それだけで伝わった
──懐かしい声が聞こえた。
眩い白い光の中で。「おいで」って。
誰の声だったかな。思い出せるようで、思い出せない。
優しげで、柔らかくて、温かくて、何処か安心できる声。
でも、懐かしく感じると同時に、胸の奥が締め付けられるような感覚に陥る。
──記憶の隅々まで思考を廻らせる。
脳内にフラッシュバックした映像の中にあったのは、病棟。そこの、一室。
幼い少年がベッドに寝かされている。酸素吸入器が装着つけられていた。
呼吸も荒い。顔色も悪い。肌にも、疲労の色が多分に滲み出ている。
「……悠くん」
呟き、そっと手を握る。
ゆっくりと動いた少年の視線の先は、悲哀に顔を歪ませている幼き少女。
今にも泣き出しそうで、でも、それを必死に堪えている。
──見覚えがある。幼い頃の私だ。
それを自覚すると同時、更に深くの記憶が呼び覚まされていく。
……嗚呼、思い出した。思い出して、しまった。
忘れていた過去を。
開けてはいけないパンドラの箱。
忘れ去ろうと必死に心の奥底に封印した、彼の存在を。
思い出したくない。けど、忘れたくもない。
何で。如何して。あれから数十年が過ぎた今になって──。
「……忘れないでいて。僕を」
部屋に響いた、弱々しい声。
「……うん」という、澄んだ鈴のような、それでいて、力強い声。
──そっか。彼が来たのか。十数年ぶりに、此処に。
いや、正確には……迎えに来た、のかな。
優しい彼の声だけが、私の脳内に響く。
「まだ、此処に来るのには早いんじゃないの?」
背中に感じた、フワリとした暖かい感触。
振り返ってみても、そこには誰も居ない。
只只、声だけが響く。
「言ったハズだよ? 僕の分まで──って」
首元にまで伸びた、柔らかい感触。
「如何して君が僕を思い出したか、それが何を意味しているのか──。よく考えてご覧?」
脳に響いているはずなのに、耳元で囁かれているような感触。
「……如何に離れていようと、君はもう大丈夫。僕が居なくても平気だ。
何故なら、必死にその存在を己が心から殺そうとしていたんだから」
ヒュッ、と喉が鳴るのを感じた。
瞼から落ちる珠は、頬を伝い、地を染む。
心が張り裂けんばかりの心境。
今にも抱きつきたいのに、その温もりを、自分から直接感じたいのに──。
「……君の気持ちは、それだけで伝わった。
だから──戻れ。今、来るべきは此処じゃない」
彼のその言葉を最後に、身体がフワリと何かに包まれながら舞い上がる感覚がして──
次に見たモノは、病室の天井だった。
──それだけで伝わった。ありがとう。