一話 呼ばれぬ名前と小さな遺伝
冬に似つかわしくない風が吹き荒ぶ住宅街の一角に隣家と比べると少し古びた、とある家屋。
竹で編まれた低めの垣根、時代に取り残されたような古びたオートバイ、少し寂れているが使用感のあるウッドテラスと小さな庭。その庭に面した一階部分の一室に彼女はいた——。
「痛っ! ちょまっ、だあぁぁぁヒール! 葵さん? 葵ヒールて! また痛いの来るか……ら、あああああ!」
「あ(やばっ)、惜しかったー! 削りきれると思ったんだけどなぁ(普通に回復忘れてたねよ、これ)」
「惜しかった? あと30パーを削りきれそうとか脳筋ヒーラーの鏡ですね……」
「ま、まぁ普通の討伐クエだし? てか、ヒーラーだってDPS出したいじゃん? てへっ——」
「ぐぅかわ……」
市立布雪女子高等学校、通称『布女』に通う高二女子。
『氷海 詩織(十七歳)』
容姿端麗で頭脳明晰、その仕草、古いことわざを借りて言えば「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」……などと言うことは一切なく、そこそこ可愛い普通の女子校生。
どちらかといえば才気煥発で天真爛漫と言うべきだろうか。
お調子者だが憎めない、よくありそうなソレである。
お気に入りの大河ドラマに影響されやすく会話の|端々で独特な言い回しをすることがしばしばある。
さらりと艶のある褐色の髪は、幼い頃からの母親にカットしてもらっているショートボブ。
細く滑らかな鼻筋は先端にかけてピンと立っていて、その鼻に伴ったバランスのとれた大きさの瞳。
決して長いとは言えないがその瞳を主張するかのように控えめな睫毛。
細身でスタイルは良いが、小さな胸が悩みの種。
女子校ゆえに、男子と交流する機会は全然ないが本人は全く気にしてはいない。
尚、幼馴染みにされる塩対応が大好物というM属性の一面も持ち合わせる。
趣味は好きな事を見つけるとひたむきにやり込む節があり、最近はオンラインMMORPGにハマっていて、廃人とまではいかないが多くの時間をそれに費やしている。
ゲームが趣味と傍から見たら内向的だと思われがちだが、そんな事はなく人並み以上の社交性はあった。
今日も幼馴染みで親友の葵と、ネトゲ三昧の日常をただひたすらに垂れ流していた。
すると詩織はVC用ヘッドセットのマイク越しの葵に向かって、思いの丈をなんとなく愚痴る。
「——葵さん、葵さん? 私らの青春、こんなク◯ゲーに費やしてることについてどう思いますか? どう思ってるんですか? 聞いてますか?」
「んー聞いてるよ? そもそも、このゲームやろうって誘ってきたの貴女ですよ氷海さん?」
「ぐっ、ど、どんまいだ、葵ちゃん。でもアプデ前で暇なのは葵も同じなわけで……」
どこか含んだような詩織の話し方を察して、葵が切り出す。
「氷海はなにかしたい事でもあるの?」
「んー、女子会ならぬ女子オフ会とか?」
「うん、いつもしてるね。私と」
「いや、そうだけど——」
「そうなの」
葵は素っ気なくあしらってそのままゲームを続ける——
アップデート前ですることも大してない二人は見落としたクエストがないか延々と探し回ったが、無さそうだったので強化素材集めに勤しんでいた。
作業的な事が苦手な詩織に対して、ゲームに関しては何にでも積極的に参加する性格と、誘ってきた本人よりこのゲームにハマっていた葵がある提案をする——
「そうだ、氷海! レイドクエやってみよ! 私達もちゃんと挑戦できるようになったくらい強くなったと思わない!?」
「思わない。そもそもそのようなコンテンツは、私のゲームに実装されておりません。つか、あの惨劇をもう一度とか相当マゾいですね葵さん。いやマゾいさん」
以前は逆に、詩織の方から高難度のレイドクエストに誘ったが結果は惨敗。
それ以降二人の間でこの話題に触れる事はなかった。
このレイドクエストはギルドに所属している事を条件(ギルド同士の協力は可)とし、
ステージ1神獄がH1、D1かT1の2人Party※条件付き
ステージ2神界がH1、T1、D2の4人Party
ステージ3神域がH2、T2、D4の8人Party
と規定人数が決まっており尚且つ高難度コンテンツの為、条件を満たせない一部のユーザー(ぼっち、ギルド未所属等)は門前払いという酷い仕様だった。
◇H=ヒーラー、T=タンク、D=DPS
※ステージ1のみDかTに対応したボスに変化する。
二人には以前に設立したギルドがあり、身内だけでやるのが気楽なのでと加入申請は断っていたが、今となればそれが仇となっていた。
そんな事もあったので詩織は乗り気ではなかった。それでも葵は挑戦したいらしく、しつこく食い下がる。
「鍛え上げた私のヒールで、ちゃんと氷海のこと守るから! ね? ね?」
難易度そこそこの討伐クエストで、回復放ったらかしでDPS出したがり戦犯ヒーラーの、どの口が言うんだと思う詩織だが、モニターの向こうで目をキラキラさせているであろう葵を想像するとなかなか断れない詩織だった。
「つかS1はいいとしても、S2以降はどうすんのさ? ずっと二人でやってきたから仲のいいギルドなんて知らないし、野良の少数ギルドと協力したってたかが知れてるでしょうに。あとゲームごときにキラキラしてる葵ちゃんウザかわいいんだけど?」
「え? あ、うん、ありがと。とりあえずS1だけでも行ってみない? 今なら絶対多分クリアできると思ゔんだ!」
「いや、多分て……あと、どもってるから」
「——じゃあ、できる!」
乗り気じゃない詩織も影響されやすい性格と、葵の前向きな姿勢に押されぶつぶつ言いながらも重い腰を上げた。
「へいへい、わかりましたよーっと——の前に飲み物とってくるからしばし待たれよ」
そう言って部屋のドアを開け、廊下に出たところで弟と鉢合わせた——
『氷海 日向(十五歳)』
市立布雪北中学校に通う、中学三年生。
学校以外では家から殆ど出ず、一日の大半を部屋で過ごしPCが恋人というかなりの根暗ぶりを誇る少年。
姉の詩織ですらその生態を理解していないが稀に母親を部屋に招き入れる、というより母親がそんな日向を心配して遊びに来ても嫌悪する事もなく笑顔で会話できる程母親には心を許していた。
顔は美形だが目を覆う髪の長さが見た目をいかにもな雰囲気にしている。
しかし、その髪に隠された甘い仮面に気付いている女子生徒からは密かに人気はあったが、本人は当然気付く筈もなくそういった事に興味もなかった。
日向は夕飯の支度が出来たと、母親の代わりに呼びに来た。
「しお姉、ご飯……」
「お、おぅ。つか、日向は暗いねぇ? せっかくの名前が泣くぞ?」
そう言って、ぽんぽんと日向の肩を叩く詩織。
「人間関係とか面倒だから、根暗ぼっちでいい」
可愛げないなぁ、とそのまま一緒にリビングに向かい台所の母親に紅茶を淹れるよう促した。
「催促するなら自分で入れろよ、ったく。お前は飯どうすんだ?」
そう言って、持っていた煙草を口の端で咥えて紅茶を淹れる母親——
『氷海 灯(三十六歳)』
小顔に、違和感なくカットされたベリーショートの黒髪。
三十六歳という年齢の割に白髪は多いが、バランスよくカラーリングしたメッシュのようで本人は気に入っている。身長は高く、痩せ型でモデルのような体型。
だが荒い気性と、高校在学時に空手の全国大会二位という功績と、対戦した相手の記憶を忘却させる程、強力な上段回し蹴りにより『布女の見えざる鬼神』という二つ名を持っていた為、その立ち姿には異様な圧力があった。尚、詩織と同様に胸は小さい。
お酒は嗜む程度だが、煙草は見かけるたびに吸っているほどの愛煙家。
近所の洋食店の女店主とは学生の頃からの付き合いで度々飲みに行っては酔い潰されて帰ってくることもしばしば。
若くして詩織達を産んだが数年前に離婚している。
仕事は、海外に移住した兄から譲り受けた美容室を生業とし、女手一つで詩織達を育てている。
口は悪く、男勝りで、間違ったことをすると容赦なく殴る——当然、平手で。
そんな母親だが、詩織は灯を敬愛していた。
「ご飯? 後でいいよ。私は今から葵と死地に赴くからね、ここに戻ってくるのもきっと遅くなるだろう、うん」
詩織はそう言って頷くと、灯は眉間にしわを寄せて紅茶の入ったティーカップをカウンターに置く。
「なに言ってんだお前? 葵ちゃん元気か? たまには遊びに来るように言っとけよ?」
詩織はティーカップを手に取り、香りを味わい軽く返事をして揺れる水面を見つめながらゆっくりゆっくり部屋に戻った。
ティーカップをテーブルに置き、座椅子に腰掛けると詩織はヘッドセットを素早く頭に掛ける。
「——ただいま、いやー遅くなってすまんね」
「んー、暇つぶしにギルドのプロフとか設定を弄ったりしてたから平気だよ。てか、誰と話してたの? なんか知らない人の声が聞こえたけど」
右上に目線を傾けヘッドセットのマイクの位置を直しながら日向と灯と話してたと伝えた。
「あー、日向の声なんだ? 少し会わない間に大人っぽい声になっちゃったねぇ」
「そういえばさ、昔から葵って私のこと名前で呼んでたよね? なんで名字になったんだっけ?」
「……え? いや、忘れてるならいいよ」
気のせいか戸惑う葵。いろいろ聞きたい事もあったが時間も掛かりそうだったので、早速ゲームの続きに取り掛かかる。
葵と口頭で軽く打ち合わせをした後、大きく深呼吸して対象コンテンツをクリックしてスタートしすふらら
開始して暫く無言の時間が続く。時折使ってくるボスの強力な攻撃の際は、お互いに声を出して確認し回避する。すると二人は、妙な違和感を覚える。
前回挑んだ時のフェイズをゆうに越え、ボスのHPゲージが見えなくなっていた——
この見えないゲージはバグなどではなく、このレイドクエストの仕様上の演出で、後半フェイズに移行した際の緊張感を持たせる為という誰得仕様だった。
それもこれも「攻撃パターンさえ把握していれば簡単」、「いつ終わるか分からないのが逆にいい」という一部のユーザーの意見にしか耳を貸さないゴ◯運営との相乗効果の賜物で、特に改善されていないのが現状であった。
二人は、今がどの辺りの攻撃か声に出し合っていたにも関わらず、緊張感と焦りで視野が狭くなっていた為、撃破目前という事にすら気付かずにいた。
ボスの最後の強力な攻撃を避け、お互いのジョブの最大火力のスキルを使うとボスの体が崩れ去り宝箱が現れる。
「えっ?」もう終わったのかと、呆気にとられたように漏れる二人の声。
攻撃パターンは、以前挑戦する前にある程度は予習していた。武器も防具もその時より多少強化してたとはいえ、まだ二回目とは思えない明らかな指の違和感が二人を困惑させた。
「報酬は……っと。うん、ちょうど私と、葵の装備だね」
「いやー、お互い危なげなかったねぇ。氷海、全体攻撃以外ノーミスじゃなかった? 完全に脳筋ヒーラーだったよ私」
「うん。むちゃむちゃ緊張したけど、なんか簡単だった……」
詩織の意外な反応を疑問に思ったが、興奮冷めやらぬ葵は「もう一回!」その後も「もう一回!」と計五回プレイし、ようやく満足すると落ち着きを取り戻した。
二人は暫く話した後、いろいろと済ますことがあったのでその日はログアウトした。
「疲れたぁ」と頭の後ろで手を結び、座椅子に全体重を乗せるように寄り掛かかる詩織。
すると座椅子の留め具が変に止まっていたのか詩織はそのまま勢いよく後ろに倒れた。
手の甲を頭と床に押し潰されて痛さに悶える。
痛みも引き天井を見ながら詩織は、今日のレイド一回目の不思議な感じを思い出してた。
(まぁ、ランダムな攻撃だけちゃんと対応すればパターンゲーなんだろうけどあんなにも簡単になるもんかね?)
暫くそんなことを考えていると、気が緩んだのか腹の虫が勢いよく騒ぎ出した。
だが先程の緊張感のせいで、若干汗ばんでいた身体と手汗が気持ち悪いと先に風呂に入ろうとしたが、浴室からシャワーの音が聞こえたので仕方なくリビングに入ると寝ぼけ眼の灯と目が合った。
「お母さーん? 寝るなら布団で寝なよー、風邪引くよー」
「うううぅん、このドラマ見終わったらな。お前もあまり遅くに出歩くなよー」
気怠そうに身体を伸ばし唸る灯。
「いや寝てたじゃん! 全然見れてないし! 絶対、内容わかってないでしょ!」
「うん、わからん。やっぱ寝るかなぁ」
「うむ、よろしい! さってと、ごっはんーごっはんー」
夜に外出なんて最近はなかったので不思議に思ったが、日向の事かと思いそのまま台所に向かい晩飯の煮物をレンジに入れる。
ご飯を装っていると眠くなったのか、灯が立ち上がりリビングと台所に面したカウンターに手を着き覗きこむ。
「私寝るから火の元、気をつけろよ? あと流しの下にツナ缶もあるからな」
そう言ってリビングの隅にある仏壇に向かう灯。
仏前で手を合わせて暫く黙祷したあと「おやすみな」と言ってリビングから出て行った。
詩織はシーチキンをサラダに添えようと思い、流しの下にある引き出しを開けた。
するとポツンと缶詰が一つ置いてあり、詩織はそれを手に取る。
「猫缶にしか見えないんだが……。つか、うち猫いないし」
さすがに猫缶は食べれないと諦め、用意した晩飯をリビングのテーブルに並べて黙々と食べ始める。
テレビも点けず音楽もない静かな空間に、箸と食器の当たる音と、時計の秒針が小さな調和を創り出す。
食事を済ませお腹を満たした詩織は、手際よく片付け食器を洗い、先程の灯と同じように仏前で「おやすみ」と言ってリビングを出る。
浴室に面した洗面台がある脱衣所に行くと、日向が換気扇を消したのか湿気が充満していた。
「日向君……。姉上にこの狼藉、けしからんな」
詩織はぶつぶつと独り言を言いながら、全身が映るほどの鏡に付着した水滴を布巾で丁寧に拭く。
そして、服を脱ぎ露な姿で鏡の前に立ち、胸に手を当て口を尖らせる。
「この胸も、けしからんなぁ……」
カクンと頭を落とし、がっかりした様子で浴室に入る詩織。
震えながらシャワーの栓を開け、お湯になるまでの間に顔を洗う。
すると温まったシャワーのお湯が床に打ち付け、もくもくと湯気を立て詩織の身体に絡みついた。
シャワーヘッドを取り身体の汗を満遍なく流す——
そして栓を閉じ、そのままバスタブの蓋を半分ほど開けると湯船と蓋の間に溜まっていた湯気が苦しいと言わんばかりに詩織の身体を覆った。
それを特に気にするでもなく湯船に浸かり、天井を見上げ呆然とする——
そして再び胸に手を当てて思う。
(——高二でこれってまずくない? 葵はそこそこあるし。遺伝なら……絶望的だな)
苦虫を噛み潰し吐き出そうとしたら間違えて飲み込んでしまったような表情の詩織。
すると急な眠気が詩織を襲う。
うとうとしながら一日の疲れを癒していると、いつのまにか眠りに落ちていく——
身体が徐々に滑り、湯船に顎が浸かると同時に驚いて顔を上げ、首を大きく振った。
「——これは駄目だ」と詩織は急いで身体を洗って風呂を出る——。
そして、部屋に戻り糸の切れた操り人形のように布団に倒れこむが、寝る時にいつも側に置くスマホを忘れた詩織は、テーブルに身体を伸ばしスマホに指先を引っかけ手繰り寄せるように手前に弾く。
すると、テーブルから勢いよく滑り落ちたスマホが、詩織のおでこ目掛けてクリティカルヒットした。
「ぐおお……き、貴様よくも……」
ぷるぷると、怒りに震え痛がる詩織。
しかし寒さと眠さとアホくささとで、すぐに我にかえる。
瀕死の芋虫のようにもぞもぞと布団に潜りこみ点けたスマホは0時26分と葵からのメッセージ通知を表示していた——。
あおい{今日はおつかれー}
あおい{明日はS2練習だよ?氷海も}
「へいへい、おつかれーっと。明日……は——」
葵に返事を送信したのか、する前なのかわからないまま視界は暗闇に包まれた——。
「くー……くー…あお、い……スー」