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私の一大決心より、一週間程経ったある日のことである。
朝方、黒いマフラーを首に巻き、私はあの公園のベンチにいた。
辺りには枯れ葉もなくなり、いよいよ冬の訪れを身を持って感じた朝だった。
外にいる時は常にイヤホンから音楽が流れているので、風の音すら感じなかった。
冷えた頬に押しつけられた暖かいアルミ缶は、暖かいと言うより熱いと表現した方が正確だろう。
「びっくりした!何!?」
「怒んなよ!ほい。おごり」
腹立たしい程爽やかな笑顔の健太だった。
「バイトは?」
「今終わって帰るとこ。たまたま見かけたからさ」
隣に腰掛け、二人で缶コーヒーを開けた。
「この公園よく来たな~」
「遅くまで遊んで、よく親が迎えに来てたよね」
「こんなに小さな公園で何が楽しかったんだろうな?」
「楽しくなくても夢中になれるものもあるんじゃない?」
健太の爽やかな笑顔から憎たらしい笑顔に変わり、ニヤニヤよ私をみていた。
「何さ?」
「いや別に。模試の結果は?合格率どれくらいだった?」
「60パー」
「やるじゃん!このまま行けばイケるって!」
「あんたは?」
「85。本番までに90代には持って行きたいな!」
「後ちょっとじゃん!」
「頑張らないと。みんな頑張ってるんだから!」
「うちの部の後輩達、先週県でベスト4の強豪に勝ったんだってさ!練習試合だけど」
「へぇ~」
正直全く興味はなかったが、健太は自分のように嬉しそうだった。
「お前さ、新井に何か言った?」
「新井?」
「一回会ったろ?バスケ部現キャプテン」
ああ。新井くん。きゃぷてんか。
「あいつさ、健太さんの彼女さんに叱られたって」
ん?ちょっと待て。
「何であんたの彼女が私なの!?」
「勘違いしてさ。てか、わかっててもそういう風に持って行きたいんだろ」
「勝手な妄想は止めさせて!」
「どーでもいいじゃん!何かさ、俺の代わりに全国行くんだってさ。泣かせるよな?」
泣きはしないだろ。
「可愛がってるんだね。新井くん」
「まあね。割りと慕ってくれてるし。メンタル面はあんまりたくましくないけど、自信持てば絶対いいプレーヤーになるさ!」
「健太って何でバスケ始めたんだっけ?」
「何でだろ?中二の終わりかな?背あったから誘われて…」
健太の背が伸びたのは中二からだったはず。
「でも三年になるとすぐ引退だろ?結局レギュラー取れないままだったから。何か中途半端でさ、高校では本気でやろうってさ」
「カッコいいこと言うじゃん。部活楽しかった?」
「楽しかったよ!お前も大学入ったらやれよ!」
「バスケなんか…」
「バスケじゃなくてもさ。いいもんだぞ!仲間と先輩と後輩と…」
「楽しそうに話すね~。良い人生送ってるね」
皮肉?うん。きっと皮肉だろう。
「楽しいさ!生まれてきて良かったって思うくらい!」
「即答?呆れる程幸せだね」
「咲希は?楽しくないのか?」
「そんな風に考えたことない…」
よく生まれてきた意味など、ひどく悲観的に考えたりしたものだが、最近は暇つぶしに忙しかった。
それでも楽しいなんて考えたことはなかった。
「持論だけどさ。人生って真っ白なキャンバスだと思うんだ」
恥ずかし気もなく人生観を語れる健太が怖い。
「ひとつひとつの出逢いや経験が、そのキャンバスに色を塗ってくれて…。でさ、爺さんになった時にキャンバスに描き上がった絵を見て、楽しい人生だったな~って思えたらめちゃめちゃ素敵じゃね?」
めちゃめちゃ素敵。いつか見たバラエティの司会者も言ってた気がする。
「だとしたら、私のキャンバスは随分ドス黒いわ。もう真っ黒!」
「バカ!それはお前が目を閉じてるからだよ!目開けてみな?絶対キレイな色で描かれてるから!」
少しだけ笑ってしまった。
「いつか教え子が出来たら、卒業式に言ってやんな!」
「笑うなよ!言ってる方だって結構恥ずかしいんだから!」
「聞いてる方はもっと恥ずかしいよ!」
「キツいな~」
飲み干した空き缶をゴミ箱にナイスシュートし、一つ伸びをしながら呟いていた。
「大羽咲希。良い名前じゃん!大きく羽ばたけば希望が咲く!」
「何?今度は金八先生?それとも大喜利?」
「お前のツッコミには愛がない!それにボケてるわけじゃないし!」
笑いながら立ち上がり、 「腹減ったし、帰るかな?お前は?」
「もうちょっと風にあたる」
「随分冷たい風にあたりたがるんだな~。風邪引く前に帰れよ!」
自転車にまたがり、そのまま走り出した。踏みつける枯れ葉は既にない。
帰宅してから、先週の模試をやり直し、ようやく現国、数学、英語が全て満点を取れた。
ほとんどカンニングに近い。
問1は3。問2も3。問3は1。こんな具合だ。満足感も何もない。
トーストを一枚かじり、家を出た。
イヤホンが壊れてしまったのでスマホからいつもの曲は流れない。
代わりに後ろを歩く女子大生と見える二人組の会話を聞いていた。
「大学マジ楽しいよね~」
「高校も楽しかったけど、大学の比じゃないわ~」
「ホント自由だからね~」 その会話を聞き、大学に興味を持ったわけではない。
尾崎豊も大学に行けば良かったのに…と思ったくらいだ。
自由を求める彼が、自由を手にしていたら、きっとあそこまで世間を賑わせなかったであろう。
こんなことも想像力と呼んでくれるなら、やっぱり国語は得意な方だ。
音楽には興味がないが、尾崎は父が一番好きなアーティストだったので、聴いたことはある。
いや、歌詞を読んだことがある。
同じ時代に生きていれば、きっと友達になれたであろう。
寒い昼休みでも私の居場所は変わらない。いつもの屋上。
雪が降らないだけ、関東に生まれたことを感謝しよう。
もし北海道の高校ならば、学校に私の居場所は一つもない。
屋上から見えるいつもの風景。
楽しんでいるのかどうかわからないが、大勢の男子が白いボールを蹴っ跳ばしていた。
お前らも一緒になってやれよ!と、今さっき屋上に来た連中に言いたい。
そう。きゃぷてん達だ。
「お疲れっす!久しぶりっすね~」
「こんな寒いのによくやるね」
「バスケ好きなんすよ!」
だろうな。放課後、嫌でもやらなきゃいけないことを、わざわざ休み時間までもやる。
聞かなくてもわかる。よほど好きなんだろう。
「健太から聞いたけど、強いとこに勝ったんだって?」
「ギリギリでしたけど、何とか!」
「良かったじゃん」
「健太さんも頑張ってるから、俺らも負けたくないっすからね!」
「その健太さんも同じ様なこと言ってたよ」
「え?何言ってたんすか?」
「ええっと、新井くんはメンタル弱いって」
全てを伝えると調子に乗りそうなタイプに見えたので、マイナス部分だけ切り取って教えてやった。
「いや、確かにそうかもしんないすけど…」
軽く顔を赤らめて、頭をボリボリ掻いていた。
「でも新井も最近キャプテンらしくなってきましたよ!」
きゃぷてんの隣の子が口を開いた。
名前すら知らないこの子は、私の人生のエキストラといったところだろう。
こんな出逢いも果たして私のキャンバスに色を塗ってくれるのか。
「せっかくだから一緒にやりません?」
「バスケ?勘弁して!」
「そんなこと言わずに!楽しいっすから!はい!」
急にボールを渡され、無理矢理参加させられた。
バスケのボールは意外と重かった。
ドリブルと言うよりまりつきに近かったはずだ。
体育の時はお腹が痛くなることにしているので、ほとんど初めてに近かった。
屋上にはバスケのリングがないので、きゃぷてんが手で丸を作り、そこに思い切り投げ込んだ。
ボールはきゃぷてんの顔面に直撃し、鼻血を出しながらも彼は笑っていた。
ガラスに映る私の顔もまた笑っていた。
何年ぶりだろう。この「遊んでいる」という感覚。
チャイムが鳴ったので、弁当箱を持ち、屋上を出た。
「あ、すいません。お名前…」
「大羽咲希」
「咲希さんっすね!この前はありがとうございました!俺ホンキで頑張りますから!」
「何か言ったっけ?」
思い出すだけで恥ずかしい。
「今度試合見に来てくださいね!」
「暇だったらね」
「お疲れっした!」
体が熱くなっているのは少し運動したことと、この体育会系のノリのせいだ。