×月×日-02
「お前!私がケガするの分かってて、わざとボールよけたんだろ!」
那奈の声は校庭に響き渡り、誰もが二人に注目した。さやかは俯いたまま応えなかった。先生は那奈がこれ以上手を出さないように止めに入った。友樹は気付いた。さやかが予知能力で用意した今日話す分の声が入っているテープレコーダーは教室にあることに。体育の授業中はそれを落とすと危ないので持っていない。声を出して喋ると能力が暴走する可能性がある。顔を上げたさやかは泣いているように見えた。そして頭を何度も下げると那奈の鼻血まみれの手を握った。那奈は冷たく振り払った。
「認めるんだな!わざとやったって!」
さやかは何度も首を横に大きく振った。そしてまた頭を何度も下げた。
「うそつき!予知能力で知ってたんでしょ!ボールが来るって!よけたら私に当たるって!ケガするって!何で教えてくれないのよ!」
先生が押さえていなければ那奈はもう一度さやかを引っ叩いていたに違いないと友樹は思った。那奈も泣いていた。鼻血はまだ止まっていない。とても痛そうに見える。先生は那奈を保健室へ行くように促した。那奈はそれに従った。去り際に那奈はさやかに何か言っているように見えた。その声は友樹には聞こえなかった。
その日を境にさやかの周りには誰も近付かなくなった。ここ数日、休み時間のさやかは机に視線を落として静かに座っている。会話のためのテープレコーダーも出していない。今日は誰とも話さないと分かっているから出していないのだろう。友樹にはそれが寂しかった。
放課後になるとさやかは誰にも気付かれないうちに帰った。友樹も気付かなかった。那奈はいつもの女子友達と話している。少し前ならみんなと楽しそうに帰り支度をするさやかの姿があったのに、今は無い。
今日の友樹は学校の帰りに寄る所があった。2週間に一度、友樹は異能力の状態について診察を受けるように指示され、そのとおりに通い、診察を済ませると家へまっすぐ帰る。診察を受ける施設はいつもの下校の道沿いではないので、遠回りをすることになる。普段は通らない道だ。そこを歩いていると小さな公園が目に入る。これまで、その公園で誰かが遊んでいることは全く無かった。みんなから忘れ去られた公園は遊具の錆も濃く、草も生い茂り手入れをされた後はどこにも無い。夕方にその公園の近くを歩くと気味が悪いので、友樹はさっさと通り過ぎようと思い、足を速めて歩いていると、その公園からブランコの揺れる音が聞こえた。ぞっとして友樹は音のする方を見ると、初めてこの公園の遊具で遊んでいる人を見た。さやかだった。さっさと帰ったくせに、なにもこんなところで遊ばなくてもと思ってよく見ると、さやかは遊んでいるというよりは教室にいる時と同じように、ただ静かに座っていた。時々聞こえるブランコの揺れる音は、風が吹くと揺れるそれと同じだった。何も見なかったことにして通り過ぎた友樹は、駆け出した。こんなことをするつもりは全くないつもりなのに、どうしてか駆け出す足はさやかのいるブランコへと向かっていた。さやかの正面で軽く息を整える。さやかは気付いてわずかに顔を上げる。前髪でその目は友樹からは見えなかった。
「そのちから、みんなのために使えば良いんじゃねえの」
さやかは応えなかった。
「すげえカッコいいちからなのに、もったいねえ」
さやかはテープレコーダーを取り出したが、早送りや巻き戻しをするばかりで、声を再生することはなかった。
「がちゃがちゃやってないで何か喋れよ!」
さやかは持っていたテープレコーダーを仕舞うと、何も言わずに立ち上がり、友樹をさけるように静かに立ち去った。ブランコの揺れる音だけが響いた。
「なんだよあいつ」
吐き捨てるように友樹はつぶやいた。
次の日もさやかは静かに座っているだけだった。時々那奈がさやかを睨むと、さやかは体を縮めるように真下を見た。それを見ていた友樹は、何をされてもさやかは喋らないのか気になった。気になると、持ち前のいたずら好きな性分が疼き出す。
「何か喋れよ」
友樹がさやかの席の横に立つ。さやかは机の中からテープレコーダーを出した。でも再生ボタンを押さなかった。持ったまま指は動かない。友樹は再生ボタンを押したらどうなるのか気になった。
「貸せよ」
友樹はさやかが持っているテープレコーダーを素早く取った。さやかは声にならない声を出して取り返そうと手を伸ばす。さやかより背の高い友樹は、腕もさやかより長い。さやかがどんなに取り返そうと伸ばしても友樹のテープレコーダーを持つ手には届かなかった。
「早く再生してみてよ」
二人を見ていた那奈が興味を持った。那奈がさやかの腕を押さえる。自由になった友樹が満足そうに再生ボタンを押した。
「やめて!かえしてよ!」
さやかの大きな声が再生された。那奈が笑った。
「取られるの分かってて取られたの?ばっかじゃないの!」
那奈に羽交い絞めにされて無抵抗のさやかからは想像も出来ない大声が再生されて友樹は驚き、自分の行動も予知済みだったことに不愉快さを感じた。
「気持ち悪ぃ!」
友樹の防衛本能が不愉快さを排除しようと、その原因を処理する行動を取った。具体的には持っていたテープレコーダーをちからの限り遠くへ投げた。運が良いか悪いか窓は開いていたためテープレコーダーは放物線を描いて空を飛び、誰もいない校庭に落ちるとバラバラに壊れた。
「何やってるの、この子喋れなくなったじゃない」
笑い声を押さえながら那奈は言った。それでも笑いは止まらなくて、さやかを
羽交い絞めにしていた手を解き、自分の口を押えて笑っていた。
「別に無くても喋れるだろ、喋れよ!」
さやかが友樹を睨むと、勢いよく友樹の胸ぐらに掴みかかった。友樹はその勢いに押されて倒れると、そのままさやかは馬乗りになって友樹の胸を何度も叩いた。
「何でこんなことするの!」
「うるせえブス!」
友樹は口と手で応戦した。叩かれまいとさやかの手を取ろうとしたが、以外にも動きは早いため取れなかった。
「返して!返してよ!」
と、さやかが自分の声で叫ぶと、途端に叩くのをやめて自分の頭を押さえた。さやかが馬乗りになって叩いても痛くなかったので友樹は冷静にさやかを見ることが出来た。
頭を押さえながらさやかは友樹から降りて教室の外へ走り去った。保健室へ行くのか、校庭に落ちたテープレコーダーを取りに行くのか、職員室へ行くのか、またはその全部か。また親が呼び出されたらどうしようかと思うと冷や汗が流れた。
「ちょっと友樹やり過ぎじゃない」
那奈がにやついた顔で言った。ほかの女子たちも那奈の言葉に賛同しながら、どこか顔では浮かれていた。ほかの男子たちも一部始終を見ていて、「あそこまで飛んだぞ」とか言いながら校庭を指差して笑っていた。みんな友樹と同様に働いてしまった防衛本能が目的を果たせて安心したのだった。その安心をもたらした友樹にみんなが注目した。友樹は罪悪感と注がれる視線の中で気持ちは高揚していた。
友樹はさやかが転校して来てから生まれた空白の時間を取り戻すように、さやかは何に反応するかを試し、クラスメイトはその様子を見て一喜一憂するのが楽しみになった。その中でもとりわけ那奈が一番楽しそうだった。座っているさやかを揺らしても反応しない。目の前で手を叩いてみると、びくっと反応する。友樹が「ブス、こっち見ろよブス!」と罵声を浴びせると何も言わずにらみ返す。頬をつねると言葉にならない声を出し振り払おうと抵抗する。授業が終わったら机に仕舞う前にさやかの教科書やペンを取ると追いかけてくる。繰り返すうちにエスカレートして、ある時は男子トイレの中まで追いかけてきて便器に投げ捨てられた教科書を拾って戻って来た。そんなさやかに女子たちは距離を置いて遠くから群れて見ている。その中から「不潔」というつぶやきが聞こえる。男子たちは「小便女」とさやかにあだ名を付ける。さやかの目の前で小便をする仕草を見せる。それを見て那奈が笑う。教科書は取られまいとさやかは授業中に机に仕舞うようになると、今度は目の届きにくい靴やリコーダーをゴミ箱や花壇に投げ入れた。気付いたさやかが取りに行き、教室に戻ると教科書がチョークの粉まみれになっている。そんなことを繰り返していたら、さやかの反応は次第に薄い幽霊のようなものになっていった。友樹はつまらなくなったと思い始めた。
友樹が例の診察を終えて帰っていると、あの公園にさやかがいた。手入れのされていない花壇を向いてしゃがんでいる。気付かれないように覗いていると蝶がさやかの周りを舞う。さやかが手を伸ばすと細い指先に蝶が停まる。さやかはその手を顔に近付ける。
「いいなあ、蝶は変な能力持っていなくて」
友樹がさやかの声を聴いたのはいつ以来だろうか。それもテープの声ではなく実際に喋る声は数回した聞いたことがない。思い出せないくらい久し振りに聞いた。唇が紡ぎ出すそよ風のような声に友樹の心臓はどきりと強く鼓動した。うれしかった。やっと声を聴けた。あいつ、虫となら喋るんだ。新しい発見だった。でも冷静になると人間とは話さないで虫とは話すということは、俺たちは虫より下の扱いをされているという事なのかという疑問が湧いた。友樹は疑問自体が答えそのものだと思った。虫より下の扱いをされていたという答えに友樹は腹を立てた。今すぐさやかに問い詰めてやりたい気持ちになった。でもそれをしたらさやかはまた喋らないさやかに戻ってしまうだろう。何か良い案はないか。さやかを喋らせて、虫より酷い扱いをしていることを認めさせ、出来れば反省させる何か良い手はないか。友樹が考えているうちにさやかは公園を後にしていた。さやかの手に停まっていた蝶は花の蜜を集めている。友樹も帰る事にした。
翌日、登校中の友樹は考えていた。昨日考えた全てを実現するのは難しいという結論に至り、何よりもまずは喋らせる事を第一優先にして再考していた。そうして歩いているとクラスメイトが街路樹の幹を思いっきり蹴り、数匹の毛虫を落としている姿が目に入った。クラスメイトは落ちてくる毛虫の数に不満があるのか、他の木でも同じことをしていた。たくさん落ちてくると満足した様子で笑っていた。友樹は「これだ!」とひらめいた。
教室ではさやかが息を殺して座っている。那奈がそれを不満そうに見ている。他はいつもの朝の風景と変わりない。
「ブス女来てるか!」
教室の扉を開けた友樹が勢いよく入って来る。
「いるわよ、どうしたの」
那奈がさやかを指差す。さやかは下を見たまま聞こえない振りを続ける。
「じゃーん」
友樹は後ろに隠し持っていた枝を出す。そこには一匹の毛虫がいた。
「何それ、毛虫?気持ち悪い」
「こいつ昨日公園で虫と話してたの見たんだよ、ほら大好きな虫だぞ、何か話してみろよ」
下を見ていたさやかだったが、毛虫という単語に反応して顔を上げていた。そして本当に生きた毛虫がいるのを認識すると顔を青ざめた。
「きゃーっ!来ないで!あっち行って!」
「お前人間とは喋んないくせに虫とは喋るんだろ!ブス女!」
走り出すさやかを友樹は毛虫のいる枝を持って追いかける。パニックのさやかは教室の隅に逃げてしまい友樹に追い詰められた。友樹はさやかの腕を掴もうとしたが上手くいかず二の腕のあたりの服だけを掴んだ。さやかは逃げようと暴れ出す。友樹はそれを片手で押さえる。
「ほらよブス女っ!」
枝をさやかの前に突き出す。さやかは眼をつむって払いのけようとした。さやかの手は突き出された枝を止めた。その勢いで毛虫が枝から飛んだ。友樹が掴んでいるせいで、さやかの着る服は首回りが大きく開いている。運悪くその大きく開いた首回りから服の中に落ちた。
「いやっ!気持ち悪い!気持ち悪いよう!」
服の中から毛虫を出そうと裾を広げたり、その場でジャンプを繰り返したり、その動きはおどけているように見えて友樹はげらげら笑っていた。那奈もくすくす笑っていた。クラスメイト全員が笑って見ていた。泣いているのはさやかだけだった。
毛虫は床に落ちて、さやかは落ち着こうとしたがそれは出来ず荒い息のまま友樹に詰め寄る。
「やめてって言ってるでしょ!」
同時に出されたさやかの平手打ちを友樹は片手で止めた。さやかが本気で怒っているのが楽しかった。これに勝てば悔い改める言葉をさやかに言わせることが出来そうだと思うと口元が緩んだ。腕力なら勝るのは目に見えていた。
突然さやかの動きが止まったかと思うと、それまでのさやかの腕のちからも抜けて友樹は拍子抜けした。友樹が手を離すとさやかの腕は、その場で震えていた。かと思うと急に頭を押えた。途端に白目をむいて倒れた。
「これまずいだろ!」「救急車!」「いや先生が先だって!」
それまで笑っていたクラスメイトは、巣を突かれた蜂のように右へ左へ慌てふためいていた。ある女子は泣き始め、ある男子は廊下へ駆け出し、また他の女子はハンカチでさやかの頭を押さえ、別の男子は茫然としていた。毛虫は教室の隅を壁沿いに外へ向かっていた。友樹は真っ青な顔で倒れたさやかをただ見ていた。胃が縮むのを感じた。親が学校に呼び出しされるくらいで済まないことは想像出来た。それ以上は想像したくなかった。知っているなら教えて欲しい、さやかの未来を。きっと大丈夫だ、今日さやかは自分が死ぬと分かって学校に来るはずはない。そう信じたかった。どんな予知をしたのか聞きたかった。でも聞ける訳はなかった。でもさやかは未来を変えてはいけないようなことを言っていた気がする。だから自分の死を受け入れて今日学校へ来た可能性もある。でも確かめる手段はない。那奈が友樹にゆっくりと近付いて友樹の肩に手を置いた。
「どうしよう」
友樹は泣きそうにな顔で聞いた。那奈は見たこともない顔で笑って見せた。
「だから前に言ったでしょ、やり過ぎじゃないって、私もう知らないからね」