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学校では期末試験が行われる時期になった。
今までは一夜漬けで勉強していたが、今回は全く別だった。
一度もテスト勉強はしなかった。
赤点を取ってしまえば元も子もないが、受験への準備だけで乗り切れると思ったからだ。
これが終わり、12月の後半になってしまえば、学校に行くのはセンターの後だ。
実質、私の高校生活の最後と言ってもいい。
未練もなければ後悔もない。
充実していたわけではないが、取り立てて辛くもなかった。
つまりは何にもない三年間だったわけだ。
別にそれでも構わないと思ってはいた。
だが、最後の最後に夢中になっていることがある。
何にもなかった三年間の「何か」になることが出来るのか。
それはわからないが、少しずつでも点数は伸びていっている。
これに喜びを感じているという事実はそろそろ無視出来ない。
いい加減認めよう。成績が上がるのが楽しくなっている。
右脳でこんなことを考え、左脳で期末テストの問題を解く。
ちょっと前ではあり得なかった大道芸のようなことも出来るようになっていた。
何事もなく期末テストを終え、明日からは12月になる。
間違いなく今まで最高の成績になるであろう。
もちろん世界史と生物以外の話だ。
12月から1月にかけてとなると、世間では楽しい行事が盛り沢山だ。
イエス様の誕生日。そして新しい年の誕生日。
「いっちゃん」もとい「一戸」は言っていた。
「受験生にはクリスマスも正月もないぞ!」
私にはもともとそんなものはない。
お年玉も使い道がなく、貯金だけが貯まる。
クリスマスには恋人と過ごす人が多いのだろうが、私のお相手はもっぱらマイナーな芸人が頑張るバラエティ番組だった。
今年は手垢がついたテキストになりそうだ。
願書とやらを提出し、受験の準備は全て整った。
健太と会ったのはその帰りだった。
「明日予備校休みじゃん?息抜きもかねてさ、ちょっと出れない?」
「どこ行くの?」
「うちの体育館で練習試合あるさ!一緒に応援行かねえ?」
「何の?」
「バスケに決まってんじゃん!たまに天然っぽいとこあるよな~」
天然と言うか、興味ないことは8割流しながら聞いているだけだ。
「別にいいけど」
「じゃあ明日迎えに行くから!詳しくは後で予備校で話すな!」
結局、明日の10時に家を出ることになった。
「新井もさ、一回試合見て欲しいって言ってたし。きっと喜ぶよ!」
「ボール顔に当たって鼻血出さなきゃいいけど」
「ああ、聞いたよ!お前、思い切りぶつけたんだってな~!笑ったよ!」
健太の自転車を挟み、並んで歩いていた。
「相手は俺が現役の時負けたとこ。全国行った強豪だけど、きっと良い試合するよ!」
体育館に着いた時にはすでに中は熱気に満ちていた。
きゃぷてんがすぐに私達に気づいた。
「集合~!」
私と健太を中心に、全部員がもの凄い勢いで駆け寄って来た。
その迫力に圧倒され、少しだけ後ずさりした。
「気をつけ!お願いしますっ!」
『お願いしますっ!』
きゃぷてんの後に全員が続く。
この状況に戸惑っているのは、広い体育館の中で私だけだ。
健太は慣れていないはずがなく、平然と話し出した。
「お疲れ!頼むぞ!俺らの仇取ってくれよ!」
『はいっ!』
「受験前に顔出せるのはきっと今日が最後だから、安心させてくれよな!」
『はいっ!』
「あ、こちら友達の大羽咲希。新井は知ってるよな?今日は応援に来てくれたから、いいとこ見せろよ!」
『はいっ!』
「咲希。何か一言あげて」
嘘!?何て言う無茶ぶり。
どちらかと言うとこの状況に脅えているのに。
来なければよかった。軽はずみな返答は控えよう。
「あ…、頑張って…、ください…」
『はいっ!』
「強豪だからって物怖じするなよ!気持ちで負けんな!」
『はいっ!』
「後はケガだけするな!以上!アップに戻れ!」
「気をつけ!あっした~!」
『あっした~!』
きゃぷてんが締め、各々散らばって行った。
ありがとうございましたの略し方には関心できない。
「忙しい中、悪いな」
数学教師の武田が寄って来た。
バスケ部の監督なのだろう。
「いいですよ!息抜きになりますし」
「健太さん!咲希さん!どうぞ!」
きゃぷてんが自らパイプ椅子を二つ持って来た。
「サンキュー!今日は頼むぞ!」
「頑張ります!咲希さんもわざわざありがとうございます!」
「試合見るって約束したしね」
ん?約束?
いやいや、そんなのした覚えはない。
「ゆっくりしてって下さいね!」
健太と武田と、女子マネージャーと並び、椅子に腰掛けた。
4番が新井くん。
ポイントガードで、試合を作りつつ点を決めるチームのエース。
5番が副きゃぷてんの阿部くん。
センターで背の高さを生かしたプレーヤー。
7番がセカンドガードの長谷部くん。
新井くんと一緒に試合を作るのが仕事。
この三人は屋上メンバーだ。
10番の杉原くんと11番の横山くんはフォワードで、一年生。
二人はとにかく点を取る。
特に杉原くんは中学の頃、県の選抜に選ばれた実力を持ち、
一年生にして、新井くんとエースの座を争う程の実力。
健太からの情報はこれくらいだ。
こんなに覚えられる程まだ頭に余裕があるならば、英語の文法の一つでも覚えたかった。
笛が鳴り、どうやら試合が始まったらしい。
行ったり来たりの目まぐるしい光景はどうも説明しがたい。
健太や武田が「ぞーん」だとか「りばうんど」だとか、よくわからない言葉を叫んでいる。
私はただただ見てるだけであった。
ただその迫力に圧倒された。
そんなに会ったことはないが、私が知っているきゃぷてんとは別人の様に真剣な表情。
広い館内でも響く声を張り上げる姿は、悔しいがちょっと格好よかった。
数ヶ月前、そこに健太がいたと考えると、一度だけでも見ておけばよかったと思った。
私ですら時間が経つのが早く感じたのだから、やっている当人はもっと早く感じたことだろう。
全員が一度コートから出て、こちらへ向かって来た。
「42対40!ワンゴール差だ!気を抜くなよ!」
武田すらいつもと違う表情だ。
後半が始まり、目まぐるしく進む中、
「たいむあうと」という名目で、彼らがベンチに戻ってきた。
「新井!もっと攻めろ!ボール運びは長谷部を中心に!一年だけにシュート任せるんじゃなく、お前が決めろ!お前がエースだろ!」
健太の表情は私に英語を教えている時と同じ感じがした。
見ていてわかったことは、ボールをリングの中に通すと2点入ること。
ちょっと離れたとこから入れば3点入ること。
そして今、12点差で負けていること。
きゃぷてんを中心としたうちの高校と自分をダブらせ、相手高校を大学のボーダーラインとタブらせると、不思議と心から応援出来た。
点差はだんだんとなくなりつつあったが、残り時間がなくなり、最後にきゃぷてんにボールが渡った。
遠くから放たれたボールは時計が0になった瞬間、ネットに吸い込まれた。 気づけば私も健太の隣で立ち上がって声を張り上げていた。
笛がなり、両チームが整列し、こちらへ戻って来た。
結果は98対101で、惜しくもボーダーラインには届かなかった。
しかし、悔し気な顔はあるものの、悲し気な顔をしているものは一人もいなかった。
「よくやった!良い試合だった!」
「すいません。ちょっと届かなかったです…」
「よく追いつめた!凄いぞ!」
健太はカフェで模試の採点をした時と同じ顔をしていた。
「新井の最後のスリーポイント!よく諦めなかったな!このチームは絶対強くなる!」
「はい。でも、せっかくなのに良いとこ見せられなくて…」
「何言ってんだよ!最高の試合だった!なあ?咲希?」
「うん。カッコ良かった」
「ホントすか!?次は絶対負けない様に頑張ります!」
武田の有り難い言葉の後はきゃぷてんの「あっした!」で解散となった。
「安心したよ。負けはしたけどみんな頑張ったし、良い試合だった」
帰り道もまだ健太は感傷に浸っていた。
「どうだった?」
「みんな負けたのに満足そうだった」
「別にあそこで満足してるわけじゃないさ!今持ってる力がどれくらいかわかったんだから、あいつらも更に精進していくさ!」
「だろうね。そんな顔してた」
年下に学ぶのはどうも情けないが、勝ち負けより大事なものがあることを知った。
今までは勝ち負けさえ大事なものに思えなかったのに、人は変われば変わるもんだ。
「健太」
「ん?」
「来て良かったよ!」
健太は何も言わずに微笑んだ。
私も微笑み返したことに、自分でも気がついていた。