8
時間は既に日付は変わった深い夜。
西大城門の城壁では見張り番をしていた兵士が月明かりを眺めていた。
雲が満月を隠そうと集まって来ると、月はそれを払い退けるかのように息を吹きかけて遠ざける。
そのやり取りを可笑しそうに見張りの兵士が見ていた。
「いい月夜じゃねえか、なあタス」
「ん……ああっ良い夜だな、もう少し暖かけりゃあ良いんだがな、次からは防寒具がいるな」
そう言いながら静かな夜を過ごしていた。
眼下には街道が長く北西に向かって伸び途中で西へと方向を変えている。
月明かりでくっきりと浮かび上がる曲がりくねった道以外、周りは全て深い森しかなく、あとは遙か遠くには連山の形が陰影となって見えるだけの静かな夜だ。
積雪の季節に入るかどうかは、連山の頂きが白くなればそろそろこの辺りも降り始めるんだなと判断していたが、山の頂きが見えないのでやって来る冷たい風を受けてそろそろだなと、二人の兵士は語り合っていた。
「昨日の騎士団達の行き先を知ってるか?」
タスが昨日の出陣について話をしてきた。
「ああ、何でも街道沿いにある小さな宿場だろ、リザードマンが出てそこの人間が全員襲われたとかって話だな」
「それだよそれ、おかしくねえかこんな森にリザードマンだってよ、いるわけねえだろうこんな所に、大方盗賊と見間違えたんだと俺は思うんだがな」
「だけどよ、盗賊やリザードマンぐらいでわざわざ騎士団が出向くなんて大げさだよな」
「まぁ、仕様がないんじゃねえか、警備隊が五十人近く帰って来なかったんだ、ここ最近じゃ大事件だしなぁ、騎士団も体が鈍ってるから良い運動になるだろうさ」
二人は下らない雑談で笑いながら夜が明けるの待った。
相変わらずの静けさで鳥さえもさえずるのを止めている、すると街道の向こうから誰かが歩いて来る黒い影が見えて来た、その後ろからもぞろぞろと街道を埋め尽くすように一団が歩いていた。
「おいルイ、あれはなんだ? 誰か来るぞ」
タスは指を差して知らせた。
「騎士団が帰ってきたのか……伝令もなしに」
二人は目を細めて見るが月明かりだけでははっきりと何も見えず、タスが一団に対して松明を振って知らせようとしたが、丁度その時、雲が月を隠そうとして一団が暗闇と同化して見えなくなった。
「とにかく門を開けて迎えないと……隊長にも連絡だ」
急ぎ下に降りていき二人で西大城門を手回しで開門していく。
その後にタスが宿舎の隊長の元へと連絡に向かって走って行くと、ルイは門を出てやって来る騎士団の一行を待った。
下からだと茂みで騎士団が見えず、どの辺りまで来ているのか確認出来ない。
やがて先頭の集団の影が薄っすらと街道から現れたのを見て、松明を振って合図を送った。
まだタスや迎えの騎士達が到着していないので、ルイ一人での出迎えとなり一生懸命役目を果たそうと緊張していた。
ぞろぞろとこちらに向かってくる一団は足音だけを暗闇に響かせ、こちらが見えていないはずがないのに合図に答えようともしないのをルイは不審に思った。
何かがおかしい。
そう思った時、先頭にいる人影の姿が松明の明かりで映し出された、全身が血だらけになった兵士が虚ろな目で歩いているのだ。
装備はボロボロで破れた服を引きずりながら、腕や喉元の肉が欠損している兵士達が低い呻き声を上げながらやって来た。
「うわああぁ」
総毛立ったルイは、直ぐに城内に戻り門を閉めようとするが間に合わずに、雪崩込んで入ってきたゾンビに一瞬の内にその姿が見えなくなった。
そこへタスが隊長達と騎士団百人ほどと共に駆けつけると、門に群がるゾンビの中からルイの悲鳴を聞いた。
「な、なんだこれは……」
歓迎ムードから一気に恐慌状態へ変わる。
「死、死人共だ……味方が死人になっちまった……」
ひと目で分かる異常な姿、血と腐臭を漂わせる仲間だった者の変わり果てた姿。
同じ鎧を着ていても既にそれに対して同類という意識はなく、嫌悪だけが込み上がってくる。
「狼狽えるな……伝令、伝令、直ぐに報告を!」
ひっきりなしに進入してくるゾンビの群れは町の中に広がっていき、手当り次第に家々の玄関に爪を立て中へ入ろうとしていく。
一気に慌ただしくなった状態を見て隊長が援軍を呼ぶよう伝令に伝えると、伝令馬が直ぐ様引き返し城へと駆け出した。
残った者は剣を抜いてゾンビ共に立ち向かっていく。
闇夜のアルステルに喧騒と怒号が鳴り響く、眠っていた人々は外の喧騒に叩き起こされ、窓から外を覗くと怪しい者共が闊歩していて、家に群がり入り込もうとしていたり騎士団と戦ってるのが見えた。
異常事態に家から出てきた者、鍵をかけ忘れた家の人達が次々とゾンビに襲われ殺され悲鳴が上がる。
城門周辺の地区は悲鳴で狂乱状態だったが、東側ではまだ町の悲鳴に危険を感じておらず、逃げてきた人達は事情を伝えると東大城門に走り去って行く。
恐怖で取る物も取らずに寝間着のまま子供を抱いて走っている人もいて、町の中は大勢の人々の右往左往する姿で一杯になり、伝令が騎士団を連れてきた時は既に西側地区では戦う騎士と逃げ惑う人々で大混乱だった。
城から出てきた騎士団は報告を受け状況把握が出来ており、気構えが出来ていた騎士団はタロス通りとリーファス通りの交差点に陣を張り、西側からの路地全てにも兵を配置させろと指示が飛んだ。
一部の隊は町の人々を外まで避難させる為に声を張り上げて誘導していた。
しかし避難出来たのは中央から東と南側の人々ばかりであり、西側の人々で逃げる事が出来なかった者は家に入られないように棚や机で入り口を固めて、身を潜め助けが来るまで隠れるしかなく、それでも扉を破られ入って来たゾンビに襲われる人は少なくなかった。
目の前で知り合いの家に入っていくゾンビに、助ける事も出来ずに襲われる近隣者の悲鳴を聞きながら人々は恐怖に耐えた。
西大城門からは止めどなく死人が入り込み、もう門周辺や南西地区の一部は地獄絵図が出来上がり、そこいらに死体やそれに齧り付くゾンビで一杯だった。
ゾンビと戦闘を繰り広げていた騎士団も伝令が来て、援軍が大通りの交差点で陣を敷いていると聞くと合流する為に交差点まで後退していった。
西大城門から北側に住んでいるマルティアーゼ達はというと、初めの悲鳴ですぐさま起き、いつでも行動出来るようと枕元に衣服や荷物を置いていたので直ぐに着替えると一階に降りると、デビットとトムが玄関先から外の様子を窺っていた。
皆準備は出来ており、いつでも剣や魔法が出せるように
「何が起きたの?」
「まだ分からないけど門の方が騒がしい……引っ切りなしに人の悲鳴が聞こえてくるよ」
マルティアーゼが外の様子を窺うと、遠くで叫び声が鳴り響きじわじわと大きく広がっていくように聞こえてくる。
「行ってみましょう」
マルティアーゼの後に四人も外へ出た。
近所の人達も何が起きたのか窓から不安そうに暗い外を眺め、マルティアーゼ達を見て、危ないから家にいなさいという忠告も聞かず大城門へ歩いていった。
門に近付いて行くと人々がこちらに向かって走って逃げてくる。
家族連れや若者が寝間着姿のまま必死の形相で大声を張り上げながら、
「ゾンビだぁ、ゾンビがきたぁ……助けてくれ」
「誰かきてぇ子供が、いやあぁぁ……」
「逃げろ走れぇ、もたもたするな」
「そっちに行ったぞ……ああぁ駄目だ」
驚愕と悲鳴が鳴り響く中、二階の窓から状況を知らせて助けようと逃げる方を指差す人や、捕まった人がバリバリと音を立てながら生きたまま食われていくのを見て錯乱する人もいた。
逃げてきた人々は、マルティアーゼ達にもすれ違いざまに早く逃げろといって北側に走っていく。
「ゾンビ……あの魔導師の仕業なのかな」
デビットが深呼吸をして意識を集中する。
「分からないわ、けどその可能性は高いわね、とにかく行ってみましょう、行けば分かるはずよ」
とマルティアーゼが皆に向けて言うと、全員緊張を孕んだ表情で頷いた。
城壁を右に見ながら城門へと慎重に進んでいく、すると暗い道の先に人々を追い回しているゾンビを見つけて、
「危ないわ」
マルティアーゼが背中から取り出した大斧を兜割りで叩きのめすと、眼前には沢山のゾンビの群れが人を貪っている姿が広がっていた。
ミエールとデビットが詠唱を唱える。
集まってるゾンビに火球と雷球を投げつけ、トムとスーグリが剣と槍で向かっていき火達磨になったゾンビの首を切り落としていく。
視線の先に見えるリーファス通りには密集したゾンビが中央に向かって川のように流れているのが見えると、
「下がってトム、スグリ」
マルティアーゼが斧を地面に突き刺し、腰から取り出した導具屋の老婆から貰った短杖を前方に向けると、先端の宝石に手をかざした。
目を閉じ精神を集中して詠唱を呟くと、腰の秘薬袋から秘薬が消費される。
マルティアーゼを襲おうと近付いてくるゾンビにも気にも留めず詠唱を続けた。
あともう少しで届く所まで近付いたゾンビに、マルティアーゼの魔法が弾け飛んだ。
目を開いたマルティアーゼの瞳は金色に輝いていた。
短杖の前方に練るに練った巨大な火球が作り出され、目の前まで迫っていたゾンビが一瞬にして消し炭になって吹き飛ばされる、殆ど蒸発に近い炭化が起こり水分が白い煙となって舞い上がる。
マルティアーゼの火球は勢いを弱める事無く、路地の道幅一杯に綺麗な一直線を描いて火球がその路地にいたゾンビを全て消し飛ばしていった。
迫りくる巨大な火球にゾンビどもは為す術無く燃え尽きていく。
リーファス通りまでは飛んでいかなかったが、消えるまでの距離にいたゾンビが全て炭になり地面に黒い固まりだけを残した。
(凄い、これがマルちゃんの魔法……)
ミエールが見惚れていると、
「行くわよ」
マルティアーゼから声が掛かる。
斧を拾い上げ更に大通りに走り出したマルティアーゼに、我に返ったミエールも遅れて動き出した。
ゾンビの居なくなった路地だったが、新たなゾンビが入り込んで来るのを斬り倒し進入させまいと応戦する。
マルティアーゼ達が路地を死守してくれたお陰で、その間に住宅街の人達が北へと逃げる事が出来た。
トムとスーグリ、マールが切り込んで、その間に後ろの二人が詠唱を唱えて入れ替わりに魔法で応戦して次々と敵を倒していった。
それでも押さえ込むのが精一杯で、後から続々とゾンビやリザードマンが路地に入ってくる。
二十、三十と屠っていくが、維持するだけでそれ以上前へ進めずにいると、路地から見える城門に一際巨大な人物が町へと入って来た、マルティアーゼはその姿を視認した瞬間、
「バルグ!」
一気に怒りが沸点となって斧を地面に投げ捨て詠唱を唱える。
「二人とも離れて!」
巨大な火球を魔導師に向けて撃ち放つ。
ゾンビに囲まれながら悠々と歩を進めていたバルグに、路地から飛んで来た火球がぶつかり火柱があがると周囲のゾンビ共が炎に焼かれて消滅していった、だが火球の炎が消えると煙の中からバルグの笑う声が響き渡った。
火球はバルグに当たらず、彼自身は無傷であった。
当たったと思いきや、地面から迫り上がった石畳が巨石兵の形となり、バルグの身代わりとなって粉々に崩れ去ったのである。
「ほっほっ……これはこれは」
歩みを止めてじろりと路地に居るマルティアーゼに視線を合わせてくる。
「何処の魔導士の悪戯かと思ってみたら、お主であったか」
ほほほっと乾いた声が響き渡り、バルグは一人進路を変えて路地へと足を踏み込んできた。
巨大な姿は周りの家が小さく感じる程の錯覚をさせる。
路地といっても狭くはない、それでもバルグが道の真ん中を歩いていると、それだけで道を塞がれてしまったと思う程の威圧感があった。
黒いローブに長い杖を持ち、幽霊のように地面を滑りながら向かってくると、マルティアーゼは身構えトムとスーグリが前に出て盾役となる。
後ろではデビットとミエールが錫杖を突き出して、いつでも魔法を出せるように詠唱を開始していた。
マルティアーゼは四人に囲まれる形になってバルグを睨む。
「あれが魔導師なのか、言ってた通りでかいな」
デビットがそっと呟いた、何故か大声を出してはいけないと感じるほど場の雰囲気が、彼を小声で喋らせた。
バルグはマルティアーゼ達の手前で立ち止まり五人を見下ろしながら笑い、蛙を見つめるようにフードの下に隠された緑の双眸が怪しく光った。
マルティアーゼ達は頭上から重い物を被らされたような重圧に、自然と腰が落ちてくるのを必死に跳ね返そうと踏ん張って睨み返すが、相手は平然と受け止めていた。
「こ、これが貴方の……計画、町を襲撃がも、目的なの……」
マルティアーゼが耐えかねて言葉を発する、出そうとする言葉も胸が押されて声が掠れて途切れ途切れだった。
「丁度、お主を迎えに行こうと思っておった所じゃ、それをお主の方から来てくれるとはのぉ、善哉」
マルティアーゼの問いには答えずに感想で言い返してきた。
「これほどのゾンビを何処から……なぜアルステルを襲うの」
さらに相手に問い詰めるが、
「まったく煩いのぉ、どうしてどうしてと……お主らは儂が教えてやらんと何も理解出来ぬらしいのぉ、ならば儂の言う通りにすれば良いのじゃ、説明よりもそうすりゃ儂のする事が分かるじゃろうて」
右手に持つ杖を高々と掲げると、バルグの周囲の地面が波打ち始める。
「!」
まるで石畳が波の如く緩やかに波立ち周囲に広がっていく。
トムとスーグリの足下にまで到達してきた波は、二人を飲み込もうとしているようにうねりが激しくなると、
「二人ともさがれ!」
デビットが気をそらそうと、バルグに雷を投げつける、それをバルグは軽く振り払うだけで霧散して消え去った。
トム達が後ろに飛び退いた途端、地面が変色し始めて嫌な臭いが地面から漂ってきた。
黒く色の変わった地面は水溜りのように液状になって蒸気が立ち昇る。
「じ、地面が……こ、この臭いは、うっ……」
トムが咄嗟に口を押さえた。
「く、腐ってるの……」
とミエールが驚嘆の声を吐いた。