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15日。センター前の予備校の最終日。
戦いの日の前日。
昨日行った予想問題の解説だけして、早めに終わる予定だった。
早めに寝て、明日に備えろという指令が与えられたのだ。
従うつもりは毛頭ない。明日もいつも通りの朝を迎えるつもりだ。
「おはよう」
何年ぶりかに親に言った言葉だ。
「どうだ調子は?」
これは父の決まり文句。
「やるだけやったしね。後は本番頑張るだけ」
いつもの食卓。いつもの会話。いつもの朝。何も変わらない。
変わったと言えば、外には昨夜の雪がうっすら積もっているだけ。
予備校に着くまでは大変だった。
三歩歩く度にツルツルと滑って、何度も転びそうになり、 危うく遅刻しそうになった。
これでは大学でも先が思いやられる。
もう恥ずかしがることなんてない。
合格した後の未来を見て、悪いわけがない。
何故か機嫌は良かった。
お気に入りの曲を口ずさみ、音を外した瞬間、とうとう転んでしまった。
恥ずかしがることなんてない。今日の私は機嫌が良いのだ。
後ろ斜めの席に健太はいなかった。バカめ。きっと歩きづらくて遅刻するのだろう。
一年後に雪道の歩き方でも教えてやろう。
他の生徒も全体的に来るのが遅かったが、「いっちゃん」もとい「一戸」がやって来ても、健太の姿だけなかった。
昨日の英語の予想問題。その最後の長文だけわからず、早く解説をして欲しかった。
何ならそこだけでいい。
そんなことを考えながらふと前を見ると、いつも陽気で明るい予備校講師の顔は、いつになく暗かった。
「この時期だし、みんな言うかどうか悩んだけど、やっぱり伝えるべきだと思う。講義の前に少し話を聞いて欲しい」
くだらない話しは勘弁して欲しい。
早く英語の長文の解説を。
「一年間、みんなと一緒に頑張ってきた立花が…」
健太?転校でもするような言い方だ。
「今朝、雪でスリップした車にはねられたらしい…」
何の冗談なんだろう。
「運ばれた病院で、先ほど息を……………」
かすれた声だった為、最後の方は聞こえなかったが、全生徒が理解した。
やっぱり私はこの中で学力は下なのだろう。
理解するのに時間がかかった。
今までで一番暗い講義が始まった。
何も頭に入らなかった。
その間何を考えていたわけでもない。
気づけば講義は終わり、帰り道を滑りながら歩いていた。
英語でわからないとこがあったんだ。
戻って聞くのも面倒だ。そうだ、健太に聞こう。
しかし、何度電話しても繋がらなかった。
そっか。死んだんだっけ。
死んだ?健太が?何で?
あ、車にはねられたのか。
もうわけがわからない。こういう時、どうしたらいいのか。
学校でも予備校でも教えてくれなかった。
お節介な幼なじみも教えてくれなかった。
ただいまも言わずに帰宅した私を、母はおかえりも言わずに出迎えた。
「咲希…。さっき夕刊見たけど…、健ちゃんが…」
うるさい…。
「交通事故で…」
うるさい。
「亡くなったって…」
うるさい!
「うるさい!こっちはそれどころじゃないの!明日試験なの!くだらない事でいちいちわめかないで!うっとおしい!」
階段を駆け上がり、着替えもせずにベッドに潜り込んだ。
最低だ。親に当たるなんて。
当たる?
私は別に怒ってなんかいない。
確かに感情は高ぶってはいるが、それは喜怒哀楽のどれかわからない。
喜ではない。
楽でもない。
怒?健太をひいた奴に怒ればいいのか?ひかれた健太を怒ればいいのか?
哀?予備校の他の生徒の様に悲しめばいいのか?
悲しんだら健太は帰って来るのか?
気持ちの行き場を完全に失った。
深夜0時。スマホが鳴った。
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-From 立花健太-
-Let It Be-
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0時ちょうどのメール。きっと送信予約していたのだろう。
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-To 立花健太-
-わざわざ天国からこんなメール送りつけて何様?聖母マリアにでもなったつもり?ホントうざい-
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返信はなかった。
あるわけがない。それくらいわかってる。
結局、私はベッドの中で一番人間らしい感情の表し方を選んだ。
幼子の様にひたすら朝が来るまで泣き続けた。
目にクマが出来たまま、何も食べずに家を出た。
昨日の夜から何も食べていないが、食欲が全くなかった。
家を出る前、母が何か言っていたようだが、全く覚えていない。
と言うより全く聞いていなかった。
閉まる直前の電車に、駆け込みもせずに乗り込んだ。
耳にはイヤホンはなかったが、頭の中から常に流れてくる。
『成すがまま』
気の抜ける程早い時間で試験は終わった。
こんなものの為に今まで頑張って来たと思うと腹が立つ。
達成感も何もない。一緒に喜べる奴もいない。
それすら、もうどうでもいい。
ようやくお腹が空いてきた。 早く帰ろう。




