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怪異調査事務所へようこそ  作者: とど
零章 音羽菜月の始まり
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0-1 化け物と炎

各章ごと、二日に一度更新予定です。

 ここは影白かげしろ町。田舎という程ではないが、都会に出るには少々不便などこにでもある小さな町である。


 時刻は午後六時を回った所で徐々に夏に近付くこの時期、夕日は赤い光を伸ばし夜へ向かおうとしていた。駅の周辺では多くの人間が行き交い、各々好き勝手に雑音をまき散らしている。

 しかし少し離れた路地裏に入ってしまえば途端に喧噪は遠くなる。狭い、道とも言えぬ場所には人気はなく静まり返っている。……いや、先ほどまでは静まり返っていた。



「来るなあああっ!」



 静寂を掻き消したのは、一人路地裏を走る少女だった。近くの高校のセーラー服を纏う少女はちらちらと後ろを何度も振り返りながら、顔を強張らせてひたすらに足を前へ動かしている。

 後ろを振り向く度に彼女の視界にはおぞましい物がちらつく。そして、それは次第に近くなっているようにも思えた。



「何なの!?」



 全力で走る少女を追いかけるように迫るのは――高速で匍匐前進する異形の化け物だった。






 そもそもの発端は件の少女――音羽菜月おとはなつきが高校から帰る為に一人で歩いていた、なんてことのない日常から始まった。


 菜月は一見すると少々地味な女の子だ。長い黒髪を緩く纏め、大人しそうな人間に見られることが多いが性格はというと然程淑やかという訳ではない。どちらかというとはっきりとものを言うタイプであるので付き合っていくうちに印象が変わると言われることが多い。

 そんな彼女が間違えたプリントのやり直しに時間が掛かり、もうすぐ夕日も落ちるという時間に一人で帰ることになったのは別に珍しいことでもなかった。


 しかし非日常はそんな日常の影からそろりと手を伸ばしていた。育ち盛りの体や勉強で疲れ切った頭は早急にエネルギーを欲しており、菜月は近道をしようと信号のない細い道に足を踏み入れたのだ。

 そして、しばらく歩いた所で彼女はそれを見てしまった。おどろおどろしい化け物の姿を。訳が分からなくて一瞬菜月の思考は停止したが、体は本能で踵を返して即座に逃げ出していた。



 彼女が背を向けた瞬間、「……あ、うあああぁぁあああ!」と男とも女とも言えない濁った声が背中を叩いたが、勿論菜月はその言葉をのんびり聞いている暇も無く走る。そうして大通りに出ようと思ったのだが、想像以上に混乱していた彼女は方向感覚を失っており逆にどんどん狭い道へと誘導されているかのような錯覚に陥っていた。



「はあ、はあ」



 何しろ学校帰りの疲れた体だ。体育の授業もあった今日、菜月は元々少なかった体力を擦り減らし、そしてとうとうそれは底を尽いた。


 既に夕日が沈んでしまった路地で、足元にあった空き缶に気が付かなかった彼女は思い切りそれを踏み、そして見事に滑った。



「うわっ!?」

「あ、うああ」



 全速力で走っていた為前屈みになっていた体が宙に放り出されアスファルトの上に落ちる。膝や顔を庇った腕が大きく擦れて痛いが掠れた声が先ほどよりもずっと近くで聞こえたことでそれどころじゃなかった。

 捕まったら、一体どうなるのか。菜月の頭の中で不意にそんなことが過ぎったが、それは考える前に解答が出そうだった。彼女に飛び掛かるように化け物が目の前にやって来たのだから。


 その化け物が大きく口を開いたのを見て菜月が悲鳴を上げる。ナイフを振り上げられるよりも、ずっと悍ましい。訳の分からない化け物に食べられる恐怖に狂ってしまいそうになった彼女が目をきつく瞑った瞬間、しかし次にやって来たのは痛みではなく――火傷してしまいそうな熱だった。



「え……?」



 熱さと共に瞼の向こうを照らす光に菜月は反射的に目を開いた。そこにあったのは化け物の口ではなく、その化け物を焼いて煌々と燃え盛る大きな炎だった。



「が、ぐぁ」



 しかしながら化け物だって消えたわけではない。炎の中心にいる化け物は全身を炎に包まれて掻き消えそうな断末魔を上げている。皮膚が溶ける異様な光景に吐き気を覚えた菜月は咄嗟に口を押さえ、ずりずりと必死に後ろに下がった。


 何なの、夢なの?

 そう思っても手足の痛みは続いている。一度大きく火柱を上げた炎は化け物が沈黙するに合わせて小さくなり、そして気が付くと辺りは静寂と暗闇を取り戻していた。




 炎が消えた後は何もない。焦げた後はあるが、先ほどの化け物の姿は灰だって残っていなかった。


 ――いや、残っていたものは、一つだけあった。炎が消えた先に、先ほどとは違い一つの人影があったのだ。暗くて顔は見えないが、それが男性であることはなんとなく分かった。

 男はというと、彼がいる場所よりもずっと暗い路地の奥にいる菜月には気付かなかったようで、数秒その場に佇んだあと、彼女に背を向けて歩き出した。



「あ、ちょっと」



 気力を使い切った所為か思ったよりもずっとか細く発せられた菜月の声にも反応することなく、彼はT字路を右に曲がろうとする。


 その時、月明かりが不意に雲から顔を出す。まるで図ったようにその光は微弱ながら路地を照らし、そして男の顔を彼女の瞳に映した。



「え……あの人って」



 菜月はぽつりと呟いてその横顔を見送る。そして完全にその姿が見えなくなった所で、彼を映した月を見上げて唖然と声を上げた。



「……高遠君?」

















 翌日、菜月はぼんやりとしながら学校へ登校し、そしてお昼休みである今までずっと、とある生徒の後姿を見つめていた。


 高遠空たかとうそら。同じクラスの男子生徒で、菜月の友達の友達である。そして、昨日月明かりに見たのは間違いなく彼だった。

 見間違いかとも疑ったものの、黒板に近い前の席で隣の生徒と話す横顔は、表情こそ違うもののまさしく昨日見たものと同じだった。



 菜月と彼はあまり話したことがない。友人から彼の話をよく聞くので多少知った気にはなっているものの彼女自身は必要最低限しか会話していない。日に焼けたような焦げ茶の短髪と同じ色の目、そして元気で明るい性格とは裏腹な少々儚そうな整った顔立ちの、ごく普通の男の子。彼はクラスの中では頼りになる兄貴分的な立ち位置にいて、いつも周囲に誰かがいる。

 そして特に彼と共にいることが多いのが――。



「菜月? 朝からぼーっとしてどうしたの?」



 お弁当を食べる箸が何度も止まり、その度に空をうっかり目で追ってしまっている。菜月のそんな姿に首を傾げるのは、彼女とクラスで一番仲が良い日下部雅くさかべみやびだった。


 雅は明るいセミロングの茶髪を頭の上の方でポニーテールにしている活動的な女の子だ。明るくていい子だが、ちょっと短気なのが玉に傷、というのが菜月から見た印象である。



「ちょっと、ね」

「ちょっとって、ずっとぼんやりして何を見て……空?」



 そして何を隠そう雅が、菜月と高遠空を結ぶ友人である。菜月の視線を追った雅は彼の名前を呼び、そして訝しげに眉を顰める。



「空がどうかしたの? 何か言われた?」

「そういうのじゃないよ、気にしないで」

「気にしないでって……まさか菜月、あいつのことが」

「それはない! 断じてない!」



 とんでもない疑いを掛けられそうになった菜月は思わず立ち上がり全力で否定した。いくら昼休みで周囲が騒がしいとはいえ、大きな声を上げた菜月にどうしたんだとクラス中の視線が一気に集まってしまう。


 恥ずかしさに顔が熱くなるが、しかし彼女の顔を見て雅はますます疑いを深めたようだった。



「……ホントに、空のこと」

「違うってば!」



 意識して声を落としながらもはっきりと雅の言葉を否定する。菜月からしてみれば、陰でクラスの公認カップルと言われる雅と空の仲を引き裂こうと勘違いされるなんてたまったものではない。



「いつも言ってるでしょ、私はずっと片思い中だって」

「……そういえばそうだった」



 菜月の言葉に雅はぽん、と手を叩いて納得する。そもそも菜月はよく、雅に恋愛相談に乗ってもらっているのだ。今更空を好きになるはずがない。



「それで? “いっくん”とはどうなの?」

「どうもこうも、いつも通り。進展してないよ」

「えー、つまんない」



 つまらないと言われても、と菜月はため息を吐く。彼女だって好きで進展していない訳ではないのである。



「……一応、今日は勉強見てもらう予定だけど」

「もー、ぐいぐい行かなきゃ駄目じゃん」

「そういう自分はどうなの? 高遠君と」

「何であいつの名前が出るのよ!」



 空は関係ないから! と今度は雅が大声を上げ、そして名前を呼ばれた当の本人も目を瞬かせて彼女を見る。

 何か用かと近づいて来る空に「何でもないわよ!」と怒鳴って追い返す雅を、菜月は近くでぼんやりと眺めた。そして彼女を見ていた視線を空に移す。


 あの化け物は、そしてあの炎は何だったのだろうと思いを馳せながら。






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