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怪異調査事務所へようこそ  作者: とど
二章 高遠空と約束
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2-1 豹変

「音羽、大丈夫か?」



 まだまだ暑さの続く九月初旬、授業の終わった菜月、雅、空の高校生三人は怪異調査事務所に向かって歩いていた。今日は特に仕事がある訳ではないのだが、空曰く「涼むため」に向かっている。今日は珍しく授業が半日しかなく、太陽は真上に居座ってコンクリートの照り返しで容赦なく熱を与えて来る。特に空の家にはエアコンが無い為とても自宅には居られない状態なのである。


 二人も流れでそんな彼に着いてきたのだが、街を歩いている中ふと菜月が苦しそうに咳を繰り返したのを見て、空が心配そうに声を掛けた。



「うん、ちょっと喉が痛くて」

「菜月それ、風邪引いたんじゃないの?」

「かなあ。でもこの時期に風邪なんて」

「夏風邪は――」



 ぽつり、と空が思い出したかのように小さな声で呟いた言葉はしっかりと菜月の耳に入る。慌てて言葉を止めた空に、菜月は食って掛かるように彼に詰め寄った。



「ちょっと高遠君今何て言おうとした!?」

「いや、何でもないって!」

「夏風邪は、に続く言葉なんて大体決まってるじゃん! あのね、何か変に誤解が広まってるみたいだけど、私数学以外はそんなに成績悪くないんだから!」

「あーはいはい、分かったから少し落ち着こうね。そんなに大声出すと咳が酷くなるよ」



 雅が菜月を宥めていると案の定彼女は再び咳を繰り返し、手で口を押さえて眉を顰める。本当に風邪かもしれない。



「まあ、最近音羽頑張ってたからな、それの反動が来たんじゃないか?」

「そう、かな」

「そうそう。菜月が武器持つようになってから私達も大分助かるようになったし!」



 志野山高校の事件以来、菜月は怪異と戦う際に武器を使うようになった。以前は結局分断されて一人になってしまったし、治療担当とはいえある程度自分で身を守れた方がいいと判断されたのだ。


 菜月は肩に下げる学生鞄にちらりと目を落とす。この中には八雲が特注で作ってくれた伸縮式の警棒が入っているのだ。一見すると小さな折りたたみ傘に見えるように作られたそれは引き延ばすと立派な武器になる。ただし菜月が扱う以上殺傷能力を高めると彼女が危険になるため、あくまで怪異を倒す為の物ではなく払い除けたり身を守る為のものである。


 雅は菜月が貰ったそれを見ていいなあ、と呟いていたが彼女に与えれば一発で破壊してしまうこと間違いないだろう。



「でも、これ特注品なんだよね? いくらだったんだろ……」

「多少高いかもしれないが、怪異と戦う為の武器なんだから経費で落ちる。あんまり気にしなくてもいいんじゃないか?」

「事務所の給料もいいしね。命掛かってるんだからそれくらい安いって。……そ、そういえばさ、空は何か欲しい物はないの?」

「武器か? 俺は必要ないが」

「武器じゃなくて! いや、何かこれがあったらなあ、みたいなのとか……」



 自然な流れとは言えないが、雅が空を窺うようにしながら話を変える。それを見て菜月は雅が頑張っているなあと温かい目で彼女を見守るように見た。


 実は、もうすぐ空の誕生日なのだ。それに向けて彼女は張り切って準備を進めており、当日は空に内緒で事務所にケーキを用意する予定である。

 そして何より、雅は空の誕生日当日になんと彼に告白するつもりなのだ。最初にそれを聞いた時菜月は大層驚いたものの、彼女が本気だと知って応援しようと考えている。当日は何とか二人っきりの時間を作ろうと意気込んでいた。



 しかし当面の問題はプレゼントだ。もう誕生日まで一週間を切っているというのに雅は未だプレゼントを決めかねている。一度雅が、数年前まで同じ男子高校生だった恭一郎に尋ねてみたものの、案の定返答は「あいつの好みなんて知ったことか。自分で考えろ」という何とも冷たいものだった。


 その態度に不満を持った雅が、今度は菜月が恭一郎に尋ねてみるように頼んだので試しにと菜月が聞いてみた所「本人に聞いた方が早いんじゃないか?」と事も無げに返された。

 確かにどちらにしろ具体的な案はもらえなかったものの、明らかな態度の違いに雅が「贔屓だ!」と叫んだのは言うまでもない。




「そうだな……何かずっと身に着けられるものは必要だな。ほら、結局携帯のGPSだとこの前みたいに壊されたら大変だから止めるって話になってただろ? だから早めに欲しいよな」

「ああ、そうだっけ」

「そうだっけって、雅もだろうが」



 以前の事件で怪異に全員の携帯が狙われた。自分で直すことが出来る菜月はともかく、携帯のGPSを使っていると、いざ携帯を壊された時に完全に場所を把握することが出来なくなる。

 勿論全員の位置情報を把握する八雲も専用の端末をいくつか用意することで対策を取ることになり、雅達も携帯とは別にGPSを付けるものが必要になったのだ。



「どうせなら一緒に買いに行くか?」

「え、いいの!?」

「何でそんなに驚いてんのか分からないがいいぞ。じゃあ……次の休みでいいか? 今週の土曜日」

「今週!」

「何か予定あったなら変えるが」

「い、いや……その日でいいよ」



 あからさまに動揺する雅に、空は不思議そうに彼女を見て首を傾げる。そんな二人を傍から眺めながら、菜月は思わず微笑ましさに頬が緩みそうになった。

 今週の土曜日。空が自覚しているかは分からないがその日は彼の誕生日なのだ。一緒に誕生日プレゼントを選べる機会を得た雅は嬉しそうに頬を染めながら彼の言葉に頷いている。


 青春だなあ、と菜月は雲一つない空を仰いだ。














 事務所に着いた三人はいつも通り外の階段を上り、そして特に何も考えることなく空が扉を開ける。しかし扉が開かれた先にあった事務所はいつもとは少々異なっていた。



「八雲さ――」



 空の言葉が止まる。

 何故か全く動かなくなった彼を不思議に思った雅と菜月が覗き込もうと身を乗り出すが、そこに見えた光景に彼女達はますます首を傾げることになった。


 事務所の中に居たのは珍しく来客用のソファに座る八雲と、その彼に相対する男だ。男は入り口からは背を向けている為顔を窺うことは出来ないが、しかし菜月達の記憶にはない人物のようだった。だが何より可笑しいのは男ではない。驚いたように顔を強張らせた空は目を見開いて硬直したままであるし、八雲もそんな空を見て「しまった」と言わんばかりの顔をしていたのだ。



「……いだ」

「空?」

「怪異だ!」



 時間が突然動き出したかのように空が叫んで動き出す。彼は呆気に取られている菜月達を置いて背を向けている男に飛び掛かったかと思うと、そのまま彼を床に叩き付けて右手に炎を宿した。



「空、止めろ!」



 ソファやテーブルがひっくり返ってティーカップが割れる。酷い惨状になった事務所の中で即座に反応した八雲は、咄嗟に右手を男に振り下ろそうとした空の手を掴んで止めた。

 勿論空の手は炎に包まれている。それを素手で掴み取った八雲の手はじりじりと燃え、そこでようやく空は我に返って異能を止めた。



「や、くもさん……」

「少し落ち着け」

「ですが、この男!」

「分かってる、分かってるから」



 大火傷を負った八雲はそれをものともせず空を宥めるように話し掛ける。やや落ち着いた空を見ると、彼は男を助け起こして「うちのがすまない」と頭を下げた。


 そうしてようやく目の前で起きた出来事に唖然としていた菜月達が動き出す。雅は今にも再び襲い掛かりそうな空の元へ、菜月は火傷を治そうと八雲の元へ。



「大丈夫ですか?」

「ああ、これくらい大丈夫だ」



 八雲はなんてことないように言うが見るからに酷い火傷だ。菜月は慌てて八雲に触れて異能を使い、彼の手を治した。そしてその時に傍にいた当の男を失礼にならない程度に観察する。


 三十代くらいに見えるその男は、よれよれのスーツを着て髪もぼさぼさの痩せた男だった。疲れたサラリーマンにも見える彼は困惑した様子でおろおろと目を泳がせて落ち着かない様子を見せている。

 この男を、たった今空は怪異と呼んだのだ。



「空、この人は確かに怪異だがうちの事務所の協力者だ」

「協力者……怪異が」



 八雲の言葉に驚いたのは勿論空だけではない。菜月も雅も、それを聞いて改めて男にしっかりと見た。その視線に怯えるように男は俯き、怪異だというのに全く人間に敵意があるようには見えない。


 空は動揺するようにあちこちに視線を飛ばして物言いたげに小さく口を開く。しかしその口から出た言葉は、結局現状からの逃避でしかなかった。



「……すみません、今日は帰ります」

「空!」



 自分を支えていた雅を振り切るように空は踵を返して事務所から出て行く。彼を止めようと咄嗟に雅が手を伸ばしたものの、その手はただ無常にも空を切って落ちた。





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