1-5 突入
その日の日没、怪異調査事務所の五人は志野山高校の前に集まっていた。生徒の遺体が発見されたということで一週間休校が決まった校舎に人気はなく、普段は部活動で騒がしいであろう校庭も静まり返っている。
ここに来る前に予め全員で話し合っている。五樹が調べてくれた情報から、志野山高校では以前から何人もの生徒が行方不明になっていたという事実が分かり、雅は菫と最後に電話をした時のことを思い出した。
「今までは遺体も見つからず怪異との関連性は見出せなかったから僕達が調べることはなかったんだけど、今回ようやく尻尾を出したからね。行方不明になった状況がどれも似通っているから、恐らく今までも同様に怪異の仕業だと考えていいだろう」
「あの、ちょっといいですか?」
「日下部さん?」
「私、菫が行方不明になった前日の夜……多分怪異に襲われる直前まで彼女と電話してたんです」
雅はその時の状況を説明し、最後に菫が恋人である先輩を追いかけて行ったこと、しかし当の先輩は寮に居たと言っていたことを話した。
雅の言葉に八雲は眉を顰めて腕を組み、少し考えるように目を伏せる。
「怪異は学校に住み着いている、それも恐らく複数の怪異が居ると考えていい。……その中に姿を変えるような能力を持った怪異がいる可能性があるな」
姿を偽る能力を持つ怪異は案外少なくない。弱い怪異に多く、ひっそりと人間社会に紛れ込んで暮らしているような無害な怪異もいるのだ。しかし今回の場合、明らかに悪意のある怪異だろうと推測された。
「十分注意した方がいい。……それと、敷地内は広い。中庭を挟んで校舎が二つ、体育館や校庭、裏庭。二人組と三人組で二手に人員を分けることにするがいいか?」
「八雲さん待ってください」
次に口を挟んだのは恭一郎だ。彼は隣に座る菜月を一瞥した後「もしかしてこいつも連れて行くつもりですか」と不機嫌そうに目を細めた。それに不満を表したのは勿論本人である菜月だ。
「行くに決まってるでしょ! もう何回も怪異倒すの着いて行ってるし」
「それは街中で一体相手にしているだけだろ。だいたいお前は何もしてない」
「雅も高遠君も怪我しなかったし、むしろ良いことでしょ? 怪我した時の為に私がいるんだから」
「それでこの前みたいに足手纏いになったらどうするんだ。……八雲さん、やっぱりなつは置いて行った方がいいです。今回はどれだけ怪異がいるか分かっていないですし」
「いっくん!」
「……まあ、恭一郎の言いたいことも分かるが」
八雲は少し困ったように頭を掻き、口論する二人を落ち着かせるように冷静に口を開く。
「しかし事務所の一員として菜月ちゃんだけを特別扱いは出来ない」
「八雲さん!」
「恭一郎、お前が菜月ちゃんのことを大切に思っているのは分かるがな、俺だって同じだ。同じように、菜月ちゃんだけじゃなく恭一郎や空、雅ちゃんが大切なんだ。一分一秒が命に関わる怪我をした時、必ず菜月ちゃんの力が必要になる。だから俺は連れて行く」
「……」
「まあ、そんなに心配なら恭一郎が目を離さなければいい。そうだろう?」
「分かりましたよ……」
ぐ、と言葉に詰まった恭一郎を見て駄目押しのように八雲がそう言い納得させる。菜月としても一人で待っている方が余程心臓に悪いと思っていたので、同行できるらしい結論にほっと息を吐いた。
そうして話し合いの末迎えた突入時。メンバーは八雲、空の二人組と雅、菜月、恭一郎の三人組で分けられ、まずはそれぞれ別の校舎を調査することになった。
「明かりは持ったな? 校舎内の電気を付ける時は気を付けてくれ、怪異をおびき寄せるのには使えるかもしれないが自分の居場所を明かしているようなものだからな。それから、怪異に遭遇した場合は連絡すること。お前らの場所は俺がGPSで把握しているが、余裕があれば携帯で何年何組だとか教えてくれた方が助かる。どの階にいるか把握し辛いからな。救援も同じように頼む」
八雲は確認するようにそれぞれの顔を見ながらそう告げると、最後に「それじゃあ、絶対に無理はしないこと」と強く念を押すように言って調査開始を促した。
「空、悪かったな」
八雲と共に正門から奥の校舎への道を警戒しながら進んでいた空は、不意に隣から掛けられた言葉に意図を測りかねて首を傾げた。
「何のことですか?」
「雅ちゃんと一緒に行かせてやれなくて。お前も恭一郎が菜月ちゃんを心配するのと同じくらい雅ちゃんのこと気にしてただろ」
「ええ、まあ」
普段から多少短気な所はあったが、あそこまで怒りに支配されている雅を空は初めて見た。友人が殺されたのだから当然だ。だからこそ空は、心が不安定になっているであろう雅の傍に出来るだけ居たかった。
「怪異に対して直接攻撃性のある異能を持っているのは俺と雅ですから、元々分けられるだろうなとは思っていました」
「それもあるが……菜月ちゃんと雅ちゃんを一緒にしたかったんだ。恭一郎はあの調子だったしな、必然的にあの三人になった」
「音羽を?」
「ああ。空よりも雅ちゃんの方が戦い方的に怪我しやすいし、それに戦えない菜月ちゃんが居れば雅ちゃんは一人で突っ走らないだろうと思ってな」
「……確かに、そうですね」
多少冷静になったようだが、それでも今の雅は少々危うい。特に菫の仇である怪異を見つけたら一人で先行して倒しに行くかもしれない。ある意味足手纏いになる菜月の存在があれば、彼女も菜月を気にして周りに目が行くだろうと八雲は考えていた。それでも何かあれば恭一郎が何とかするだろうと。
「雅には……」
「ん?」
「友達が殺されて辛いのは分かるんです。悔しくて悲しくて……憎くて。でも雅には、復讐心に取りつかれて欲しくない。……俺がこんなこと言う資格なんて、無いんですけど」
「空、お前やっぱり誰かを」
「すみません八雲さん、何か暗い話をして。……着きましたね」
夜の暗闇に隠れるように、八雲から空の表情をしっかりと確認することは出来なかった。しかし話を打ち切るように校舎を見上げた空を見て、八雲も気持ちを切り替えるように両手で頬を叩きしっかりと目の前を見据える。
「さて……いよいよだな。多少は暴れてもいいように根回しはしてあるから心配しなくていいぞ」
「多少で済みますかね。全焼させないように気を付けます」
八雲達はそんな軽口を交わしながら校舎内に入り、そして一度携帯を開いて別行動をしている三人のGPSを確認する。自分達よりも近い校舎に入った三人はもうとっくに校舎に入っているはずなので、今頃既に怪異と交戦中かもしれないのだ。
「空、とりあえず一階を――」
「八雲さん!」
八雲が携帯から顔を上げるのと同時に空の鋭い声が響く。彼が咄嗟に反応して体を捻ると直後鋭い爪が数センチ前を通り過ぎ、一瞬血の気が引いた。
しかし現れた怪異は執拗に八雲を狙い、次々に攻撃を繰り出して来る。犬のような見た目をした怪異は素早く人型よりも動きが読みにくい為、異能を使う暇もない。空もまた炎で狙おうとするものの早い上八雲に張り付いている為迂闊に攻撃できなかった。
「このっ……って!」
八雲は右腕に噛み付こうとした怪異を避けようとしたが、それよりも早く鋭い牙が彼の手を――いや、その手に握られていた携帯を容赦なく噛み砕いたのだ。しかし驚いたのは一瞬で、次の瞬間には八雲の右足が怪異の腹に思い切り食い込んでいた。
「空!」
「はい!」
ごろごろと蹴り飛ばされて廊下を転がっていた怪異はすぐに空の異能で炎に包まれ、床に焦げ跡だけを残して塵になった。
「……驚いたな」
静寂を取り戻した薄暗い廊下で八雲がぽつりと呟く。彼の手にはばらばらの残骸になった携帯が残されており、困ったように小さくため息を吐いた。各々が所持しているGPSの位置情報は八雲の携帯で管理されている。……つまり、開始早々に別行動している三人の居場所が把握できなくなってしまったのだ。
問題はそれだけではない。先ほどの怪異との戦闘での被害は携帯電話一つだ。八雲が避けていたということもあるが、それでもあの怪異はまるで携帯の破壊が目的であるかのように何度も彼の右手を狙ってきた。
「あいつ、元から携帯を狙って……?」
獣型の怪異にも知性があるということは別段珍しいことではないが、わざわざ携帯を狙ったのは、こちらの連絡手段を奪うことを目的にしていたのか。……つまり携帯の機能について理解している怪異がいるのか。
「……八雲さん、あまり考え事をしている暇は無いようです」
「ああ。空、携帯を破壊されないように注意しておいてくれ。今俺達の連絡手段はお前のしかないからな」
それが壊されたら今度こそ完全にあちらの状況を把握する術を無くす、と八雲は周囲を警戒しながら呟いた。どこから来るか、と殺気立った視線を感じながら空と背中を合わせていると、彼は暗闇の中でほんのわずかに影が揺らいだような気がした。
命の取り合いにおいて直感というものは非常に重要なものである。
「一旦外出るぞ!」
有無を言わさず空の手を掴んだ八雲は直後異能を発動させてその場から掻き消える。一瞬遅れて彼らが居た場所に二つの怪異が襲い掛かったが当然誰も居ない。昇降口の外、すぐ傍に移動した彼らを追いかけて人型の怪異が外に出ると、其処は何故かやけに明るかった。
狭く暗い校舎よりも外の方が余程空には有利だ。周囲に炎を散らばらせて明かりを作った空は冷静にこちらへやって来る怪異を睨み付け、低い声で呟いた。
「怪異は全て燃やす」
「小さな機械を見つけたら壊せ!」
一人の怪異がそう言ったのを聞いてやはり、と八雲が息を呑む。先ほどの怪異といい、誰かが他の怪異にそう指示を出しているのかもしれない。
今回は少々厄介だぞ、と八雲は苦い顔をして少しだけ笑った。




