2-3 誕生日
「二人とも、昨日は悪かった」
翌日、心配していた雅達を余所に空は登校してきた。ただし彼にしては珍しいことに遅刻して二限目からであるが、教室へやって来て真っ先に二人に頭を下げて謝った彼は昨日見たような激しい感情はなく落ち着いていたので雅も菜月もほっと息を吐いた。
「朝居なかったから今日はもう来ないかと思ってた」
「事務所に寄ってから来たんだ。八雲さんに怪我させちまったし……音羽も治してくれてありがとな」
「おい空! 重役出勤して早々正妻と愛人の所か? いいご身分だなあ」
「……はあ?」
「ちょっと、誰が何だって!?」
「愛人とかふざけないでよ!」
クラスメイトが空をからかうように言った言葉に反応したのはむしろ菜月達だった。正妻はともかく愛人扱いされた菜月はそれはもう怒ってその男子を怒鳴り付ける。事務所に所属するようになってから自然と三人でいることが増えたが、まさかそんなことを言われるとは、と菜月は心外だった。
これは早い所雅に告白してもらって二人にくっついてもらわなければ、と思った菜月は、空の誕生日である土曜日、八雲と恭一郎と共に空の誕生日を祝うべく準備をしていた。空と雅は二人で例のGPSを付ける為の小物を買いに行っている所だ。
とはいえ準備と言っても別に折り紙で輪っかを作って飾る訳でも、はたまたケーキを自作する訳でもない。せっかくの空の誕生日に雅ではなく菜月が手作りを振る舞うのもどうかと思ったのも確かだが、そもそも今日の菜月にそんな余裕などどこにもなかった。
「なつ、お前は帰れ」
「嫌……」
着々と料理の準備を進める八雲と、渋々それを手伝う恭一郎。そして菜月は何をしているかと言うと……ソファで唸りながら横になっていた。
最初は少し喉が痛いだけだったはずなのに、日を追うごとに菜月の風邪はどんどん悪化してしまった。結果準備も碌に手伝うことが出来ず、寝っころがっているだけの置物と化している。
しかし空の誕生日を祝うまでは、そして雅達を二人っきりにするまでは帰るものかと気合を込めて事務所まで来た菜月は、とりあえず空達が帰ってくるまでは体力を残しておこうと、申し訳ないが二人に準備を任せて休むことにした。
「八雲さん、いっくん、手伝えなくてごめんなさい……」
「別に料理は好きだから気にしなくていいぞ」
「なつより八雲さんの方が料理上手だ。……まあ流石に独身歴が長いというか」
「恭一郎、あのな、俺だって傷付くんだからな」
それに俺はまだ三十になったばかりだ! と叫ぶ八雲を無視して恭一郎は作業を続ける。時折ちらちらと菜月の方を心配するように何度も振り返る恭一郎に少し嬉しくなった菜月は、心なしか頭痛が引いて来た気がした。
今頃二人はどうしているだろうか、と菜月が思いを馳せていると八雲達の話声だけが聞こえていた事務所に単調な機械音が流れ始めた。事務所に置かれた固定電話のコール音に気が付いた八雲は手早く手を洗って机の上に置かれた電話を取る。
「もしもし……ああ」
誰かと電話し始めた八雲を菜月も恭一郎も気になって様子を窺っていると、段々八雲の表情が険しくなっていく。そして通話を続けながらGPSの端末を確認し始めたのを見て、恭一郎が小さく「怪異だな」と確信を持った声で呟いた。
「了解した」
そう言い残して電話を聞いた八雲は間を置かずに携帯を操作して耳に当てる。恭一郎の言うことが正しいのならば、八雲が電話を掛けた相手は菜月にも予想が付く。
コール音が途切れて向こう側の声が聞こえて来ると、八雲は一つため息をついて彼女に言葉を返した。
「雅ちゃん……悪い、仕事だ」
「空、何かいいものあった?」
「いや……何かピンと来るものが無くてな」
二人がいるのは洒落た雑貨屋だ。明るい雰囲気で生活雑貨からアクセサリーまで幅広い品揃えを誇るこの店は高校生に人気で、男女とも多くの客が楽しそうに商品を手に取っている。
そんな中、雅は内心の緊張を隠しながら気軽な風を装って空に話し掛ける。しかし空はまったく気付いていない様子で雅と話しており、安心するやら鈍さに少々落胆するやら、雅は複雑な気持ちだった。
やはり空は今日が誕生日だということに気付いていないらしい。だから雅もそれがばれるのを気にする必要はないのだが、勿論のこと彼女の思考の大半は今別のことに掛かり切りだった。
今日、雅は空に告白する。それは彼女がしっかりと心に決めたことで、止めるつもりなんて毛頭ない。だが、一体どのタイミングですればいいのか。むしろ二人っきりの今の内に言ってしまった方がいいのか。彼女の頭の中で議論が白熱している。
「雅は?」
「……え?」
「いやだから、お前はどれにするか決めたのか?」
目の前の商品などまったく目に入っていなかった雅が慌てて視線を動かしてみるものの、しかし彼女の琴線に触れるものは見つからない。
空に黙って首を振って見せると、彼も「意外と見つからないよなあ」と困ったように頷いた。
「そもそもGPS付けるのって、どういうものにすればいいんだろ」
「いつも持ち歩くのって言えば財布、携帯ぐらいだよな」
「そうだよねえ……でも戦ってる時に肌身離さずって大変だよね」
鞄に入れるようなものは戦闘中にずっと持っていられるかというと微妙な所だ。雅と空が頭を悩ませながら店内を見て回っていると、途中で雅が不意に足を止めた。それに気付いた空も立ち止まり、彼女の視線の向く先を見て目を瞬かせる。
「指輪?」
「え、あ、ちょっと見てただけだから!」
GPSを付けるつもりではない。綺麗だな、と見入っていたのを慌てて誤魔化すようにオーバーアクションで否定する雅を見て、そんな彼女に声を掛けたのは空ではない人物だった。
「お客さん、それ値段の割に安っぽく見えなくて人気なんですよ。彼氏さんとペアでどうですか?」
「え」
「彼氏?」
指輪を見ていた空達の横から話し掛けて来た女性店員の言葉に、雅はぴしりと固まった。確かに高校生の男女が揃って指輪を見ていたら恋人だと思われても仕方がないかもしれないが、告白を前に緊張していた雅には少々刺激の強い言葉だった。
店員は真っ赤になって固まった雅にそれ以上勧めることなく「ゆっくり御覧になってくださいね」と微笑ましげに笑って去って行った。
「雅」
「……」
「おい、雅」
「はい!」
二度目の呼びかけで我に返った雅は、何故か少し申し訳なさそうにしている空を見上げて首を傾げる。
「空?」
「いや、何か勘違いされてごめんな」
「は?」
「そんなに固まるくらい嫌だったんだろ? ……まあ、当然か」
「何言ってるのよ! 別に嫌だった訳じゃないから!」
「そ、そうか……ありがとう」
空のネガティブな言葉に思わず食って掛かるような勢いで詰め寄ってしまった雅。そんな彼女に押されるように礼を言った空は気を取り直すかのように再度指輪に視線を戻して「まあでも、指輪は駄目だな」と少し考えてから口にした。
「駄目?」
「GPSだよ。確かに肌身離さず付けられるかもしれないが……お前、戦闘中に壊さない自信あるか?」
「ありません」
「だろ? 俺も多分うっかり溶かす」
携帯を握ったままの手で怪異を倒してしまったことを思い出して雅が苦笑いをする。結局あの後菜月に直してもらったが、指輪を壊した時に彼女が傍にいる保障はないのだ。
空に至ってはそのまま相手を燃やすこともあるが、掌に炎を作り出すことも多く明らかに不向きであった。
「……音羽と一緒でペンダントくらいが妥当か」
「ペンダントならこっちにあったよ」
先ほど歩いている時に見たと雅が空を連れて引き返そうとした時、「あ」と何の脈絡もなく雅が声を上げた。何かあったのかと空が彼女を覗き込むと、雅は鞄に手を突っ込み携帯を取り出す所だった。どうやら着信があったらしい。
「八雲さんからだ」
「何だって?」
相手が分かった途端空は表情を引き締め、真剣な表情で彼女の携帯に視線を落とす。この時間帯――夕暮れに差し掛かる今頃――に八雲から電話が掛かってくるとなると十中八九内容は決まっている。
店の外に出ながら雅が携帯を耳に当てると、予想通り八雲の第一声は仕事という言葉だった。
「場所は今携帯に送る。何体かいるみたいなんだが行けそうか?」
「はい。何かあったらいつも通り連絡します」
「ああ。……せっかく二人っきりの所、悪かった」
電話を切ろうとした直前に呟かれた言葉に、雅は思わず携帯を取り落しそうになった。かろうじて手の中をすり抜ける前に捕まえることが出来たが、しかし空にも動揺が伝わってしまったのか「何かあったのか?」と非常に真面目な顔で尋ねてくる。
「何かまずい怪異なのか?」
「え、いやそういう訳じゃないよ。ちょっと八雲さんが変なこと言っただけだから」
「変なこと?」
「何でもない!」
雅が言い張ると、あまり言いたくないことなのだろと察した空はそれ以上言葉を返すことをしなかった。それ以上に大事なことがあるからだろう。再び鳴った雅の携帯に怪異がいるであろう地図が送られてくると、二人でそれを確認してから行動を開始した。
空と雅が二人っきりになるなんてそんなに珍しいことでもない。特に菜月が事務所に来るまでは殆ど二人で組んで怪異を倒すことが多く、今のように並んで歩くことも当たり前だったのだ。
……しかし、確かに考えてみればこうして空と二人で買い物など初めてのことだった。中断してしまうのは残念だが、雅は一度軽く頬を叩いて気持ちを切り替えるとスピードを上げて走り始めた。この町を守る為に。
「八雲さんが、怪異は複数って言ってたよ」
「了解。……何か最近多くないか? 一昨日も複数怪異出たよな?」
「あ、そうか。空はあの時いなかったよね。何か強い怪異が来るって噂があるらしくて、それに他の怪異が刺激されてるみたいなの」
「そう、なのか」
「うん。空みたいに炎使いだって」
走りながら雅から怪異の情報を聞いていた空は、炎を使う怪異と聞いた瞬間雅には悟られないほど僅かに顔を歪ませた。黙って頷いて会話を打ち切った空は、自分の脳裏に一瞬蘇った悪夢を掻き消すように頭を振り、そして小さく呟いた。
「……まさか、な」




