十年前の夜
幼かった頃、おじの部屋で映画を見始める時間は、夕食の後、だいたい夜の八時前後だった。だから、たいてい映画が終わるのは十時ぐらいで、小学校に上がって間もない俺は映画の途中で寝てしまう、ということはなかったものの、スタッフロールで力尽きてしまうことがほとんどだった。そして翌日、日曜の朝は、おじの布団で目覚めたものだ。
そのことの再現というわけでもないだろうが、映画が終わり、スタッフロールが流れ始めると、俺は猛烈な眠気に襲われた。
うつらうつらし始めた俺に話しかけるおじの声が、遠く聞こえる。
「彼女の映画は、どうだった?」
「…………最高だよ。やっぱり、おじさんと一緒に見るまで待って良かった」
なんとか返事をしたものの、意識はもう限界に近かった。
「そう。僕も君と一緒にこの映画を見ることができて、本当に嬉しいよ。…………ごめんね、もう行かなきゃ。じゃあまた、いつか、ね」
優しくもどこか悲しげなおじの言葉に不安を感じたが、寄せてくる眠気にはとても抗いきれず、俺の記憶はそこで途切れた。
目が覚めてみると、部屋の中はすっかり薄暗くなっていた。
まだ頭がぼーっとする。
「おじさん……?」
誰もいない部屋でそうつぶやいてみても、当然返事はなかった。
おぼろげな意識の中で、「もう行かなきゃ」というおじの声を聞いた気がする。夢だったのかとも思うが、それにしては内容があまりにも鮮明だ。
見た映画の内容まで、はっきりと覚えているなんて。
「ただいま……おう、どうした、灯りも点けないで」
一人で混乱しているところに、都合よくというか親父が帰ってきた。
頭の中はまだもやもやしていたが、とりあえずおじが来ていたことは現実だろうと判断し――――いや、現実だと思いこみたくて、恐る恐るではあったが親父にそれを告げることにした。
「親父……あのさ、怒らないで聞いてほしいんだけど」
「ははは、なんだ、急に改まって…………なんだ?」
靴を脱ぎながら茶化したように振り返った親父だったが、俺の表情を見て何か察したようだ。真剣な顔でこちらに向き直ってくれた。
「さっき、おじさんが来た」
親父が大きく息を飲んだ。
俺の口からおじの話題が出てくるとは思っていなかったのか、明らかに動揺していた。が、すぐに一つ深呼吸をすると、無言で俺を促してリビングに向かった。
「とりあえず、そこに座れ」
親父の後に続いてリビングに入ると、テーブルにつくように言われた。そうして親父自身も俺の向かい側に座り、向き合う。
「お前がこういう冗談を言ったりしないことはわかっている。だが、信じられないのも事実だ。…………まあひとまず話を続けるが、いいか?」
「…………頼む」
「あいつが来た、と言ったな」
「ああ」
重ねて肯定すると、親父は一瞬黙ったが、すぐに口を開いた。
「それは、有り得ない」
どうして、という言葉は出なかった。
十年以上、こちらもなかば覚悟していたのだ。
「なぜなら、あいつは今、この町にはいないと言い切れるからだ」
ところが、続いた親父のセリフに俺の頭はさらに混乱した。
なんだ? 今の言い方は?
この町にはいない?
「どういう、意味だよ?」
「そのままの意味だ。あいつは今、隣の県にある病院に入院している」
全身に衝撃が走った。
かすれた声で、何とか聞き返す。
「生きて…………いるのか?」
親父は大きく一つうなずくと、申し訳なさそうに言った。
「お前には、すまないと思っている。こんな大事なことをずっと隠してきたわけだからな」
違う。親父は何も悪くない。
「悪いのは、俺の方だ。あんなに大好きなおじさんのことだったのに、ただの一度も聞いたことはなかったじゃないか」
そうか、と一つつぶやいて、親父は続けた。
「言い訳がましく聞こえるかもしれんが、これはあいつの意志だ」
そうして親父は、この件を俺に隠してきた理由と、おじに何が起こったのかを教えてくれた。
彼女のポスターを天井に貼った日の夜遅く、おじは倒れたらしい。
両親が慌てて救急車を呼び、その騒ぎを聞いて起き出してきた俺に、例の『少し、長い旅に出るよ』という言葉を残し、おじは病院へと搬送されていった。
その後しばらくしても良くならないことから、県外の病院へと転院し、今に至るということだった。
「お前に黙っていてくれ、と頼まれたとき、最初は断った。しかしあいつは、『僕は必ず元気になって、またあの子に会いに行く。これは、そう、願掛けだと思って欲しい』『それに、あの子は優しい子だ。僕のことを知らせると、きっと縛り付けてしまう』そう言って聞かなかった。だから、最終的にはあいつの意志を尊重した。お前には悪いと思いながらも」
おじの想いは、親父の短い言葉からも十分すぎるほどに伝わってきた。
俺のことを思いやり、また自身も良くなることを固く信じての行動なのは間違いない。
もちろん、憤りはある。が、今はただ、おじが生きていることだけが嬉しかった。




