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11月。 今年も残すところ後二ヶ月だ。
年が明けるとすぐに始まる、大学入試の登竜門。センター試験。
もう二ヶ月しかないのか。 あと二ヶ月もあるのか。私にはよくわからない。
教室の中を見渡すと、半年前まで授業を抜けては、校舎の裏やトイレでタバコを吸ってた連中も、すっかり受験生へと様変わりし、積極的に授業へ参加している。
その姿は何とも滑稽だが、この光景に焦りを感じない自分が怖い。
試しに、受験に失敗した時のことを想像してみよう。
特に何とも思わない。
では逆に、志望校に合格した時のことを想像しよう。
やはり何とも思わない。
「お前はモチベーションがないんだよ」
昨夜、健太に言われたことを思い出した。
しかし、モチベーションは湧き出て来るもので、自分でどうこうする問題ではない。
こればかりはどうしようもない。
いっその事、私も教師を目指してみるか。自分なりには良く出来たギャグだ。
冗談にしてもそれはないだろう。
最近寝不足のせいか、そんなことを考えていると自然と瞼が重くなってきた。
どうせ私の受験科目に関係のない授業だ。
寝ていても全く問題ない。
「だから、単語の意味がわかんなかったら、前後の文章から推測するんだよ。俺だってこの長文に出てくる単語全部わかるわけじゃないし」
健太の小言も一ヶ月聞いていると流石に慣れた。
「でもまあ、俺がここに来始めた時よりは大分進歩したよ。来週模試あるだろ。半分近くは点数取れると思うよ」
健太は帰り支度をしながらそう言った。
「良い点数取れたら嬉しいのかな?」
経験のないことに対しての素朴な疑問だった。
「そりゃ嬉しいさ!自分の頑張りが形になって実るんだから!」
「自分でも認めるけど、あんたの言う通り私はモチベーションがないの。点数取る為とか大学受かる為とか、そういうのわかんない」
健太は少し言葉を探してから口を開いた。
「誰の為とか、何の為とかじゃなく、自分が満足する為に頑張ればいいさ。達成感の為とか?」
「ただの自己満じゃん」
「頑張る理由には十分だろ!」
表情も変えず、何も口に出さず、くるくる回る椅子を健太と逆方向に変えた。
「じゃあさ、お前が大学入ったら何か美味いもんおごってやるよ!」
「物で釣る教師とか最低だね」
「ただの動機付けだよ!その代わり俺も大学受かったらおごれよ!」
「出来レースじゃん!」
「悔しかったら勉強しろ!」
小バカにされた感があったが、不思議と腹は立たなかった。
部屋を出ていく健太の方を見ずに、一言投げつけた。
「回らないお寿司ね!」
「りょ~かい!」
「Is this an apple?」
「No,This is a pen」
この時が私の全盛期だったのかもしれない。この辺りの英文なら理解できる。
「これはリンゴですか?」
「いいえ。これはペンです」
この質問を投げかけた意図は未だに理解に苦しむとこだが…
英語を学ぶのには、ビートルズの曲で勉強するのがいいらしい。
毎朝、私の耳に流れてくる音楽がどうやらそれらしい。
「ビートルズ」 言われてみれば、聞いたことのある名前だ。
私が知ってる名前なのだから、相当有名なんだろう。
そしてそれは、次の朝も変わらず耳に流れてきた。
「大羽!最近調子いいな!」
予備校の休み時間に声をかけてきたのは、講師の「いっちゃん」もとい「一戸」だった。
明るい性格が人気で、生徒からはいっちゃんと慕われている。
「さっきやった過去問。今までで一番点数取れてたぞ!」
「あの過去問は一昨日家でやったばかりだから」
健太監修の下、一昨日やった英語の過去問が講義で出題されたのだ。
「ホントか~!ちなみに家でやった時は何点だった?」
「68点」
「今回120行ったじゃないか!ちゃんと復習したんだな!」
したと言うか、させられたと言うか…
「このまま本番までに調子あげるぞ!やれば出来る!やらなきゃ出来ないんだ!」
「いっちゃん」もとい「一戸」の決めセリフが決まった。暑苦しいのは苦手だ…
「先生?レリピーってどういう意味?」
話を変えたかったこともあったが、何となく気になったので聞いてみた。
「レリピー?」
「ほら、ビートルズの…」
「ああ!Let It Beな!成すがままって意味だ!」
「成すがまま…」
「そうだ!成せば成る!成さねば成らぬ何事も!やれば出来るんだぞ!やらなきゃ…」
わかった。もういい。このタイミングで聞いたのは私のミスだ。
今週一番の冷え込みを見せた、ある日曜日の朝。
何故かはわからないが、気持ちがフワフワしていた。
正確に言うとわからないフリをしているだけだった。
まさかこれから行う模試に緊張しているなんて、口が裂けても人には言えない。
何に不安を感じているのか。そして何に期待しているのか。
「だから点数なんてどうだっていいの!」
「名前書くだけで受かる大学だってあるんだから!」
「自分の頑張りが形になって実るのは嬉しいみたい」
「やれば出来る!やらなきゃ出来ない!」
「成すがまま」
頭の中の声がぐちゃぐちゃ絡み合う。
模試前は、ほとんど全ての生徒がノートや単語帳を開き、最後の悪あがきをしている。
かく言う私も右に習えであった。
やがて時間になり、マークシートの用紙とテスト問題が配られた。
一教科目は国語。
現代文しか受験科目ではない私は、始めに古文・漢文のマークを適当に埋め、残り時間を現代文に費やした。
二教科目の数学。
苦手な関数の問題を後回しにし、わかりそうなところから手をつけた。
三教科目。英語。
模試だとか、過去問で初めて時間が足りなく感じた。
受験科目に関係のない次の理・社は愛用の鉛筆サイコロが活躍し、今まで通り暇を持て余した。
最後に「いっちゃん」もとい「一戸」がやって来て、今回の模試の答えが載っている冊子を配り、「お疲れ!」の一言で締めくくられた。
「咲希すげえよ!お前マジ凄い!」
模試の後行った、近くの24時間営業しているカフェでのことだった。
カフェと呼んでしまえば名前負けしてしまうが、どこにでもあるチェーン店のコーヒーショップ。
健太が声を張り上げたのは、私が不味くも美味しくもないコーヒーを飲み干した直後だった。
模試の後、お互いの答案用紙を交換し、自己採点をしていた。
「咲希すげえよ!お前マジ凄い!」
「何が?」
健太の点数の良さを目の当たりにした為、少し不機嫌だったであろう。
「現国!88点!」
「嘘!?」
「ホントだよ!お前いつの間に勉強してたんだよ!」
いつの間にと言われれば、毎晩健太が帰った後だ。 英語や数学は教える人がいないと先に進めない為、単純に文を読んで問いに答えるだけの現国は唯一自習出来る教科だったのだ。
「待って!健太は?」
「知らねえよ!お前が採点してるだろ?」
確かに健太の現国は先ほど採点した。
慌てて用紙を探し、赤い字で大きく書かれた数字を探した。
『86』
「負けた~!」
「嘘?ホントに?」
「そう言えば小学校の時から国語得意だったよな?」
確かに昔は得意な方だった。文を読めばそこに答えが書いてあるからだ。
「お前はもともと想像力ある方だから、出題の法則性がわかって来たんじゃないのか?」
本を読むのは好きだった。と言ってもマンガだが…
ただ、内容のその先を勝手に想像し、私ならこうするだとか、あれこれ考え、プロの漫画家を下に見ながら読んでいた。
それを想像力と呼んでくれるなら、たくましい方なのかもしれない。
健太は自分の解答用紙を確認し、どこを間違えたのか必死になって探していた。
「嬉しそうだな?」
「別に…」
「顔に出さなくてもわかるんだよ。お前も法則性がわかればわかりやすいからな!」
「まあ、悪い気分じゃない」
初めて健太を上から見れたのだ。
嬉しいかどうかは別として、マグレでも私は健太に勝ったのだ。
「満足感あるだろ?これだよ!マグレなんかじゃない。咲希が頑張ったからなんだ!いや~、悔しいな~」 結果、数学も英語も点数で言うと前の模試より格段に上がっていた。
良い大学に行きたいわけじゃない。
全教科で健太に勝つのは不可能。
でも…
今日はここで解散となった。
今回の模試で、間違ったとこの復習という宿題は課せられたのだが。
いつもの曲がり角を曲がった時、冷たい風が吹いた。
桜の木はそれに吹かれて、寒そうになびいている。
寂れた桜の並木道を抜ける頃、私には一つ腹に決めたことがあった。
違う。特別な理由なんかない。
家に帰っても暇なだけだから。それは明日も明後日も。
ただの暇つぶし。
お寿司。そう!お寿司の為!
自分に言い訳するのも何だか虚しくなってきた。
理由なんてどうでもいい。
「出来る限り…。やってみよう…」
そう呟いた自分の声は聞こえなかった。
耳にしているイヤホンからは、最近お気に入りの曲が相も変わらず流れていた。
「成すがまま…」