飛ぶチョコ≪クール≫
まずは、クールな女の子のお話です。著者はあとがきで発表します!
それでは、どうぞ↓
江崎アキハルが彼女の姿を見かけたのは、夕方のスーパーマーケットでのことだった。
彼は、彼女の横顔に話しかけた。
「よう、森永。なにしてんの?」
2年B組のクラスメイトである彼女――森永チコは、ぴくりと肩を揺らすと、棚に伸ばしかけた手を引っ込めて、通路に立つアキハルを見た。
「なんだ江崎君。おどかさないでよ」
黒髪をポニーテールに結わえたチコは、落ち着いた声でこたえた。
高校の制服姿に、赤いチェック柄のマフラー。手には買い物かご。
文学少女といった趣のある彼女は、あまり人付き合いに積極的なほうではなく、アキハルの記憶でもこの1年間――正確にはこの2月に至るまでの約10ヶ月間――まともに言葉を交わしたのは、片手で数えるほどだ。
2年に進級すると同時にこの街に越してきた彼女は、いまだ同性の友達も多くないようだった。
一方で、どこか神秘的なその雰囲気にあこがれる男子生徒はずいぶんといて、アキハルの知る限りでも、彼女とお近づきになりたいと考えている同級生が3人はいる。よく調べれば、チコの隠れファンはもっとたくさん見つかるはずだ。
しかし、彼らが声をかけてみたところで、チコはなかなかなびかない。そもそも会話が続かない。彼女自身、恋愛には興味がないのかもしれない。
「いやあ、だってクラスメイトにばったり会うとか、テンション上がるだろ」
笑顔のアキハルに彼女は、
「私には、よくわからない感覚かな……江崎君もおつかい?」
「そ。うちの母ちゃん、そそっかしくてさ。よく、家に帰ってから買い忘れに気づくんだよな」
頭の後ろで両手を組んで、アキハルはぼやいた。
「今日なんて、ハンバーグなのにひき肉を買い忘れたんだぜ? やれやれって感じ。いつもは妹が行くんだけどさ、あいつ高校受験で忙しいから」
チコは、ふうんと相づちを打って棚へと視線を戻した。
彼女は、偶然会ったクラスメイトに対してあまり興味がなさそうだった。しかしアキハルはそんな態度に気を悪くするでもなく、彼女のかごの中身と、目の前の棚とを見比べた。
かごの中には、板状のチョコレートが2つ。
「もしかして、手作りチョコ?」
「うん」
彼女はデコレーション用に着色された小粒のチョコレートを手に取って、まじまじと眺めている。棚に戻し、また別の袋を手にする。
「バレンタインの準備、だったりして」
アキハルが茶化すように言うと彼女は、
「そうだよ」
あいかわらず視線は合わないが、特段、迷惑そうな雰囲気もないので、アキハルは構わずに続けた。
「なになに、本命? だったら意外だなぁ。森永って恋愛のうわさとか聞かないしさ」
「本命ではないけれど」
「じゃあ、友チョコ?」
「ううん」
「だったら義理チョコ――」
「惜しい」
「惜しいのか」
アキハルは、腕組みをして考えるそぶりをみせた。
チコはようやく彼に興味を示したのか、
「江崎君って、本当、イメージどおりだよね」
黒い瞳でじっと見つめてきた。
アキハルは首をかしげてたずねた。
「なに、どんなイメージ?」
「チャラい感じ」
「チャラ――いや別に、俺、チャラくねえよ?」
反論しつつも、たしかに茶髪でピアスというのはちょっと軽く見られるのかもしれない――などと反省してみた。
「……まあ、それはともかくさ。答えは?」
「答えって?」
「だから、何チョコなんだよ」
チコは少し考え込むような表情をしたあと、
「義務チョコ、かな」
と答えた。
「義務って――そりゃまた、ずいぶん固そうなチョコだな。つーかなんだよ、義務って。強制かよ」
「強制なの。私の、お兄ちゃんからの」
「へえ、お兄さんいるんだ」
チコはうなずくと、きびすを返し、すたすたと歩いていく。近所の猫みたいに気まぐれな動きだった。アキハルは、小刻みにゆれるポニーテールを目で追いながら後ろに続いた。
「お兄さん以外に渡す予定は?」
「ないよ」
どうやら、アキハルの友人たちは撃沈の模様だ。
2月14日、彼らがそわそわしたところで、思い人からのチョコレートは届かない。なんと言ってなぐさめようか、そんなことをアキハルは考えた。
「じゃあ、森永のチョコレートをもらえるのは、地球上で唯一、お兄さんだけなんだな」
チコは青果コーナーへと移動しながら、
「地球上って、おおげさだね」
軽く肩をすくめてみせた。
アキハルは彼女の隣に並んでたずねた。
「どんな人?」
「お兄ちゃん? ううん、普通かな」
「妹にバレンタインを強制するって、普通か?」
「普通にシスコン」
「へえ……」
それは普通なのか?
アキハルは自分の妹からチョコレートをもらう光景を思い浮かべてみたが……
想像の中の自分は、リボンで飾られた箱を手にして固まり、頬を引きつらせるばかりだった。アキハルは「うげ」と舌を出し、脳みその無駄づかいはやめにして、チコの買い物を見守ることにした。
彼女はチョコレートの素材以外にも、キャベツや豚肉、豆腐や牛乳などを、慣れた手つきで次々と買い物かごに積み重ねていった。
「それ、持ってやろうか」
アキハルの申し出に彼女は、
「ん――このくらい、大丈夫だけど」
「まあまあ、遠慮すんなって。なんか、俺が持たせてるようにも見えるしさ」
アキハルは言って、チコの手から買い物かごをひょいと奪い取った。ずしりとした重さが肩まで届いたが、顔には出さないよう努めた。
チコは礼を言うと、さらにいくつかの商品をかごに追加していった。最後に菓子コーナーを回って、ようやくレジにたどり着き、会計を済ませた。
◇
店を出て、しばらく2人で歩いた。郵便ポストのある交差点までたどり着くと、チコが、
「私の家、こっちだから。荷物ありがとう」
「おう。このくらいお安いご用だよ」
アキハルは、たっぷりと品物の詰まったビニール袋を手渡した。じゃあ、と手を振って歩き出そうとしたところを、彼女に呼び止められた。
「江崎君、ちょっと目を閉じてて」
不思議に思って彼女を見つめ返すが、チコは例の黒い瞳で見上げてくるだけなので、なにを考えているのかさっぱり読み取れない。
「目を閉じて。5秒」
「――――?」
アキハルは眉をしかめつつ、言われるままに目を閉じた。すぐそこで、なにやら彼女の動く気配がする。
まぶたが生み出す暗闇の中で、5秒が過ぎた。
「目、開けていいよ」
チコの声がした。
「次は、口を開けて――大きくね」
「だから、なんなんだよ」
そうぼやいたアキハルの口内に、なにか固いものが投げ込まれた。
驚いてのけ反るが、なにやら角張ったその物体は、舌の上に乗ると、熱で溶けて柔らかな甘みをもたらした。
「ん――、これ、チョコレートか?」
口の中で探るように転がしてアキハルが言うと、彼女は、
「そう。これ」
空になった包装紙を広げて見せた。1個10円の小さなチョコレートだ。
「今日のお礼」
チコは言った。
「ちょっと早いけど――それに、空飛ぶチョコレートだから『フライングチョコ』ってことで」
「うまいな、色々と」
彼女は少し恥ずかしそうに笑ってみせ、
「じゃあまた明日ね、江崎君」
控えめに手を振って、角を折れ曲がっていった。
アキハルは、彼女の去ったほうをぼんやりと眺めた。
ほとんど初めて見た彼女の笑顔が、頭の中でぐるぐると回った。小さなチョコレートは、彼の体温によってすっかり溶けてしまった。
しかし、やがてアキハルは頬を引きつらせ、もと来た道を戻った。
彼女に付き合ってばかりで、自分の買い物をすっかり忘れていた。母の遺伝子は、どうやらとても強いらしい。
再びスーパーマーケットへと向かう道すがら、チコとのことを思い出した。かごを奪ったときに思わず触れた白い指や、レジに並んで立ったときの、あのなんとも言えないむず痒さ。
そのうち、自然と早足になっていて、気づくと、アキハルは全力で走っていた。
「ああ、くそ――」
彼女にあこがれる人物がまた1人増えたことを確信しながら、アキハルは溶けきってしまったチョコレートの甘さを名残惜しく感じていた。
「飛ぶチョコ」の著者は…米洗ミノルさんでした。
最後までありがとうございました。




