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第8話

 エロイが扉を開けた瞬間に茶色い物体が飛んできて、エロイの鳩尾のあたりに激突した。

 私には勿論予期できた事態ではあったのだが、面白そうなので注意を促さなかったのだ。

 痛さに苦しんで腰を折るエロイをよそに私に飛び付くチェス。

「ど、どうして猿が」

 腰を折ったまま、苦しそうに私とチェスを見上げる。

「さあ、どうしてでしょう」

 首を傾げて知らぬフリをする。

「お前、ここに来たのか?」

「さあ?」

 痛みが引いてきたのか、体を起こしたエロイは、今度は恨めしげに私を見下ろした。

「まあ、いい。とにかく入るぞ」

 私を中に入るように促し、私を通したあと、エロイも部屋の中へ体を投じた。

 案外ジェントルマンだ。

「ジェラール、こちらに。……明日からあかりがお前の面倒を見ることになった。いいな?」

 エロイはジェラールを呼び、そして私を紹介した。

 兄弟だと言うのに少しよそよそしくはあったが、エロイからジェラールを嫌がる感情は感じられなかった。

 朝食の時の感じからして、あまりよく思っていないように思ったのだが、そうでもないようだ。

「よろしくね、ジェラール。チェスとは仲良くなれた?」

 相変わらずジェラールからの反応はない。

 まあ、焦るつもりはない。これから、たっぷりと時間があるのだ。

 先ほど私が開けた小さなカーテンの隙間から覗く光が、今はジェラールを照らしていた。

 ジェラールの髪は王妃と同じ銀色だった。王妃とディアナは同じ青い色をしているが、ジェラールの目は深緑色をしていた。

 目の色と言えば、エロイの目は髪の色と同じように鮮やかな赤い色をしている。ジェラールの目も綺麗だが、エロイの目も綺麗だ。

「ジェラの目は綺麗な色だね」

 何も悪いことは言ってないはずだ。なのになんだ、このえも言われぬ微妙な空気は。この薄暗い中でその空気は重苦しさを感じる。

「お前の色は変わっている。この世界に黒髪黒目は皆無だ。初めて見たぞ、そんな色」

 エロイがその空気を壊すように、明るい声でそう言って、私の頭を掻き乱した。

「ああ、そう言えば黒い髪は見たことないな。大抵みんな赤い髪だもんね?」

「この国は基本的に赤髪だ。赤髪じゃないのは、他国出身だと思っていいだろう」

「へぇ、じゃあ王妃さまは他国から嫁いできたんだね」

「そう言うことだ」

 今はまだ少ないのかもしれないが、他国との交流が深まれば、いろんな色の髪をした人々がこれから増えていくのだろう。あまり他の髪色の人々の姿を見ないのは、まだ国際交流が盛んではないからではないか。それとも、王城で働く者はこの国の出身者でなければならないという制限でもあるんだろうか。

「いいなぁ。私もこんな色に憧れるな」

 ジェラールの頭を撫でながら、そう呟いた。

 この国の人間が髪の色だけで差別するような人柄でないことを願いながら。

 

 ノックの音に私とエロイが振り返った。

 扉が開き、侍女が入ってきたのだが、部屋の中にエロイを発見して危うくトレイを落としそうになっていた。

「エッ、エロイ様っ。どうしてこちらにっ」

「あぁ、今日はジェラールの家庭教師を連れてきたんだ」

「そうでしたか」

 納得しつつ、私のことを観察している。

 もういい加減なれたけども、いい気分なわけではない。

 エロイが私を彼女に紹介しない。それは、彼女に紹介する必要がないということか、自分から名乗れということなのだろうか。

 ちらりとエロイを窺ったが、何を考えているのかさっぱり分からない顔をしていた。

「あの、ジェラール様のご昼食をお持ちしたのですが」

「それはありがとう。すまないが、私と彼女の食事も運んでくれないか?」

「承知いたしました」

 配膳を終えた侍女が出ていくのを待って口を開いた。

「何これ?」

 私はジェラールが今から食す食べ物を指差し、エロイにキツい調子で尋ねた。

「何これとは?」

「何これは何これでしょ? もう三歳でしょ、ジェラは? 何でこんな離乳食みたいなご飯食べてんの?」

 その食事は、高校生の頃、友達の歳のだいぶ離れた妹が食べていた離乳食に酷似していた。ジェラールに与えられた食事はリゾットのようなものだが、米も野菜も全てある程度すり潰されてドロドロになっている。

「もしかして、ジェラは胃が弱いの?」

「そんな話は聞いていない。そもそも俺はジェラールの食事を見たのはこれが初めてだ。何かおかしいのか?」

「これは、まだまだ食事に慣れていない赤ちゃんが食べるような食事だと私は思う。そうでなければ、胃を悪くしている人か、歯の不自由なご老人とか。もう三歳なら大人とほとんど同じで大丈夫だった筈だけど……。子供を育てたことがないから何とも言えないけど、これは一歳くらいの赤ちゃんの食事だと思う」

 友達の弟は、三歳くらいでは私たちと変わらない食事をしていたと記憶している。だって、三歳と言ったら日本で言うところの幼稚園の年少さんだ。幼稚園児は普通に給食やお弁当を食べている筈だもの。

「そういうものか? さっきの侍女に聞いてみよう」

 私はエロイに頷くと、もう一度ジェラールに用意された食事を見た。

 私は、ジェラールに待てをして、食事に手をつけさせなかった。

 侍女が戻って来て、エロイがその件について尋ねると、そう指示をしたのは王妃だということだった。王妃がそう命じた理由は不明だった。侍女も、ジェラールに離乳食のような食事を与えねばならないことを不思議に思っているようだった。が、王妃に命令されれば逆らえる筈もないのだ。

「ねぇ、エロイ。明日からは私がお世話係なんだから、私が決めてもいいよね? 私はジェラの食事を自分で作りたいと思うんだけど、いいかな?」

「お前が? 作れるのか?」

 なめないでいただきたい。両親の死後、兄ちゃんと二人だけで暮らしていたんだ。兄ちゃんが外で働いてくるのなら、私は家事をこなす。暗黙の了解のようにそういう図式が出来上がっていた。最初は散々な料理しか作れなかったけれど、今では兄ちゃんだけでなく周りの人々をも唸らせるくらいの腕前にはなっていた。

「あんた、私をなめてんの? 料理くらい作れるっつうの。で、いいの? いけないの?」

「そうか、お前がそう言うならやってみたらどうだ? 母上には俺から話しておこう」

 そうこなくっちゃ。

 料理は愛情。料理でジェラールの心を掴めれば、少しは話をしてくれるかもしれない。

 今日のところは、その離乳食のような食事をジェラールに食べさせ、柔らかそうなものを私の皿から取って与えてみる。ジェラールはそれをとても美味しそうに頬張っていた。

 いつまでもこんな料理じゃ満足できないもんねぇ。

 話は出来なくても、ほんの少し注意して見てみれば、ジェラールは色んな表情を見せていた。全く反応がないと思っていたのは間違いだったのだ。その変化は分かりにくいかもしれない。けれど、無反応ではないのだ。

 こんな誰も人が通らない所で、いつも一人暗闇の中で暮らしていたジェラールが、心を病んでいてもおかしくはないと思っていた。この環境でなら、言葉が分からないのは無理もないのかもしれない。子供は人が話している姿を真似しながら言葉を覚えていくのだ。真似する人がいなければ、言葉などいつまでたっても覚えない。ジェラールは喋らないんじゃない。言葉を知らないから、喋れないのだ。

 きちんと感情を持っていることに、そして、ジェラールはこれからいくらでも言葉を覚えることが出来る、そう思うとホッと胸を撫で下ろした。


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