第5話 冤罪
「何なんだよあれ!」
恐怖と緊張から、シンクは車内としては大きすぎる声を出す。
シンクとは対照的に、リンとリッカは冷静だった。
「シンク、次の道を左だ。曲がったらスピードを落とせ。もう連中を振り切ってる。この速度は警察に見つかるとまずい」
「え!?あぁ……はい」
リンの言葉で、シンクは落ち着きを取り戻す。
逃げることが最優先で、ずいぶん無茶な運転をしていた。クラクションを何度鳴らされただろう。これ以上の同様の荒い運転は、敵に位置をばらすに等しい。
「リンさん。これからどこに向かう?」
後部座席に寝転んだリッカが、助手席のリンに尋ねる。
「連中の正体によるな。部屋で何があった」
リッカはリンに、まず襲撃者の服装について話した。
「特殊部隊のような……か。少なくとも自治区組織の、じゃないな。そうなら私が認識している」
「同盟他国の線も薄いですよね。特殊部隊を送り込むなんて外交問題になりますし……。なら自治区と仲の悪い共和国本国?いや、もしかして帝国……?」
シンクも敵の正体について意見を述べる。
リンは自治区内でもかなりの立場にある。存在を快く思わない組織に狙われても不思議ではない。同じ国ではあるが、たびたび自治区といさかいを起こす共和国。暗殺組織を持つ帝国もあり得る。
「私が狙われる理由は枚挙にいとまがないが、『この』私を殺すなんて無駄をする国はないと思うが……」
二人の会話に、リッカは根本的な勘違いがあるとわかり、割り込む。
「狙われたのはリンさんじゃないよ。連中、シンクがどこにいるか聞いてきたから」
「え、自分!?なんで!?」
予想外の発言に、シンクは驚愕する。
シンクは平々凡々な一般市民だ。政治、軍事、経済、どの分野にも影響力を持たない。あえていうならば、リンとの関係の近さから人質としての価値だが、だれを人質にしても対応を変える人ではない。
「あー……あと、簡易予測がどうとか言ってたかな」
リッカは追加の情報を出す。
その情報が、特定に重要なピースだった。リンはそれを聞いてすぐピンときた。
「……遡行監理官か……!」
シンクはその単語を聞いたことはあったが、どんなものだったかパッと出てこない。
リンはシンクの様子を見てか、説明を始める。
「ラプラスの運用は二つのことが想定された。他国の機密を握って利用する外的なもの。そして過去の犯罪を明かす内的なもの」
「未来で起きる犯罪を防ぐってのが創作じゃ定番ですけどね」
「未来予測は物理的、魔法的にも不可能。だが過去なら、時間をかければすべてがわかる。計算速度が時間の経過という速さを超える必要がないからな。このため、過去の重大犯罪の解決が期待された。それを実行するのが遡行監理官だ」
シンクはリンの説明で、頭の隅にあった情報を思い出す。
「でも、遡行官が何で自分を」
シンクは自分を見る二人の顔を見て、慌ててかぶりを振る。
「じ、自分は何もやってないですからね!」
「わかってる、そんなこと。でも連中が追ってくるとしたらそれしかない」
まずい。このままでは冤罪は免れない。しかも、あれほどの部隊が動くなら重大事件の犯人に対してだ。
シンクは、全く身に覚えがない罪で、殺すもやむなしの襲撃を受けていることに恐怖を覚える。
「計算補完システムに問題があるのかも」
助け舟を出したのはリッカだった。
「それってリッカが開発した?」
「うん。ラプラスが、十ヵ月前以前を計算できなくなってる原因不明の障害を回避するため、計算補完を行うシステム」
十ヵ月前の大陸歴一〇〇六年六月、四国同盟が共同で運用するラプラス三基のうち一基が停止した。
三基のラプラスにはそれぞれ異なる役割がある。
毎日観測を更新し、現在から前日に起きた出来事を知る『今』のラプラス。
限定的で不完全ながらも、ある程度の未来を予測し、望む未来に誘導するヒントを示す『未来』のラプラス。
時間をさかのぼり続け、過去の事件、いずれは遠い歴史を知るための『過去』のラプラス。
停止したのは『過去』のラプラスだった。
一度停止したラプラスは、何度試しても六月以前にさかのぼれなくなっていた。停止前は、一〇〇六年六月以前を計算できていたにもかかわらず。
それを解決したのがリッカだ。計算の負荷が原因だと仮定して、計算を補助するシステムを作ったのだ。実は前々からラプラスの能力向上のため作っていたシステムで、原因があっているかはわからないとリッカは言うが、解決できていることから、卓越したシステムだとわかる。
リッカはリンにも届きうる研究者だ。本当ならリン同様、ラプラス連に所属していてもおかしくない。
話を戻す。
「計算補完が過去をゆがめるなんてあるのか?」
「わからないけど……、本当の過去にあるのに、ラプラスの計算から抜け落ちたものを補完した結果、ラプラスの過去が事実からゆがんだと考えれば……」
リッカの発言に、リンが疑問を挟む。
「でも些細な抜け落ちで、シンクが命を狙われるほどの存在に変わるなんてあるか?一緒に暮らし始めてから、事件どころか事故にすら遭ったことないだろう」
小さな出来事が大きなうねりを起こす、バタフライエフェクトというのもあり得る。
だが、あの狙われ方は、大量殺人犯以上のそれだ。シンクは何があってもそうなる性格ではない。しかしリッカが、唯一の例外に言及する。
「七年前なら……」
「それはないだろう。過去のラプラスは一〇〇六年の六月で止まっていた。今は再計算中で、七年前までさかのぼれていないはずだ」
リンがリッカの考えを否定した。リッカはそれに首を振る。
「七年前に帝国から接収した試験基がある。あれはその後動かなかったけど、私はシステム本実装の前、確認のため組み込んだ。もしそれが動き出して、遡行官が使ってるとしたら……!」
リッカの予想に矛盾はない。シンクはそう思った。
「……全部、私のせいだ」
リッカはうつむいた。