第40話
しばらく平穏な日々が続いていた。
私は王妃に、謝罪はジェラール本人に言うように言ったのだが、その王妃はまだ姿を現してはいなかった。このままこないつもりだろうかと、疑いたくもなったが、きっとくるだろうと心のどこかでは信じていた。
王妃の謝罪があれば、ジェラールとの関係も何らかの変化があるんじゃないかと少なからずの希望を抱いていた。
「ジェラ。準備できた?」
「うん。出来たよ、行こうか」
身の安全が保障された今、私とジェラールは兄ちゃんとメイヤを連れて町に出る計画を立てていた。
そして今日が町散策の日であった。
私が城外に出るのはこれが初めて、ジェラールは昔に出掛けたことはあるが、とにかく久しぶりで妙に朝からテンションが高かった。兄ちゃんは、馴染みの兵士と夜に出ていっては一杯飲んでくることもあるので、メイヤよりも詳しいかもしれない。
「俺が詳しいのは飲み屋だけだぞ」
とは言うものの、飲み屋で知り合った数多の顔見知りがそこここにいるのだろう。
王都というだけあって町は大いに賑わっていた。
珍しい黒髪の男女と銀髪の長身の男という一風変わった一行は注目の的であったが、それを気にする余裕はなかった。
真新しいものを見付けてはジェラールの手を取り引き摺り回す私は、そんな視線に気付きさえしなかったのだ。
当初の予想どおりそこかしこに兄ちゃんの知り合いが存在し、その都度サービスしてもらえて得をした。
大きな驚きと言えば、兄ちゃんの知り合いの女性に出くわした時のメイヤの態度だろう。いつもは笑顔を絶やさないメイヤがこの時ばかりは無表情になる。
おぉ、これはラブなのではないかっ。ついに、兄ちゃんにも新たなラブが生まれるのではないかっ。
「そっと見守っていようね」
そんな私を嗜めるようにジェラールが言う。
私が二人をくっつける為に奮闘するだろうことを予見してのこの発言、図星なだけに言い返せない。
「ジェラは気付いてたの?」
「うん。メイヤはいつも兄ちゃんを見てるから」
そんなあからさまな態度を取っていたのにも関わらず、今さら気付くって、私って案外鈍感だったんだろうか。
「そうだったんだ。でも、あの二人がくっついたら嬉しいな」
兄ちゃんの気持ちがメイヤに向いていてくれるといいのだが。兄ちゃんの気持ちは、私では推し測ることが出来ない。あまり顔や表情、態度に出すタイプではないのだ。私に対するシスコンぶりは惜しみなく出すのだけどね。
「兄ちゃんはどうなのかな? 私ね、いつも心配なんだ。私の心配ばかりする兄ちゃんだから、それが原因で好きな人に逃げられちゃってるんじゃないかって」
「兄ちゃんなら大丈夫だよ。本当に好きな相手ならなにがなんでも引き留めるだろうし、そうしなければそれだけの相手だってことだと思う。まだ、あかりよりも大事な存在が見付かってないんだよ」
ジェラールが言うとおりならいいんだけど。
「その相手がメイヤだったらいいな」
小声で呟いた私の言葉に、ジェラールは笑顔で頷いた。
私はそっと後方を歩く二人に視線を送った。メイヤはとても楽しそうで、その楽しそうなメイヤを優しい笑顔で包み込んでいる兄ちゃんが目に入る。
私が何をすることもなく、二人は恋人になるのではないかと思わせた。
「もし、私とジェラが結婚したら家族が一気に増えるでしょ? それに、兄ちゃんがメイヤと結婚すればメイヤの家族とも家族になれるんだね。ずっと兄ちゃんと二人だけだったから、凄く嬉しい」
私とジェラールが結婚すれば、私に再び父と母が出来る。そして、兄や弟や妹までできるのだ。まだ会ったことはないが、叔父や叔母、従兄やはとこ、大きなつながりが出来る。家族の繋がりがなかった私と兄ちゃんにとって家族が出来ることは何物にも耐えがたい宝物になるだろう。
「そうだね……」
そう呟いたあと、ジェラールが難しい顔で考え込んでしまった。
一体何をそんなに深刻そうな表情で考えているんだろう。
「ジェラ。どうしたの?」
「あかりのためと思っていたことが、本当は違っていたのかもしれないと思ったんだ。うん、そうかもしれないね」
何をどう納得したのか、ジェラール一人で何かを納得してしまった。
首を傾げるが、ジェラールはそれ以上私に教えてくれるつもりはないようだった。
「あかり、そろそろおなか減らない? お昼はあそこで食べるなんてどうかな?」
話を逸らした感の否めないジェラールの提案を不審に思うものの、確かにそろそろおなかがすく頃だった。それに、ジェラールが指さしたお店は、オシャレなオープンカフェだった。
「うん。あそこにする。兄ちゃんっ、ご飯、あそこで食べよう」
お店を見てテンションの上がった私は、人目もはばからず大きな声で兄ちゃんに話しかけた。興奮すると何処でも大きな声を出してしまう私の癖を心得ている兄ちゃんは、そんなことでは決して動じない。笑顔で頷いて、私たちに合流するべくメイヤをエスコートして歩く速度を上げた。
ジェラールが提案したそのお店は、結局のところ兄ちゃんの知り合いの店で、そこには顔見知りのウェイトレスがいるようだった。
「ヒカル。私に会いに来てくれたのねぇ。嬉しいわ」
馴れ馴れしく兄ちゃんの肩に手を載せ、色気をこれでもかと出しまくる若い女性に、メイヤの表情が一瞬にして凍りついた。それを見た私もついでに凍りついたのは言うまでもない。
「別に君に会いに来たわけじゃないよ。食事をしに来ただけだ」
案外そっけない態度に、この女性にはあまり良い思い出がないのではないかと思われた。
「相変わらずつれないのね。今日はどういった御一行様なの? 女の子も連れているなんて珍しいのね?」
「君には関係ない。注文をしたいんだが、いいかな?」
兄ちゃんが少しも笑顔を見せないのも珍しい。凍り付いていたメイヤもそれを見て、少しは融けて来ているようだった。
一応仕事はこなすその女性は注文をとると、一旦厨房へと戻っていった。
「兄ちゃん、あの人苦手なの?」
「苦手も何もあれは同僚の恋人だ。それなのにあんな風に俺に色目を使うもんだから、俺と同僚の仲がぎくしゃくしてきている。まさか、彼女がここで働いているとは知らなかった」
「ふーん。兄ちゃんは断ってるんでしょ?」
「イヤ、別に好きだと言われたわけではない。だが、あああからさまな態度を取られるとこっちも困る。灯里、兄ちゃんの恋人のふりをしてくれないか?」
恋人の件になったとたんに兄ちゃんの表情が緩んだ。
まあ、私が兄ちゃんの恋人のふりをするのは別に構わないけど、兄弟だってバレないかな?
「兄ちゃん。あかりは俺の恋人だからダメ。恋人のふりをするなら、メイヤに頼んで」
まさか、兄ちゃんにもヤキモチを妬いたか。
まあ、それも半分、あとの半分は兄ちゃんとメイヤにラブを届けようって魂胆だよね。
「メイヤ、頼んでもいいか?」
兄ちゃんの頼みに、二つ返事でオーケーしたメイヤの頬が真っ赤で可愛らしかった。
次にウェイトレスの彼女が現れた時、兄ちゃんはメイヤを彼女だと紹介した。その時の彼女の表情は凄まじいものだった。メイヤを視線で刺し殺すんじゃないかと思えるような鋭い目を向け、ふんっと鼻息荒く姿を消した。それから、私たちのテーブルには違うウェイトレスが給仕をしてくれることとなった。
「ありがとう、メイヤ。助かった」
優しい笑顔とはにかんだ笑顔を合わせる二人を見て、私はほくそ笑むのであった。