6.決死・劫火・嗤い
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「うっ…ぐぅっ…!」
(なん、だ、この、感覚。 まるで巨木にでもしがみ付いてるみたいな…)
ギリギリとはいえ順調な作戦とは裏腹に、ロドリオは必死の形相を浮かべている。
熊人の血を引くロドリオの腕力は普人族とは比べ物にならないほど強い。
強化を使わない、素の状態の力比べならばさしもの雷堂も勝ち目は無いだろう。
にも拘らず、絞め殺すぐらいのつもりで全力で抑え込んでいるロドリオは、今にも振りほどかれそうな感覚を覚えていた。
(は、早く…! これ以上、抑え切れる気がしない!)
祈るような必死な気持ちで待ち続けたその時は、遂に訪れた。
「行ぃぃっけぇぇーーー!!」
朱音の吠えるような絶叫と共に放たれる魔法。
迫りくる火球に、仮想現実とは言え若干の恐怖を覚えるが、それ以上に作戦が成功しつつある喜びが意識の大部分を占めている。
無論それで力を緩める様なことはしないが、それでも精神的な余裕が生まれた事は大きい。
後は一秒でも早く、魔法が当たる事を願うだけ。
(後、少し…! ほんの数秒抑えれば…勝ちだ!)
強烈な熱気に肌が焼かれる感触と、先程よりも遥かに大きく見える火球を視界に収め、作戦の成功を確信し…。
(…え?)
視界が、ぐにゃりと歪んだ。
(なんだ…これ…)
体に力が入らない。
平衡感覚が無い。
立っているのか、寝ているのかも分からない。
視界がぐらぐら揺れている。
脳がまともに動かない。
朧気な意識の中で、自身に迫りくる“何か”を感じる。
ドガンッ!!
(何、が…起こ…)
何一つ理解できぬままに、ロドリオの意識は闇に沈んだ———
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「ぐ、む…!」
(なんて感触だ…! 人間の体とは思えん、まるで巌のようだ…!)
左右の肩口に跨るように、斜め上から押し込むように刀で抑えつける。
普通はそんなことをすれば、気功の力も相まって骨ごと切断されるところだが、皮膚どころか服すら切れていない。
分厚く頑強な《気》で護られた身体は、身に着けているものも含めて並大抵の攻撃は受け付けない。
刃物で切れず、ライフル弾を弾き飛ばし、ミサイルの直撃ですら無効化するだろう。
宗昭はこの感覚に覚えがあった。
実家にいた頃、時折訪ねて来る伯父・宗則が稽古を付けてくれたことがあったが、その時に感じたものだ。
余りにも隔絶した、圧倒的で絶対的な強者の気配、それを雷堂にも感じる。
ティアと同じく、身内に世界級が存在する宗昭は気付いていた。
今は少なからず“戦い”の形になっているこの模擬戦も、雷堂があと少し、ほんの僅かでも本気を出せば一瞬で終わるという事を。
おそらく雷堂は、この模擬戦中自身の使う気功に明確な“ライン”を引いている。
学生組の力を見切り、その上でギリギリ、辛うじて対処できる“ライン”。
それを越える力を使う気はないのだろう、出なければとうに拘束は破られ、学生達は全滅している。
いや、それ以前に開始と同時に終わっていたはずだ。
“世界級”と“それ以外”にはそれだけの差があるのだから。
「行ぃぃっけぇぇーーー!!」
必死に雷堂を抑え込む宗昭の背後から、朱音の声が聞こえてきた。
同時に、同じ方向から巨大なエネルギーが近付いて来るのも感じる。
あの魔法を見た瞬間の雷堂の様子からしても、当たりさえすれば間違いなく効くはずだ。
その確信の元、全ての気力を絞りつくすつもりで力を籠める。
背中が熱で焼け爛れていくのを感じても、宗昭は一切力を緩めない。
(後数秒、死んでも抑えきる!)
水際においても尚覚悟と決意を新たに、より一層の気迫を込める宗昭。
しかし…。
ゴウッ!!
(な、ん…だ…?)
顔面に暴風のような衝撃が吹き付けたかと思えば、体が勝手に力を緩めていた。
足元がおぼつかず、自分がいまどちらを向いているのかも分からない。
「何、がっ!?」
ドゴンッ!!
只々混乱する中、突如頭部に響く凄まじい衝撃。
結局何が何やら分からぬままに、宗昭はその場に倒れ込み、同時にフィールド外へ排出された―――
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「ううぅぅーー…!」
(あ、たま割れそう…!)
本来身に余る上級魔法を必死で制御しているのか、朱音に余裕は全く無い。
(でも、まだ…! もっともっと、《魔力》を!)
術者にこそ影響は与えていないが、巨大な火球は地面を赤く溶かし、周囲に凄まじい熱波を発している。
その様子からも火球の威力は察せられよう。
それでも尚、更に《魔力》を注ぎ、より威力を高める。
全ては親友が立てたこの作戦の成就の為、死力を尽くすつもりで。
しかしとうとう限界が訪れる。
制御のための最低限の《魔力》のみを残し、それ以外のすべての《魔力》を注ぎ込んだ
限界まで高められた威力、その破壊力は既に上級魔法の更に上、最上級にすら迫りつつある。
いかに雷堂の防御力が高かろうと、この熱は防げない筈。
後は放つだけ。
しかしそこで彼女の魔法制御がグラつき始める。
(や、ばい…! 早く、撃たないと…!)
本来の彼女の実力を大きく上回る大魔法。
長時間かけ、これのみに集中し、ようやく行使できる高難度魔法。
完成した事で生まれた僅かな気の緩みが、制御の甘さにつながった。
元々がギリギリの所で制御されていたのだから、それも当然であろう。
「う…ぐうぅぅ…!」
(撃、てない…! 撃とうとした瞬間に、暴発しそう…!)
何とか制御を立て直そうとするが、上手く行かない。
このままでは残り僅かな制御用の魔力すら尽きてしまう。
もしそうなれば、この大魔法はその場で暴発、朱音のみならず、少しの距離を置いているリーンベルとティアを巻き込んで大爆発を起こすだろう。
そうなれば、完全に終わりである。
それが分かっているからこそ必死に立て直しを図っているのだが…。
(だ…め…! 限、界が…)
遂に限界を迎え制御を手放してしまいそうになる朱音。
しかしそこへ…。
「やれ! 観月ぃ!」
「朱音ちゃん!」
今も必死に、あの“化物”を抑える二人の仲間の声が届く。
それは今の彼女にとって、何よりも心強い援護となった。
(そうだ…!)
朱音の瞳に、萎えかけていた闘志が燃え上がる。
(皆で…ここまでやって…最後の最後で…私のせいで、失敗なんて! そんな事!!)
揺らいでいた魔法が、急速に調和を取り戻す。
「…許せる訳、あるかぁぁーーー!!」
そればかりか、元々強大であった火球が、更なる高まりを見せた。
魔法は精神の力、強い心が、より強い力を生む。
朱音の闘志が、真に限界を超えた力を生み出して見せたのだ。
「行ぃぃっけぇぇーーー!!」
そして遂に―――
「≪メテオ・フレア≫!!」
それは、放たれた。
「…よしっ!」
揺らぐ事もなく、真っ直ぐ雷堂へ向かって行く火球を見て、膝を突き息を荒げながらも、朱音は思わず声を上げてしまう。
一度放ってさえしまえば、後は制御の必要もない。
ほんの十数秒、当たるまで待つだけ。
この時点で朱音もまた、雷堂を抑えるロドリオと宗昭と同じく、作戦の成功を確信していた。
それも無理のない話だろう。
力を加減されて尚ギリギリとは言え、辛うじてその身を抑え込めている。
雷堂がこの模擬戦中、今以上の《気力》を使う気が無い以上、即座に振り解くようなことは出来ない筈。
勿論それを確認した訳でもないが、恐らく間違ってはいない、故の確信であった。
しかし彼女らは一つの前提を間違えている。
それは―――
何故今の状態の雷堂に、攻撃手段がないと言い切れるのか。
通常気功使いは、射撃武器や投擲武器以外の遠距離攻撃手段は持たない。
《気》を切り離して飛ばす、などという事は出来ないからだ。
中には気功と魔法の両方を使うことの出来る、魔法戦士と呼ばれる類の者も存在するが、少なくとも雷堂は違う。
であれば、手足を抑えれば攻撃も封じられる。
そのごく当たり前の思考からくる思い込みは、しかし世界級という規格外の怪物を相手にするには、あまりにも致命的であった。
(当たっ…!)
「あぁっっっ!!!!」
キィィィーーー…ン
「痛ぅっ…!」
(何!? 今の、…声!? 耳が…!)
突如として爆音のような“声”が轟き、耳に、頭に、激痛が走る。
頭を押さえ、聴覚はマヒしながらも、視界には遂にさく裂した魔法の爆発が映るが、感じたのは歓喜よりも違和感。
(タイミングが、おかしい…? 数秒速いような…。 それに今の声は…?)
“声”に揺さぶられまともに動かない頭で、それでも何とか思考しようとするが―――
ドスッ
胸に感じた違和感に視線を下げれば、そこにあったのは一本のナイフ。
それを認識すると同時に、意識は途切れ、朱音の体は転送光に包まれた。
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朱音が魔法を放つ直前の事―――
(あれは、マジでやばいな…)
打撃や斬撃のような物理的な攻撃であれば、雷堂にはほぼ通じない。
しかし“熱”や“電気”のような、身体の頑強さが意味を為さない攻撃に対してはどうしようもない。
あの魔法が当たった後の爆発の衝撃には耐えられても、その前に来る熱や、爆発後の急激な無酸素状態はどうにもならないだろう。
雷堂ですら当たれば危うい攻撃、当然学生達が耐えきれる筈もない。
にも拘らず、ロドリオも宗昭も未だに逃げもせず雷堂の体を抑え込んでいる。
ここで雷堂は悟る。
(…仲間ごとやる気か。 こいつらも最初からそのつもりで…。 いや、さっきの様子からすると柳生の坊主は予定外か? 一人で俺を抑え続けるのは難しそうだと判断して咄嗟に加勢した、か)
雷堂がそう思い至ったところで、遂に事態は終息へ向けて動き出す
「やれ! 観月ぃ!」
「朱音ちゃん!」
誰あろう、間違いなく巻き添えで“死亡”となるであろう二人が、朱音を促した。
朱音も、仲間ごと攻撃する作戦にここまで来て今更躊躇いがあったわけではないが、それでも二人の言葉は切っ掛けとなったのであろう。
遂に、“ソレ”が放たれた。
「行ぃぃっけぇぇーーー!!」
ゴウ、と。
火球は進路上の地面を赤く溶かしながら、真っすぐに迫る。
決して速くはないが、極端に遅い訳でもない。
後、ほんの十数秒。
それでこの魔法は直撃する。
この時点で、学生達は全員が作戦の成功をほぼ確信する。
(あー、こりゃ無理だな)
―――しかしそれは、
(仕方ない)
———余りにも都合の良い、
(少しだけ)
―――“願望”だったのかもしれない。
(“本気”を出そうか)
加速する思考の中で、
雷堂は、静かに
―――嗤った―――