らしさがあってよかったけどな」
「ちょっと、それどういう意味?」
俺こそ少し口が滑ってしまったようだ。巫弥からのきつい視線が飛んでくるのは、紛れもない事実である。
「ふーん、何となく変わったよ、巫弥が言ったこと」
ニヤリと、不気味な笑みを浮かべて巫弥を見下す。見下される当本人は、ばつが悪そうにそっぽを向いた。
「まっ、いいや。それよりさ――」と話を元の軌道に戻す稜治さんは、皆に向かって言った。
「俺の依頼は、どうなってるかな?」
俺の依頼? あぁ、神隠しサイトの依頼だろう。
巫弥は「私からはあまり情報は得られなかったわ」と収穫零なことを赤裸々に言うと、溜息一つついて机に突っ伏してしまった。己の収穫のなさに恥じているのだろうか。巫弥はそういった落ち度の面を見せたがらない性質でもある故に、ついそのことを察してしまい、俺は収穫があるとはいえ、どうも言い出し難かった。
「円城はどうなの?」と衛樹が訊いてくる。俺は「えっ、あぁ、えっと……」と、巫弥の方を気になりつつ、扉付近から自分の机と移動するがてら「少しは、得たにはある」と言った。
「得た? 何かわかったのか?」
「神隠しサイトのことでしょ。
俺が知ったのは、ある被害者がそのサイトを知っていて、確か行方不明になって、数日後に遺体として発見されたってことくらいしか」
しろどもどろになりながら、サイトという慣れない単語を必死に使って、得た情報を公言していく。稜治さんの表情が訝しんだ。
「ん? つまり、サイトに誘拐されたってことか?」
「サイトに誘拐される? それっておかしくないですか」
稜治さんの一言に、衛樹は納得のいかない様子であった。俺も俺で納得のいかない。
「そんなこと言われても、円城の話からするとそうなるんだ。それに、神隠しサイトって呼ばれる由縁も、これでは納得がいく。ただ、ネット社会、電子的な物が人間をどこかに隠すなんてこと出来るんだろうか。今現代じゃ無理だ。もっと遠い未来だろうな。ロボットとかが発達した頃のずっと遠い話……」
「んー、どうなんだろう……。あっ、数日後に遺体として発見されるって言ったけどさ、それってどういう風に?」
衛樹が俺に問う。俺は「えっとー」と思いだしながら言った。
「四股分断、筋肉剥離、内臓露呈、血が抜かれてる……、だっけな」
それと、あと一つなんだったけ……、と思い出しているうちに、稜治さんが言った。
「うわ、酷いなそれ」
稜治さんが驚きの声をあげるということは、相当卑劣なことなのだろう。衛樹は身震いして思考に耽る。
「円城が言ったことは……、つい先日発見された遺体と状態は一緒だな」
つい先日となると、今朝ニュースでやっていたあれだろう。ニュースでは最低限放送出来るギリギリのラインをテレビで流しているが、この刑事からは情報が駄々漏れである。それを誰もこれといって咎める様子はなかった。
「なんとも残忍な事件ね。全く」
伏せっていた巫弥が突如顔をあげて、一言言った。この意見に、誰もが賛同する。たぶん、世間の皆も、賛同するだろう。
「そうだな。刑事としては、民間の安泰を第一に願わない他にない」
「ふん、珍しいこと言うじゃない」
巫弥にとって、稜治さんの発言は思わぬものだったみたく、ささやかな視線を送りつつ当本人は気にしてない様子であった。俺は、刑事として当然の発言だと、思うんだがどうやら温度差があるようだ。
衛樹はというと、宝石を磨いていた。これといって興味は示していない様子で、手許の紅玉に惹かれていた。
◇◇◇
「あっ、衛樹。あんたに頼んだ、えっと大罪だっけ? どうだった?」
巫弥の問いに衛樹は紅玉を机の上に置き、「調べには調べたけど、この事件との関連性は見出せてないよ。もとい、猟奇事件とこの七つの大罪の関連性は難しいよ」と、難色を示すと、「そう、なら、別問題として考えるか」と巫弥は捜索の進路を変更した。稜治さんは「七つの大罪ってなんだ?」の始末で、衛樹が説明すると納得した。
稜治さんは呪術士でもなければ魔術士でもない。取り分け能力者というわけでもないから、七つの大罪など無関係なのである。それに、そこらの一般刑事が、大罪と出くわすなんてことは滅多にないだろう。
「世間じゃ、俺の知らない世界があるんだな」
「そりゃ、そうよ。一般と能力者との世界は背中合わせだしね」
この世は、一般的に知られる世界と、能力者のみが知る世界との二つが混濁した世の中である。前者は誰もが該当し、後者は能力者だけだ。無能者が後者の世界に入り込んだところで、意味を成すことは極めて難しい。一応、無能者が能力を得ることは可能だが、それでも後者の生存は難しいとされている。
無論、魔術や呪術の世界は、後者となる。
ここにいる事務所のメンバーは間違いなく、後者の世界にいる者であり、稜治さんは一応前者の世界の人間だ。半分こちら側には来ているが。
「それにしてもよ、よくお前ら、能力者だってばれないな」
「あのさ、馬鹿にしてるわけ? 私達は悟られないように、こそこそと努力してるの。魔術士だろうと、呪術士であろうと、己の能力は無能者に易々と公表なんてしちゃいけないことなのよ。
私達は、私達の常識を、世界的常識を守る為に、頑張ってるんじゃない。今の世の中、科学なんてものが進歩してるから、取り分け私達の存在が大っぴらに出ることは出来なくなったけどね」
「世界的常識?」
「集合的無意識とでも呼べばいいかしら?」
「巫弥。伯父さん、ちょっとわからないんだけどな……」
「集合的無意識は、呪術士より魔術士である衛樹が詳しい筈よ」
稜治さんは衛樹に向き直ると「どういうこと?」と首を傾げて問う。衛樹は一つ、それもわざとらしく咳をしてから話し始めた。
「集合的無意識っていうのは、スイスの心理学者及び精神科医のカール・グスタフ・ユングが提唱した言葉で、分析心理学における中心概念であって、人間の無意識の深層に存在する、個人の経験を越えた先天的な構造領域のこと。人類全体が持つ心みたいなのかな。
それには、ありとあらゆる常識が詰まっている。それを僕らは、無意識のうちに選び出して認識している。ただね、その集合的無意識の中には、魔術や呪術、なんて常識は組み込まれてないんだ。昔の伝記などとかには、ちょくちょく出てきたりするけど、なんで表に出てないのか。
まぁ、あっても意味がないんだよ。巫弥が言ったように、科学があるから、誰しもがちょっとした知識と道具があれば、使えるものばかり。逆に魔術や呪術の類は、それ由縁の血縁とかが必要で、誰しもがなれるわけじゃないんだ。だから、普及なんてしなかった。それ故に常識の分類に入らずに、除け者とされ続けて今日に至る。常識にも乗らなかったんだから、集合的無意識にも乗らず、僕達は自分の能力を隠し続けなければならない」
「隠し続けなければならない? 馬鹿馬鹿しい話だ。別に、大っぴらに使ったところで、こちら側の世界では犯罪なわけではないんだ」
確かにそうである。何をするのかは別として、使ったところで警察が取り押さえにくるわけでもない。
「それは個人としての話だよね」
「個人?」
「うん、人個人の問題。でも、それはほんの些細なことで、もっと大きくいくと、世界にっとては大問題なんだ」
「世界って、能力の有無の世界での?」
「違うよ、円城。もっと大っぴらに、それら含めての世界。今現代、表世界と裏世界との調和は上手い具合に統括されている、それも絶妙にね。どちらもどっちでこれといって動きはない。世界にとってはこれがいいんだよ」
「世界にとってだ? 意味がわからないな。もとい、世界ってなんだよ」
「んー、なんて言ったいいかな」と、衛樹は少し黙考していると、巫弥がすかさず「空間よ」と答えた。衛樹は「あっ、そうだそうだ」と頷いて、本人は納得のいく様子で、稜治さんはさっぱりであった。
「空間?」
「そう、空間。物には、何だって場所が必要だろ。つまり足場だ。そうだな……、円城にはわからないかもしれないけど、例えとして引き出すのなら、パソコンのメモリーが空間ってことかな」
「えーっとじゃあ、メモ帳が世界全体と例えて、空白の部分が空間だと?」
稜治さんは懐からメモ帳を取り出すと、衛樹に見せながら問う。
「まぁ、似たり寄ったりだな」と若干だが、納得のいかない様子ではあった。
「世界にも、意識的なものがあって、自分の調和を乱すものは、滅されるんだよ、知ってた? 自己防衛っていうのかな」と、衛樹はなんとも恐ろしいことを口にする。世界がモノを滅するなど、考えたこともない。それこそ、一種の神隠しだろう。
「まあ、表世界は基本的に常識的範囲内だから、その世界においての非常識なんて、世界自身にとっては普通なんだよ。問題は非常識として扱われてる裏世界が表世界への干渉。裏世界の人って、大概が能力者だからね。表世界に及ぼす力は物凄いから。逆は無理だけど」
「わかった? まあ、無能者に理解しろ、なんて強要はしないけど、こっちの世界に来たからって、幸せになれるわけじゃないわよ」
「幸せになれないって?」
――当たり前の幸せなんて望めない。能力があるから、それにつられて誘き寄せられるモノがある。もう、普通ではないのだから、当たり前なんて望めないんだ。巫弥は言う、衛樹は言う。「血腥いことばかりさ」と。つまるところ、命運に蹂躙されるばかりなのだ。
「命運に蹂躙されるって、逆らえない虐めみたいなものだな」
命運に蹂躙される。稜治さんの言う通りだ。どう足掻こうとも、それは命運によって定められたことであるから、命運に蹂躙されるということは、逆らえない。命運なんて、相手がどんなで、どれ程のモノなのか、それは想像上、空想上で補うしかないのだから。
命運に蹂躙される。もしかしたら、僕もその被害者の一人なのかもしれない。