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学校は家からさほど離れてはいない。 のんびりと歩き、学校へと向かっていた。
スマホに差したイヤホンからは誰の曲かも分からない歌が流れていた。
音楽には全く興味はない。 ただ一人で登校するには格好がつく。
中学の頃に音楽の授業で習った記憶のある曲。レリピー?
何でもイギリスの大層有名な人たちの曲らしいが、やっぱり興味がない。
そうこうしているうちにやがて学校に着いた。
私が学校についてまずやることと言ったら、机を抱くようにうつ伏せになり、寝たフリをすることだ。
休み時間にしてもそうだし、それが入学してからここまで唯一やり通している、いわゆる日課みたいなものだ。 担任の八島が教室に入って来た。
もちろん私の体勢は変わらない。
どうせまた、いつものくだらない話でも始まるのだろう。
よく毎日毎日飽きもせずに同じことを言い続けられるものだ。
それが仕事というものならば、私は一生社会に出たくはない。
案の定、いつもの大学受験に関しての話が始まった。
うちの高校は腐っても進学校で、クラスのほとんどは進学を希望しているらしい。
私が進学を希望した理由は二つある。
一つはさっきも言ったが、社会に出たくない。
そりゃあ、いつかは働かなければならないだろうが、それはなるべく先延ばしにしたい。
大学なんて働きたくない奴らの逃げ道くらいにしか思ってない。
もう一つは、現在の世の中では大卒が当たり前なんだとか。
今通っている高校も、言ってみれば義務教育みたいなもん。
もう少し時代が進めば、大学だってきっとそうなるだろう。
大学に行くのが普通ならば、行ってやろうじゃないか。 私は常に普通がいいのだ。
寝たフリの私は、あくまでフリはフリで、八島の話は耳に入っては来る。
「今日から個人面談が始まります。先日、進路調査を行いましたが、志望校についてお話していきたいと思います」
進路調査?何て書いたっけ?
待てよ。大概こういうものは出席番号順にやるものだから…。
『大羽咲希』これは確実に今日のうちに回って来るな。
何でもかんでも先に延ばしたい私は、今まで自分の苗字をどれだけ恨んだか知れない。
ホームルームが終わり、それからは何事もなく授業へと進んでいった。
放課後、クラスのみんなは部活だとか、教室に意味もなく残っていたりしている。
部活をやっている者はすでに引退しているので、余計に放課後の教室の人口密度は高くなった。
私にいたっては、自宅がさほど離れていないことも手伝って、全校生徒の中で一番早く家に着いているという自信はある。
だが、今日は違う。個人面談があった。
「お」から始まる苗字の私は、 「あ」から「え」の人が終わるまで待たなければならない。
それに当たる人はクラスに5人いた。時間まで廊下をうろつくことにした。
「よーし!もう一本行くぞ!ほらそこ!休むな!」
うろついた先には20数名の男子が何やらどたばたやっていた。
廊下は走るなと小学校で習わなかったのか?
「あれ?お前まだ帰ってなかったのか?」
私に話しかけてくるなんてこの学校ではただ一人だ。
健太がいるということは…、この軍団はバスケ部か。
「何やってんだ?いつもなら速攻で帰ってるのに」
ボールを指先で器用にくるくるやりながら健太は近づいてきた。
「あんたこそ何やってんの?」
「何って、部活」
「もう引退したじゃん」
「現キャプテンに頼まれてさ、たまに練習見に来てるんだ」
「へえ~。引退してまでご苦労さまですね」
「そうでもないよ。毎日勉強ばっかで嫌気がさすし、良い気分転換になるからね」
「で?バスケ部が何で廊下で練習してんの?弱小チームはとうとう体育館追い出されたわけ?」
健太は私のこんな皮肉にはもう慣れっこだ。 いつも笑いながら流す。
「とうとうって…。体育館使うのはバスケ部だけじゃないからな。今日はバレー部の日だから、俺らは廊下連」
そして、きゃぷてんと見える後輩に向ってこう付け加えた。
「廊下連の時に呼ばれたって、正直楽しくないんだよな。体育館使える日に呼べよ!」
「だって健太さん、最近来てくれないじゃないっすか。みんな先輩に会いたがってるんですよ!」
健太さん?先輩?
私は心の中で笑ってやった。そんなガラじゃないだろう。
「あんま受験生をこき使うなよ。で、お前は?何でまだいるの?」
きゃぷてんに一言投げつけてから、私のほうに向き直した。
「別にいたくているわけじゃないよ。個人面談あるんだってさ」
「あっ、そうか。今日から個人面談か。もう志望校決まったのか?」
「うん・・・。まあね・・・」
この言葉の中のどこを探しても真実は見当たらない。
「何だ。ちゃんと決めてるんだ。いっつも真面目に授業受けてないからてっきり。ほら、昨日の予備校だって…」
「うるさいな。そう言うあんたはどうなのさ?」
健太の言葉をさえぎって、逆に聞いてやった。
「言ってなかったっけ?俺は市内の教育大目指してるんだ」
教育大?初耳だ。と言うか健太の将来の話なんか聞いたことがなかった。
「教育大に入って、教師にでもなるつもりなの?」
「まあね。昔から教師になりたかったしさ」
即答されるとは思わなかった。 後に続く言葉が見つからない。
こんなに身近に目標を持って生きてる人間がいるなんて思わなかったから。
「どうせ、テレビドラマの影響でしょ?」
とにかく頭に浮かんだ言葉を発した。
「…?何怒ってんの?」
怒ってる?私が?何故?
「怒ってなんかないよ!もうそろそろだから行くわ」
時計を確認してから、健太に背を向けた。
「予備校遅刻すんなよ!」 返事はしなかった。
「健太さん。あの人彼女ですか?」
「そんなんじゃないよ」
きゃぷてんよ。それでも小声で話してるつもりか?
健太ときゃぷてんのやりとりを背中で聞いていた。
健太のことを恋愛対象で見たことはなかった。それは健太もそうだろう。 じゃあ、あいつは私の何なのだ? ただの幼馴染。 きっとそれ以上でもそれ以下でもない。
ただ健太は何かと私に口うるさい。 今じゃ親や先生と同じ部類だ。
きっと良い教師になれるだろう。 もちろん皮肉だ。
そんなことを考えていると、個人面談は私の番になっていた。
「大羽さんは市内の、神奈川の文系大学を志望してるけど、大学に行って何かやりたいことは?将来やりたいこととか」
あるわけがない。というか私は神奈川を志望していたのか。 そいつは知らなかった。
「将来のことは特に…」
「まあ、焦って決めることじゃないしね。大学に行ってからゆっくりやりたいことを見つければいい。でも、今の君の成績じゃ、第一志望は難しいなあ。もう秋なんだし。いや、もちろんこれからの頑張り次第では可能だけど」
適当に志望した大学が難しい? 好きでもない相手にフラれた気分だ。
その後は私でも合格可能な大学を紹介してくれたり、これからの勉強方法についておよそ30分くらい聞かされた。
その30分の間、私は「はい」という言葉くらいしか言わなかったと思う。
帰る時にバスケ部がいた廊下を通ってみた。荷物はあったが誰一人いなかった。
かと言って、それに何かを感じたわけでもなく、どうでもよかった。
帰ったら予備校までの時間寝ておこう。 授業中に寝ると後々うるさく言う奴がいるから。