1-6 分断
「いきなり何よこいつら!」
「無駄口を叩いている暇があったら……!」
八雲達が携帯を壊されていた頃、雅と菜月、そして恭一郎の三人は同様に教室で怪異と交戦していた。怪異の数は四。複数とは聞いていたが想像よりも多い怪異に菜月は目を白黒させて必死に二人の邪魔にならないように立ち回っていた。
怪異は人型が三体、獣型が一体だ。獣の怪異は机を吹き飛ばしながら暴れ、それに気を取られると統率のとれている人型の怪異が隙を狙って攻撃してくる。
「なつ!」
いくら戦い慣れているとはいえ雅も恭一郎も四体もの怪異を全員相手にしていられない。人型の怪異が一体菜月の元へ向かったのを見て恭一郎が咄嗟に彼女の名前を呼ぶが、到底菜月は反応しきれない。
「痛っ……」
転がるように怪異の攻撃を避けようとするが、怪異が持つ鋭い凶器を躱しきれずに浅く足を切られてしまう。痛みに呻く菜月だが、しかし間を置かずに痛みは引いてその傷はあっという間に治っていく。
すぐに菜月の傍に掛け寄った雅が怪異を蹴り飛ばそうとするが、しかしその前に獣の怪異に邪魔されて避けられてしまった。
「……キリがないな」
恭一郎も異能を使おうとするのだがその度に邪魔が入る。本能のみで暴れ素早い獣の怪異は彼にとって天敵なのだ。苦虫を噛み潰したように表情を歪めた恭一郎は、一瞬だけ逡巡した後に「日下部!」と雅を呼んだ。
「獣一匹だったら一人でもなつを守れるか」
「は、何を言って……っ!」
話している間にも攻撃は仕掛けられる。一人の怪異が投げた凶器が雅の頬を掠めて背後の窓ガラスを割り、彼女は飛び散った破片から逃れるようにすぐさま逃げる。
「こいつら三体は統率が取れている。……知性があるこいつらだけなら俺一人でどうにかなる。俺が引きつけるからその間、なつのことを頼む」
「! ……了解です!」
あれだけ菜月のことを心配していた恭一郎が雅に彼女のことを託したのだ。雅は驚きながらもしっかりと頷き菜月の前に立つ。
「いっくん気を付けて!」
「気を付けるのはお前だ! ……こっちだ!」
恭一郎は教室を出ると怪異に向かってそう叫ぶ。彼を追うように獣が追いかけようとするが、そうはさせないと雅が立ちはだかる。
「雅!」
「ナイス!」
菜月が掃除用のロッカーから取り出した長箒を雅に向かって投げると彼女はそれを片手で受け止め、そのまま獣に向かって重力を込めて振り下ろす。
あちらこちらへ暴れまわっていた今までとは違い、獣は逃げる者を追うという本能で恭一郎へ一直線に向かっていた為動きは完全に読めた。
雅が全力を込めて思い切り振り下ろした箒は獣に直撃したものの、しかし獣よりも先に箒の耐久に限界が来てしまった。重力を掛けた所為もあるだろう、耐え切れずに真っ二つに折れた箒とは裏腹に獣は多少動きを悪くしたもののまだまだ動き回っている。
「得物があった方が戦いやすいんだけど……やっぱりすぐ壊れちゃうのよね」
しかし時間は稼げた。恭一郎が何か異能を使ったのだろう、三人の人型の怪異は一斉に恭一郎を見ると、彼が逃げる方向へ一目散に走り追いかけ始めたのだ。
教室に残ったのは菜月と雅、そして獣の怪異一体だけになった。やけに広くなった教室で敵意を示すように唸る怪異を見て、菜月は出来るだけ部屋の端に寄る。三体もの怪異を引き連れた恭一郎のことは確かに心配だが、今はとにかく自分達がこの怪異を倒すことを考えなくては、と。
「菜月、一対一なら何とかなるからちょっと大人しくしててね」
「うん……ごめん」
恭一郎の言葉に反論して着いて来た癖に、怪異との戦闘で菜月が出来ることなど殆どない。しかし菜月の異能が活躍するという時は誰かが怪我を負った時であり、そうなるように祈る訳にはいかない。
何か異能以外で出来ることを考えなくては、と菜月が考えていると、目の前で戦っていた雅が壁を蹴って怪異に突撃していた。自分自身の重力を軽くした彼女は縦横無尽に教室内を移動して怪異を翻弄する。室内戦は彼女の得意分野なのである。
「さっさと倒れてよ!」
先ほどの箒での一撃で動きに精細を欠いていた怪異は勢いのついた雅の蹴りを避けきれず、壁に叩き付けられる。……しかしそれだけで終わらなかった。叩き付けられたと思われた怪異は雅と同じように壁を蹴って衝撃を殺しており、そのまま彼女に反撃してきたのだ。
「雅!」
「な、この」
未だに床に足を着けていなかった雅は怪異の攻撃を避けられず、飛び掛かって来た怪異を巻き込んで窓に向かって飛ばされ、そして先ほど割られていた窓からそのまま外まで放り出されてしまった。
雅達が居たのは二階だ。いきなり空中に投げ出された雅は驚きながらもすぐに目の前の怪異に意識を向け、そしてそのまま怪異の前足を掴んで異能を発動させた。
思い切り重力が増した怪異、そして元々軽くしていた雅。真下のコンクリートに落ちるのは当然怪異の方が早い。
驚いた菜月が慌てて窓際に寄って外の様子を見た時にはコンクリートに激突した怪異は既に塵となって消えていた。
「大丈夫!?」
「へーき。すぐに戻るから待って……!」
菜月にひらひらと手を振りそのまま地面を蹴ろうとした雅は、しかしその前に微かに甘い匂いを感じてその場から飛び退く。次の瞬間弾丸のように飛来した沢山の石が雅の体を掠め、いくつかは彼女の足や腕に当たって彼女を傷付けた。
「え、ちょ、うわあああっ」
「菜月!?」
雅だけではない、彼女に気を取られていた菜月は、背後からバチバチと耳障りな音が聞こえたのに気付き反射的に振り返った。教室の入り口、そこにはのっぺりとした人型の怪異が電気を纏って菜月を見ており、彼女は悲鳴を上げて一目散に逃げ出した。
雅が戻って来る前に確実に殺される、と一瞬で結論を出した菜月は足元にバチバチと跳ねる電撃に「ひいっ」と引き攣った声を漏らしながら怪異が居たのとは別の入り口から教室を出て廊下を走る。
一方菜月が気になるものの雅も目の前の怪異を相手にしなければならない。どうにか振り切って菜月を追えないかとも思ったものの、更に石と共に見慣れた炎が彼女を襲い、どうしたものかと顔を歪めた。
菜月を守ると恭一郎と約束した。それがなくとももう誰も失いたくないのに、と。
二対の怪異を前にして、雅はとにかく急いで倒して菜月の元へ向かおうと心に決めた。
「……もう必要ないか」
恭一郎は無表情で呟くと同時に右手に握ったナイフを振り下ろす。それが目の前で立ち尽くしていた怪異に深く突き刺さると崩れるようにその姿が消えていくが、彼はそれに見向きもせずに携帯を取り出し、そして少し操作した後に耳に当てた。
しかし恭一郎の耳に入って来るのは「お掛けになった電話は……」という素っ気ない機械音声だけであり、彼は訝しげに携帯を見た後に今度は別の番号を選び再び耳に当てる。次はコール音が聞こえて少し安心していると数秒後に「はい」と少年の声がはっきりと聞こえて来た。
「高遠か。八雲さんは? 携帯が繋がらなかった」
「一緒にいますよ。携帯はちょっと壊されて……今代わります」
「ああ」
微かに何かを話しているのが聞こえた後、「恭一郎か?」と聞き慣れた八雲の声が耳に入って来る。
「そっちはどうだ? 皆無事だろうな」
「なつは日下部に任せましたが、恐らく大丈夫だと思います」
「は? お前は一人なのか?」
「色々と怪異から情報を得たかったので。……というか、八雲さんの携帯を壊されたらGPS役に立たないじゃないですか。なつ達に合流しようと思っていたんですが」
「悪い、どっちかに掛けて聞いてくれ。まさか怪異がわざわざ携帯を狙ってくるとは思って無くてな」
「その話なんですけど……」
恭一郎は今し方怪異が吐いたことを頭の中で整理してから口を開く。
「どうやら最初からこの学校に住み着いていた怪異が他の配下に命令したらしいです。小さな機械を先に壊せ、と」
「最初から? 普段は流石にこんなにいる訳ではないのか?」
「今回が特別らしいです。異能者が五人も来れば、さぞかしやつらにとってはご馳走でしょうしね。昼間に調査した時にでも勘付いて集めたのか……分かりませんけど」
「だが被害者が複数の怪異に襲われたことを考えると、元々何体かは住み着いていたのかもしれないな」
「そうですね。恐らく命令した怪異は学校で生徒達が携帯を使っているのを見ていたんだと思います。それで分断するのに厄介な携帯を破壊しようとした」
ここからが本題なんですけど、と恭一郎は改めるように一度言葉を切った。
「……この学校の怪異の親玉、つまり色々と命令していたやつなんですが水狐と呼ばれているらしいです。そしてこいつの能力が、自分を相手の大切だと思う存在に錯覚させるというものだとか」
「つまりあれか。雅ちゃんが言ってた彼氏が居たって言うのはその水狐が化けてたってことか」
「あくまで錯覚です、その怪異自体は変化しない。だから複数の人間が見た場合その怪異はそれぞれ別の人物に見えるということです。だから分断させたいのでしょう」
「まあそれだったら一発でばれるだろうしな。了解した、それ――」
八雲の声が不自然に途切れるが、恭一郎は気にしていられなかった。
耳元でバチバチ、と音が聞こえたかと思うと耳と左手に強烈な痛みが走った。思わず携帯を取り落し、恭一郎は痛む耳を押さえながら周囲を見渡し、そこに怪異の姿を見つけて眉を顰める。廊下からの攻撃は匂いを感知するには遠すぎ、また飛ばされた電撃も早すぎる為反応もできなかった。
「コロス」
片言で呟かれた言葉は微かに彼の無事である方の耳に届く。ちらりと落とした携帯に目を向けるが画面は真っ黒になっており、先ほどの電気で壊れてしてしまったのかもしれないと考える。
ふらふらと緩慢な動きでこちらに近づいて来る怪異に、恭一郎はレンズの奥の目を冷酷に細めて薄く嘲笑を浮かべた。
そのまま距離を取ってただ電撃を放っていれば勝ち目もあっただろうに、と。
「知能があろうが、愚かなことに変わりない」




