叶わないから、夢でした。
これまで何度さよならを言っただろう。それはさながら、初夏に澄み渡る薫風にも似た、そんな柔らかな別れだったはずなのに──いつの間にか、晩夏の涼風にも似た、そんな冷ややかなものに変わっていたらしい。
片恋に貴女を想う僕の気持ちは、きっと、この程度だったのでしょう。だからこそ踏ん切りもつかないままに、この恋慕にさよならを告げることも出来やしないままに、何度目かの九夏を共にして、その死際を迎えた。
──貴女の淡い色彩が、僕の世界を幾重にも彩っていく。透き通るような髪の毛も、八面玲瓏たるその瞳も、玻璃にさえ紛うような半透明の肌も、全てがみな、これ以上ないほどに愛おしいものに思えて、そうして同時に、これ以上ないほどに、恐ろしかった。
だからこそ僕は、手を伸ばしてしまうのだろう。愛しさへの愛別に耐えることができないから、怖いもの見たさのそれを否定することもできないから、ただ無心で手を伸ばした。この夏で何度も出会った彼女と、指先がほんの僅かにだけ触れ合う。その感触も僕は、知りすぎる以上に知りすぎていたのだ。
──指先が空を切る。厚いカーテン越しに、薄ぼけた曙光が洩れて顔を覗かせていた。いつの間にかこの六畳間は、全てが死んでしまったかのような、そんな静謐で満ちている。僕は思わずタオルケットを抱き寄せて、今朝をようよう遣り過ごそうとした。
ふと、耳が痛くなるような森閑のなかに、古いエアコンが呼吸する音色を聴く。それは細細とした吐息のような──まるで心臓が締め付けられるようで、心苦しい、いかにも晩夏にはお似合いのものだった。だからだろうか、目尻のあたりが、心做しか生ぬるい。
──否、きっとそれは、先程の夢のせいだ。幾度も幾度も見せ付けられた、僕の心の奥底にある愚蒙、さよならすらも満足に言うことのできない、僕自身の哀れむべき一端そのものに過ぎないのだ。だから夢から醒めてしまった。願いは所詮、願いでしかなくて、またしても叶わないから、夢でした──。