×月×日-01
×月×日
「これは聞いた話なんだけどさ」
「はいはい、自分の事なら素直にそう言えば?」
「お前はまたそういう…」
と、ため息交じりに言うと、セリフを完結させるのが面倒になって自分の髪を鷲掴みして、もう一人いる話し相手の顔をみた。
「こいつを見てみろ。静かに俺の顔を見つめて、今か今かと俺の話し出すのを待っているじゃないか!」
それまで暇を体現した姿勢でしーちゃんのとなりに座っていた真冬が、テーブル越しに指差した俺と差されたしーちゃんの間に割って入り、守るようにしーちゃんを抱きしめた。
「しーちゃんはいつも無口なだけで、心の中では売れっ子漫才師くらいの激しさでツッコミを入れているわよ」
「いやいや、まさか」と言うと不安になり、「俺の話を早く聞きたいんだろ?」と聞いてみた。
「…」
等身大の人形がそこに居たのかと見間違えてしまうほど反応は無かった。
「ほら見なさい。ねー、しーちゃんも私と同じよね」
「…うん」
バス通りの渋滞が酷いせいかクルマのクラクションが短く何度か響いた。彼女のセリフは聞き取れなかった。
「ほら」
「聞こえなかっただろ!そもそも喋ろよお前は!」
「…」
「もっと面白い話なら喋るって」
「言ってねーだろ一言も!それに俺が面白い話を始めたら、こいつは喋り出して俺の邪魔をするのか!そんなに酷いヤツじゃねーよ、こいつ!」
「…」
「人を見る目がないな銀助は。だって」
「俺自分の彼女からそんな目で見られてんのかよ!」
「…フフ」
呪いの人形がほほ笑んだかのような声だった。
「ほら、当たっていたでしょ」
こくりと小さく首を縦に振る。呪いの人形が、ではなく彼女が。
「くっそー」
「いえーい」
二人がハイタッチをしている。もちろん掛け声は一人分。だけど手を合わせる音が二人の息の合い方の通り抜群の間合いで響く。俺ひとりこの部屋で沈んだ表情を浮かべている。
この部屋というのはアルバイト先の休憩室で、今いるのは自分を含めて3人。アルバイトの内容は人材派遣業を運営する会社なので同じ現場だったり違う現場だったりする。今日は派遣先からの命令で事務所待機のためここにいる。ちなみに今の派遣先は警備関係とでも言うのだろうか。
先ほどから俺をからかって笑っている女の子は越野真冬。アルバイト仲間でクラスメイトでもある。ただそれだけではなく、よく同じ派遣先になる程度の腐れ縁はある。出会った頃は、その釣り目と冷たい性格のせいで、真冬そのものといった印象だった。
喋らない方の娘は西名しずか。親の願い通り本当に静かな娘で、ほとんど喋らない。このまま成長したら一人で社会生活を送れるのか、と心配になるくらい喋らない。そして感情があるのかないのか分からなくなるほど、極まれに表情を変える。付き合い始めてしばらく経つけれど一言でいえば、まあ変なヤツだ。もし俺が主人公の物語があったとしたならば、彼女はヒロインになるわけだけれども、「こんなヒロイン無いだろ」とクレームの嵐になるんじゃないだろうか。また、彼女が主人公の物語だったら、心の独白だけで文庫本の250ページくらい必要だろうと思われる。
俺の名前は津室銀助。見た目でも能力でもよく勘違いされる可哀そうな立ち位置が定位置の男子高校生。
「ねえ、何話しているの?」
音もせずドアが開いたかと思うと、瞬間移動でもしたかのようにテーブル脇の椅子にそいつは座った。タイミングが悪いな全く。それとも見計らってこのタイミングで来たのならセンスが悪いな全く。
「これから銀助が面白くない話をするのよ」
ひとしきり笑ってスッキリした表情の真冬がテーブルに頬杖している。
「本当?銀助君得意だよね、そういうの」
「ああもう、得意だよ!」
突然やって来て、いわゆる天然な物言いをしているのは久地八宵。八に宵と書いて「やよい」と読む。幼い見た目で制服のスカートからは細く産毛も生えていない脚が伸びる。甘ったるい声でしゃべり胸は全くない。けれど、彼は男の子だから胸がないのは当然だ。でもその辺りを歩いている女の子よりは全然可愛い。でも男の子だ。今日もまたクラスの女子たちに脱がされて男子の制服を没収された挙句に女子の制服を着せられて野に放たれたんだろうな。可愛い、いや、可哀そうに。俺はため息を吐いた。
「で、落ち込んでないで早く話しなさいよ。面白くない話を」
真冬は八宵が苦手なのか少し八宵を警戒しながら催促するようにテーブルをトントン叩く。八宵は何も気にせずキラキラと瞳を輝かせてこちらを見ている。しーちゃんは衝突実験前のクルマに乗せられた人形のように姿勢正しく座っている。
「はい、では話させて頂きます。大変面白くない話ですが、どうか最後までご清聴下さい」
「わー」と言いながら八宵だけが拍手してくれた。それがかえって俺の心を痛めつける。ただの暇つぶしに話すつもりの落ちのない話をこんな始まり方で話すことになるなんて非常に心が折れそうだ。頼む八宵、辛いから止めてくれないか。
幼いころから、いたずらをやり過ぎて怒られるとき、先生は他の子よりも厳しく叱るものだから、合原友樹は損な役回りに慣れていた。クラスメイトから「またお前だけ怒られてんの」と言われても「あんなの屁でもないね」と返す。そんな事を繰り返しているうちに友樹の周りには悪い友達が集まるようになっていった。
友樹が小学校6年生の時、クラスに女の子の転校生がやって来た。
「相模さやかです。よろしくお願いします」
その美しい声に友樹は驚き、またそれがテープレコーダーから再生された音だったことに更に驚いた。
「さやかさんは予知能力があって会話は全て昨日のうちに用意したテープを再生します。実際に喋ると能力の暴走する恐れはあるそうですが、それ以外はふつうの女の子です。皆さん、仲良く出来ますね」
クラスメイトは口々に「すげー」とか「かっこいい」とか言うが、友樹だけは何も言わなかった。
休み時間になると、他のクラスからも人が来て、さやかを取り囲んだ。
「どうやって録音しているの」
「録音じゃなくて、指でなぞって作るの」
「いつまでの未来がわかるの」
「小さいころは4時間先だったけど、今は一日分くらい」
「じゃあ、私の今日の出来事教えて」
「ごめんなさい、未来を変えると嫌なことが起きるから教えちゃダメなの」
テープの声が的確に答えて、みんなは答えのたびに「へえ」とか「そうなんだ」とか、いちいち反応していた。そして「仲良くしましょう」とか「よろしくな」などと言われて、さやかは一躍みんなの人気者になった。
つまらないのは友樹だけだった。どんなにいたずらをしてもクラス誰も友樹の方を見なくなった。友樹の周りにいた悪い友達も、いたずらをしない友樹から離れていった。ある意味で友樹はクラスの中心にいたのに、今はそこにさやかがいた。
きっかけは些細なことで、立場が一転するのはよくあることで、それはさやかにも降りかかる。
ある日の授業中、さやかが消しゴムを落とした。でも、さやかはぼんやりしていて消しゴムが落ちたことに気付くまで少し時間が掛かった。落ちた消しゴムに先に気付いたとなりの席の那奈という娘で、友樹とは悪友だったけれど、さやかとは良い友達になりたくて拾ってあげた。さやかは笑顔で受け取ると「ありがとう」という声をテープで再生した。那奈は「あ、うん、別に」と言って何事もないかのように授業を受け続けた。
友樹が新しいいたずらのアイディアを那奈に言おうと探していると、水飲み場のところでやっと見付けた。近寄ると那奈以外にも女子が数人いて、友樹は近づけなかった。前にあの子を泣かせたために親が学校に呼び出された記憶が友樹をそうさせた。でも話し声が聞こえてきたので、目的を失った友樹は暇だからそのまま盗み聞きした。
「消しゴム拾ってあげたらさあ、テープでありがとうだよ。分かっていたなら落とすなよって思わない?予知能力あるんでしょ」
「それって拾ってもらうの分かってたってことだよね?何様なの?自分で拾えばいいじゃんね」
女子たちが文句を言うたびに友樹は耳をふさいだ。でもその隙間から聞こえてくる声は友樹の耳の奥に届いた。
別の日、給食の後の5時限目は算数の小テストがある。友樹は算数が苦手なので那奈に解き方を聞きに行った。那奈は友樹よりは勉強の出来る子だった。だけど那奈は教えるのは面倒だし、授業中に届いた手紙の返事に追われていた。
「そーだ、さやかちゃん。算数のテストで出る答え教えてよ」
「ズルはダメだよ那奈ちゃん、それに未来を教えると不幸になるから」
と、テープからさやかの声が再生された。
「そんな事言って自分だけ知ってるのはズルいじゃん!ケチ!」
那奈の声が教室中に響いた。しんとしたクラスにチャイムが響き、先生が小テストを持ってきた。友樹は教えてもらうのをあきらめて席に戻ると、テストの点数次第でおこづかいを減らされることを思い出し、天に良い点数を取れるように祈っていた。那奈は先生にさやかの予知能力はカンニングだから今すぐ別の問題に差し替えるように詰め寄った。先生は予知能力は差し替えるのも前提だったら意味がないこと、これまで予知で分かっていてもズルしてないことを理由にテストをそのまま行うことに決めた。クラスメイトは誰一人なにも言わなかった。
「それでも、勉強しなくても答え分かっているのはズルいじゃん」
那奈の不満のつぶやきはテストに解答を記入する鉛筆の音と混ざり合って消えた。
その出来事から、さやかのもとに集まる子は次第に減っていった。それでもさやかは変わらなかった。いつも通り受け答えには明るい声をテープで再生していた。
事件が起きたのは転校してきて1カ月を過ぎた頃だった。
体育の授業で女子は他のクラスの女子とドッチボールをしていた。男子は野球で、友樹は外野で遊んでいた。運動は得意だけど今活躍しても以前のようにクラスメイトから歓迎されない雰囲気を察して静かにしていた。回を重ねると飽きてきて女子のドッチボールを眺めていた。
友樹のクラスは負けていた。さやかと那奈の残り2人に対し相手チームは7人もいる。これは負け確定だろうから見ても詰まんないな、ちゃんと野球するかと思い目をそらしたとき、
「危ないっ!」
女子の叫び声と同時に顔面にボールが当たり誰かが倒れた。ボールの勢いは止まらず空に高く跳ね上がった。友樹が振り向くと倒れているのは那奈だと分かった。ボールを投げた相手チームの子が駆け寄り謝っている。ところが那奈は起き上がると相手チームの子が差し出す手を振り払い、さやかのもとに駆け寄ると、その顔を思いっ切り引っ叩いた。鼻血はシャツの胸元まで赤く染めていた。
「お前!私がケガするの分かってて、わざとボールよけたんだろ!」