第36話
文字通り駆け込んできたジェラールに、ずるずると連行されて廊下を行く。
「ジェラ。みんな見てるよ。恥ずかしいから下ろして」
ずるずると引き摺られていたのも最初だけ、あんまり私が暴れるので、しまいには肩に担がれる形になった。
「ダメだよ。また、父上のところに一人で行くでしょ? いつの間に仲良くなって、俺聞いてないよ?」
「別に仲がいいわけじゃないけどさ、ただ、私の立ち位置とかさ、色々相談しに行っただけ」
「俺も一緒に行くのに」
「だってジェラは兄ちゃんと訓練だったでしょ?」
大人の姿をなんとかキープ出来るようになってきたジェラールは、私を守るために剣を習い始めた。 元々剣の腕がたつとはいえ、長い間ご無沙汰して腕は大分鈍っているようだ。
わざわざジェラールが兄ちゃんと訓練中にこっそりと王に会いに行ったというのに、なんだってバレてしまったんだろう。
「そうだけど、男と二人きりなんて危険だよ」
「ハハッ、危険ってジェラのお父さんじゃん。大丈夫でしょ」
「そんなの分からないっ。突然獣になったらどうするの」
どんだけ信用ないんだ、王様よ。
呆れて大きなため息を吐いた。
「信じる信じないは自由だけど、私の心の中にジェラ以外に入る隙間はないよ。ジェラだけが好きなのにな……」
慌てたように体を肩から下ろされて、がっしりと両肩を掴まれた。
「ちょっと痛いってば」
不満を漏らしたが、それはすんなりとかわされ、顔を間近に覗き込まれて怯んだ。
ジェラールは忘れているかもしれないが、ここは人通りの多い廊下のど真ん中なのだ。
何かに夢中になると、周りが見えなくなるところ、どうにかしてほしい。
「ジェラ? 近いんだけど?」
「うん、そうだね」
「そうだねじゃないでしょ?」
「俺ね。あかりのこと信じてるよ」
「そっか、それはありがとう」
「キスしてもいい?」
「ダメ」
そう言ったのに、にっこりと笑って唇を素早く重ねた。
「やるなら聞くなっ」
ハハッ、と笑って漸く離れていく顔を殴り付けてやりたかった。
まあ、軽いキスだったので誰にも見られて……
「こんなところで、はしたないと思わないのですか?」
いた。
しかも、よりによってこの方ですか。
今まで王城で会ったことなんてなかったのに。このタイミングで来ちゃいましたか。
「これは母上、こんなところでお会いするなんて珍しい。いつも部屋にこもっているあなたがどうなさったのですか?」
先ほど王と散々語り合ってきた王妃が無表情で私を見下ろしていた。
息子を無視して私を凝視するのは止めてくれまいか。
「ご、ごきげんよう、王妃様」
ごきげんよう、なんて生まれて初めて使用した言葉がなんだかしっくりこなくて、宙をぶらぶらと無惨に落ちていくようだ。
「ごきげんよう。私はあなたに会いに来たのです。少しお時間よろしいかしら?」
誰だろう、王妃が心を病んで話せないと言ったのは。だが、実際王妃の声を聞いたのは初めてだった。
それにしても、大丈夫なんだろうか。顔が青白くげっそりしているように見える。
「私ですか?」
「ええ。出来れば私の部屋に来ていただけないかしら。ちょっと体調が思わしくないものだから」
「あかり。行かないほうがいい。何をされるか分からない」
耳元でジェラールが囁いた。イヤ、ちょっと耳がこしょばゆいので止めてくれるとありがたい。
「大丈夫よ。心配ない」
ジェラールに短く答えると、王妃に向きなおった。
「ぜひお伺いさせていただきます」
「母上、俺も同行します」
「好きになさい」
王妃のジェラールに対する態度は恐ろしく冷たいものだった。
王妃の私室は素晴らしく広いものだった。思っていたような煌びやかさも派手さもなく、ただただだだっ広かった。
「何にもない部屋でしょう? 私、物欲はないのよ」
物欲はないが愛されたい欲はあると。その二つが丁度いいバランスを取れていたら良かったんだけどね。
「そうなんですか」
どうでもいいが、王妃付きの侍女の目が強くて鋭い。お茶を入れる手はしっかりと動いているが、目だけがぎろりと私を睨んでいる。
「お茶を入れたら下がってちょうだい」
「ですがっ」
「下がってちょうだい」
冷たく畳み掛けるように言い放たれて、侍女が部屋を辞した。
「あなたとこうやってお話するのは初めてね?」
「そうですね」
ニコニコと初対面の時にはなかったその笑みに白々しさを感じた。
「あなたは私が嫌い?」
いきなりド直球だな、と内心呆れたがその質問に答えるべく口を開いた。
「好きや嫌いを判断できるほどに私は王妃様と会ったり、話したりしていませんので今の段階ではなんとも。ただ、話を聞いている分には……、私とは相容れない存在なのかもしれないな、とは思いますけどね」
「私はあなたが嫌いよ」
どこまでも笑顔で放たれる言葉はどこまでも感情がこもっていないように思える。ただ淡々と言葉が紡がれているだけ。
「そうですか、それは残念ですね」
「どうしてかは気にならないの?」
「はぁ、まあ予想はつきますんで」
王妃にとっては私はことごとく邪魔な存在だろうからね。嫌われて当然と言えば当然なのだ。
「私を愛さない人間なんて好きになれないわ。だから、あなたも嫌い。ジェラール、あなたもね」
ジェラールの横顔をちらりと覗き見ると、実の母親と睨み合っていた。
「王妃様は誰が好きなんですか?」
「私を愛してくれる人なら誰でも」
「そういうんじゃないですよ。誰かを胸が痛むほどに想ったことはありますか? って聞いてるんです」
私の問いに少し小首を傾げたあと、再び口を開いた。
「ないわ。だって私は愛される側の人間だもの」
「そうですか。お気の毒ですね」
「どうしてかしら」
私の一言に気を悪くしたのが手にとるように分かる。
「100%愛して、120%愛してくれる人と一緒になるのが幸せだってどこかで聞いたことあるんですよね。0%愛して、120%愛してくれる人と一緒になっても幸せにはなれないんじゃないですかね。アンバランスすぎます。いくら愛はいらないって思っていても、そこに欠片の愛もないと人は離れていってしまうと思いますよ。人を愛したことがないから、愛を求めてしまう。王妃様はそんな方なんだと思いました。愛を知らないからこそ、愛に執着しているように見えます」
「みんな私から離れていってしまうとあなたは思うのね?」
「何かを代償にした愛は本当の愛とは言えないんじゃないでしょうか? 愛は自然と自分の心の中に芽生えるもので、人工的に作るものじゃありません。愛して欲しいなら、人を愛すべきだと私は思います。人は人の想いに応えようとするものだと思います」
「みんな私から離れる? そんな馬鹿な……。みんな私を愛してくれているのよ」
「みんな離れていくわけではありませんよ。本当にあなたを心から愛してくれている人もいます。あなたはその人を探してあげて下さい。本当の心からの愛は、大勢の偽りの愛よりももっともっと大きいものですよ。あなたのその瞳でよーく見て下さい。必ず見つけられるはずです。……すみません。説教染みた生意気なことばかり言って。私たちはこれで失礼します」
私の言葉が王妃にどの程度伝わるのか分からない。ここからは、王が王妃の心を溶かす番だ。一度失敗した王なら、今度こそリベンジなるんじゃないだろうか。
「ああ、そうそう。言い忘れていました。愛していたんですよ、あなたのご両親は。心の底から、あなたを」