力が重ならないはなし①の2――力に電《しび》れるはなし
「罪人紫柴刃に、西州仁が裁きの罰を与える」
突如、少年の頭に雷が落ちる。
電流は体表を通り吸引力に吸収されたため、刃の命に別状はなかった。
「いっっってえええええええ?!」
しかし、雷そのものをなかったことにはできない。
皮膚が焼け、痛みのあまり刃はうずくまった。
額から右頬、右首、右肩、右腕、とたまたま吸引力を持っていた右手へ流れる樹状の稲妻の痕が痛々しく残る。
「おかしいのお、どんな力持ちでも一撃で葬れるというに。変な風でも吹いて逸れたかの」
透き通る声と共に刃の元へ舞い降りてきた仁という人物は、背の高いシルクハットの下に袴姿という、不釣り合いな格好をしていた。
着物は男性用であるが髪は長く、またシルクハットの陰に隠れて顔も見えづらいため性別はわからない。
「冥土の土産というやつじゃ。そなたの最期に妾の姿を見せたるわ」
誇示するように一回転すればフワリと羽織の肩から先が靡き、綺麗な円が描かれた。
「それに、この距離なら外さぬ」
袖口が刃の方を向いてピタリと止まる。布の中に手は見えず、何か別の物が目を眩ますほど強く光っている。
思わず目を覆った刃の手の中へ、次元を裂かんばかりの雷光と爆音が吸い込まれていった。
いやに乾いてひりついた空気が静寂を包む。
まだ刃は立っていた。息をしていた。
相手の力が単純に強いが故に、純粋な電力となり吸引力に収まりやすいのだろう。
片や相手が生きていることに、片や自分が生きていることに、それぞれ違う意味で驚いていた。
「ふむ。まだ地には着かぬか」
内心、刃は他の力持ちを甘く見ていた。
あの例の男性におだてられたせいでもある。
自分は誰よりも強い力を持つ上、吸引力のおかげで、相手に触れるだけで勝てると高を括っていた。
実際は触れるどころか近寄ることすらできやしない。
そもそも力持ちの力が、こんなとんでもない力だなんて思ってもみなかった。
自分の中に、これよりも強い力が眠っているなんて到底期待できない。
力の使い方さえわからないのに。
「あの人は、どこに」
もう一度、合わなければならない。
今はそれどころではないことがわかっていても。
それでももう一度。
半信半疑で聞いてしまった話を、今度は真剣に聞いて、疑問を全てぶつけねば。
「あやつなら、もうこの世におらん」
仁が吐き捨てるように教える。
この短時間で刃にとって信じられないことが重なっていく。
ついさっきまで一緒にいた人が死んでいるなんて。
「逃げ足が速い上に、隠れるのが上手くてな。そなたが捕らえていてくれたお影で、ようやく巡り会うことができたわ」
その言葉を、刃は自分がいなければあの男性は死ななかったと解釈し、重い責任に潰れそうになる。
やはり間違っていたのではないか。
死と引き換えに吸引力を託した相手はこんなにも情けない、たった一人も倒すことができない、凡人だ。
そもそも何が起きているんだ。
「あの人が何をしたんだ」
息と共に思考が漏れた。
「……あれは」
「元罪」
「あらゆる罪を生み出す者」
ちりん、ちりん、と鈴の音が鳴るように言葉が重ねられる。
「全ての罪の中心に立つ者」
「悪そのもの」
「何をしても償うことはできぬ」
「決して許されぬ」
「ならば早急に消し去るしかあるまい」
わからなかった。
刃の目から見ればあの男性は普通の、いや、少し汚いだけのおじさんだった。
少し強引な性格ではあるものの、誰かからこれほど強く恨まれるとは到底思えない。
人違いではないのか。
「また、その元罪に接触することも罪じゃ」
刃には一つ気になることがあった。
あの男性が消えたとき、消えたあとも、自分以外に向けられた雷の光を見ていない。
まだ殺されていないかもしれない。
それならばこれは――気を逸らせるための与太話……!
「恨むでないぞ」
刃のすぐ後ろでアスファルトが盛り上がり、割れた。
割れた破片の隙間の中で光が収束する。
間一髪、吸引力を光源へ向けて構えるのが間に合った。
全ての雷撃が余すことなく吸引力の中へ落ち着いていく。刃本人にダメージはない。
死線をくぐり抜けたことで、刃の吸引力の扱い方は急激に上達していた。
「……流石に。三度も効かぬと興が醒めるわ」
深く被り直したシルクハットの下で、言葉とは裏腹に仁の口角が楽しそうに持ち上がる。
「お主、もしやこちら側の――いや、よい。仕切り直しじゃ」
「今回のところはこれにて解散。もう出会うことがないよう祈っておれ」
野良犬を追い払うかのように手を振った。
もう殺意は感じられない。
「しかし優れた力というのは目立っていかんな」
首を傾げて考え込む姿は、奇抜な格好ではなく奇妙な喋り方もしていなければ普通の少女のようにも見えなくはなかった。
刃も重くなった頭を傾ける。
決して、仁を真似たわけではない。
雷が放たれる直前、強く光を集めてくれたおかげで刃は反射的に対応することができた。
凡人な刃でも反応すことができた。
ならばその後に生まれた更に強烈な光と音に、刃よりも優れる一般人が気付かないのはおかしい。
なぜ誰もやってこない。
野次馬の一人や二人くらい来てもおかしくないだろう。
そもそもなぜ誰もいない?
さっきからずっとそうだ。不自然なほど人を見ない。
「人払いしたに決まっておろう。一般人を巻き込むわけにはいかんからな」
思考を巡らせている間に仁の口から溢れた疑念を、電光石火の如く速さで掬われる。
「普通の人間なら無意識の内に嫌悪感を抱く電磁波を、ここ一帯に発しておる。誰も近寄らんし近寄れん」
「じゃから元罪も、お主も、普通の人間ではないということを肝に銘じておけ」
仁は背中を見せると袖を振った。
「もし周囲から人間が消えたなら、即刻逃げることじゃな」
もはやそこに敵意はなく、労られているようにすら感じられる。
完全に油断させたところでまた不意を突く作戦なのかもわからない。
刃はポケットの中にある拳銃を握る。
たとえこの場を見逃してもらえたところで、今後また襲われる可能性はなくならない。
人がいなくなるという前触れがあるにせよ、気付いてからでは遅すぎる。姿が見えないのでは対策の立てようがない。
ならば目の前にいる今の方が勝てる確率は高いのではないか。
早くしないと仁が去ってしまう。
それよりも、ずっと立ち止まっていて不審感を抱かせては元も子もない。
迷っている暇はない。
自分のことを人間扱いせず何度も殺そうとしたこの相手もまた人間ではない。
そこに罪悪感は生まれない。
拳銃を取り出し、すぐさま引き金を引く。
銃の扱いは初めてだが、時間をかけて狙いを定める必要はないだろう。直感に任せた方がビギナーズラックは上手くいく。
銃声が鳴ったとき、仁はまだこちらに背中を向けたままだった。
いくら人を一撃で殺せるだけの化け物じみた力を持っていても本体は人間。もう避けることは間に合わないだろう。
再び銃声に似た破裂音が鳴る。
それは刃の手の中からではなかった。
「遅いわ」
真っ直ぐ飛んだ弾丸は虚空を貫く。
すぐ隣から脳を痺れさせるような攻撃性を含みながらそれでも綺麗な声が聞こえた。
全身の毛が逆立つ。
「幻滅させてくれるな」
「やはり罪人は罪人に過ぎぬか」
拳銃が手からするりと抜き取られ、弾けてバラバラに分解される。
いとも簡単に、命を奪える武器は取り上げられた。
「お主の力は想像つかぬが、全ての電気がその手に流れるのを見逃してはおらぬぞ」
攻撃手段を奪われただけでなく、防御方法まで見抜かれている。
この戦いからはもう逃れようがない。
刃の足も動かない。
「陽から陰へ。電流で心臓を直接撃ち抜けば、防ぐ術はなかろう」
仁の両袖が刃の体を挟み込み、その片腕が光り唸る。
もう片腕がそれを受け止めようと待ち構える。
二本よりも一本の方が速かった。
力の発動が止まり、今にも鳴り響きそうだった雷が収束する。
刃の手が、仁の首に触れていた。
普通ならばそれだけで殺人をやめる要因にはなりえないだろう。
それでも仁が中断せずにいられなかったのは、それがとてつもなく不快であったからだった。
違和感の正体は刃の手の平と仁の首の間にある吸引力というカプセル。一見するとピンクローターにしか見えない。
今も首元で小刻みに震えるそれがただのアダルトグッズだったならば、いくら振動が不愉快であれ、華麗に無視できるものだったに違いない。
しかし力が奪われているとなると話が変わる。
「なるほど、なるほど。なるほど!」
すぐに現状を理解した仁に不快感を超える高揚感と興奮が覆い被さった。
「あやつの気持ちもわかるわ。なるほどこれは確かに、愉快であること極まりない」
中断していた攻撃が再開される。
「お主への無礼を詫びよう。最初から全身全霊を傾けて応じてやるべきじゃった」
吸引力の震えが大きくなる。
「罰を乗り越えた先で再び相見えたならば、真理へ至る同じ道を歩もうぞ」
吸引力による力の処理が追い付かず大地までもが振動を始める。
「罪人、紫柴刃に! 西州仁が裁きの罰を与える!!」
嘘付き嘘付き嘘付き嘘付き、吸収できない吸収しきれない止められないじゃないか。
勝利を掴んだ気でいた刃は吸引力の持ち主に向けて届かない文句をぶつけることしかできることがない。
光が放たれる。
地響きを超える雷鳴が少年の体を包んだ。
未だ、紫柴刃は自覚しない。
吸引力に常に触れていても失われないほど強大な己の力を。