3.学生組
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二月末の休日 境界学園クロスハート―――
間クラス加入予定の八人は雷堂の課題を熟すべく、一月からずっと訓練場に入り浸っている。
雷堂らが去ってからもうすでに一ヶ月以上が経つ今日も、彼らの姿は訓練場にあった。
「ぐぬぬ…」
「…」
「ぬぅーー…」
「……」
「ぬぁーーー…」
「あーもー! ヴォルフうるさい! 少しは黙ってやってよ!」
唸りながら手元のボールをもてあそぶヴォルフに、すぐ隣にいた二コラが遂にキレた。
唸りたくなるのも分かるのでしばらくは我慢したのだが、流石に五分以上ずっと真横で声を出されると気になって仕方がない。
「わざとじゃねーよ。 つい出ちまうんだよ」
「横でずっと唸られるとこっちが集中できないんだよ! この駄犬!」
「んだとこらぁ!!」
ぎゃいぎゃい言い合いを始める二人に、他の面々も元々切れかかっていた集中力が完全に無くなる。
「…少し休憩しましょうか」
リーンベルの言葉に全員否やは無く、それぞれの手元—床に置いているので正確に言えば足元—のボールから手を放し、輪になって座っていた状態から思い思いに凝り固まった体を解す…二コラとヴォルフはまだやりあってたが。
「…難しいねー」
いつもの元気は何処へ行ったのか、休憩用に置かれた椅子の上でぐったりと力を抜く朱音。
魔術師だけに彼女の集中力は実はかなり高いのだが、それでも中々上手く行かない現状は堪えるらしい。
「感覚は掴めたんだがな…」
「ん、問題はその先」
元々元気よく喋る訳でもないが、宗昭とティアの二人も声に張りが無い。
もうすぐ昼時になろうという時間、朝からずっと集中して続けてきているのだから無理も無いだろう。
「そんな焦ることないよ~。 まだ時間は半分以上残ってるし~、課題の三段階の内もう二段階目までできてるんだから~」
「だねー。 後はもう只管根気強くやってくしかないよ。 学園長もそう言ってたでしょ?」
全員思考がネガティブになりかけているのを察知して、シルフィアーネが意識的に楽観的な発言をする。
ロドリオもそれに乗っかり、ソフィアの名前を出して宥める。
「…そうね、二人の言う通り、焦っても仕方ないわ。 もう直ぐお昼だし、一度切り上げて片付けてから昼食にしましょう」
リーンベルがそう締めると、やはり精神的に疲れているのか、全員素直に後片付けを始める。
…いかに重量三百キロとは言え、見た目にはソフトボールサイズのボールを慎重に転がしながら台車に載せるのは、何だかシュールな光景だった。
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『常に性質変化を続ける、《生命力》に反応して軽くなる特殊なボールを、性質変化に合わせて《生命力》の放出量を調節しながら、最低十分間手で保持する』
雷堂から出されたこの課題は、大きく三段階に分けられている。
1.ボールの性質変化を見極められるようになる
2.性質変化に合わせた《生命力》の必要量の感覚を掴む
3.性質変化に合わせて《生命力》の放出量をコントロールし、ボールを手で保持する。
1は割と直ぐにできた。
ずっと手を触れていると、ボールの性質が変わる一瞬の感覚が掴めるようになったのだ。
2も時間は掛かったが難しくは無かった。
ボールの感覚の変化に合わせて、《生命力》の放出量の調整を何度となく試している内に、どの程度の放出でその時のボールの重量が変化するのか、その感覚も掴めた。
しかし最大の難問は3だった。
この課題の目的は生命力の操作精度と操作速度の向上。
3こそがそれらを鍛えるための鍛練であり、1、2はそれを行うための、言わば前準備に過ぎない。
大きな問題は二つ。
まずボールの性質変化は非常に小刻みで、少しでも放出量がズレれば反応しない。
これに対してはボールの変化を百段階に分け、それぞれに対応する放出量の感覚を体に叩き込むことで対応した。
四十九から五十といった非常に微妙な変化が起こる事もあったが、これは慣れれば何とかなるだろう。
もう一つの、より厄介なのは変化の速さ。
変化するまでの間隔は非常に短く、長くとも三秒程度。
性質変化は完全にランダムであるため、百から一といった極端な変化などが起きる事もあり、放出量の調整が間に合わないのだ。
この二つ目に対してははどうにも妙案が浮かばず、中々記録は伸びない。
三段階目に入って直ぐ、全員がこれまでに無い行き詰まりを感じ、誰かにアドバイスを求めようと考えた。
そして思い当たったのが学園長であり、今現在クロスハート、いや、クロスロードに存在する中で最強の使い手であるソフィアだった。
…が、結果はにべもない
『基礎鍛練に於いてコツや早道など無い。 ああいった事は毎日積み重ね続ける事が最終的な結果に直結する』
バッサリとそう言い切られてしまえば最早どうしようもない。
そんな訳で今日も地道に訓練を続けている
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所変わってクロスハート学園、学生食堂―――
「うあぁ~」
食事を終えて一休みしていると、朱音がテーブルに突っ伏し何とも言えない声を上げた。
貴族子女として行儀作法がしっかりしているリーンベルが、流石に見かねて注意する。
「女の子が人前でなんて声出すの」
「だって~」
地味で地道で集中力の居るこの鍛練は、精神的にかなり疲れる。
いくら朱音が魔術師としての高い集中力を持っているとはいえ、それを維持し続けるのはキツイ。
結果が今の所目に見えないと来れば尚更だろう。
「まぁ、唸りたくなるのも分からんでもない。 ここ最近毎日時間の許す限り訓練を続けているが、進歩してるのかよく分からんからな…」
「そうだね。 今の所十分どころか三分ももたないんだ。 しかもやるたびに記録がバラバラ、二分もったかと思えば次は十秒で終わったり。 運に左右される要素が大きすぎる」
「ん。 それにあっちも鬱陶しい」
そう言ってティアが視線を向けた先には、数人の学生が彼らに対し嘲るような眼を向けていた。
しかもそれは一人二人ではなく、何人もの学生が、だ。
「チッ! うざってえ…」
「ほっとこうよ。 どうせああやって見てるだけだって」
「そうよ~。 あの訓練がどれだけ難しいのか、そんな事も分からない程度の低い人達には、関わるだけ無駄よ~」
「…お、おう、そうだな」
「そ、その通りだね…」
そうは言いつつもシルフィアーネも苛つくのは同じなのか、言葉はかなり辛辣だ。
彼女のその様子に、最初に悪態をついたヴォルフも、宥めたロドリオも軽く引いている。
視線を向けているのは同じ二年生、その中でも成績が中の中から中の下程度の、学年平均かやや下に位置する学生達。
彼らがそんな視線を向けるようになったのは、選抜科生が今やっているボール訓練が学園に知れ渡ってからだ。
確かにあの訓練は知らずに見ればかなり妙だろう。
何しろ傍目には奇妙な金属製のボールを床に転がして、まるで遊んでいるようにしか見えないのだから。
要するにあの学生達は、学年トップの精鋭が集められた選抜科生がそんな奇妙な訓練を真剣に行い、しかも悪戦苦闘している様が面白くて仕方ないのだ。
学年トップクラスを狙えるほどの実力は無く、さりとて落ちこぼれでもない。
そんな微妙な立ち位置にいる彼らにとって、学年の最精鋭が集められた選抜科は、嫉妬と敵意を向ける格好の的だった。
しかしそんな彼らの負の感情を、リーンベルは一蹴する。
「ロドリオの言う通り、放っておけば良いのよ。 どうせあの連中は私達に直接何か言ったりやったりしてくるような、そんな度胸なんて無いんだから。 …それよりも午後からの事を考えましょう」
どうでもいい、まさにそんな様子で話を切り替えるリーンベル。
また他の七人もあっさりとそれに追従し、向けられている視線の事は既に頭にない。
下らない嫉妬で、下らない感情を込めた視線を向ける暇があるのなら、少しでも訓練を積み己を高めれば良い。
そんなことも出来ない時点で、選抜科生にとってあの学生達は、頭の中に情報を入れておく価値など微塵もない存在に過ぎないのだ。
「今日はもうあの訓練はやめておいた方が良いと思うの」
「え? なんで?」
「もっと幾らでもやった方が良いんじゃねーのか?」
「昨日も丸一日ずっと続けたけど、午後はみんなガタガタだったでしょう? あの訓練は只でさえ集中力を使うのに、それを無理して長時間続けても効率が悪いわ。 それならいっそ休日は半日だけ集中して訓練に充てて、残りは完全休養にして体を休めた方が良いと思う」
「…成程、言われてみれば昨日の午後は俺自身も含めて、皆集中できていなかったな」
「ん、確かに…」
「じゃあ今日はもう休み?」
「私はそれが良いと思うのだけど、反対の人はいる? 勿論自主的にやるならそれは自由という事で」
全員が少し考える仕草を見せるが、リーンベルの提案は納得がいくものだったのか、異を唱える者はいない。
「ちょっと落ち着かない気はするけど、まだ一月以上ある今から根を詰め続けてもしょうがないしね」
「じゃあ決まりだね! 今日は今から休み!」
休みが決まった途端元気になる朱音。
訓練が嫌いなわけではないが、それはそれ、やはり休みは嬉しいのだ。
「ねぇリーン、シルフィとティアも! 町まで出て甘いものでも食べに行かない?」
「良いわね、ずっと集中してたから頭が疲れてる気がするし」
「ん、付き合う」
「それならアイスクリームは~? 中央広場の近くに新しいお店が出来たそうよ~」
「あら、そのお店なら私も聞いたわ。 中々評判が良いみたいね」
「ん、その店は私も気になってた」
「決まりですね~」
きゃいきゃいと華やいだ雰囲気を見せる女子達。
甘味に心惹かれて女子が盛り上がるのは、何時の時代、何処の国、どの世界でも同じらしい。
「それでは失礼するわ」
「じゃあね!」
「また、明日」
「お先に~」
はしゃぎながら去っていく女子達と、ぽつねんと取り残される男共。
その背中には妙な哀愁を感じる。
「…僕も甘いものは好きなんだけどな」
「混ざってきたらどうだ?」
「冗談でしょ。 …いや、宗昭の場合本気だよね」
「? 何か問題があるのか?」
「女子ばっかりの中に男一人で入り込むとか、フツーに嫌だ…」
「そういうものか…?」
本気で不思議そうに首を傾げる宗昭に、処置無しとばかりに肩を竦める二コラ。
「おめーなら女連中の中に混ざっても違和感ねーだろ」
「…ああん?」
「まぁまぁまぁ…。 それより、みんなはこれからどうするの?」
またもにらみ合いを始める二人を、またまた宥め役に回るロドリオ。
穏やかな常識人である彼はこういう時損をするらしい。
「俺は体を動かしてくるぜ。 昨日からロクに動いてねーから、思いっきり動き回りてぇ」
「…なら付き合おう。 俺も素振りだけじゃなく手合わせもしたい」
「おう、良いぜ! なら一勝負と行くか!」
「良かろう」
「あ、じゃあ僕も行こうかな。 二コラはどうする?」
「僕は射撃訓練場の方に行くよ。 気が向いたらそっちにも顔を出すから」
「うん、じゃあまた後でね」
そう言って既に駆け出していた二人の後を小走りに追い掛けるロドリオ。
二コラはその背を少しだけ見送ってから、まずは愛銃を取りに自室へ向けて歩き出した。
―――その後、三人で対戦に熱中している所に更に二コラも加わり、ヒートアップし過ぎた四人は完全に寮の門限を忘れて盛大に遅刻。
寮監に説教を食らった上、結局身体を全く休められず、女子勢に呆れた目で見られることとなったのは余談である。