4-9 助けて
九十九家の三男として生まれた五樹は、優しく大らかな大家族に囲まれた、一見してとても幸せな人生を歩んでいた。影白町を中心として多くの土地や物件を所有する九十九家は一般家庭と比較すると抜きん出て裕福で、しかしそれを笠に驕って威張り散らすような人間はいない。
幼い頃から家族が大好きだった五樹は、同じ九十九の人間として相応しくあれるようにと日々努力し必死に兄や姉に追い着こうと頑張っていた。テストで満点を取って褒められようが、五樹は手を止めることなく誰よりも努力を続ける。まだ足りないと、もっと家族として恥ずかしくない人間になれるようにと。
しかし、どれだけ努力を積み重ねようが無理なことがある。五樹には、九十九家として決定的なものが存在しなかったのだ。
どれだけ勉強しようが、どれだけ武道が強くなろうが、九十九の人間に備わるべき異能は一向に五樹に宿ることはなかった。妹や弟がどんどん異能を身に付けていくのを見る度に焦り、しかし焦った所でどうにもならなかった。
家族の誰一人として、異能を持たない彼を馬鹿にしたり責めたりすることはなかった。しかし五樹は、九十九家の人間として相応しくないと、お前に価値などないと、そう言われた方がまだ良かったかもしれないと思ってしまった。
「五樹、そんな顔しなくていい。異能なんてなくたってお前は大事な家族だ」
五樹が一人塞ぎ込んでいた時にそう声を掛けて来たのは長男の一真だ。安心させるように笑いかけて来たその表情は決して作り物などではなく本心から来るもので、だからこそ余計に五樹は惨めな気分になったのだ。
こんなに優しい人達の家族が自分でいいのだろうかと。心の底では異能が欲しくて欲しくて堪らない自分が、酷く卑しい存在に思えてしまった。
それでも何か彼らの為に出来ることはないのか。苦悩した五樹が考えた末に出した結論は医者になることだった。表では医師として働き、そして裏では怪異や異能を知る人間として彼らの治療や怪異の研究を進める。異能者として前線に立てなくても、少しでも自分のやっていることが家族の役に立つのであればと五樹は奔走した。
医者としての五樹は有能で周囲からの評判も高い。更に異能や怪異の研究も少しずつだが認められるようになり、以前のように異能がないことを気に病むことも少なくなった。
ようやく少しは自分に自信が持てるようになって来ただろうか。そう思った矢先、五樹の心を再びどん底に落とす事件が起きてしまった。
「五樹兄さん、助けてくれ……!」
「八雲? 一体何が――」
ちょうど他の患者の診察が終わり、次の患者を呼ぶために振り返った時のことだった。八雲が突然現れるのは珍しいことではないが、それでも一般人に見つかる危険を冒して診察室に直接来ることなど今までなかった。
その理由を一瞬で理解した五樹は息を呑む。彼が振り返った先には、血塗れになった弟と、そして彼に担がれている兄の姿があったからだ。八雲以上に全身を赤く染めた一真を見た五樹は、八雲に事情を問いただす間もなく急いで一真の治療を始めることになった。
後から話を聞いた限りでは、八雲達は帰り道に突然怪異に襲われたのだという。まだ幼い恭一郎を守っていた八雲は背中から不意打ちを食らい、そしてそのまま殺されそうになった。それを一真が庇ったのだ。
五樹は必死で治療した。誰よりも家族の役に立てるようにとなった医者だった。それなのに、どれだけ頑張っても五樹は一真の命を繋ぎ止めることが出来なかったのだ。
言葉も出せずに放心状態のまま涙を流す八雲と恭一郎。苦しげに怪異に対する怒りと一真が死んでしまった遣る瀬無さに打ちひしがれる兄弟。ぼろぼろと泣きながら一真の死を悼む沢山の人々。その中で五樹は、自分の不甲斐無さをただひたすらに責め続けた。
他の誰もが五樹を責めることがなくても、彼は自覚していたのだ。結局自分は役立たずでしかなく、何も変わってなどいなかったのだと。八雲に助けてと言われたのに兄を救うことが出来なかったのは、全て自分の所為なのだと思ってしまった。
それから五樹は、より一層寝食を忘れるように治療と研究に没頭するようになる。
もう一真のように誰かを救えないことがないように、五樹が異能を持たなかった為に代わりに戦うことを強いられた異能者達の為に、出来ることは全てやった。
「先生、助けてください」
ある時、五樹が受け持つ一人の異能者から「もう戦いたくない」と打ち明けられた。カウンセラーの仕事も受け持つ五樹には治療や検査の際に色々と相談を持ちかけてくる人も少なくなく、彼女もそのうちの一人だった。
怪異が怖い、殺されたくない、何で自分だけが、としゃくり上げて泣く彼女に五樹はどうすることもできなかった。どんな言葉を掛けようが、彼女が異能者である続ける限り現状を打破することなど無理なのだ。怪異から狙われるという事実は覆す術がない。
だから五樹が出来たことは、ただボロボロになった体を治療して、そして再び怪異と戦う為の地獄へ送り出すことしかできなかったのだ。
ほどなくして彼女は亡くなった。怪異に殺されたのではない、自殺だった。カウンセラーの守秘義務もあり、彼女が五樹に相談していたことを知る人物はいない。だからこそ、この時も誰も五樹を非難することはなかった。
だが五樹だけは知っている。彼女が死んだのは何も出来なかった自分の所為なのだと。あの時五樹が何かしら行動を起こしていれば、死ななかったかもしれないと。
また、自分の所為で人が死んだのだ。
そうして五樹は心を鬼にした。このままだと誰も救うことなんて出来ないと、皆自分の所為で死んでしまうと恐れた彼は、とある研究を始めた。それが、異能の切除及び譲渡の研究だったのだ。
五樹のように怪異に関わるものの異能を持たない人間というのは実はそんなに少なくない。家族や大切な人が異能者であることが多い彼らは、怪異と戦う彼らに対して何も出来ない自分を歯痒く思っており、自分も異能があればと考える人が多いのだ。
戦いたくないと嘆く異能者から異能を切除し、代わりに戦いたいと願う人間に譲渡する。それが出来ていれば自殺した彼女も救えたかもしれない。そしていつか、五樹自身も家族と共に戦える日が来るかもしれないのだ。
だがその研究を行うに当たって、異能者の協力が必要不可欠だった。脳のどこかに異能を司る器官があることだけは分かっていたが、具体的にどの部分か、どういった仕組みで出来ているのか、移植しても効果を発揮するのか。誰も解明していないそれは未知の領域だった。
その研究をしている間にも、五樹の元には戦いたくない、いっそ死んでしまいたいと苦しむ異能者がやって来る。彼は限界を感じた異能者を誘い出し、そして研究に使うことを考えた。――考えてしまったのだ。
今の状況では彼らを救う手立ては五樹にはない。だが彼らによって、将来救われる命があるかもしれない。
仮に事務所から逃げ出したとしても、異能者である以上常に怪異から襲われる危険性がずっと付き纏う。一生怪異に怯えながら生きなければならないのなら、いっそ未来の異能者達の為にと思ったのだ。
非道な行いをしている自覚はあった。しかし何もしなければまた誰かが死んでしまうと、五樹はどんどん心が渇いて行くのを感じながら研究を続けた。自分に言い聞かせ、感情に蓋をし……そして、麻痺した。
研究に使う異能者は失踪したと判断されるがそれまでの精神状態から仕方がないと思われ、五樹を疑う人物は現れなかった。
「……九十九、先生ですね。あの、お話があります」
「あなたは確か……」
「影白で、その、保護していただいている、影と申します」
ある時、一人の怪異が五樹の元へと訪れた。
影と名乗ったその怪異は、五樹の記憶では確か八雲の所で情報提供を行っている怪異だったはずである。その男が突然訪ねてきたことを不思議に思った五樹だったのだが、彼が持ちかけて来た話を聞いて五樹は一瞬呼吸が止まった。
「異能の譲渡の研究に、協力させてもらえませんか」
「……何で、それを」
おどおどした態度の割に色々情報持ってるんだよなあ、と溢していた八雲の言葉が五樹の脳裏をよぎる。誰にも話していないはずなのに、一体どこから聞きつけて来たのか。
怪異達の情報網まで五樹は把握していないが、それでもそんなことまで情報を得ることが出来るのかと恐ろしくなる。腰も低く言葉も丁寧だが、しかし彼は五樹が断るとはまったく思っていないようにこちらを窺うこともしない。実際に五樹は断る余地などないのだ。
確かに五樹にとってはありがたい話だ。異能者と怪異は多くの関連性がある上、異能を切除した所で譲渡させるには異能者とは別の人物が必要だった。人間よりもある程度頑丈な上、怪異であるが特別能力を持たない影は研究には最適な人物だろう。
だがそれだけではない。問題はこの影という怪異が、五樹の研究について正しく情報を得ているという所だ。それはつまり、彼の研究方法についても知っている可能性が高いということに他ならない。五樹が他の異能者を使って研究を行っているという、その事実を。
脅されているのだ。五樹が断れば他に情報を漏らすと、そう言われているに等しかった。
「命の保証さえしていただければ、どんな研究でも協力します。……ただ、その代わりに研究が成功したら欲しいものが」
「欲しいもの、とは」
「影白支部の、相馬恭一郎の異能を」
「相馬君?」
提示された条件に五樹は目を瞬かせた。五樹もよく知る彼は、紛れもなく彼が助けたいと願う異能者の一人だった。
幼くして事務所に迎えられた少年は、周囲を洗脳するという非常に厄介な異能を持っていた。彼の話では恐らく物心ついた時から無自覚に使用していたらしく、何年も異能を使い続けられるなど尋常ではない才能があった。
そして恭一郎もまた、異能に苦しむ人間だった。その能力の所為で他人の気持ちを信用することができず、常に人と距離を置いている。元々はとても素直な子だったのだが、人から好かれることが半ばトラウマのようになってしまっていて、成長するにつれわざと皮肉や冷たい言葉を口にするようになった。
彼の事情を知る九十九の人間はそんな彼を守ろうと色々と手を尽くして来た。八雲は所長として恭一郎を守り、七海は上層部に彼の能力が知られないように気を配り、五樹も担当医として何度も彼の相談に乗って来た。
幼い頃からずっと見て来た恭一郎のことを、一人身の五樹は次第に我が子のように思うようになっていた。異能の譲渡の研究を急いだのも恭一郎のことが理由の一端だったのだ。彼が絶望してしまう前に、どうにかして研究を完成させようとして。
「必ず、君を助ける……絶対に」
もう泣くことはせず苦しげに唇を噛み締める恭一郎に、五樹はそう約束した。今まで何人も犠牲にしてきた癖に、そして成功する保証もないのにそう言ったのだ。
五樹は影の言葉に頷いた。それで恭一郎が救われるならば、と。影がどんな思惑で提案して来たのかなど考えないことにして。
そうして影を交えた研究は五樹の予想よりも随分と進んだ。おかげで他の異能者を犠牲にすることも減り、後少しでその研究が完成するという所まで来たのだ。
もう少し、それで恭一郎を救うことが出来るというその頃、不意に掛かって来た電話の相手は弟だった。
「兄さん、遅くに悪いな」
「どうした八雲? 何かあったのか」
「明日、ちょっと見て欲しい子がいるんだ……新しい異能者なんだけど」
「異能者?」
「ああ。あんまり詳しい話は聞けなかったけど、何でも治癒の異能みたいで」
「――そう、か」
音羽菜月。それが新しく異能者になった女の子の名前だった。
彼女の異能は巻き戻し。怪我をした体を元通りにして、鉛筆を直して、様々な物の時間を戻すことが出来る。医療の限界を易々と乗り越える彼女の異能の可能性を最初の検査で目の当たりにした瞬間、五樹は心の中に湧き上がるどうしようもない嫉妬と憎悪を自覚した。
どうして自分じゃなかったのか。何故全く怪異と関わりが無かった菜月に異能が、よりにもよってその力を得てしまったのか。
ずっと昔に心の底にしまいこんだはずの異能に対する執着心が一気に浮上してくる。
もし、五樹が彼女の異能を得ていれば。
一真を救うことが出来た。今まで救えなかった人達を生かすことが出来た。九十九の人間だと胸を張って言うことが出来た。
助けて、と何度も言われたその言葉に応えることが出来た。
足を滑らせて座り込む菜月を見下ろす。この病院の地下は殆ど人に知られていない上、菜月のGPSも外しておいた。まもなく目を覚ますであろう恭一郎にだけ気を付けていれば、五樹を邪魔する人間などいない。
「音羽さん」
五樹は彼女に手を差し伸べる。自分にはどうしても彼女の力が必要なのだ。今まで犠牲にしてきた人間の分だけ、いやそれ以上の数の人を救えなければ自分がやって来た意味がないのだから。振り払って来た助けを求める手を、今度こそ掴む為に。
「――君の異能を、僕に譲ってくれないか」




