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銀の魔導 本流  作者: 雪仲 響
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 マルティアーゼが気付いた時、彼女は温かい寝台の中にいた、側にはスーグリとデビットが椅子に座って居眠りをしている。

 時間は夜明けだろうか、薄明るい部屋の中で暖炉の火がパチパチと軽い音を立てている。

 ゆっくりと上体を起こすと、暖炉の前の長椅子に座っていた人物がマルティアーゼが起きたのに気付いてそっと歩み寄ってきた。

「姫様、気が付きましたか」

 小さな声でマルティアーゼに声を掛けてきたのはトムだった。

「あ……あっ、ああ…………」

 喉が渇いて声が出せない、ヒリヒリする感覚と埃っぽい口内で顔を歪めた。

「お待ちください、水を持って参ります」

 トムは卓上の水を取りに行く間に、マルティアーゼはゆっくりと寝台から降りて暖炉前の長椅子まで歩いて腰を下ろした。

 温かい熱を全身に受けながら目を閉じるとトムがマルティアーゼの前に水を差し出してきた。

「姫様、水で御座います」

 受け取った水を一気に喉に流し込む、ざらついた口内に潤いが戻ってきて気持ち悪さが解消されていく。

 もう一杯水を飲み干すと一息ついた。

「有り難う、起こしてしまってごめんね」

「いえ起きてましたので……皆一向に目覚められない姫様を心配して側に付き添っておられたのですが、皆も疲れが溜まっていたのでしょう」

 隣に座ったトムはチェニック姿の軽い服装で、部屋を暖める為に夜通し薪をくべていたのである。

「……これは?」

 とマルティアーゼは自分の左手の包帯をトムに尋ねた。

「ああ、怪我をされていたのでミエールさんが治療してくれました、女の子なのに傷が残ったら大変だとかなり怒っていましたけどね」

 トムは思い出したように笑った。

「そう、ミエールにはいつも迷惑掛けるわね……それで私はどれ位寝てたの?」

「丸一日は眠っておられましたね」

「陛下からはまだ?」

「まだ何もご連絡は……」

「そう、まだお疲れなのかしら、他の皆はどうしてるの?」

「他の部屋で休んでおられますよ」

「……そう」

 左手をさすりながらマルティアーゼが答えた、暫くの沈黙の後ゆっくりとトムに顔を向けると、

「ねえトム、貴方はこの五年間私と旅をしていてどうだった……いけないわね抽象的すぎるわね、貴方とローザン大公国を出てこの五年間、国に帰りたいと思った事はあったかしら、目的のない我儘な旅に付き合わされてうんざりしなかった?」

 少し上目使いな瞳にトムの顔が映る、その目をじっと見つめたトムは笑みを浮かべてこう言い放つ。

「そうですね、国を出た時はそれは大変な思いをしましたね、なんせ世間知らずな姫様だったんですから、こちらの苦労も知らずに色んな事に興味を示しますから毎日が冷や汗ものでしたよ」

 マルティアーゼは口を開けて驚いたようにトムを見た。

「まあ……ふふふっ、そうね国を出た時は何も分からなかったから目に映る物全てが新鮮で興味を引く事ばかりだったわ、危険な目にも楽しい事も色々な事があったわね、あの時は世界はなんて広く色々な事があるのかしら、まだまだ私の知らない事が沢山あるんだわって感じたわ」

 マルティアーゼはとても遠い昔の事のように、歩んできた旅路を脳裏に浮かべて思い出に浸った。

 たった五年で多くの経験を得たマルティアーゼは、いつしか少女から女性に成長していた、それは一番近くにいたトムがよく理解していた。

「それでも私は一度も国帰りたいとは思いませんでしたよ、国を出る前に私の剣は姫様に預けたのですから……姫様がおられる場所が私の国なのです、私の全ては御身のために……」

 トムは胸に腕を上げ一礼をするとマルティアーゼは和やかに笑った。

「それに、本当にあの頃の姫様と比べると随分と成長され驚いておりますよ」

「自分自身では分からないものね、知識だけが蓄積されたぐらいにしか感じられないわ」

「時間の経つのは早いものです」

 トムが感慨深く言葉を吐く。

「そうね、まだ多くのやり残した事があるはずなのに、私はもう元の場所に戻らなければいけない……時間の流れは早いわ、私が知った事なんてまだほんの一部だけなのに……私達が行った場所はこの大陸でどれ位なのかしらね」

「姫様、もしかして……また旅に出たいと仰るのではないでしょうね」

 トムは嫌な予感がして聞いてきた。

「あら、貴方はこれからも私が旅に出ようと言っても付いて来てくれるわよね?」

「えっそれは……ですが此処に来たのはエスタル王室に入られる為では……」

 また予期せぬとんでもない言葉がマルティアーゼの口から出てくるのではないかと、トムはヒヤヒヤしながら答えた。

 だがマルティアーゼの言葉は意外に大人の言い分だった。

「そうね迷ってばかり迷惑ばかり掛けていられないわ、もう私達の旅もこれで終わりにしないといけないのよ」

 時間が彼女を大人に変えたのか、昔の好奇心旺盛な少女はそこにはいなかった。

 少しずつ窓から陽が差し込んできて、目覚めた小鳥がさえずり回る声が遠くから聞こえると、鳥のように自由に羽ばたく事が出来なかった宮廷暮らしを思い出す。

 日が昇ると皆が起きてきて心配されたが、無事にマルティアーゼの笑顔が見られてほっとしていた所に扉を叩く音がした。

 マルティアーゼが返事をするとコドス右大臣が入ってきた。

「この度は誠に申し訳御座いませんでした」

 入ってくるなりコドス右大臣が謝罪した。

「恐れ多い事に我々の配慮が悪く姫様にご迷惑をおかけしまいまして申し訳御座いませんでした、マルティアーゼ様を手にかけようとする者がいるとは思ってもおりませんでした、それにファリス王子も荷担していたと聞いて驚いておりまする」

「もう終わった事です、コドス様もご無事で何よりですわ」

「私はいきなり部屋に監禁されてしまい外の事が何も分からず仕舞いで、昨日陛下から事の顛末を聞かされまして、いまだに驚いております」

 額の汗を拭いながらコドス右大臣が話した。

 エスタル王の教育係から右大臣として常に付き従ってきて、日々娘の話を聞かされていたので、王の気持ちを考えると万が一にもマルティアーゼの身に何かあったなら落胆するエスタル王の事を想像するだけで恐ろしかった。

「マルティアーゼ様、陛下がお待ちで御座います、身支度が出来次第、皆様と謁見の間へお越し下さいませ」

「分かりました」

「では、のちほど」

 小太りのコドス右大臣が一礼をすると部屋から出て行った。

 その話を聞いていたフィッシング達も自分の部屋に支度をしに戻っていき、他の者達も身支度を始めた。

 マルティアーゼも着替えを済まし怪我をしているスーグリの着替えを手伝ってやると一緒に部屋を出た。

 侍女達が廊下で並んで待っていた、隣の部屋からもぞろぞろとフィッシング達が出て来るのを見て侍女達に謁見の間に連れられて行く。

「身体は大丈夫?」

 と、貰った赤いローブを着たミエールから声が掛かる。

「有り難う、心配かけたみたいね、もう平気よ」

 フィッシングやオットの顔には治療の跡が残っており、幸い軽傷だったが着ている革の鎧はぼろぼろで至る所に傷や破損をしているのを、マルティアーゼは心配そうにじっと見ていると、

「なぁに、大した事ぁねぇよ」

「はははっ、こんなの怪我の内に入らないよ、いつも鍛治で鍛えてるからな」

 見られている事に気付いたフィッシング達は笑って答える。

 バルートが自分も怪我をしてるんだよと言いたげにマルティアーゼを凝視してると、それに気付くと声を掛けた。

「バルさんも腕は大丈夫?」

「あう……だ、大丈夫です、マルさんこそ大丈夫ですか?」

「もう大丈夫よ、陛下と王妃を守ってくれて有り難う」

 バルートは顔を真っ赤にして照れながら俯いた。

 謁見の間までくると扉の前にいた兵士が一礼をして、重厚な扉を重そうな響きを上げながらゆっくりと開いていく。

 謁見の間には玉座にエスタル王が、その右にシャリスティア王妃に左にはコドス右大臣が立っていた。

 部屋の柱には生々しい傷や破損が見られたが、床は新調した絨毯と壊された石畳も張り替えられていた。

 その赤い絨毯をはさんで左右に諸侯が居並んでいた、皆それぞれ綺羅びやかな鎧に外套を付けて胸に腕を掲げながら頭を垂れていた。

 その間を九人が王座の前まで進んでいくが、マルティアーゼ以外は周りをキョロキョロしながら緊張した面持ちで歩いていた。

 トムでさえもこのように間近で国の重鎮達の前に出るのは初めてであり、表情に緊張が伺える。

 マルティアーゼを先頭に四人ずつ二列になり王座の前で片膝をつくと、エスタル王に拝礼をした。

 頭に王冠を付けたエスタル王は九人を見下ろすと、一度頷きマルティアーゼに声を掛ける。

「マルティアーゼ、面を挙げよ」

 マルティアーゼがゆっくりと顔を上げてエスタル王を見た。

「此度の不祥事について此処に居る諸侯には儂から伝えた、もうお前の事を隠し立てておく事はせぬ、これは儂の罪が原因じゃ……それ故お前達に迷惑をかけて済まぬ事をした、ファリスの事を許せとは言わぬがあやつも国を憂いこの国を守ろうとしてやったまで、その心の隙をザロイに付けいられたぶらかされただけなのじゃ、親馬鹿と思うかも知れぬが分かってやってくれ」

「……はい」

「お主には今まで辛い思いをさせた、これからはもう気兼ねなくするがよい、妻もお前の事を一日千秋の思いで再会出来る事を願っておった」

 シャリスティア王妃は寝不足なのか隈を作った目でずっとマルティアーゼを見ている。

「マルティアーゼ、私達は貴方の事を一日たりとも忘れた事はありません、ローザン大公国で幸せに暮らしているのかずっと気になっておりましたのに、貴方が国を出たと聞いた時気が遠くなる思いでした、よく無事で私は……ううっ……」

 シャリスティア王妃は堪えきれぬ感情を押さえてむせび泣いた。

「…………」

 マルティアーゼは弁明する事が出来ず、ただ無言でシャリスティアを見つめていた。

「……して、マルティアーゼを守り付き従ってくれた者達も面を上げよ」

 エスタル王に言われてフィッシング達も顔を上げる。

「其方らの中でトム・ファンガスという者はどの者じゃ?」

「はい……私で御座います」

 名を呼ばれて驚いたトムが頭を垂れた。

「其方がトムか……ふむ、国の兵士としては失格じゃな、王家の者を国外に連れ出すなど重罪じゃが……」

「陛下! トムは私の我儘に付き合ったまでで何の落ち度も御座いません、トムを処罰なされるのなら私が全て罪をお受け致します」

 マルティアーゼが咄嗟に言った。

「いえ、姫様には何も……私ならどのような処罰もお受け致します」

「違うわよトム! 陛下……もしトムに罰を与えるのであれば私にも罰をお与えて下さいませ」

 マルティアーゼが必死の形相で言い放つのを、エスタル王は困ったように手を上げ二人を制した。

「まぁ慌てるでない、ここはエスタルじゃ、儂はローザンの兵士を処罰するような事はせぬから安心するがよい、トムよ、よくこれまでマルティアーゼを守ってくれた感謝する、お主の事は儂が責任をもって処罰の無きよう伝えておく、それと他の者達もよくマルティアーゼを守ってくれた、其方らに感謝を込めて褒美をとらす、何かあれば遠慮無く申せ」

 それを聞いてフィッシングが皆を代表して口を開く。

「この度、このような場にお目通りが叶い拝謁出来た事は恐悦至極に存じます、私はアルステルのラムズ・ラフィンのギルドマスターを務めさせて頂いてますジュエル・フィッシングと申します、マル……いえマルティアーゼ様のギルドとは懇意にさせて頂いており、此度の件に付きましても私共はマルティアーゼ様をエスタルまで護衛でお送りに付き従ったまで、褒美目的で来たわけではありませぬので辞退させて頂きたいと思う次第で御座います」

 元貴族出身として礼儀正しく口上を述べてから質問に答えた。

「そのように欲のない事を申すな、もしお主達がエスタルに住みたいと申すならそれなりの地位を与えるがどうだ? マルティアーゼも側に友人がいる方が良かろうてな」

「その件については既にマルティアーゼ様と話合いがついて御座います、私共は今後もアルステルで活動をしていきたいと伝えております故……」

「そうか、マルティアーゼと話が通っておるのならそれ以上は言わぬが、他の者はどうかな」

「陛下、ラビット・ポンズは私が作ったギルドで御座います、ここにいるトムとカヤエル・デビット、アルコット・スーグリは私のメンバーで御座います」

 マルティアーゼは手で指し示しながら自分のギルドメンバーを紹介した。

「この三人にはここで生活出来るよう計らって頂きたいのです」

 デビット達が驚いた顔でマルティアーゼに顔を向けた。

「それは勿論、それなりの役職を与えよう」

 王は軽く頷いた。

「あと、私から一つお願いが御座います」

 マルティアーゼが付け加えて申し出た。

「なんじゃ? 申してみよ」

「はい、ファリス王子がエスタルへ戻ってくる間……それまでの間だけでいいのです、私にローザン大公国に帰らせて頂きたく思います」

 諸侯達からざわめきが起こったが、エスタル王はさっと手を挙げ場を治めた。

「勝手に国を出た身で戻る事を許して貰えないかも知れませんが、出来る事なら国元に戻り父や母に謝りたいと思います、ファリス王子が即位された暁には改めてエスタルの地に赴き陛下の元にと思っております」

 シャリスティア王妃は口に手を当て涙ぐんでいた、折角会う事が出来た娘とまたも別れるなど気が遠くなる思いだった。

「そうか……」

 マルティアーゼの願いをエスタル王には断れるわけもなく素直に受け入れる。

「ではローザンによろしく伝えてくれ、迷惑をかけて済まなかったと……」

 その後は各諸侯の挨拶があり、バンティール候もその中に居た。

 バンティール候の処分は二ヶ月の謹慎処分という軽い刑であったが、恭しく頭を垂れた若い諸侯には安堵の表情が伺えた。

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