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怪異調査事務所へようこそ  作者: とど
四章 相馬恭一郎の願い
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4-3 終止符

「……ごめん、ってどういうこと」



 その先を聞いてはいけない。

 頭の中でガンガンと警鐘が鳴っているのに気付きながらも、菜月はそう返していた。聞いてしまったら、きっと全て終わってしまうと分かっていても、それでも。




「お前の気持ちには、応えられない」



 ごめん、と何度も何度も繰り返される謝罪に、菜月は唇を噛み締めて俯いた。いつかこんな日が来るんじゃないかとずっと恐れて、でもそうなったらちゃんと諦めようと思っていた。だからこそ、はっきりと口に出されるまでは何としてでも頑張って来たのだ。



「無理だよ……」



 けれど、彼女の口から零れ落ちたのは真逆の言葉だった。



「ずっと好きだったのに、今更無理だよ! 好きな人が出来たの? それとも私を嫌いになったの? 嫌な所は直すから、鬱陶しいと思うなら近付かないから……好きでいさせてよ!」



 酷く苦しげに叫んだ菜月の目から、堪え切れずにじわりと涙が浮かぶ。駄目だ、こうやって泣き喚けば余計に嫌われると思っても止まらない。恭一郎の迷惑になるのだからきっぱり諦めろと頭の片隅の冷静な部分が告げるが、すぐにそれ以上の感情の渦に押し流される。



「なつ」



 滲む視界の中で顔を上げた菜月の目に映ったのは、まるで鏡写しにしたように菜月と同じく酷く苦しげな表情を浮かべた恭一郎だった。



「違う。全部違うんだ」

「何、が」

「……お前は勘違いしてる。なつは俺のこと、本当は好きでもなんでもない。そう、思い込んでるだけなんだ」

「何それ……」



 ざあ、と菜月の顔から血の気が引いた。絶望がじわじわと胸の中を侵食する。


 菜月は頭もよくないし運動だってあまり得意じゃない。取り柄なんてすぐに思いつかない。だが……長年想い続けて来た恭一郎への気持ちだけは、誰にだって負けないと確信していた。それを、よりにもよって張本人から否定されたのだ。

 他の人を好きになっても、菜月を嫌いになっても、それだけはして欲しくなかった。



「訳分かんない……何でちゃんと言ってくれないの!? そうやって遠回しに誤魔化して! 私のこと嫌いなら、どうやっても好きになれないならはっきりそう言ってよ! そうじゃないと、諦められないよ……」

「なつは何も悪くない、全部俺が悪いんだ」



 とうとう立っていることも出来ずにしゃがみ込んだ菜月に恭一郎は手を伸ばそうとしたが、しかしすぐに躊躇うようにその手は元の位置に戻り、強く拳が握られた。



「……俺がずっと我が儘でなつを縛り付けてた。嫌われるのを恐れて、ずっと。……悪い、もう解放するから」

「いっくん、何を言ってるの」

「もう少ししたらなつにも分かる。……その頃には、俺のことなんてきっと」



 最後に本当に小さく呟かれた言葉を聞き取った菜月が顔を上げる。しかしその時にはもう恭一郎は立ち上がり彼女の隣を通り過ぎていた。


 茫然とその後ろ姿を目で追った菜月は、そのまま恭一郎の姿が見えなくなり玄関の扉が開き、そして閉まる音を耳にした後、堰を切ったかのように大声を上げて泣いた。

















「菜月、一体その顔どうしたの!?」

「何でもない……」



 翌日大きく目を腫らした菜月はふらふらと今にも倒れそうな状態で学校へ登校した。

 勿論あの後泣きながら家に帰れば酷く驚かれ、今の雅と同じように訳を聞かれた。しかし菜月はどちら共にも理由を話すことはしなかった。特に昨日から菜月の様子がおかしいと気付いていた雅と空には余計に心配されたものの、それでも彼女は決して口を開くことは無かった。



「何でもないじゃないでしょ!? 誰に泣かされたの? もしかして先ぱ」

「本当に、何でもないから」



 どうしても訳を話さなかったのは、口に出してそれを肯定するのが恐ろしかったから。そして何より、彼女自身も混乱しているのだ。恭一郎が言った言葉の真意を理解出来なかったのだから。



 その日は殆ど口を開くことなく授業を終え、菜月は雅達を避けるように急いで学校を飛び出した。今は一人になりたかったのだ。いつもならばこのまま放課後に三人で怪異調査事務所へ向かうものの、とても今日は行く気になれない。


 どのみち緊急の討伐任務が入れば連絡が来るのだ。菜月は逃げるように急いでいた歩みを緩め、いつもよりもずっとのろのろとした足取りで帰路を進みだした。頭の中で思い返すのは、勿論昨日の恭一郎の言葉だ。

 自分が悪いのだと、菜月を解放すると言った恭一郎は一体何を考えていたのか。



「もう少ししたら分かるって、どういう……」



 疑問をまとめるように独り言を呟いた菜月は、しかし途中でその言葉を途切れさせた。思考を中断させる電話の音に彼女は携帯を取り出して恐る恐る画面を覗き込む。



「八雲さんか……」



 安心したような期待外れのような、何とも言えない心境のまま携帯を耳に当てた菜月は、直後聞こえて来た酷く焦ったような八雲の声に体を強張らせた。



「何かありましたか?」

「菜月ちゃん、恭一郎のやつ見なかったか!?」

「え?」

「さっき事務所に行ったら置手紙があったんだ。……事務所を、辞めると」



 八雲の言葉に菜月は言葉を失って茫然と立ち尽くした。昨日から色々なことがありすぎて頭の中がぐしゃぐしゃだ。

 どくどくと煩い心臓の音を聞きながら、彼女は冷静になれと何度も頭の中で自分に言い聞かせる。



「いっくんの、GPSは?」

「いつも付けてるGPSも携帯も家に置きっぱなしになってた。菜月ちゃん、何か心当たりはないか? あいつ数日前から変だっただろう」

「……八雲さんは、いっくんの両親について知っていますか」



 少し前から恭一郎の様子が可笑しかったのは、その時から既に両親のことを聞いていたのだろう。母親に会う為に早く帰ったのだからそれは多分間違いない。

 慎重に尋ねた菜月に対して、八雲は少し間を置いて肯定する。



「ああ。殆ど帰って来ないって聞いてる」

「昨日、いっくんのお母さんが離婚したって話をしに来たんです。もう戻って来ないって」

「そう、だったのか……」



 しかし恭一郎が居なくなったこととどう関係するのだろうか。昨日菜月が家を訪れた時は酷く憔悴していたのでショックを受けていたのは間違いない。



「もしかして、お母さんを追いかけて行ったとか?」

「いや、それは……どうだろうな。それも予測には入れておくが、他に何か思い当たることはあるか? 小さなことでも何でもいい。少しでもいつもと違う所とか」

「……」



 いつもと違う所といえば、昨日は全てがそうだったとしか言いようがない。しかしその大部分の印象を残しているのは菜月に関係することだ。


 菜月はそのことを伝えるべきか悩んだものの、結局口を開いた。小さなことでもと言われたこともあるが、何より八雲ならば恭一郎の言葉の意味を分かってくれるのではないかと思ったのだ。



「……れました」

「ん?」

「昨日、いっくんに振られました」

「……はあ!?」



 可哀想だけどそれは関係ないだろう、とそう言われると思いながら言った菜月だったが、一瞬の沈黙の後耳が痛くなるほどの大声が鼓膜を叩き、彼女は思わず耳を押さえた。



「や、八雲さん?」

「あいつが、菜月ちゃんを!? 何かの間違いだろ!?」



 先ほど恭一郎が居なくなったと告げられた時よりもずっと動揺している八雲に、菜月は驚きながらも冷静に言葉を返す。何かの間違いだと思いたいのは彼女の方だ。



「本当、です。昨日はっきり言われました」

「……悪いが、詳しく聞いてもいいか」

「全然関係ないかもしれませんよ」

「そうかもしれない。……いや、そうだといいんだが」



 歯切れの悪い言葉を残す八雲に違和感を覚えながらも菜月はたどたどしく昨日の恭一郎との会話を話し始める。菜月の気持ちに応えられないと告げられたこと、その気持ちが思い込みだと言われたこと、全部自分が悪いのだと、彼女を解放すると言われたこと。


 それらを話していくうちにどんどん八雲の相槌が無くなっていく。完全に無言になった電話の向こうで一体何を考えているのか、不安になった菜月は何度か彼の名前を呼んだ。



「八雲さん……八雲さんってば!」

「あ、ああ……悪い」

「あの、話聞いてました?」

「……聞いてた。菜月ちゃん、恭一郎を見かけたら連絡してくれ。それじゃあ」

「え、八雲さん?」



 いきなり早口でそう言ったかと思うと電話を切った八雲。その態度にますます不安が胸の中に充満し、余計に混乱を生む。


 八雲は恭一郎の言っている意味が分かったのか。どうして菜月には教えてくれないのか。

 頭の中でぐるぐるとその疑問を繰り返しながら、菜月は何か手がかりがあるかもしれないと、とにかく恭一郎の家へと走った。
















「まさか……いや、でも」



 菜月との通話を終えた携帯電話を見つめながら、八雲は事務所で茫然と呟いた。

 恭一郎が事務所を辞めると書き残して居なくなった。書置きを残したのは八雲達を不安にさせない為か、それとも探して欲しくないのか。


 いずれにせよ恭一郎が菜月から離れた。ずっと彼女に依存してきた彼が、菜月を解放すると言った。……彼女の想いを間違いだと断定し、すぐに分かると言った。



「恭一郎……あいつ、死ぬつもりじゃ」

「え」



 どさり、と何かが落ちる音が背後から聞こえ、八雲は弾かれたように振り返った。そして事務所に入り口で鞄を落として茫然と立ち尽くす雅と空を見た彼は、今の独り言を彼らが聞いてしまったこともまた理解してしまう。



「ふ、二人とも」

「八雲さん……どういうことですか」





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