病室での再会
胸の奥からあふれてくる喜びと一緒に、もう一つの疑問が浮かび上がってきた。
さっき訪ねてきたおじは、いったい何だったのか、ということだ。
ふと気になって、携帯電話のフリップを開け、一つ操作をした瞬間、俺は先ほどに倍する衝撃を受けた。
「…………なあ、親父。おじさんは携帯電話持ってたのか?」
「ん? ああ、ずっと必要ないと言ってたんだが、つい先月気が変わったらしくてな。俺が契約して持っていったばっかりだ」
「おじさんの番号って、ひょっとしてこれか?」
着信履歴の画面を突きつけると、親父は慌てて自分の携帯を引っ張り出して番号を確認した。
「その番号で間違いない。お前の番号は…………あいつに渡す前に俺が勝手に入れておいたから、かけることはできたはずだ」
…………ということは、こうして記録が残っている以上、電話があった時点までは夢じゃない。他にはなにか…………!
あることを思いつき、俺は弾かれたように立ち上がった。
「どうした?」
「ちょっと待っててくれ!」
部屋に駆け込み、LDプレイヤーのイジェクトボタンを押す。
中には、一枚のディスクが収められていた。
さっき、夢の中で見た作品だ。
俺はディスクをケースに収め、リビングへと戻った。
「親父、この映画見たことあるか?」
「ああ、それか。あいつが好きだったからな、何度も見たよ」
俺の問いに、訝しみながらも親父は答える。
「その内容ってさ」
俺はさっき夢で見たこの映画の内容を、親父に確認した。
「まあ、だいたいそんな感じだな。それにしてもお前、よく覚えてるな」
間違いない。
俺はつい先ほど、おじと一緒にこの映画を見たのだ。でも、どうして…………。
ぴりりりりりり ぴりりりりりり
再び混乱し始めたところで、親父の携帯が鳴り響く。
「はい、もしもし。…………わかりました、すぐに向かいます」
電話をとった親父の声は固い。
短いやりとりの後、ポケットに携帯を突っ込みながら俺に向かって一言。
「出かけるぞ、準備をしろ」
手早く身支度を調えて、俺たちは親父の車で出発した。
無言でハンドルを握る親父に尋ねる。
「どこに行くんだよ?」
「あいつのところだ。母さんにも連絡はしておいた」
「なんでおじさんのところに?」
「さっきの電話は、病院からだった。…………危篤だそうだ」
頭の中が真っ白になった。
危篤だって? そんな馬鹿な。つい数時間前にはピンピンしていて、一緒に映画を見たじゃないか。あれは何だったんだ?
考えを整理しきれない俺と、黙ったままの親父を乗せて車は進み続け、時間の感覚もぼやけてきた頃、俺たちは目的地にたどり着いた。
車を降りるなり駆け出した親父の背中を追いかけ、俺も走る。
正面玄関はとっくに閉まっていたため、救急口から病院内に飛び込み、急ぎ足で廊下を突き進んでいく。
エレベーターで五階まで上がって再び廊下を歩き、いくつ目かの扉の前で親父は足を止めた。
「…………ICUじゃないのかよ?」
「そうかもしれんが、ICUなら行ってもどうせ会えん」
俺の疑問に答えながら、親父は扉を押し開ける。
部屋の中には一人の医師と、数名の看護師がいた。
それから、ベッドに横たわるおじ。
点滴やらチューブやら電極やらいろんなものがくっついているが、それは確かに生きているおじの姿だった。その証拠に、すっかり薄くなってしまった胸板がゆっくり上下している。
親父と俺が少し遠巻きに治療の様子を見守っていると、一人の男性看護師が近づいてきた。
「容態は、なんとか安定し始めました。ですが、まだ予断を許さない状況です。…………今日はどうなさいますか?」
泊まっていくか、ということなのだろうか。
親父がちらりと俺を見たので、小さくうなずく。
「ええ、では申し訳ありませんが、今夜はお世話になります」
親父の言葉に、わかりました、と答えて看護師はおじのところへ戻って行った。
「ほら」
「ん、サンキュ」
病室の中にいても邪魔になるだけだろうということで、俺たちは五階ロビーの長椅子で待つことにした。親父が買ってきた缶コーヒーをしばらく互いに無言ですすっていたのだが、不意に、
「今日、あいつと何を話した?」
そんなことを聞かれ、少し驚いた。
今のこの状況で、夕方の俺の言葉を信じてくれているとは思ってもみなかったから。
「そんなに特別なことは、何も。…………ただ、一緒に映画を見た」
「映画って、あれか。さっきお前が持ってきた」
「俺、一度も見たことがないはずなんだ。でもはっきり内容を覚えてるし、ディスクだってプレイヤーの中に入ってた」
「…………そうか」
それきり親父は黙り込み、何かを考えるように手の中の缶コーヒーをじっと眺めていた。
一時間ほど待っただろうか。おじの部屋から医師たちが出てきて、親父と二、三言交わし、センターの方へと戻っていった。
「もう大丈夫だそうだ。お前、今日は一晩あいつについていてやれ。俺は車で寝る。何かあったらすぐに連絡しろ」
そう言い残して俺が口を挟む時間も与えずに、親父はさっさとエレベーターで降りていってしまった。
命じられては任務を遂行するしかなく、おじの部屋に踏み入る。
部屋は、個室としては割と上等なものだった。
六畳ほどの広さに、おじが眠るベッドと折り畳みの簡易ベッド。パイプ椅子。後は小さな棚とテレビ、DVDプレイヤー。
トイレと洗面台もついている。
入院してからも執筆はしていたのか、ノートパソコンもあった。
俺は簡易ベッドを広げてそれに腰掛け、眠るおじに話しかける。
「こんばんは、おじさん。久しぶり…………になるのかな?」
もちろん、返事は返ってこない。
「おじさんが使ってたLDプレイヤー、今じゃすっかりレアものになっちゃったよ。すぐにDVDなんていう便利なものが発明されてさ…………って、まあ、この辺は知ってるか」
DVDプレイヤーの横には、いくつかレンタルDVDのケースが並んでいた。
「この十年で、俺もいろんな映画を見たよ。古い名作から新しいのまで、ほんとにたくさん。今ならおじさんと映画談義も楽しめるんじゃないかな。さっきも――――家でも言った通り、おじさんのコレクションは彼女の作品以外は全部見たし、感想録もつけてる。新作も、もちろんね。もう映画に関しちゃあおじさんに負けてないかもしれないぜ…………」
こんな調子で、俺は一晩中一人で喋り続けた。
そして翌朝空が白み始めたころに病室にやってきた親父に、
「ずっとそうしてたのか。まあ、十年ぶりだしな」
と苦笑されてしまったほどだ。
まだ話し足りなかったし、もう一日ぐらいは居たかったのだが、その日は月曜日。親父は会社、俺は学校に行かなきゃならない。
「じゃあね、おじさん。今度は起きてるときに会いに来るよ」
そう言い残して、俺たちは病室を後にした。
おじが亡くなったのは、その日の午前中のことだった。




