優しいままでは終われない 【改稿版】
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──幸せが逃げていく気がした。
少年はそう嘆息したが、己が心を封じ込めるかのように小さく頭を振る。
風が髪の合間を通り過ぎ、耳元でヒュッ、と鳴いた。
或いは、梟の薄幸の音でさえも。
それらを耳に入れながら、少年はコンクリートの床を静かに踏みしめて歩いて行く。靴の音を小さく響かせて。
海風香るコンテナターミナルの一角を歩きながら、とある男との待ち合わせ場所を脳内で反芻していた。
辺りを執拗な程に見回しているその様は、まるで何かを警戒しているかのよう。
……今のところで目に付く異変というものは無いが、何れにせよ、油断ならない。
歩を進めて行くと、闇に融け込むようにして佇んでいる1人の人影が、少年の視界に入り込んだ。
……ゾクリ、と背筋に寒気が走ったのを、少年は直に感じた。
しかし、ここまで来て引き戻れはしない。遂行しかないのだ。
千切れ雲が流れ、隠されていた月の輪郭が露わになって行く。
天然のスポットライトに照らされたその男は、白髪混じりの、50代も半ばと思える顔付きだった。
少年を警戒するように佇んではいるが、何かしらの行動を起こそうとの意は感じ難い。まるで、全てを受け容れようと言わんばかりに。
10秒、20秒、30秒──そうして、幾らかが過ぎた時。少年が、漸くと行動を起こした。
内ポケットから取り出されたそれは、.44口径。
少年はそれを数メートル離れた先の男へと──己が父親にも関わらず──静かに照準を合わせた。
小さく息を呑む音が、辺りに響いた。
それすらもお構い無しに、少年は撃鉄を起こす。カチン、という無慈悲な金属音が、辺りに響いた。
弾倉が回り、銃弾は常時発射可能な状態になっている。引き金を引くだけで、命が1つ、無惨にも散って行くのだ。
トリガーガードに掛けている指は、心做しか震えている気がした。
しかし、銃口は父親へと向けたまま、少年は小さく口を開く。
「──カルト宗教団体。人身売買、人体実験諸々の違法行為。それに対しての政府機関と民衆を混乱させるためのプロパガンダ。免罪符なんて与える気にもならないな」
こんな人間に免罪符など──下らない。所詮、少年の中で統率者を見逃すことなど、空理空論でしかなかった。
少年も依然として組織に名を残しているのだが、それは彼の意思とは別物だ。
「自分の息子だからと甘んじてたのが運の尽きだ。地位を与え、情報を与え──。それを横流しされることすらも、考えてなかったとは。……いやはや、実に愚かな」
皮肉を隠すこともせず、少年は己が父親へと静かに語り掛ける。終いには、「……ハッ」と小さく冷笑を零した。
初めて明かされた真実。
同胞の裏切り。
目の前に迫る死。
父親は何を思っているのだろうか。少年は、それが気になっていた。心の何処かに引っ掛かっている、形容し難い、この感情が。
「御生憎様だが、俺はこれ以上と加担するつもりは微塵もない。何せ、組織の崩壊を約束に……国から幾ら入ると思う? ……百億だ。アンタが違法に使い込んだ金より、遥かに多い。結局、そんだけの組織だったってことさ」
言い終えるが早いか、少年は引き金に指を掛ける。
最後の最期まで、彼の想いが少年へと伝わることは無かった。
しかし、少年からすれば、そんなことはどうでも良いのだ。
「さて──」
耳を劈くといわんばかりの鋭い音が、辺りに響いた。音源である銃口からは硝煙の匂いが立ち込め、それらは静かに空気へと溶けていく。
1つの鈍い音も、それに連なるようにして響く。少年はそれを睥睨すると、口の端を歪めて呟いた。
「──さようなら、だ」
もう既に聴こえてはいない。育てられたという恩はあるにしろ、父親の行っていた数々の真相を知ってしまえば、行った行為などはほんの通過点にすぎない。
懐に入り込む巨額の富。
カルト宗教団体の崩壊。
父親の暗殺。
最早少年に、慈悲などは無かった。
……否。無かったと言えば、嘘になる。
殺したのだ。自身の思う『義』を遂行するために。
富などは、付属品でしかない。
ポタリ、と水滴がコンクリートの床に落ちた。
それは少年の心か、父親の心か、はたまた神の心か──。
何れかを形容するかのように、雨は豪雨へと変わってゆく。
少年の身体は、静かに闇へと融けていった。
──優しいままでは、終われない。
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