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怪異調査事務所へようこそ  作者: とど
二章 高遠空と約束
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2-2 協力者

 ソファやテーブルを元に戻した八雲は雅達にも座るように促し、そしてようやく落ち着いたかのように息を吐いた。



「悪かったな、あいつにも後でちゃんと事情を話しておくから」

「いえ……」

「八雲さん。あの、この人が協力者ってどういうことですか?」



 目の前の男を窺いながら、雅は躊躇いがちに尋ねる。彼女達の認識では怪異は人間を、異能者を襲う存在に他ならない。それが自分達に協力してくれるという意味が分からないのである。



「怪異にも色々あるってことだ」

「その……私は一応怪異ですが、かなり弱い存在で。特に能力もないですし、怪異の中でも生き残るのが困難なんです。だからこちらの事務所に情報を渡す代わりに、人間社会の仕事を斡旋してもらったり、攻撃しないと約束してもらっていたんです……」



 おどおどとした態度で緊張に身を強張らせながらその男は小さな声で己の事情を話し始める。


 怪異とは本来逢魔が時、つまり夕方から夜に掛けて活動を始めるものだが今は真昼間だ。そんな時間に動くことが出来るのは怪異の力を殆ど持たない弱い個体だけであり、だからこそ彼らは人間社会に溶け込むようにして普通に仕事をしていたりする。そういう怪異のうち何人かは異能者達と取引することで安定した暮らしを得ているのだ。



「私は……影、とでも呼んで下さい」

「影?」

「はい、その、仲間内からはそう呼ばれて……影が薄いので」



 それってただの悪口ではないかと菜月は思ったが口には出さなかった。



「そういえば、お前達なんで今日はこんな時間に来たんだ? 学校はどうした」

「今日は半日だったんですよ、先生たちの方で何かあるらしくて」

「あー、タイミング最悪だったな。わざわざお前達が来ない時間に来てもらったんだが……空のやつ、怪異に容赦ないだろ? だから出来るだけ会わせたくなかったんだ」

「確かに……」



 雅の脳裏に怪異と対峙する空の姿が思い浮かぶ。怪異と戦う時の空はいつも好戦的で、そして全く容赦がない。怪異の断末魔にも眉一つ動かすことなく燃やし尽くし、雅も最初に見た時は怖いと思ってしまった。

 しかし平時の彼はその冷酷さなど一切感じられない。クラスメイト達と気軽に話す姿や、この事務所で恭一郎にいびられていたりする時もごく普通の高校生のそれで、怪異に対する姿など想像も出来ない。


 先ほどだって八雲に止められても今にも飛び掛かりそうになっていたのだ。彼の怪異への何かしらの憎悪を嫌でも直視することになった。




「空のやつのことだから、会ったらすぐに怪異だとばれると思ったが……案の定、というか恐ろしいほど早かったな」

「八雲さん、私全然怪異だとか分からなかったんですけど、高遠君はなんであんなにすぐに反応出来たんですか?」



 冷静になって近くに行けば確かに怪異や異能者特有の甘い香りはしたものの、しかし事務所内には三人の異能者もいる。匂いが混ざって即座に判断できるものではないように感じた。

 更に菜月からしてみれば、影は一見普通の人間にしか見えない為甘い匂いがしても怪異ではなく異能者だと思ってしまっていただろう。



「雅は?」

「私も分からなかったけど」

「空はなあ、怪異を嗅ぎ分けるのが何か上手いんだよ。俺達には同じ匂いにしか思えなくてもあいつには全然違うものなんだと」

「鼻がいいんですかね」



 三人で頭を悩ませていると、あの……と控えめに影が声を上げる。そもそも影をここに呼んだ当の八雲はあ、と思い出したかのように声を上げて彼に頭を下げた。



「悪い、さっきから本題に入れなくて」

「本題?」

「今日は怪異達に大きな動きがあるって話だったんだが……お前達も聞いて行け。大事な話だから」



 八雲の言葉に雅と菜月は居住まいを正し、緊張した面持ちで影を見る。怪異側が何か行動を起こすなら、彼女達も聞いておかなければいけないだろう。


 三人に見つめられた影は空調の効いた部屋にいるにも関わらず冷や汗をかきながら「実は……」とたどたどしく話し始めた。



「“炎”が帰って来ると、怪異の間で噂になっています」

「“炎”、だと」



 影の言葉に八雲は急に厳しい表情を浮かべるが、雅も菜月も話が見えてこない。どういうことかと雅が八雲を見上げると、彼は「ある怪異の通称だ」と眉間に皺を寄せた。



「雅ちゃん、空みたいに炎を使う怪異を見たことがあるだろう?」

「はい、確かこの前の高校にも居たような……」

「異能者からしても怪異からしても発火能力はさほど珍しい能力でも無いんだが、十年以上、いやもっとか? 俺が学生の時だったはずだが……とにかくそれくらい前に非常に強力な発火能力を持つ怪異が現れたんだ。大勢の発火能力を持つ者の中でも突出した力を持ったその怪異はいつの間にか“炎”そのものとして呼ばれた。何でも人間に限らず怪異も無差別に攻撃するやばいやつだったらしいが……そういえばいつの間にか話を聞かなくなったな」



 事務所でもその怪異をどうにかしようとしたが、神出鬼没な上凄まじい炎に阻まれて結局討伐は叶わなかったのだという。手を拱いているうちに“炎”の情報は掴めなくなり、そして被害もなくなった為どこかへ行ったのではないかと判断されて調査は打ち切られた。



「まあ、その時は俺も異能が目覚めたばかりで調査にも参加してなかったから詳しいことはよく知らないんだが」

「その炎って怪異が影白町に戻って来たってことですか?」

「いえ、あくまで噂です。当時私は恐ろしくて、そんな強い怪異には近づきませんでしたし、実際に帰って来たのを見た訳ではないです」

「でも、そんな噂があるってことは誰かが見たってことですよね?」

「はあ……それは分かりませんけど」



 曖昧な言葉を返されて少し雅が苛立っているのを隣にいた菜月は感じ取った。元々彼女は短気であるし、自分達が戦うかもしれないのだからはっきりさせたいのだろう。何しろ、そんな強力な怪異が現れれば彼女とてただでは済まないだろうから。


 八雲も考え込むように腕を組んで「ただの噂じゃなあ」と難しい顔を浮かべ、それを見た影が慌てて取り繕うように言葉を続けた。



「それ自体は噂なんですけど、それを信じた他の怪異が、その、炎に取り入ろうと考えていたり、はたまた縄張りを奪われないように攻撃的になっていて……」

「つまり、その炎の噂がどうであれ他の怪異が活発化しているってことか」

「はい。あの、この前もどこかの学校で沢山怪異が集まっていたと思うんですけど……ご存じですよね」

「ああ、うちが調査したからな」

「なんでも、あの場所に住み着いていた一番偉い怪異が、炎が帰ってくるのを恐れて味方を増やす為に自分の捕った餌を他の怪異に分け与えようと集めたのが原因で――」

「……っ!」

「雅!」

「誰が、誰が餌だっていうのよ!?」



 立ち上がって今にも影に飛び掛かりそうになった雅を菜月がしがみ付いて止める。しかし雅の方が力は強くすぐに振りほどかれそうになった為、八雲も協力して雅を再びソファに無理やり座らせた。

 強い怒気を撒き散らす雅に恐れをなした影は「ひい」と引き攣った声を上げて体を仰け反らせる。



「雅、落ち着いて!」

「雅ちゃん、彼があの事件に関わっていた訳じゃない! ……悪い、だがもう少し言葉には気を付けてくれ」

「す、すみません……」



 平身低頭で震えながら謝罪を繰り返す影に、雅も少しずつ冷静さを取り戻して息を整え始める。そして力が抜けたように肩を落とし、やがて小さくごめん、と口にした。



「と、とにかくそう言うことで、これから怪異の起こす事件が増えると思います」

「分かった。貴重な情報、感謝する。……報酬は後日の方がいいか?」

「はい……」



 今にも事務所から出て行きたそうな影に八雲が提案すると即座に返答が来る。影にとっても雅にとってもこれ以上同じ空間にいるのはよくないだろう。慌てて荷物をまとめて立ち上がった怪異は軽く会釈した後そそくさと事務所の入り口へ向かった。


 しかし影がドアノブを掴むよりも数秒早くその扉は開かれる。扉は外向きに開く為影にぶつかることはなかったが、彼は大層驚いたようにびくっと体を揺らし開かれた扉の先を見た。



「あ」

「あんた、確か……」



 扉を開けた人物――恭一郎は目の前に立ち尽くす影を見て訝しげな顔をした。



「情報取引する怪異の……」

「あ、いえ、すみません」



 口癖のように咄嗟に謝った影は酷く狼狽えながら恭一郎に視線を送る。そして彼に道を譲るように端に寄った影は恭一郎が事務所に入っていくのを確認した後「し、失礼します!」と素早い動きで事務所を飛び出していった。

 その態度が解せないのは勿論恭一郎だ。



「……何なんだ」

「あー、ちょっと雅ちゃんや空と一悶着あって。お前にも何かされると思ったんじゃないか?」



 八雲の言葉と事務所の異様な雰囲気に首を傾げながらも、恭一郎は特にそれ以上何も言うことなくいつもの定位置である仕事机に向かう。しかし席に着く直前で彼の視線は菜月へと向けられた。



「なつ、何かあったか?」

「え」

「珍しく難しい顔してどうした」

「珍しくは余計!」



 事務所の空気を和らげるように言葉を茶化す恭一郎に菜月も咄嗟に声を上げる。菜月の頭に中は大量の情報と問題が詰め込まれていてオーバーヒートしそうな状態なのである。



 空の豹変、怪異の協力者、炎という怪異、雅への心配。そして、もうひとつ引っ掛かっていることがある。


 事務所に入る恭一郎を見ていた影の視線。怯えながらも酷くじっとりとしたような、何かを含むようなその視線が菜月には気になってしょうがないものだった。


 ……あれは、何だろう。






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