第5話
目覚めたらきっと全ては夢だったと、安心するものと思っていた。誰だってこんな体験をすればそう思わずにはいられないだろう。
だが、現実はそう甘くはなかった。
「姫様、起きてください。もう、朝です。皆様お待ちですよ。さあ、起きてください」
優しい声と、控えめに揺さ振る手の温かさ、それが兄ちゃんのものとは明らかに違っていた。
薄目を開けて、見知らぬメイドさんが目に入って飛び起きた。キョロキョロと辺りを見回し、自分がいた家じゃないことを確認するとガックリと肩を落とした。
そんな私を慰めるように愛猿のチェスが私の膝の上から覗き込むようにした。その気遣いに応えるように優しく頭を撫でてやる。
「どうされました、姫様」
メイドさんが心配そうに私を覗き込む。
「ごめん、大丈夫……です。あの、私は姫じゃないんで、その呼び方はちょっと。あかりって呼んでくれる?」
「よろしいのですか? では、あかり様と。私はあかり様の身の回りのお世話をさせていただきます、メイヤと申します。よろしくお願いします」
メイヤは恐らく私よりは幾分年下の笑顔の温かい可愛い少女だった。
「私のこととかメイヤは聞いてるの?」
「私はこれからあかり様の一番身近でお世話させていただきますので、あかり様がどこからお越しになったのかといったことは予め聞いております。あかり様の素性を知る者は、昨日お会いになられた王族の皆様と私たちあかり様の侍女だけです。あかり様は表向きジェラール様の家庭教師ということになります」
「私たちって私につく侍女は他にもいるの?」
「はい。私の他にもう二人おります。後程二人の紹介もさせてください」
私一人に三人もつくことないと思うんだけど……。
「うん。まぁ、とりあえず分かった」
「はい。それではお召しかえをさせていただきます」
そう言うと、当たり前のように私の服を脱がしにかかるメイヤにたまらず待ったをかけた。
「ちょっ、ごめん。先に言っておく。私は自分で出来ることは自分でやる。着替えもお風呂も出来るから」
「え?」
メイヤの戸惑いは驚くほどに大きいものだった。
そりゃそうか。彼女は毎日そういう仕事をしてきたわけで、そしてそれを拒否する人などいないだろうから。
ここは大人しくお世話された方が良かったんだろうか。だが、人間として誰かにしてもらわなければ何も出来ないようなダメな人間になり下がるのはイヤだ。
「ごめんね。そのドレスは着れない。ワンピースのようなものはないかな? なければ、メイヤが着ているような服を頂戴?」
メイヤは心底戸惑っていたが、私が意見を曲げないと分かると私が求めるような服を持って来てくれた。レースや膨らみのない質素なワンピースだ。メイヤはこれを私に渡しながら、心配そうに私の顔を覗いていた。
「ありがとう、メイヤ」
そう私が言うと、メイヤは戸惑い顔を引っ込めて零れるように微笑んだ。無邪気な笑顔に、少しだけ気分が軽くなる。
ここでジェラの面倒を見ると承諾したものの、心はまだここではない日本に向けられているのだ。日本に戻れないと現実的な事実を突き付けられても、すぐに気持ちは追っついていかないのだ。
朝のけだるさと非情な事実が私を重い気持ちにさせていた。それがメイヤの笑顔で幾分軽くなったのだ。
何の部屋だか分からない、強いて言うなら食堂のような部屋に通された。
無駄に長いテーブルの奥に国王が座しており、その向かいに王妃が、そして両脇に子供達が座していた。
その全ての目が私を見ていた。恐らく私の姿があまりにもみすぼらしいので、呆気に取られているのだろう。
「おはようございます。すみません。お待たせいたしました」
何か言いたそうにしている面々を無視して、辺りを見回す。
一体どこに座ればこの国では無礼にならないのだろうか。
「あかり様、こちらへどうぞ?」
長身で少し佐々倉さんに似ている男性が、椅子を引いて出迎えてくれた。
「ありがとうございます」
謝辞を述べると、にっこりと微笑んだ。
うわっ、笑顔が佐々倉さんにそっくり。
うっかり見惚れてしまった私を連れ戻すかのような不躾な声が耳を汚す。
「おい、ブス。お前なんかクリストに相手にされるわけないんだから、色目を使うな」
声の主など確認しなくても分かっている。私の斜め向かい側に座っている男をギロりと一睨みしたあと、佐々倉さん似の男性を見上げた。
「お気を悪くされたらすみません。私の知り合いにとても似ていたものですから……」
「いえ、気を悪くなどするはずがございません。宰相をしております、クリスト・ベニテスでございます。何か困ったことがあれば私にお言い下さい」
クリストの物腰の柔らかさににっこりと微笑んだ。
あまりに男前の違いを感じ、再び斜め向かい側に座る男を見て、あからさまに頭を振ってため息を吐いてみせた。
「お前、何だその態度はっ」
「あぁ、煩い。朝っぱらから小さい男だなぁ」
見なくても怒りに震えているのが分かる。
「あら、どうなさいました? エロイ様。赤い顔をされていますが?」
自分でも意地が悪いと分かる笑顔でエロイを見た。今生の恨みというように鋭い目が向けられていたが、痛くも痒くもなかった。
「お前は性格が悪い」
「そっくりそのままお返しいたします」
「まあ、その位にしなさい。エロイ、あかりは大事なゲストなのだからそんな態度は弁えなさい」
オジサン、もとい国王の一声でぱたりと大人しくなったエロイに、こっそりと舌を出した。
眉がピクリと動いたが、国王の視線があったため、悔しそうに唇を噛んでいた。
「さあ、せっかくの食事が冷めてしまう。いただこう」
「いただきますっ」
パチンと手を合わせて、大きな声を出した私を誰もが驚いた眼差しで見ていた。
「あーと、これは日本の食事の前の挨拶でして、すみません、驚かせてしまって」
『いただきます』『ごちそうさま』なんてのは、日本独特の挨拶だってことを忘れていた。
おかげで気が触れた人みたいな視線を浴びてしまった。
「おお、そうか。あかり、私もその日本式の挨拶をしてみよう。いただきます。……これで良いのかな?」
「はい。完璧ですっ」
異文化コミュニケーションは、こんな些細なことでも嬉しいものだ。
この国の料理はイタリアンに酷似していたので、私の口に問題なく合った。
「あの、ジェラは一緒に食事をしないんですか?」
してはいけない質問をしてしまったのだろうか、場の空気が一瞬凍り付いた。
「ジェラールは私たちと一緒にはとりません」
ナイフとフォークを持つ手を止めたまま、リオは素っ気なくそう言い捨てた。
それ以上の質問は受け付けないと言いたげに、その話はもう終わりだと言いたげに、手を動かし始める。
ジェラールには何か触れてはならない秘密がありそうだ。これから面倒を見る私にも言えない秘密が。
どこかピリピリとした空気のまま、朝食を終えた。
いつジェラールに会えるのか聞ける雰囲気じゃなかった。
朝食を終えた私は与えられた自室で大人しくしていた。
王城内を探険しようと思ったのだが、メイヤに止められた。侍女たちは朝は仕事で忙しく、午後になれば案内できるからそれまで待っていて欲しいとのこと。一人で王城を回ると迷子になるんだそうだ。
迷子になってもいいんじゃないかと思うのだけどね。
メイヤに言われた通り大人しくしているか、迷子になりにいくかで少々迷っていたのだ。
悩んだ挙句、私は迷子になりに行くことにした。