1-3 後悔
「この度は、心からお悔やみ申し上げます」
茫然としたまま菫の通夜に参列した雅は、どこからか聞こえてきた言葉に我に返って顔を上げる。
そこには沢山の花に囲まれた菫の写真があり、そして周囲には同世代の人間が何人も泣き崩れている。嘘だ、と何かの間違いだ、と大声で叫びたいのに雅の喉はからからに干乾びて力も入らない。
「雅……」
「真由子……」
「ねえ、何で? 意味が分からないよ……」
久しぶりに顔を見た真由子は、雅の記憶よりもずっとやつれているように見えた。しかし彼女から連絡を受けた雅の方がずっと何が起きたのか分かっていないのだ。質問したいのは雅の方だった。
「真由子、菫に何があったの」
「分からない……昨日突然居なくなって、それで今日突然菫が死んだって言われて」
「昨日?」
「朝食堂にも来なくて、部屋にもどこにも居なくて」
動揺しながらも雅の思考は一昨日の夜に菫と話した記憶が鮮明に蘇ってくる。あの時は何も可笑しな素振りは無かったのだ。何かあったとすればその後から次の日の朝までの時間ということになる。
「その……死因とかって聞いてる?」
「何も。ただ死んだとしか……ねえ何でよ! 菫、あんなに幸せそうだったのに!」
雅の肩に顔を埋めて泣く真由子を支えながら、雅はまだ涙を流していなかった。状況に頭が追い着いていないということもあるし、遺体を見た訳でもない。彼女はまだ菫が死んだということを信じられていなかったのだ。
「……あ」
真由子の体越しに、雅は見覚えのある人間を見つけた。背の高い、精悍な顔立ちをしている男――しかし彼は今、枯れることの無い涙を流して放心状態だった。
雅の記憶が正しければ、彼は菫が片思いしていた先輩だったはずだ。雅も中学が同じだったため何度かその姿を目にしたことがある。
そっと真由子の肩を押した雅はそのままその男に近付いて声を掛ける。まだ彼女が菫の死を理解できずにいるうちに……多少の冷静さが残っているうちにどうしても聞かなければいけないことがあったからだ。
「先輩」
「……君は」
「菫の友人です。私は一昨日の夜、菫と電話していました」
「っ!?」
雅がそう言った瞬間、男は大きく目を見開いて彼女の両肩を強く強く掴んだ。
「菫は! 菫は何を……!」
「……菫は忘れ物を取りに行くと言って校舎にいたみたいです。そして不安になって私と電話を繋いでいました。そしてあの子は先輩、あなたを見つけたと言って電話を切った」
「何を」
「先輩、一昨日の夜に校舎に居たんですか? その時に菫に会ったんですか? 一体何があったのか教えてくださいっ! 何か知っているんでしょう!?」
菫が先輩に会った後に何が起きたのか。まだ冷静だと自分では考えていた雅は、しかし徐々に自分の思考が可笑しな方向へ向かっていることに気が付いていなかった。
菫と最後に会ったのはこの男のはずなのだ、ならばもしかして彼女が死んだ理由は――と、考えてしまった。付き合い始めた男女だ、何か都合の悪いトラブルでもあったのかもしれないと、雅は殺気立った視線を男に向けた。
「校舎、に? 君は何を訳の分からないことを言っているんだ……。俺は寮から一歩も外に出ていなかった!」
しかし当の本人は彼女の言葉にまるで意味が分からないと呆気に取られているばかりで、雅の望む答えは一つも持っていなかった。それどころか彼はまるで自分が菫を殺したんだと言いたげな雅に怒りを覚えて彼女を思い切り突き飛ばしたのだ。
「うわ」
「何なんだいきなり! 菫が死んだと聞いて誰よりも辛いのは俺なんだよ! ……ふざけるなよ」
叫びながら嗚咽を抑えきれなくなった男はその場に膝を着いて顔を覆った。突き飛ばされた雅はその姿を見てようやく我に返り、自分の言動がどれだけ酷かったのか自覚する。
「菫……」
本当に一体何があったっていうの、と雅は俯いて男と同じように顔を覆った。
焼香を終えてふらふらと外に出た雅は、帰り道など何も考えることなく放心状態でどこへなりとも歩き始め、しかし突如左腕を掴まれてその足を止めた。
普段の彼女ならば突然腕を掴まれれば反射的に振り払っていただろうが、今の雅は緩慢な動きで掴まれた腕の先を辿ることしかしなかった。
「雅ちゃん」
「八雲さん……どうしてここに」
「話があるから事務所に来て欲しい。もう他の皆は集まっているから」
「……」
雅の腕を掴んでいたのは心配そうに彼女を見下ろしている八雲だった。彼女は八雲の言葉を反復するように頭の中で何度か繰り返した後、静かに首を振る。
「すみません。今の私は、何もできません。怪異とか、何も考えたくない」
「それが新見菫の話だったとしても?」
「――え?」
「話したいのは彼女のことだ。……雅ちゃんが気になっていることも知ることが出来ると思う」
八雲の口から出た友人の名前に雅は耳を疑い、そしてそれ以上思考を巡らせることなく彼に頷いた。何でもいい、菫のことについて知ることが出来れば、と。
そんな雅の様子に痛ましげに表情を歪めた八雲は、彼女を連れて事務所へ帰る為に異能を使った。
「雅……」
事務所へ戻った雅を見て菜月が慌てて掛け寄って来る。しかし今の雅に余裕などなく、ただ無言で俯くことしか出来なかった。
「それじゃあ、話し始めてもいいかな」
静かにソファに腰掛けた雅は一度ちらりと周囲を見渡す。この場にいるのは八雲、恭一郎、空、菜月……そして、五樹だった。
視線を集めるように五樹が声を上げると、彼は一度雅の様子を確認するように彼女を一瞥してから手元にある資料に目を落とす。
「昨日、志野山高校の中庭の花壇から白骨……人間のものである骨の一部が発見された。それで警察が高校内を今朝から調査したんだが、同様に校内のいたるところから少しずつ骨が見つかり、そして歯型から被害者が特定された」
「……」
「志野山高校一年の新見菫。彼女は昨日の朝から行方不明になっていた」
「それが俺達に何の関係があるんですか」
「いっくん!」
「猟奇殺人の調査は警察の仕事でしょう」
五樹の説明を聞き恭一郎が冷静に発言する。その事件で自分達が呼び出される意味が分からないと。隣に居た菜月が諌めるように彼の名前を呼び、五樹も恭一郎の疑問に答えるように頷いてみせた。
「そう、本来はね。だけど少々厄介な話なんだ。そもそも何年も経った訳でもないのに数日前まで生きていた人間が白骨化していたこと、そしてその骨には焼かれた形跡もなくただ骨だけが抜き取られたように見つかったこと。……そしてなにより、その骨の表面に人間ではない唾液のDNAが検出されたこと」
「人間、じゃない?」
「少し見ただけで配列が明らかに可笑しい。そして、このDNAは人間ではない別のものと酷似しているんだ」
先ほどから友人の残酷な末路を聞かされて俯いて震えていた雅は、しかし五樹の言葉にようやく顔を上げる。――そこには、どす黒いほどの殺意があった。
「怪異、ですか」
「……そういうことになる。それも複数の怪異に食べられたような形跡が残されていた」
「雅っ!」
即座に立ち上がった雅が周囲に見向きもせずに外に飛び出そうとしたのを見て、傍にいた空が咄嗟に彼女の手を掴んだ。
「空、放して!」
「どこへ行くつもりだ!」
「決まってるでしょ!? 今すぐ菫の仇を――」
「いいから落ち着けっ!」
「落ち着いていられる訳ないでしょうが!」
空の手を無理やり解いた雅が再び扉に手を掛けようとしたその時、空は乱暴に雅の肩を掴んで自身の方へ振り向かせると、そのまま彼女の頬を打った。
パン、とそこまで強く叩かれたものではなかったが、静まり返った事務所には随分その音は響き渡った。頬に衝撃を受けた雅は今までの殺気立った姿が嘘だったかのように大人しくなり、そして大きく見開いていたその目からは静かに大粒の涙が零れ始めた。
「空……私」
「今の状態のお前が1人で向かった所でどうにもならない」
「でも、私……」
しゃくり上げるように泣き出した雅は力が抜けたようによろめき、空に縋りつくように寄り掛かり慟哭を上げた。彼女に回された手はゆっくりとその背を擦り、その優しさに雅はずっと自分の中で燻ってぐるぐると頭の中を支配していた後悔の言葉を口にした。
「――守れなかった」




