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「ぬしゃ!」
バルグも応戦しようとすかさず魔法を出そうとするが、
「バルグ……終わりよ」
「なにを!」
妖しく光る緑の目がマルティアーゼの視線と交錯する。
差し込んできた朝日が建物に影を作り始め、町に表情を浮かび上がらせる、だが朝日とは別の方向からもう一つの光が上空から落ちてくる。
北の方角、アルデード城の上空から尾を引く一筋の光の玉が輝きながら速度を上げて、羽を広げた鳥のような姿から火の鳥のごとく赤い尾を伸ばしてバルグに向けて落ちてくる。
「ふざけるでないぞ」
バルグはすかさず片手で詠唱を唱えると、巨大な黒球を生み出しマルティアーゼの魔法めがけて勢いよく飛ばした。
バルグの頭上に落ちる寸前、上空で白と黒の魔法が激突した、途端に世界は見える物が全てが白黒の世界へと変わった。
そこにいた全ての者が、せめぎ合う二つの巨大な魔法から目を背ける。
「くくぅ……」
「ぬぬぬぅ」
膨大な魔力が町の中心で注がれていく。
「ぐぬぬ、例え力があろうとも何十年もの修行をしてきた儂が、小娘の魔法如きに負けるものではないぞ」
「魔導で人は従わない、貴方の使い方は間違ってるわ」
両者杖を前に押し出す格好で額に汗を浮かべながら、魔力を込めるために集中していく。
「ぐおおっ……負けぬぞ」
今やバルグはゾンビどもに使っていた魔力の供給を止めて、目の前の黒球に全ての力を注いでいた。
リーファス通りで戦っていた援軍の騎士団もゾンビの動きに変化を感じていた。
動きが鈍くなり次第に動かなくなってしまったゾンビが、バタバタと地面に倒れていき、指示が届かなくなったリザードマン達は闇雲に走り回りそこかしこに殴りかかっていた。
騎士団達が突然の敵の異変に戸惑っていると、タロス通りから漏れてくる黒い光に気付いた。
真っ黒い闇は朝日を退け、通りの侵入を阻んでいるみたいに黒い壁となってタロス通りを塞いでいた。
騎士団は通りに倒れたゾンビによって足の踏み場もないリーファス通りをどうしたものかと思い歩みを止め、指揮官からの指示を仰いだ。
マルティアーゼとバルグ以外のタロス通りにいた者達は、誰一人動く事が出来ずに空中で拮抗する白黒の光の行方だけを注目していた。
「ぬうん」
バルグにとって此処が正念場であった、もし此処でマルティアーゼの魔法に負けるような事があれば何もかもが終わりである、だが逆に此処で勝てればもうこの場で自分より強い魔道士がいないという事でもあり、後はどうとでも出来る相手ばかりなのであった。
一度はマルティアーゼを連れ去り簡単にこの国を取れると思い、油断してしまって奪い返された事で多少の計画が狂ったとはいえ、マルティアーゼが居なくてもこの国を取れる程の力は持ち合わせていると自負していた、只一つの誤算はマルティアーゼにこれ程の力があるとは思っていなかったのである。
何十年と修行を重ね、一人で魔法を研究、開発を行ってきたバルグだった、その自分がうら若い小娘の使う魔法に負ける訳にはいかないのである。
バルグの信じた魔導の力でこの国、この大陸に一筋の希望を魔道士達に与えるのだと、魔法の力はエスタル王国だけの物では無いのだと、修行ではエスタル王をも超える事が出来るのだと証明する為の戦いであった。
「儂が、儂が世界を変えるんじゃ、いつまでもエスタル王に使われる魔道士ではないぞ、ぐぬぬぅ」
少しずつ黒球の力が大きくなるにつれ、力が増し光を飲み込もうとするのを必死に押し返そうと、マルティアーゼが魔力を込めるがバルグの力に押されていく。
じわじわと白と黒の景色が黒一色に変わっていく。
「それがおぬしの限界かえ、ふぉふぉ、儂の勝ちじゃの」
とどめの魔力を注ぎ込んで高々と杖を上げた瞬間、バルグの杖にひびが入り中程から折れた。
その位置はトムが斬り付けて深い傷跡を付けた刀傷だった。
「!」
途端に勢いを失った黒球がみるみる小さくなっていく。
「ぬおおおぉ……」
闇が退けられ、黒い光の中から光が姿を現す。
一気に闇を振り払い、溜まっていた力が全てバルグに向かって落ちていく。
目を開けていられないくらいの光量は誰しもが顔を覆った、その光の中心でバルグの姿が光に溶けて消えていく。
アルステルに太陽が落ちたかのような眩しさと衝撃が、その場にいた全員に降り注いだ。
「うわああぁ」
「あああぁ」
全員が顔を覆い、誰彼の叫び声も持ち去っていく程の衝撃と光量が通り過ぎていくと、その後は本来の朝日の輝きが町を優しく照らし静けさが辺りを包み込んだ。
ざわざわと少しずつ兵士達の声が増えてくる。
「やったか……」
フィッシングが脇腹を押さえながら呟いた。
気付くと背中に建物の壁が当たる、先程の衝撃で知らぬ間に此処まで飛ばされていたのだ、フィッシングはあまりの衝撃に自分が飛ばされていた事にすら気付かなかった。
マルティアーゼが遠くで肩から息をしながら地面に座り込んでおり、その傍らでミエールがマルティアーゼの介抱をしているのが見えていた。
バルグの立っていた場所は石畳がはがれ、大きく陥没した地面からはバルグの姿は確認出来なかったが、向かいの建物の壁には気絶したオットが倒れているのが微かに見えた。
余りにも強烈な光で視界がまだ残光でぼんやりとしていたが、剣を杖代わりにして立ち上がり辺りを見回した。
太陽は完全に昇りいつもの変わらない朝が訪れている、ただいつもと違うのは沢山の店が通りに出て、そこにたむろする活気ある人々の賑わう風景ではなく、あちこち建物が破壊され、通りには夥しい死体の山が道一杯に倒れている事だった。
生きている者は太陽に照らされた人々の死体に息をのみ、また起き上がってくるのではと静かに様子を見守って立ち尽くしていた。
「マルちゃん、大丈夫?」
ミエールが声をかける。
マルティアーゼの額から汗が伝い顎から滴り落ちていた。
全ての魔力を出し切り、今すぐにでも横になって眠りにつきたい思いを振り払って起き上がる。
「ええ、大丈夫よ、それよりバルグは……」
ミエールに肩を借りながらバルグの居た場所まで歩いて行く。
通りはそこいらじゅう穴だらけになっていて歩きにくく、黒焦げになった人や血だらけの死体がごろごろと転がっていた。
いつもの賑やかな風景と重ねると痛ましく、胸が締め付けられる思いがあった。
バルグの居た場所はひときわ大きく地面が窪んでおり、近寄るとその穴の中心には大の字で倒れているバルグの姿があった。
左からフィッシングが剣を杖にしてこちらに歩いてくるのが見えた。
「……」
バルグの手には折れた杖が握りしめられて、ローブはぼろぼろに破れフードは何処かに飛んでいったのか素顔を日の光にさらけ出していた。
それはもう何と言ったら良いのか、まるで掘り出された何百年も前の木乃伊のような姿だった。
抜け落ちた頭髪に落ち窪んだ眼孔、頬はそげて歯はむき出しに大きく口を開けている、体には脂肪がなくそれこそ骸骨に薄皮を貼っただけのような身体だった。
目にはすでに眼光はなくひっそりと閉じられていた。
「人はこれ程になっても生きていられる物なの、どこにあれ程の強い魔力があったのかしら」
ミエールがバルグの姿を見て感嘆を漏らした。
「そうね、私達には思いも寄らないほどの修行を重ねていたんだと思うわ、この力をもっと違う方向に使われていれば…………」
それこそ皆に魔導の偉大さと尊敬を集められたのにとマルティアーゼは心の中で思った。
足元の干からびたバルグを見つめていると、
(やっと終わった……長い、長い一夜だったわ)
「マルちゃん皆の所に行きましょう、オトさんも運ば……あっ」
ミエールは言い終える事が出来なかった、オットに視線を向けた一瞬にミエールがマルティアーゼの視界から消えてしまい、彼女は地面に倒れ込んでいた。
「……え?」
マルティアーゼがミエールに声を掛けようと頭を動かした瞬間、首筋に強烈な圧迫を感じて息苦しくなる。
喉を締め上げられ顔が空を仰いだ、何が起こったか分からぬまま視線を下に向けるとバルグの顔が視界に入った。
「バ……バルグ……くっ」
「負けぬ、我は負けぬ、我こそが魔導王じゃ……」
バルグの腕を両手で外しにかかるが、片手の細い腕から出る力とは思えないほどの握力に喉が締め上げられる。
「あっ……あぐっ……くっ」
息が出来なくて顔面が充血し、視界がぼやけ空気を求めて喘いだ。
「ぐくく、死ね!」
バルグの頬の皮がつり上がる。
ザンッ、と音を立てバルグの首が胴と離れて地面に転がり落ちた。
締め付けていた握力が急速に弱まりバルグの体が崩れ落ちると、解放されたマルティアーゼが激しく呼吸をする。
「ハァハァ、ごほっごほっ……」
フィッシングが剣を水平に振り抜いた格好で立っていた。
「爺……しぶてぇんだよ」
大きく口を開けて絶命しているバルグに向けてフィッシングが呟き、脇腹を押さえてその場に座り込んだ。
「大丈夫か二人とも」
とんだ相手だったなと云いたい表情でフィッシングは二人を見ていた。
闇夜の長く苦しい戦いに終止符が打たれ、朝日がアルステルの町に生々しい戦いの結果が露わになった。