0-8 優しさ
「菜月、どういうことなのよ!」
次の日学校へ登校した菜月を待っていたのは、雅のそんな叫びだった。あれから菜月は家に着くと疲れてすぐに眠ってしまったので、朝携帯に残された雅による大量のメールを見て顔を引き攣らせることになった。
「どういうこと、って言われても」
「大丈夫だった? あの先輩に何か酷いこと言われなかった!? というか何であいつ菜月を連れ帰ったのよ……」
「えーと、ね。つまり……」
捲し立てるように話す雅を落ち着かせてから、菜月は自分と恭一郎の関係を――普段雅によく話す“いっくん”というのが彼なのだと話す。
菜月が、話が進む度に雅の表情がどんどん驚愕の色に染まって行くのを眺めていると、話し終えた途端に雅が菜月の両肩を掴んで思い切り前後に揺さぶった。
「よーし菜月、ちょっと冷静になろうか」
「冷静じゃないのは雅だからね」
「だってあんた、いつもいっくんはかっこよくて大人で優しくて頼りになるって言ってたわよね?」
「うん」
「あの先輩の一体どこが優しいっていうのよ!」
そんなことを言われても菜月だって返答に困る。確かに雅から聞かされていた先輩は嫌味なことばかり言う人、ということだったが、それを恭一郎と結びつけると今度は菜月が首を傾げてしまうのである。
確かに時々意地が悪いことを言う時もあるが本気でないことは分かっているし、相当忙しい――今まで知っていたことに加えて怪異の退治までやっていた――のに、菜月の勉強を見てくれたりと、本当に優しいと思うのだ。昨晩のようにぐちぐちと彼女に説教するのだって、無論菜月を心配してくれているからに他ならない。
「優しい」「優しくない」と二人の意見が平行線になり、その議論は放課後まで持ち越されることになった。
その日の放課後、菜月は雅と空と共に再び怪異調査事務所を訪れていた。恭一郎について話が白熱していた二人を止めた空から「八雲さんがペンダントを取りに来いってさ」と伝言を貰ったからだ。本当は昨日病院の後に渡すはずだったのだが予定外のことがあった為、今日事務所へ向かうことになった。
用があるのは菜月だけなので二人は事務所へ赴かなくて良いのだが、「どうせよく入り浸ってるし」「事務所の方が宿題が捗る」などと言って一緒に行くことになった。1人で事務所に行く彼女に気を遣ったのか本音なのかは分からないが、道を覚えるという意味でも二人が来てくれるのは菜月にとってとてもありがたい。
雅が空にも菜月と恭一郎の関係を話すと、彼は少し沈黙した後「成程な……」と考えるように頷いた。
「昨日の相馬先輩なんか可笑しかったもんな。ものすごい速さで来たと思ったら嫌味も言わずにさっさと音羽連れて帰ったし」
「そうそう、普段なら『この程度の怪異でわざわざ呼び出したのか?』くらい言うよね!」
「……そうなの?」
「だから言ったじゃん、優しくないって」
雅達と話しながら菜月は道を確認して歩く。大通りから急に狭い道に入るのでよく覚えていなければ通り過ぎてしまいそうだ。
夕方とはいえまだ明るい中事務所に着き、菜月はようやく表に掲げられた看板をよく見ることが出来た。看板には『影白税理士事務所』と書かれており、これがこの事務所の表の顔であると同時に、恭一郎のバイト先でもあったのだなと理解する。表でも裏でも彼はここで働いていたのかと。
三人で階段を上がって挨拶と共に事務所の扉を開けると、二つ置かれている仕事机には八雲と恭一郎それぞれが着いており、何やら電卓片手に書き込んでいた。
「あー、飽きた」
「仕事を飽きたで放り出さないで下さい。だから溜まるんですよ」
ぐったりと上半身を寝かせて疲れたように声を上げた八雲は、三人が来たことを知ると喜んで立ち上がり仕事を中断する。
「いやーいい所に来たな! そうそう、兄さんから菜月ちゃんの異能の話は聞いておいたんだ。何かすごい異能みたいだね」
ささ、座った座った。と菜月達をソファへ促した八雲はそのまま簡易キッチンに立って鼻歌混じりにお茶を入れ始めた。
「八雲さんご機嫌だな」
「今までマンツーマンで先輩にいびられてたからでしょ」
空と雅は八雲の後姿を見ながらひそひそと話していたが、菜月は一度立ち上がって恭一郎の元へ向かうと彼の背後から机に置かれている沢山の書類を眺めた。
「今日はもう大学終わったの?」
「ああ、三限までだったからな。お前は何しに来たんだ?」
「GPS付けたって言われたから取りに来たの。……何の書類か全然分かんない。数字いっぱいだし」
「おお、菜月ちゃんもそっちのバイトに興味ある? バイト代弾むからよかったらやってみるか?」
菜月が書類を見ていると三人分のお茶を入れ終わった八雲がその姿を見て嬉しそうに勧誘して来る。だが言うまでもないが菜月には到底手に負えない。彼女が苦笑しながら断ろうとすると、それよりも早く恭一郎が電卓を叩きながら「八雲さん」と口を開いた。
「なつは数字を見ると体調を崩す特殊な体質なので諦めて下さい」
「そこまで酷くない!」
「何だ恭一郎、やっぱり菜月ちゃんと知り合いだったのか? 俺が聞いても何も言わなかった癖に」
「……」
「まあいい。菜月ちゃん、GPS付けたからペンダント返すぞ」
「はい、ありがとうございます」
無言で仕事に集中し出した恭一郎に苦笑した八雲は、一旦仕事机に戻って引き出しから菜月のペンダントを取り出して彼女に差し出した。戻って来たペンダントを見れば、裏側に本当に小さな機械が取り付けられていることが分かる。これなら表から見ても分からないだろう。
ペンダントを首に着けようとした時、ふと菜月は恭一郎が書類から顔を上げていることに気が付いた。
「それは……」
「ああ、何かいっくんとかいう菜月ちゃんの好きな奴にもらったんだってさ。恭一郎も知ってるのか?」
「八雲さん!」
何の悪気もなく言われた言葉に菜月は一瞬固まり、そして雅と空が慌てて八雲の口を塞ぎに掛かった。確かに恭一郎に菜月の気持ちは知られているものの、こうも堂々と本人に言われると彼女も動揺する。
「ホントに何でそんなに八雲さんはデリカシーが無いんですか!」
「だからモテないんですよ!」
「ちょ、何だよ二人とも急に……それにモテないとか今関係ないだろう!?」
「大有りです! 何で本人を前にそうべらべらしゃべるんですか」
「本人?」
菜月が恭一郎のことを何と呼んでいるのか知らなかった八雲は何がなんだか分からない様子で二人に羽交い絞めにされている。
「なつ」
「な、何?」
「ペンダント、着けてやるから貸せ」
動揺で指が震えて上手く付けられなかった菜月に恭一郎はそう言うと立ち上がり、代わりに彼女を椅子に座らせる。そしてあっという間にペンダントが着けられ、菜月は嬉しそうに首元に触れてから恭一郎を振り返った。
「いっくん、ありがとう」
「別にいい。……暇なら俺の分の茶も入れて来てくれ。無くなった」
「分かった!」
「あー、そうか! 恭一郎の一でいっくんか、成程!」
ようやく合点が行った様に手を打った八雲に苦笑しながら、恭一郎から湯呑を預かった菜月はキッチンへ向かう。そしてそんな彼女の様子を一部始終眺めていた空と雅はすでに再び書類と向き合い始めた恭一郎を見てからお互いに顔を見合わせた。
「……確かに優しかったわね」
「ああ……。ただし」
「「菜月(音羽)限定で」」
菜月は後ろを向いていて見えなかっただろうが二人ははっきりと目撃していた。彼女にペンダントを着ける恭一郎の表情が今までに見たことがないほど優しい目をしていたことを。
零章、終了です。
一章も書き終えたので、このままの頻度で更新します。