第1話 現実の中の平穏
少年は思いっきりドアを開ける。
「起きろ――!リッカ!もう昼だぞ!」
かわいらしさのかけらもない、書類だらけの部屋の中に、ベッドの上、布団に包まれた物体が一つ。
少年はその中に隠されたものの正体を暴こうと、布団を引き離しにかかる。
「もう起きるって言って部屋から出てこないのも朝から三回目だ。さすがに四回目はないからな」
ささやかな抵抗むなしく、布団ははがされる。
中から現れたのは、長く痛みのない黒髪。眩しそうに開かれた瞳は大きく、人の注目を集める。総合的に端整な顔立ちといえるだろう。体型は同じ十九歳と比較して平均的。
そんな正体、夜更かし少女。もといリッカ・ハイランスは少年に不満を漏らす。
「もう少し寝かせてよシンク。寝るのが私の唯一の楽しみみたいなものなんだから……」
このやりとりもいつものことなのか、シンクと呼ばれた少年はリッカの言葉を聞き入れない。
「朝食が昼食になるぞ――。一食減るぞ――」
「……起きる」
シンクの耳元でのささやきでリッカの起動スイッチが押される。この少女は寝る以外にも、食べることが好きらしい。
リッカはまだ異性が部屋にいるのを気にせず、寝間着から普段着に着替え始めた。
「……まだ、部屋にいるんだけど」
目線を外しながら、リッカの恥じらいのなさを注意する。シンクとしては、三大欲求の残り一つというものがこの世界にあるということにわずかでも意識を向けてほしい、と心配になる。
「別に減るものじゃないし」
「こっちの精神がすり減る」
「もう、見慣れてるでしょ?」
不敵な笑みを浮かべる少女を見て、やれやれとシンクは部屋を出てキッチンへ向かう。
リッカと同じ十九歳のシンク・アコライトは、平凡な少年である。灰色がかった髪はは珍しいが、容姿は地味。やや筋肉質ではあるがそれも普通の域を出ない。リッカの隣に立てば、存在感はかすむ。
シンクは、他の十九歳男性が恐らくそうであるように、料理があまり得意なわけではなく、その点も平凡だ。それでもシンクが、この家における主な料理人である理由は一つ。同居人の二人がもっとできないのだ。単に料理下手という意味もあるが、料理する暇もないという意味のほうが大きい。時間さえあれば、今のシンクの腕前など、あっという間に超えてみせるだろう。
「さて、どうするかな……」
冷蔵庫の中身を見ながら、作る料理を考える。
リッカの朝食は、シンクの朝食と同じものプラス買い置きの市販のパンどれかでいいが、ついでに、今家にいない同居人のための弁当を作ろうとしていた。この弁当、ある理由があって、中身には下手なものを入れられない。
肉と野菜の炒め物でいいか、とシンクはパック入りの肉に手を伸ばした。
リッカは黒を基調とした服に着替え、部屋から出てきた。恥じらいはあまりない少女だが、それなりに人の目は気になるらしく、身だしなみをきっちり整えていた。その間に、シンクは料理を終えていた。
リッカは、自分の朝食が置かれたテーブルに座る。
「いつもより早く起きたな」
シンクの言葉にリッカは少しムッとする。
「いただきまーす」
食べ始めたリッカを見て、シンクは肩に水筒をかけ、弁当袋と車の鍵を手にする。
「じゃあ、自分は学園に弁当届けに行くから」
靴を履き、ドアを開け、いってらしゃいの声を背にしながら、家を出る。
シンクたちの住むマンションは、鍵に自動ロックや指紋認証を採用している新築の物件だ。それでいながら、歴史ある街並みにもなじむ、こだわられた外観である。なかなかの高層だが、周りも当時にしては高い建築なので、そこも問題ない。
新しい建物、ビルなどは郊外に多く、中心に近づくほど時代をさかのぼる。シンクは、機能性を追求した郊外よりも、人のぬくもりがある気がする旧市街のほうを好ましく思っていた。しかし、先端技術の利便性には抗いがたい。両方を兼ね備えたこの家は理想的だった。
シンクは、車のエンジンをかけて、町の中心部を目指して走らせる。目的地はこの都市の中心にある。