7.大音声・期待・終了
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ヒュウゥッ…!
抑え込むのに必死な余り、ロドリオと宗昭は気付かなかったが、雷堂は瞬間的に大きく息を吸い上げた。
肺、胸部が大きく膨らむほどの大量の空気。
それほどの量を一瞬で吸い込むなど常人にはまず不可能だが、雷堂のような最高位の“気功”の使い手ならば可能だ。
例えば脳を強化しての思考能力の加速、肝臓の毒物分解能力の強化、五官の感覚向上など、防御力や単純な筋力のみならず、脳や内臓、目や耳などの五官、爪や髪の毛に至るまで、身体の各部位、各機能を自由自在に選別強化することが出来る。
この場合は、肺を始めとする呼吸器系を強化したのである。
肺に溜めた大量の空気、それで何をするかと言えば…。
「あぁっっっ!!!!」
キィィィーーー…ン!
ビリ…ビリ…!
全ての空気を、一息で吐き出した。
“音の衝撃波”は、文字通りの音速で広まり、訓練場を揺らす。
観客席にいる者達ですら思わず耳を抑え、聴覚に秀でた種族などは耳の痛みや頭痛すら覚える“大音声”。
…当然フィールドに立っている人間がタダで済むはずもない。
「う…ぐぅ…!」
ある程度距離を置いていたリーンベルら三人でさえ、聴覚を完全に麻痺させられ、脳を揺さぶられたかのようなダメージを受けた。
まして超至近距離でこれを受けた二人の被害は尚甚大である。
鼓膜をブチ破られたことによる耳からの出血。
耳の奥にある三半規管がダメージを負い、平衡感覚が失われる。
音の振動により脳が激しく揺さぶられ、脳震盪を起こす。
抑え込むことはおろか、最早体に力が入らない。
そこに、ダメ押しとなる追撃が。
「よっ、と」
ドガンッ!! ドゴンッ!!
そんな、軽い一言と共に放たれたハイキックが宗昭の側頭部を捉え、そのまま流れるような振り向きざまのアッパーでロドリオの顎を砕く。
その時点ですでに致死ダメージだが、雷堂の動きは終わらない。
二人がフィールド外へ排出される前にその体を持ち上げ、迫りくる火球へ向かって放り投げると同時に、雷堂自身はバックステップで素早く距離をとる。
二人が接触したことで火球は爆発を起こすが、≪メテオ・フレア≫は元々爆発の規模を縮小することでその分密度を高め威力を上げる魔法。
故に有効範囲は威力に反して決して大きくはなく、火球状態からの凡そ五倍程度。
火球は最終的に直径約四メートル、よって爆発規模は直径約二十メートルとなり、爆発が起きた地点から雷堂までの距離は既に十メートルを切っていた。
普通なら、爆発が届く前に十メートル以上の距離をとるなど不可能に近いが、雷堂の速度ならば容易い。
あっさりと範囲外へ退避すると、今度は爆発範囲をギリギリのラインで迂回しながら、前方に駆け出す。
その先にいるのは、朱音。
渾身の大魔法を放った疲労に加え、雷堂の“声”のダメージも相まって膝を突いていた彼女の前に瞬時に移動する。
ドスッ
『観月朱音ノ致死ダメージヲ確認シマシタ。 フィールド外ヘ排出シマス』
声を上げる間もなく、的確に心臓に突き立てられたナイフは即座に致命傷となり、彼女の体が転送光に包まれた。
その光を見送るように暫し見上げていた雷堂だが、徐に視線を下げたかと思えば、そのまま生き残っている二人に目を向ける。
「あと、二人」
この間、魔法の発動から僅か二十秒程度の出来事であった。
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フィールド内外にいたほぼ全ての人間が、何が起きたのか理解できない。
雷堂の行動が分かったのは極僅か、上位の実力を持つ戦闘系講師と、学園トップレベルの一部学生のみ。
そんな彼らですら全てが見えた訳ではない。
微かに見えた一部の動きと、その結果から推察しただけだ。
全てが見え、完全に理解できたのは二人だけ―――
「相変わらずとんでもないな、世界級は」
「でも、あれでも随分手加減してますよ」
「分かっているさ。 もしあいつが本当に本気を出したら、あの子らでは三秒も持たない。 文字通りの“瞬殺”だ」
ソフィアは大陸級、晶は国家級。
雷堂を除けばこの場で最も高い位階を持ち、ソフィア以外では最高でも師団級しかいないクロスハート学園関係者と比べれば抜きんでた実力者だ。
「けれど、よかったんですか?」
「…なにがだ?」
「この模擬戦の事です。 あの子たちが、完全に自信を失う可能性もありますよ」
「かもしれん。 だがそれで心折れるならばその程度だったという事。 どのみち、“上”には行けん」
「まぁ構わないというなら、別にいいんですが」
「それに私は、あの八人なら大丈夫だと思っている」
「…その根拠は? まさか身贔屓という訳ではないでしょう?」
それは当然、と一つ頷きその理由を話し始めるソフィア
「彼らの入学当初の話だが、この学園では新入生に、四年生の中でもトップクラスの数人と模擬戦を行わせる。 目的はいくつかあるが、大きいのは二つ。 学園での訓練の結果、どれだけ実力を身に着けられるかのアピールと、学園に入学出来たことでやたらと増長した人間の鼻っ柱をへし折るためだ。 毎年そういうのが一定数いるのでな」
「ああ、まぁ無理もないですね」
クロスハート学園は名実ともに教育機関の最高峰。
そこに自身の実力で持って合格できたとあれば、多少増長する人間が出るのも無理からぬことだろう。
しかしだからと言ってその増長を放っておけば、いつか必ず痛い目に合う。
最悪の場合、本人だけではなく周囲すら巻き込んで。
だからこそ早い段階で“矯正”しておくわけだ、本人と何よりも周囲の為に。
「で、当然彼らも模擬戦を行った。 しかし当時の彼らは良いところ大隊級、すでに旅団級に差し掛かっていた相手に勝てるはずもない。 手も足も出ず、とまでは言わないが、ボロ負けだった。 …その時、どんな反応を見せたと思う?」
「悔し泣きでもしましたか?」
「いいや」
晶の予想を否定し、にやりと笑って見せると答えを返す。
「“笑った”のさ」
その言葉に反応し、若干の驚きを見せる晶。
「それは」
「諦念を滲ませたようなものではない。 戦士のような獣のような、強敵の存在に対する歓喜に満ちながらも、その奥では苛烈な殺意と敵意を滾らせている、そんな顔だ」
「…」
「誰にも負けたくない、誰よりも強くありたいという“弱者”の思いとは違う、越えるべき強敵が存在するという事実に対する喜びに満ちた顔。 高位の位階にある者なら誰もが見せる、己が世界における“上位者”であるという確信を持った顔。 それを彼らは見せた。 私が学園長になってから二十余年、あの顔をする学生は初めて見た」
「成程」
晶は得心が言ったというように頷いて見せる。
「だからこその期待ですか。 “彼らの為の教師”として、世界級である兄さんを呼ぶほどの」
「彼らにはそれが相応しいと思ったのさ。 彼らならばきっと、私たちと同じ“人”を越えた領域まで辿り着ける。 或いは世界級の域にすら届くかもしれない」
そこまで言うと、ソフィアは自嘲するような苦笑を浮かべた。
「…身内の贔屓目が過ぎるかもしれんがね」
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リーンベルは目の前の光景が理解できなかった。
彼女の目に映るのは、真っ赤に焼け溶けた地面と、自分と同じく呆然と佇むティアの横顔、そして傷一つ無い姿で朱音にナイフを突き立てる雷堂、ただそれだけ。
—————何が、起こった?
ほんの十数秒前まで、確かに作戦は順調に進んでいた。
事実予定通りの状況で朱音の魔法は放たれた。
その時確かに雷堂はロドリオと宗昭に抑え込まれていたのだ。
なのに雷堂は今ここにいる。
抑えていたはずの二人の姿は見えず、爆発の合間から僅かに二つの光が見えたことからも、彼らが既にフィールド外へ排出されたことは想像に難くない。
だがそこへ至った道筋が全く分からない。
前方から凄まじい大音声が響いたかと思えば、火球が雷堂のいた位置よりもかなり手前で爆発を起こし、次の瞬間には朱音の胸にナイフを突き立てる雷堂の姿があった。
彼女に見えたのはそれだけで、どうやってその状況に至ったのか、全く訳が分からなかった。
転送によって朱音の体が排出された直後、雷堂の視線がこちらへ向けられる。
「あと、二人」
その言葉にその視線に、急速に思考が回復する。
全霊を賭して挑んだ作戦は失敗し、残っているのは二人だけ、最早勝てるなどとは思っていない。
だがそれでも、勝利の可能性を得るための努力を放棄する気は微塵もない。
それは横に立つティアとて同じだろう。
打ち合わせたかの様に、自然と左右に分かれて駆け出した。
その行動に、雷堂もまた楽し気に笑って見せる。
「≪フレイムアロー≫!」
「≪エナジーブリット≫!」
牽制の魔法を放ちながら、途中先程落とした武器を拾い、雷堂に肉迫する。
「はあぁぁぁーーーーー!!」
「せぇやぁぁーーーーー!!」
その二人の様子を見つめていた雷堂が、フッと、今迄とは違う笑顔を浮かべる。
ガッ、ガシ!
「あっ…」
「くっ!」
「及第点、だな」
左右から同時に繰り出された攻撃を、素手で直接武器を掴んで止めながら呟いた。
しかしその言葉に反応する間もなく…。
「よっ!」
「!!」
片手で掴んでいたティアの槍で、その体を引っ掛けるように持ち上げ、そのまま地面に叩き付けた。
ズダァーーン!
轟音が響き、地面が大きくへこんだ。
安全装置が作動し、ティアの体を転送光が包む。
『ティア・マーティンノ致死ダメージヲ確認シマシタ。 フィールド外ヘ排出シマス』
「七人目、と」
そしてとうとう残ったのはリーンベル一人。
体力は底を尽きかけ、武器も掴まれたままビクともしない。
魔法はまだ使えるが、下級魔法ではダメージが通らず、中級魔法を唱えるには時間が足りない。
最早現状使える手は一つも無い。
そして雷堂の空いた手が、リーンベルに向けて振り上げられる。
(詰み、ね)
素直にそう思う。
負けたのだ、と。
(でも次は、もっと…)
強い衝撃と共に、意識が闇に沈む。
その直前…。
「安心しな。 間違いなく、強くしてやる。 今度は俺を相手にももっと戦えるように」
それを聞いた彼女の顔には、笑みが浮かんでいた。
常人ならばゾッとするような、凄絶な笑みが。
『リーンベル・エメリア・グロスターノ戦闘不能ヲ確認シマシタ。 フィールド外ヘ排出シマス。 …全訓練生ノ戦闘不能ヲ確認シマシタ。 訓練生側ノ敗北条件ガ満タサレタ為、以上ヲ持ッテ模擬戦闘ヲ終了シマス』