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銀の魔導 本流  作者: 雪仲 響
3/30

3


 残った三人も部屋に戻る際、マールはトムに食べさせる食事を受け取り二階に上がっていった。

 トムの部屋の前でミエールに先に部屋に行っておいてと言うと、

「お魚さんもお休みなさい」

「ああ、おやすみ」

 それからマールは二人が部屋に入っていくのを確認すると、扉を軽く叩いてゆっくりと部屋へ行っていく。

 中は明かりがついておらず真っ暗、右側にある寝台に目をやるとトムが静かに寝ている。

 静かにドアを閉めると鍵を掛けて寝台の横にある机に食事を置くと、ランタンに火を灯した。

 トムの静かな寝息と穏やかな顔が見ながら容態を確認する。

 毒消しが効いているのか苦悶の表情はなく、まだ若く肌のきれいな若者の顔がランタンの明かりで揺らめく。

 暫くの間、椅子に腰掛けてトムの横顔を眺めていたマールが、小さく静かに話し出した。

「貴方と一緒に旅をしてもう何年になるかしら、五年……もうすぐ六年ぐらいになるわね、いつも思うの……貴方が怪我をする度に私が連れて来なければこんな亊にはならなかったのではとね、それでも貴方は何一つ文句をいうでもなく、私と共にこの地まで付いて来てくれた、私の我儘……私が外を見たいっていうだけのたったそれだけの為に、国を捨て貴方は大切な時間を費やしてまで来てくれた、もし、あのまま残っていれば恋人も出来たでしょうし、好きな人と日々の幸せを享受出来たかもしれない……その全てを私が奪ってしまったと思うと申し訳がないわ……」

 そっとトムの頬を撫でながら話を続けた。

「でも貴方のお陰で私は色々な亊を見る事が出来た、何も知らない知る事が出来なかった籠の鳥に自由を教えてくれた、外の世界に興味を持ちさえしなければ自由以外、欲しい物は手に入れられたかも知れないけど、一生を城の中で過ごさなくてはならなかった、でも手に出来る物を捨ててでも私は欲した、世界をこの目で見たいと……何一つ持たず国を捨て、色んな場所に行き沢山の経験と知識を手に入れた、国では絶対手に入れられなかった笑顔と恐怖、これが世界なんだって思ったわ、私は生きてるって実感を感じられたのよ」

 トムの垂れた額の髪をそっとかき上げる。

「……姫様」

 トムがゆっくりと目を開けた。

 その目が場所と状況を理解するように周囲に動いて、最後にマールへ焦点を合わせた。

「ごめんなさい、起こしちゃったかしら、体の調子はどう? まだ痛む?」

 心配そうにトムに呼びかけると、

「いえ、大丈夫です、それよりここは……」

「ムースの宿屋よ安心して」

 何故自分が寝台で寝ていたのかを理解すると、

「ああ……そうか、朦朧としてたので気が付きませんでした、導路に入って……姫様がここまで運んでくれたのですね……」

「ええ、ミサと二人でね」

「そうですか……申し訳ありません」

「何を謝るの、謝るならあそこに連れて行った私の方にあるわ、いいえ……今回だけじゃない、私の我儘を聞いてくれたあの時から…………ねぇ、後悔してない? 国を捨て私と共に旅立つと決めた時、私……貴方を見ていて思い出しちゃったの、何度貴方が傷付いてるのを見て来たのか、身体に付いたその傷は全て私の所為なんだと」

「滅相も御座いません姫様、私は後悔などしておりません、あの時姫様に忠誠を誓い剣を捧げた事は私の決意の証で御座います、どうかそのような事は……怪我をしたのは私の未熟さが招いた事で御座います」

 興奮したトムが上体を起こし慌てた口調で言うと、急に起きたので目眩を起こして頭を押さえた。

「大丈夫? 横になって」

 トムに寄り身体を支えた。

「だ……大丈夫です」

 片目を瞑り返事をするトムに、

「国を出て何も与える事が出来なくなった私と一緒にいて不幸ではないかしら? 貴方には今まで沢山の事を教えて貰ったのに私からはお返しする事が出来ない……貴方は国を捨てた私にどのような事を求めるの? 私に付いて来ても何も差し上げる物はないのよ、身一つで出奔しお返しする物がないのよ、差し出す物はもうこの身体ぐらいなもの……それで良いのなら」

「なっ……何を申されますか、私はそのような見返りが欲しくて姫様と共にいるのではないのですよ、私みたいな一兵士如き者が見返りを求めるなどおこがましい事であります、ただお側でお守りするのが私の使命と心得ております」

 慌ててマールの手を振り言葉を遮った。

「そう……でもそれでは私の気が収まらないわ、では貴方が欲しい物して欲しい事があればいつでも云って頂戴、私だって国を出てからそれなりに市井の事を覚えたわ、出来る事があれば何でもするから」

 少し元気よく声をあげて言った。

「おお、勿体無きお言葉……」

 マールはにこりと笑うと、机に置いた食事を運びトムに差し出す。

「私が余計な話をしてしまったから……スープが冷める前に食べて頂戴、熱いのがいいなら取り替えてくるわ」

「いえ、これで十分です」

 そう言うと一口飲んでみた、朝から何も食べていなかったので食べ始めると止まる事なく飲み干し、パンも食べ尽くした。

 身体に生気が蘇るようにじわじわと力が戻るのが感じられる。

 食べ終えるまで一言も話さずに傍らで様子を見守っていたマールは、食べ終えた食器を受け取ると机に置いた。

「美味しかったです、生き返りました」

「そう、それは良かったわ、傷が癒えるまでは暫くここで養生していてね、私もここに滞在するから何か入り用があれば云って頂戴」

 マールはトムを横にすると毛布を胸までかけ直し、窓を閉めに窓際まで歩いて行く。

 外はすっかり真っ暗になっており、町の明かりは消え薄暗い通りには等間隔に置かれた篝火だけがぼんやりと燃えているのが見えた。

 マールがそっとカーテンを閉めようと手を伸ばした時、

「そのままにしておいて貰えますか、夜空を見ていたいので」

「わかったわ」

 そう言い、出て行こうと扉に歩き出した足がピタリと止まった、体が硬直したかのように動く事が出来ない自分に驚く

 すると部屋の隅の闇の部分に何かの気配を感じ、動かす事が出来た目だけをその方へ向けてみる。

 一瞬視界の隅に何かが見えたと思った途端、マールの全身から汗が噴き出て鼓動が高まり息が詰まりそうに呼吸が乱れる。

 トムがマールの異変に気付いて起き上がると、

「どうかしましたか? なにか…………」

 トムにも部屋の片隅に闇より黒い何かが動くのを感じ取れた。

 マールは今まさに殺されるかのような、言いしれぬ恐怖を感じてその黒い物体から目を離せなかった。

 右側の隅にいる黒い物がゆらりと動き、上天井に迫る勢いで盛り上がっていく。

 フィッシングやトムも背が高いがそれよりも頭一つ以上はあるだろう、代わりに横幅はそれほどでもなく細長い生き物がゆらゆらと左右に揺れていた。

 左側には上体を起こしたトムが呆然と同じように黒い物を見ていたが、我に返ると寝台から飛び降りてマールの前に立ちはだかり盾になる。

 武器もなく身を守る物もない部屋で相手と対峙すると、

「何者だ!」

 トムが闇に向かって叫ぶ。

 マールはその一言で呪縛が解けたかのように体が軽くなったが、鼓動はいまだに収まらず荒い息を吐いていた。

 闇は相変わらずゆらゆらと揺れているだけで何もしてこない、だがそれが余計に神経をぴりぴりと震わせる。

「姿を現せ! 何者だ」

 その物がゆっくりと前にせり出し暗闇から姿を現せた。

 窓から差し込む月明かりとランタンの光に当たっても尚、姿を現した物は黒いシルエットが動いてるようにしか見えない程黒かった。

 それは全身漆黒のローブにマントを身に着け、深く被ったフードの中に光る緑色の双眸が二人を見下ろしていた。

「時間が掛かったが、ようやくお主達を見つける事が出来たわい」

 ゆっくりと、低くくぐもった年寄りのような声で相手は話しかけてくる。

「誰だ、貴様なんぞ知らんぞ」

 トムが振り絞るような声で叫ぶ。

 後ろのマールはトムの肩に手を置き、息を整えてながら目の前の者を見ていた。

(なんて禍々しい……絡みつくような黒い意思を感じるわ)

 見下ろす二つの眼光の奥に得も言われぬ悪意が感じられるのを、マールは感じていた。

「じゃが儂の百の眼からは逃れられぬ、お主らの魔力を辿ってこの町までやって来たんじゃ、お主ら全員を殺すためにな、ふぉふぉふぉ」

「誰だ貴様は……何を言ってるのか分からん、貴様に何をしたと言うんだ! 理由もなしに殺されてたまるか」

「そうよ、何が理由で貴方が此処に来たのか言いなさい!」

 ようやく声が出るまで気持ちが静まったマールも相手に言い放つ。

 フードで隠れた顔は暗く輪郭さえも見えなかったが、そこから流れ出ている灰色の長い髭だけが動いているのが分かった。

「理由もなしか、お主らにはそうであろうが儂にとっては計画を邪魔されて怒っとるんじゃわい、お主らが儂の大事に連れてきたトカゲ共を殺したんじゃからな、どれだけの時間を費やし南方より連れて来たか分からんじゃろうて、それをお主らに潰された儂が同じように問うてやろう、何条もって儂の可愛いトカゲ共を殺したのじゃとな」

 乾いた低い笑い声が部屋に響く。

「貴方があのリザードマンを……村の人達がどうなったか知ってるでしょう……なぜリザードマンに村を襲わせたの?」

「なぜ……とは妙な事を言いよる、生き物は飯を食わんと生きれんじゃろう、儂のトカゲ共を飢え死にさせる気かえ、さぁこれでお主らを殺す理由が分かったかえ、これで心置きなく死んで逝けるじゃろうて」

「馬鹿な、そんな理由で殺されてたまるか!」

 トムの顔が激高に変わる。

「待ってトム、まだよ……リザードマンをあの森に連れて来てどうするつもりだったの、貴方の目的は何なの?」

「なんじゃそんなに死にたくないのかえ、お主らのした事は万死に値する、それだけで良いではないか、それ以上聞いても詮無き事、目的なんぞ聞いてもお主らには何も出来ぬし儂が優しく教えると思うたか、もういいかえ儂も忙しいんでな、またトカゲ共の代わりを探しにいかにゃならんでの、おうおう忙しい忙しい……お主らの仲間も殺さんといかんでのう、時間がいくらあっても足りんわい、ふぉふぉ」

 相手が小刻みに体を震わして笑った。

「ふざけるな! やらせんぞ」

 トムが相手に躍りかかる。

 瞬間、マントの中から錫杖が飛び出て、トムの眼前に振り下ろされると、目に見えない衝撃で吹き飛ばされ、寝台の後ろの壁に体を叩き付けられたトムが呻き声を上げる。

「トム!」

「この魔道師バルグ様に素手とは笑わせおる、どのみち武器があったとしても儂には勝てぬがな、ふぉふぉふぉ、さてとおぬしも死ぬが良い」

 杖を持ち上げると黒い靄が沸き出した、何か危険だと感じて咄嗟に身をよじって横に飛び退る。

 マールの体と交差するかのように黒い矢が飛んできた。

 顔にめがけて飛んできた矢をマールが間一髪左側に避けた為、逸れた矢が右肩を掠めて後ろの窓を割った。

「……っ痛」

 右肩の服が破れ血が流れ出る。

 膝をついて床に倒れ込んだマールはバルグと名乗る魔導師を睨み付けていた。

「感の良い……生き地獄を味わう趣味があるとはのう、楽に死ねば良いものを」

 バルグが追い打ちを掛けるように錫杖を突き出すと、長い髭がぴくぴくと動いて詠唱を唱えた。

「ではのう」

 放たれようとした時、マールのむき出しになった右肩の肩甲骨から光が発せられた。

 白く眩しい光が部屋を真昼のように輝かせた。

「むう、こ、これは……おおっ……」

 部屋全体が明るく、眼を開けていられぬ程の光量にバルグもたじろいだ。

 それは暫くすると光量が落ち、もとの暗い部屋へと戻っていくと光の発生源が露わになった。

 輝きが弱くなったマールの肩に、紋章が浮き上がっているのを確認出来た。

 丸い円と六角形が組み合わさった魔方陣の上に、羽ばたく鳥のような形が浮かび上がっていた。

「おおう……これはこれは、なんたる事だ……これは、そうかえ主は王家の血筋だというのか、ほほほっこれは良い物を見つけたわい」

「王……家……な、何を」

 バルグの言っている言葉が分からぬようにマールが呟く。

「おいっマル、何かあったのか、返事をしろ!」

 ドア越しにフィッシングが扉を叩き声を掛けてきた。

「ふんっ、邪魔が来よったか、儂は気が変わったぞい、主の命、今暫く生かしておくとしよう、計画変更じゃわい、くくくっ」

 何かを感じ取ったバルグは笑いながら言った。

 扉にぶつかる音が聞こえる。

「また会いに来るでな、御身を大事にな、ほほほっ」

 扉がが打ち破られフィッシングとミエールが慌てて部屋に入って来る、トムが寝台の壁際で倒れていて、マールは窓際で床に膝をついているのが目に入った。

 そして対峙している黒い物体がマールを見下ろしているのに驚いたフィッシングが、

「な、なんだ、こいつは……」

 何がいるのか初めは分からず黒い壁かと思ったが、それが人であると認識するまで時間が掛かった。

 バルグはフィッシングの事など相手にする気がないようで姿を消し始めた。

 次第におぼろげになり始めたバルグに、フィッシングが持っていた剣で斬りかかるが、振り下ろした時にはバルグの姿は消えていて空を斬る。

「くそっ、逃げられたか」

 フィッシングが舌打ちをした。

 振り返るとミエールがトムの体を起こしていた。

「俺も手伝おう」

 フィッシングもトムに駆け寄り、二人で抱き上げて寝台に寝かせつけた。

 背中を激しく打ち付けたのか苦しそうに息を切らしていたが、それ以外の怪我はなく安静にしていれば問題ないように見えた。

 マールは立ち上がり肩を押さえながらトムの側に近付いてくる。

「マルちゃん肩をやられたの? 見てあげるわ」

 ミエールが肩を見ようと覗き込もうとしたが、

「いえ、私は良いの気にしないで、大丈夫だからトムを見てあげて」

「何言ってるの、血が出てるじゃない、見せなさい」

 ミエールは傷口を押さえているマールの手をどかせると、破れた服が垂れ落ち背中が見えた。

「これは……マルちゃん」

 未だにぼんやりと光り続けている紋章を見てミエールが驚いた。

 フィッシングも紋章を見つけたが、何と言っていいのか分からぬよう神妙な顔で無言を貫く。

 マールはさっと垂れ落ちた服を引き上げ肩を隠した、何をどう説明をすればいいか考えていると、ミエールが部屋を出て自室から秘薬を持ってきた。

「マルちゃんとりあえず治療をしましょう、話は後でね」

 マールは目だけで無言の治療を受けた。

 その間に店主がやってきて部屋の有様を見て驚いたが、フィッシングが強盗の仕業という事にしてなんとか店主をなだめて下がらせようとする。

「すまない親父、怪我してる奴がいるんだ、部屋の事は明るくなってからにしてくれ」

 しぶしぶ店主が戻っていった、他に泊まり客がいなかった事が幸いして、店主の他に部屋を身に来る野次馬はいなかった。

 マールはミエールの治療が終わり傷跡は消えたが、痛みはまだかすかに残っていた。

 トムは背中の鈍痛も和らぎ、上体を起こしマールの怪我の心配をしてくる。

「マル、さっきの奴の事だが……何者なんだあいつは、あの馬鹿でかい魔道士は」

 フィッシングは人が入って来ないように扉に持たれながらマールに聞いた。

 寝台に腰掛けているマールがフィッシングに顔を向けると、

「バルグ……魔導師バルグって名乗ってたわ、あの宿場にリザードマンを連れてきた張本人よ」

「なに? あいつが……そいつが此処に何しに来やがったんだ」

「目的は分からない、でも計画を私達が邪魔したから殺しに来たと云ってたわ、それ以外何も…………」

 王家の亊は口を濁した。

 今はそれを言った方がいいのか、自分でも判断がつかなかったからだ、しかし二人は自分の肩の紋章の事に興味が湧かずにはいられないだろうと感じていた、事実ミエールはちらちらと肩の方に視線を泳がしていた。

 フィッシングはある程度、マールの素性の事は何となくだが怪しんでいたが詳しくは知らなかった。

 どう説明するべきか、マールにとっては今の関係を壊すのが怖く、それが一番の悩みだった。

 この地に腰を据え、町の人達や仲間達と楽しく過ごせてきて第二の故郷になろうかと思っていた所だった。

(みんなを信じていないわけではない、けど素性を言って私の見る目が変われば、今までと同じ接し方では無くなるかもしれないと思うと、とても不安……お魚さんはある程度の事情は話したけどそれで態度が変わる事無く接してくれている、けど他の人は……)

 横目でミエールを見た。

 ミエールはマールと目が合うとにこりと笑った、マールやスーグリを自分の妹のように、優しく見守るような笑顔だった。

 なんだか今まで皆を騙していたように思われて、もうこんな表情をしてくれないのではと考えると言葉に詰まった。

「魔導師か……なんだか嫌な事に巻き込まれたって感じだな」

 マールの心情に気に掛けている様子も無く、フィッシングは呟いた。

「ええ……何か大がかりな計画を立ててるような感じがしたわ、良くない事件を起こすつもりかも」

 マールがそっと答える。

「リザードマンを殺したって亊なら、俺達も狙われてるって事だろうな、初めにマル達のとこに来て発覚してなかったら、俺達も寝込みを襲われていたって事か、あんな化け物みたいな奴一人で倒せる気がしねぇな、んっ……いや別にマル達が先で良かったとかじゃねぇからな、他意はないんだぜ」

「……良いのよ」

「だが、その魔導師バルグって奴はマル達を殺さずに立ち去ったのは、その……なんだ、それのせいか?」

 フィッシングの言葉にマールが少し身を震わす。

「言いたくないなら無理にとは言わねぇけどな、他の奴らの命も狙われてるって事になると話さないわけにゃいかねえだろ」

 ある程度の事情を知っていはいたが、フィッシングも肩の紋章の事には気になっていた。

 マールは暫くの間、考え抜いた後、意を決したかのように立ち上がり、壊れた窓際に立つと一度町の外を見てから振り返った。

 一呼吸入れて真っ直ぐフィッシングとミエールを見た。

「私は……私は極東の地ローザン大公国、ローザン・オリス大公の娘にして第二公女ローザン・マルティアーゼ、そこのトムは私の身辺警護、衞団隊第三衞団隊副隊長トム・ファンガスなのよ」

 いきなりの発言に二人は驚きを隠せなかった、ミエールは口を手で覆い目を丸くする、フィッシングもまた目を大きくして、何の話だと言わんばかりの表情をしていた。

 マルティアーゼは背に月明かりを浴びて銀髪の髪が夜風に揺れるに任せながら、じっと二人の反応を見た。

「姫様!」

 トムが叫ぶ。

「ごめんねトム、もう……良いのよ」

 そういうと更に話を続ける。

「私達は国を出て五年、二人で旅をして各地を巡り、この地で皆と過ごし始めてもう三年、もう国を出奔した時から公女としての立場を捨ててるつもりよ、ロンド・マールと名を変えて今まで過ごしてきたわ、それからの事は皆の知る通り、ギルドを結成し仲間も出来て本当に楽しかった……、皆には黙っていて申し訳ないと思うの、私の中ではもう終わった事、過ぎた事だと思っていたから……言おうとも思わなかったし言う必要もないと考えていたの、でもこの様な形にになってしまっては話すしか無いと……黙ってる事は二人に不安を与えるだけと思うから言うのだけれど、これだけは信じて欲しいの、この肩の紋章……あの魔導師はこれを王家の紋章と云ってたけど父ローザン・オリスと母アリアーゼは王家と何の関係も無いのよ、エスタル王国の公爵だった父と近隣国の侍女でしか無かった母に王家の血は流れていない事は事実、それなのに私に……私にその血が流れているなんて事はあり得ない事なのよ」

 二人は話に聞き入っていたがフィッシングが言葉を吐いた。

「マル、いやマルティアーゼ様と言えばいいのか、すまねぇ……いきなりの話で少し混乱してるみてぇだ」

 フィッシングが頭を掻く。

「いつも通りでいいのよ、こちらこそ二人を驚かせるような事をいったんだし、今まで通りにして欲しいわ」

「すまない、あ、いや申し訳ありませんか……くそっ、一応礼儀は心得てるつもりだったんだが……」

 マルティアーゼはくすっと笑った。

「俺が前に聞かされた時は、てっきり何処かの令嬢が家出して旅をしてるぐらいしか思ってなかったもんだから、まさか一国の公女だとは思いもよらなかったぜ、それにトムも近衛兵の副隊長だったとはな……」

 いつもと違い動揺して慌てふためくフィッシングが、まるで独り言のような言葉を吐く。

「私の事など……副隊長などと申しましてもマルティアーゼ様に頂いた地位でしかありません、元は町の警備兵でしかない身の低い者、副隊長なんて建前でしかありませんのでフィッシュさんの思ってるような人間ではないですよ」

 トムは申し訳なさそうに言う。

「いいえトムそれは違うわ、貴方はそれ相応の働きをしたからこそ私は貴方を城内勤務の衛団隊に推薦しただけ、それが当然だと思ったからなのよ」

 ミエールはこのやり取り中も息を止めたかのように固まって聞いていた。

「じゃあマルの剣の腕前も父親譲りってわけなのか? 武勇で名を馳せたローザン公は有名だしな」

「さぁ……昔から腕白娘とは思われてみたいだけど剣の方はトムから教えてもらったのよ……それにこの紋章の事は、今更父に私は本当の娘ですかって聞く事も出来ないし国に帰る事なんて到底出来ないわ」

 マルティアーゼは視線を落としながら言った。

「ふうむ分からないまでもねぇけどな、俺はサスタークの子爵の家の出だ、そこの嫡男だったから親父に厳しくされてたんだけどよ、それが嫌で喧嘩して出てきたからな、そういう所でマルと同じ立場だと思ってたから言いたく無いんだとばかりに思ってたんだ……まぁ俺の事は別に知られてもどうという事はねぇけどよ、だが俺とマルとは立場が違いすぎる、この事は慎重に考えていかねぇと……他の奴らにゃ重すぎるな、暫くは俺達だけの話にしておこうぜ」

 夜はさらに更けてとっくに日付が変わっていた。

「有り難う」

 マルティアーゼが礼を言う。

「……もう遅い、今日は余りにも色々な事が起き過ぎた、俺にも色々と考える事が出来ちまったしな、皆にも色々とあるだろうけど取り敢えずもう寝よう、今夜……もう幾ばくも無く夜が明けるが俺は此処で寝るとするから、二人は部屋で休んでくれ、また魔導師が来るかもしれねぇから注意してくれよ」

 フィッシングがそう言うと、

「多分暫くは来ないと思う、まだやらなければいけない事が沢山あると、それまで生かしておいてやると云ってたわ」

 とマルティアーゼが答えた。

「そうか、まぁ念の為だ此処で休むとするぜ、明日からはその魔導師の事も調べないといけねぇし忙しくなるな、マルは明日からミエールと行動を共にしてくれ、ミエール済まないが頼むぜ」

 急に自分に言葉を掛けられてミエールは驚く。

「え? ええ……まぁまぁ……マルちゃんが姫様だなんて……」

 息をするのも忘れてたかのように深呼吸をした。

 ミエールは立ち上がるとマルティアーゼの隣に座り、彼女の手を握って嬉しそうに微笑むミエールに少し戸惑いながらも握り返した。

「今でも信じられないわ、もう興奮して寝られないわよ、マルちゃんが国に居たときの事を教えて頂戴、私とても王宮について興味があるの」

「えっ……ええっ、でも極東の田舎の国よ、そんなに豪華でも華やかな国でもないわ」

「何言ってるの、一国のお姫様の暮らしなんて私達じゃ到底分からない事ばかりなんだから知りたいわ」

 ミエールが目を輝かせて言う、さっきまでの驚きで固まっていたのに、それが羨望へと変わると興奮が止まらない様子だった。

「おい、ミエールもう遅いんだから、さっさと部屋に戻れよ、何時まで経っても寝られないじゃ無いか」

 フィッシングが文句をいった。

「煩いわね散々マルちゃんと話しておいて私がお話するのが駄目ってどういう事なのよ!」

 フィッシングが歪んで溜息を吐いた。

「わあったから、自分の部屋でゆっくり話でしてくれ、こっちは眠いんだ頼むぜ」

「ふんっ、じゃあマルちゃん行きましょう」

 そう言ってミエールがマルティアーゼの手を引っ張りうきうきしながら自室に戻って行った。

 やっととてつもなく長い一日が終わろうとしていた、マルティアーゼにとっても皆にとっても、今日という日がとてつもなく長く感じたに違いなかった。

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