第43話
朝の光が私を見ているような落ち着かない気持ちで目を覚ますと、見ていたのは朝日ではなくてジェラールだった。
「ジェラ……」
「おはよう、あかり」
清々しすぎるほどの笑顔からは、どこかしら強い何かを感じた。
「おはよう。ジェラ、魔力が戻った?」
漲るパワーと言うべきか、ジェラールはただ近くにいるだけで、何かを感じる。それは、昨日まではなかったものだ。
これが元々ジェラールが持っていた魔力なのだろうか。
「うん、戻ったよ。もう、子供に戻ることはない」
「良かったね、ジェラ」
「嬉しくない?」
私が喜びだけを感じているわけじゃないことに気付いていたらしい。
「嬉しいよ。けど、小さなジェラともう少し一緒にもいたかったなって」
もっともっと可愛いジェラールと一緒にいたかった。もっともっと可愛いジェラールを感じたかった。むずかるジェラールを、甘えてくるジェラールを、拗ねるジェラールを、太陽のように無邪気に微笑むジェラールを感じたかった。
「なんか変だけど、自分に嫉妬した。今の俺じゃダメ?」
「ダメとかじゃないよ。ジェラは大好きだもの。何ていうか、多分私、子供が好きなんだと思う。自分でも知らなかったんだけど、ジェラのお世話してて気付いた」
「そうなんだ、それなら早く言ってくれれば良かったのに。じゃあ、これから俺頑張るから」
そう言うと、私の上に乗り掛かってきた。
「頑張るって何を?」
「もちろん、子作りだよ」
にっこりと微笑むジェラールは真剣そのもので、冗談ではないことが窺える。
「ちょちょちょちょっと待って、ジェラっ。子供は欲しいけど、もう少しジェラと二人きりの時間もほしいなって。だから、そんなに急がなくても……。ね?」
ジェラールは動きを止めて、私の瞳を探るように覗き込んだ。
「二人きりの時間?」
こくこくと頷く私は、必死に見えるだろう。
「それもそうだね」
分かってくれたかとホッとしたのも束の間。
「子作りはしない。けど、今の欲望は、もう止められない。ごめん」
微塵も申し訳なさそうに思えない笑顔を浮かべるジェラールに、文句の一つも言い募りたいところだったが、見越したジェラールに性急に唇を塞がれた。
私が目を覚ました時、隣にはジェラールの姿はなかった。そのことに酷く傷付いている自分に苦笑する。
一体どれだけ眠りこけていたんだろうか。体を起こし、寝室にある小さめの窓から外を眺めれば、太陽は大分高い位置に来ていた。
恐らく昼近い時間にはなっているだろう。
「お昼ご飯……」
ジェラールが大人の姿になった後も、私が食事を用意していた。ジェラールや兄ちゃんがそれを望んだからなのだ。
もう食事の用意に取り掛からなければならない時間であることは分かっていた。が、体が思うように動いてくれないのだ。
一人苦闘していると、ジェラールが颯爽と姿を現した。
あんまりに快活なジェラールを見ていると、無性に憎らしさが込み上げてきて、遠慮なく睨み付けた。
「あ、あかり?」
「……体が痛いっ」
慌てるジェラールに短く、鋭い声で言い放った。
「ごめん、あかり。今日の昼食はノアンばあさんに頼んで来たから。あかりは、ゆっくり休んでいてくれていいんだ。すぐにメイヤを呼ぶよ」
「ジェラ」
子供がだっこをせがむように両手を開いて見せた。ジェラールは私の望みどおり、その胸に納めてくれた。
「怒ってないけど、少しは私の体のことも考えて欲しいのよね?」
「以後気を付けます」
「宜しい。ジェラはノアンさんのことノアンばあさんって呼んでるの? 怒られない?」
ノアンさんの歳は聞いたことがないけれど、他者がその話題を持ち出すと、鋭い目でいなすのを見ると、大分お年を召しているのだと窺える。が、調理場で快活に動き回るノアンさんの姿を見ていると、まだまだ若いような気がしてしまうのだ。
「うん、頭を叩かれたよ。二度も」
「二度も?」
「ばあさんって言ったら叩かれて、それから、さっさと挨拶に来い薄情者ってまた叩かれた」
頭を撫でて上げると、まるで猫のように目を細めた。
「ジェラもノアンさんが乳母だったんだ?」
「そうだよ」
「じゃあ、エロイとディアナも?」
「あの二人は違う人。もう子育てには飽きたってノアンばあさんが断ったんだ。元々ノアンばあさんは料理人だったから、調理場が恋しくなったんだと思うよ」
なるほど、ノアンさんは元々料理人だったんだ。だから、毎日嬉しそうに鍋をふるっているんだ。
「俺、会ってみようと思うんだ。あの人に」
そう口火を切ったのは、ノアンさんの料理に舌鼓を打っているときだった。
唐突な発言だったが、私には誰のことを言っているのか瞬時に理解できた。
「いいと思うよ? でも、どうしてそうしようと思ったの?」
「力がさ、漲ってるんだ。今なら、怖いものはない。あの人に何を言われてもいいかなって思えるんだ。このまま曖昧な関係は良くないと思うしね。どうなるか分からないけど、腹割って話し合ってみるよ」
「そっか。王妃も以前とは少しずつ変わって来てると思うから、今ならちゃんと話せるかもね。それで、王妃とはいつ会うの?」
前向きに自分のことを考えられるようになったのはいいことだと思う。ただ、王妃にジェラールが傷つけられないかが心配だ。確かに王妃は目に見えて変わったのだろう。けれど、決して傷つけないとは言いきれないのだ。
「今日だよ」
「えっ、今日? 急すぎやしない?」
思い立ったが吉日なんて日本のことわざにあったりするものだけれど、あまりに早すぎやしないか。
「決心が鈍るから」
ほんの少しだけかいま見えたジェラールの弱音を私は笑顔で受け止めた。
私としては、王妃の方からジェラールに歩み寄って欲しかった。きっと今の彼女なら歩み寄ることも可能であると思っていた。だが、ジェラールがそこまで決心しているのなら、止めることは出来ない。
いっぱいの愛をもって、送り出してあげるべきなのだ。
「大丈夫だよ、ジェラ。ジェラなら大丈夫。私が惚れた男なんだから」
にっこりと微笑んで見せると、ハの字に下がっていた眉毛が瞬時に上がり、大きな笑みを浮かべた。
「あかり。俺、頑張るよ。だけど、その席にあかりも同席して欲しいんだ。隣りに座っているだけでいい。俺と王妃の一部始終を見守っていて欲しいんだ」
「私がいて邪魔にならない?」
「励みにこそなれ、邪魔になんかならないよ」
「じゃあ、いいよ」
ジェラールがフッと息を吐いた。
散々苦しめられた母親に改めて会うのは、やはり気の張ることなのだろう。前に二人で会った時には、完全にジェラールを無視していた。再び同じ態度を取られたらと、気弱にもなろう。
私が隣りにいて、少しでも気がまぎれるならば、いくらでも参加しよう。きちんとこの目で二人の今後の始まりの時を刻みこもう。
王妃との面会は丁度おやつ時だということなので、私は漸く自由に動き出せるようになった体でお菓子を作り、持っていくことにした。
ジェラールが子供の姿の頃も今も大好きなマドレーヌを持参して、王妃の自室へと向かう。
隣りを歩くジェラールの表情が普段よりも固い。そっと手をとった。
「ありがとう、あかり」
時として人の温もりは緊張を解すものだ。私の手から感じる熱が、ジェラールの緊張を解してくれることを願う。
二人は、王妃の自室の前に立った。