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六話 溢れる慈愛と零れた悲哀

セリフ少なめ、シリアス回です。


  詩織と葵は、音々に別れを告げて店を出ると辺りはその青黒さをより一層増していた。

  今しがた居た店内での騒がしい雰囲気とは違い、あからさまな静けさとわずかな寂しさが二人を包みこむ。

  空気も先程とは違い少し冷たくなっていたが先の騒動の火照った身体を冷ますような、さらりと澄みきった寒さが心地よく感じた。

  詩織が見て喜んでいた三日月は、小さな雲に覆われその後ろで静かに微笑んでいる。

  二人は帰るのを惜しむようにゆっくりと歩みを進めると、葵の家と音々の店の中間辺りに位置する公園に差し掛かる。

  すると、詩織が何か思い出したように公園に入って行く。

  葵も入り口付近のゴミ捨て場を、横目に見て「回収日か明日は」と詩織の後を追い公園に入って行く。

  少し歩くとブランコの支柱に手を添えて詩織は立ち止まった。

  そして、かすかな風があごを持ち上げるように詩織は夜空を見上げる。

  何年もの付き合いがある葵は、詩織のそんな様子をよく目の当たりにする。

  というより一緒にいる時は必ずと言っていいほどよくあることで、いつからかその習慣も葵の一部になっていた。

  葵も口では興味がなさそうな感じだが、まれに見かける流れ星なんかを見ればやっぱり嬉しいし、感動したりもする。

  以前は、星は何光年前に爆発した光とか、月の満ち欠けは地球と月と太陽の位置関係によるものだとか、現実的な事しか言わなかった葵を非現実的な感性に少しだけ変えられたことを、詩織は灯に自慢した事があった。

  歩道橋での「嘲笑あざわらってるみたいで不気味」という表現も葵なりの心境の変化の賜物たまものだった。

  すると、黙って夜空を見上げていた詩織が静かに口を開く。

「こうやって、葵と星空見るの何回目だろ……」

  そう言って詩織は、後ろを振り返り葵を見つめる。

  葵も顔を下ろし詩織を見ると、薄暗い影を落としたその表情に違和感を覚える。

  はっきりとは見えないその表情だったが、僅かな光を受けて輝いてる潤んだ瞳が確かに見えた。

  問いかける事を拒否させるような、微かに見える表情は小さな雲の気まぐれであらわとなる。

  はっきりと詩織の悲しげな顔を見た葵は、自分の意思とは反した笑顔で答える。

「何回目かなぁ。この星くらい数えきれない……。は、大袈裟か。でも、これから先も氷海(ひみ)とずっと一緒に見るんだろうね」

  その笑顔を見て詩織はうなずき、安心したように葵に笑顔を見せる。

  何年も積み重ねてきた関係だからこそ言葉にしなくてもわかる事が、その笑顔の本当の意味が詩織には分かっていた。

  それは決して欺瞞ぎまんではなく、葵の心情からすれば本当の笑顔でなくても、自分を偽った笑顔であってもよかったのかもしれない。

  悲しい顔をして、そのこぼれ落ちそうな涙の意味を問い掛けることを葵はできなかった。

  目の前の親友の為、大切なその人の為に——

「よし、そろそろ行こっか?」

  そう言って詩織は葵の背後に周りこむと軽く涙をぬぐい、優しく肩に手を乗せる。

  葵は少しくすぐったいような仕草をするが、心地良いその手の感触は「もう、大丈夫だよ」と詩織が言っているような、安心感と優しさが感じられた。

「……そうだね」

  そう言って葵は、大きく呼吸をして外気に触れた白い息を吐き出すと、制服のポケットに手を入れた。

  ふいに動いた肩から、するりと滑るように詩織の手が、葵の首筋に触れる。

  その手の冷たさにピクンと反応した葵は振り返り詩織の右手を取ると、両手で包むように温めた。

「ありがと、葵。でも葵の首元も寒そうだよ?」

  詩織は巻いていたマフラーを外し、葵の首元に優しく、風が通らないように丁寧に巻いた。

  葵は少し照れくさそうにお礼をすると、瞳をとじてうつむき、巻かれたマフラーをそっと握りその暖かさを確かめているようだった。

  しばらく続いた静寂が、微かに葵の鼓動を高鳴らせる。

  そして、弱々しくかすれた声で葵は口を開く。

「氷海、私ね? 私……」

 詩織は俯き今にも泣き出しそうな声の葵が何を言おうとしているか分かっているようだった。

(分かってるよ……辛かったよね、葵も。そして沙織との——)

 詩織の身体が僅かによろめくが、気付かない葵は振り絞るように話しを続ける。

「聞いてたんだ。病院のこと……()()——」

  そう言って詩織と唇を重ねる葵。

  無意識に出た名前の意味を考える間もなく、勝手に身体が動いたなんて都合の良いものでは決してなかった。

  葵は自分の意思で考えて打ち明け、そして行動した。

  どれくらいの時間が経っただろうか。

  その数秒を何度も何度も繰り返しているような錯覚と、目前に作り出した暗闇の世界が葵の五感を狂わせる。

  それでも、葵と詩織の唇は柔らかく重なったままだった。

  暗く閉じたまぶたの先、詩織は何を思っているだろう。

  様々な思いを巡らせている葵の唇から徐々に離れていく詩織の唇。

「あ、おい……ちゃん?」

  その違和感を、一瞬で感じ取り唇を噛む葵。

  途端、悲愴ひそうな表情になり葵は愕然がくぜんとする。

  それはねてからの疑問を確信とするものだった。

  はたから見たらそこにいるのは確かに詩織と葵だが、自分を呼ぶその声を知る葵の目前もくぜんにいる彼女はそうではなかった。

  葵はそうだと解っていても信じたくはなかった。

  その詩織ではない彼女に葵は問い掛ける。

「どうして……沙織」

  優しく微笑み、柔らかいその声で彼女は答える。

「久し振りなのです。葵ちゃ—— 」

  言葉が途切れると同時に彼女は目を見開いて、瞼を二回、三回と素早く動かし最後に力強く目を閉じた。

  そして、頭の後ろで片腕を取り大きく伸びた彼女は深呼吸をして、葵に話しかける。

「すまんね。もっと早くに気付くべきだったよ。私としたことが」

  葵は確かめるように、そして何事もなかったかのようにもう一度、言葉を替えて問い掛ける。

「ど、どうしたの? 私、謝られるようなことされてないけど?」

  葵は話しながらも、そこにいるのはいつも通りの詩織だと本当は確信していた。

  それでも葵は詩織しか知らない、詩織からの答えを聞くまでその確信を信じられずにいた。

  葵は、自分の疑り深い心の弱さに心底ウンザリしていた。

「いやいや、マフラー? 寒そうだったのにって」

  詩織は、つい今しがた起きた出来事がなにも分かっていない様子だった。

  当然、葵の打ち明けたことやキスしたこと、自分が沙織だと認めたこと『その部分だけ』が綺麗に抜け落ちたように葵を気遣っていた。

  そんな優しい気遣いをしてくれた詩織に対して、自分の抑えきれない感情と自分勝手な動機で、詩織に変化を招いてしまったと思い込み酷く後悔する。

  最も詩織のことを気にかけ、危惧きぐしていた事の引き金を引いたのは他の誰でもない自分自身ではないかと、葵は後悔と情けなさであふれ出る感情を抑えきれず、身体を震わせむせび泣いた。

  そんな親友の姿を見て、放って置くはずもない詩織は何も聞かず、そして何も言わずうつむいた葵の頭を包み込むように抱き、そっと撫でると優しくなぐさめる。

「葵……大丈夫だよ」

  詩織の葵を思いやる無垢むくの言葉が、自分の愚かしさをより一層増幅させる。

  葵は詩織のその優しさに甘え、ただすがり泣くことしかできなかった。

  暫くの間、胸の中で泣いていた葵だったが、少し落ち着きを取り戻し、それを感じ取った詩織も包んでいた腕を緩める。

  葵は、腕の中からすり抜けるようにしゃがみ込み涙を拭い、両手で顔を覆った。

  そして、大きく息を吸い込むと、震えるようにその息をてのひらに吹きかける。

  何度か繰り返し、立ち上がった葵は僅かに暖かくなった掌を詩織の頬にペタっと当てがった。

  詩織はその手の温もりをもっと感じたいと、葵の手に自分の手を重ねて俯き瞳をとじる。

  そんな詩織を見た葵の顔は、先程の哀しさに満ちた顔は消え、飽和ほうわした優しさの溢れる笑みに変わっていた。

  すると葵は、少し力を込めて詩織の頬を挟むと口をもごもごしている詩織に、一呼吸置いて言う。

「ごめん。……ありがとうね、氷海」

  そう言って手を離した葵は、とても素敵に微笑んでいた。

  詩織もそんな葵の笑顔に応えるように、白い歯を見せ満面の笑みを返した。

  二人は互いに『好き』という感情を持ちながら、すれ違ったその感情をもどかしく思ってはいなかった。

  だが葵は沙織という存在に向き合わなければ、その想いをもう伝えられないのかと心の片隅で思っていた。


——夜更けも近くなり、二人は合わせたようにスマホと腕時計を見ると、思った以上に経過していた時間に慌てた様子で詩織が言う。

「こんな時間までごめん。おばさんに連絡しなきゃね」

  詩織と一緒にいる時間は、大切な時間だから気にしないで欲しいと、気遣う葵。

「平気。もう子供じゃないんだから、お母さんだって分かってるよ。にしても、氷海さんと一緒だと時間がつの早くて困りますねー」

  そう言って横目で見ると、困惑している表情をした詩織が葵の手を握る。

  突然手を握られた葵は困惑し驚いたが、すぐに照れたようにほころび、詩織の手を軽く握り返した。そして、二人は足早に公園の出口へ向かった。

  すると葵が入る前に見たゴミ捨て場に、ゴミが一つ増えている事に気付く。

  葵は泣いてる所を見られたかと気にしたが、入り口からも離れてたから大丈夫と自分に言い聞かせた。

  暫く手を繋いだまま歩く二人だが、先程の葵の皮肉の意味に詩織がようやく気付く。

「時間経つの早いって、楽しいからって事?」

「ん……。あぁ、今更か……。さぁ? どうだろ?」

  何を急に言い出すんだ、と思う葵だったがすぐに理解し、その場で解ってくれなかった罰として少し意地悪に答えた。

  談笑しながら歩く二人の手は、距離と時間を重ねるうちに徐々に強く握られていった。

  そんなささやかな幸せを憶えつつ、葵の家が見えると合わせてもいないのに二人の歩みは遅くなる。

  そして葵の家に着いた二人は、握った手の強さを惜しむようにその手をほどいた。

「今日はありがとね。バイバイ、葵」

「うん、またね」

  親友との長かった一日は、詩織の告げる別れで終わろうとしていた。

  詩織の背中をもどかしくも辛い眼差しで見送る葵は、このまま帰してもいいのかと迷っていた。

(沙織のこと……私、言わないと)

  自分が原因で詩織に変化をもたらしてしまったと思っていた葵は、このまま何も分からない詩織を帰すのは卑怯だと詩織を呼び止めた。

  そして葵は、心苦しい表情で口を開く。

「氷海っ! さっき沙織がまた。原因は多分、私だと思う……」

  振り向いた詩織は、表情を変えず瞳を下に向けて呟く。

「あそこでね……沙織とよく見たんだ、星。……だからかな、きっと」

 詩織は、辛そうな表情を浮かべる葵を気遣ってありもしないうそをついた。

  そして平気だと言っているように、葵に弱々しく笑顔を見せて詩織は帰って行った。

  詩織の寂しそうな背中を見えなくなるまで見送り、葵は玄関の中に入った。

  そしてドアにもたれて座り込みむと、髪をみだし唇を噛む。

 葵の長くしなやかな黒髪は、玄関のタイルに垂れ広がりその輝きを失っているようにも見えた。

  原因は自分の所為せいだと思っていたにも関わらず、詩織に対する保身の為か、葵は明瞭(めいりょう)としない曖昧な言い方をした自分に嫌気がさす。

「やっぱり卑怯だ……。私は——」


——葵と別れ一人家路をゆっくりと歩みを進める詩織は、家までの道筋で先程の葵の言った沙織の事、原因は葵自身だということについて考えていた。

(さっきといい、最近また記憶が途切れた感じがしてたのはやっぱり気のせいじゃなかったんだ)

 詩織は過去に発現はつげんした沙織という存在によって酷く悲観ひかんしていた時期があった。

 悲観していた理由として、沙織に入れ替わる際に予兆がなく、まばたきをする程の感じで入れ替わってしまうという事。

 そして、その間の記憶が無く詩織自身は何が起きても覚えておらず、時間の概念がいねんもない為、戻る際に沙織が移動していた場所に知らずに行ってしまうという事。

 簡潔に言えば、瞬きをしたら別の場所に瞬間的に移動しているような感覚である。

 最後に、詩織より葵が最も心配し危惧していた、沙織に替わっている時の詩織自身の身体的疲労、精神的な負担による憔悴しょうすい

 葵は過去に詩織のそんな姿を見ていたからこそ自分の時間が許せる限り、逆に言えば自分の時間を犠牲にしてまでも詩織を気遣っていた。

 そんな葵に心配かけまいと、その当時詩織は葵と距離を置いていた。

 それから詩織は、あかりと話し合い沙織と上手く付き合う為に受け入れる覚悟をしたが、ある時を境に沙織は忽然こつぜんと現れなくなった。


——詩織は葵自身が原因になり得る事、過去にあった出来事を思い出していたが思い当たる事はおろか、当時の記憶は途切れた曖昧なものだった為、頭を抱えていた。

(でも葵が原因って多分違うよね。葵がなにか言おうとしてたのは覚えてるし……。んー、わかんな——あれ? ……もしかして、原因って私、自身なんじゃ?)

 さっきまでの出来事を振り返って記憶の途切れた所が薄々分かってきた詩織は自分自身が原因になり得る事を思い返す。

(……ってことは、やっぱり三年前のあの夏か——)

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