第35話
一つ、困っていることがあった。
何せ私はジェラールのお世話係を任命されていたのだ。お世話する対象が大人になってしまった場合、私の立場は一体どうなるんだろうか。
「あかりはジェラールの婚約者という立場だろうが……、そのまま世話係で構わないのではないかな?」
王はのほほんとした笑顔をたたえてそう言った。
リオは、ジェラールの存在は隠されてきたと話していたが、これは大きな嘘だった。
ジェラールは、その出自から疎まれることもあったが、持ち合わせた魔力の強さからごく一部を除いては王族として認められていた。王はジェラールを王位継承者として認め、その影響かジェラールを疎む輩は激減していた。
そんな状況下で件の事件が起きたのだ。王は、ジェラールは遠征中に行方不明になったと皆に報告した。
これが真相だった。この事実を知るものは本当にごくわずかなものだけだった。
さらに先日、行方不明だったジェラールが生還したとして発表された。
これでジェラールは堂々とどこへも出歩けるようになったわけだ。
「私が今、ジェラの婚約者だなんて知られたら、ご令嬢方に何されるか分からないじゃないですか」
リオの婚約者と名乗っていた私が今度はジェラールの婚約者だとは、流石に堂々とは名乗れまい。女の嫉妬が恐ろしいことは知っている。その対象にされたことは今のところないが、今回ばかりは危機を感じる。
「まあ、そうだねぇ」
王がこんなんだから、王妃に舐められるんじゃないかな、と気のない返事にそう思わずにはいられなかった。
「そういえば、エロイは何にも知らなかったんですね?」
エロイはジェラールが長男だったことも、リオが嘘を吐いていたことも知らなかった。純粋にジェラールが末っ子だと思い込んでいたのだ。何の疑いもなく。
「エロイは王妃とリオにいいように記憶をねじ曲げられているからね。今ですら自分の母親に疑問を持っているが、幼い頃は従順だったからね」
「ああ、なんかあいつって案外不憫だよね? 次期国王なのに」
「だが、あれはあれで臣家や国民から人気がある」
「口は悪いけど、素直だもんね。結構いいヤツだと思うよ。あいつは王妃に操られることなく、立派な王になるんじよないかと思うんだけどな」
王妃に従順だっただけの無力な子供はもういない。
「ねぇ、王妃は一体何が目的なの?」
それが私にはどうしても分からないのだ。何が不満で、何を望んでいるのか。何の為にこんなことまでしなければならなかったのか。
「一大ハーレムが作りたいんだろう」
「はぁあ? そんなの今だって信奉者がわんさかいるじゃんか」
「この国の民だけでは満足出来ないんだよ、彼女は。この世界の全人類から崇拝されたいと思っている。そのためなら、この国が天下を統一しなければならないと思っている。エロイが国王になった暁には侵略を始めようと考えていた。まあ、今のエロイにその考えはないだろうがね」
「バッカじゃないのぉ。呆れたっ。そんなもののため? そんなもののために……」
ジェラールは魔力を取られたのだ。そんなくだらない理由で、子供の姿にされたんだ。暗闇の中で暮らさなければならなくなったんだ。
そりゃ、嫌われるより好かれる方がいいに決まっている。だけど、好かれるために無為に人をあやめていいはずがないんだ。直接手を下すのが例え王妃でなくとも、それは大きな罪になる。それが分からないほどに、人に崇められることに溺れてしまっているのか。自分の命を削ったり、他人の命を奪ってまで得たいものがそれなのか。
「どうして王妃を止めないんですか?」
「愛していたからだよ」
「え?」
「あかりは私を軽蔑するだろうね。私は王妃を愛していた。政略結婚ではあったが、私は王妃を愛していた。だが、王妃は私だけの愛では満足しなかった。自分の体を擦り減らしてでも愛を求めた。彼女は愛がなければ生きていられないんだろう」
王妃は、人の愛を得るために自分の体をどんどんすり減らしていく。愛の代償としてだ。そうまでして何故愛を得なければならないのだ。
「そこまでして何故愛を求めてしまうんでしょう?」
「彼女はとても貧しい家庭に産まれてね。両親はその日食べる為に一生懸命に働いた。彼女に構ってやる暇もないほどに働きづめだったんだよ。懸命に働いたが結局立ち行かなくなって、彼女はある有力貴族に奪われてしまったんだ。親の愛を一番欲している時期に、その愛を得られなかった。それが今の彼女のある意味病気を引き起こしてしまったんじゃないかと思うんだ」
とても同情を誘う話かもしれない。だが、貧しい家に産まれた人間なんて山の数ほどいるのだ。寂しい幼少期を過ごした人間だってそれこそ腐るほどにいる。
自分だけが、と悲観的になっている王妃を私は良しとは思えなかった。
甘えている。
「私は、家庭が貧しくて愛を与えて貰えなかったことには同情しない。苦しい想いをしている人なんてもっともっと沢山いるんだから。王妃の親は何の為に働いていた。王妃に美味しいご飯を食べさせてあげたかったからでしょ? そこに愛がないなんてどうして思えるんだろう。確かに幼い心でそれに気付くのは難しいかもしれない。でも、大人になった今なら分かる筈だと思うんだけど。子を産んだ母親ならその思いが分かるはずだと思うんだ。同情するよ。愛を知らないことに。愛されることも愛することも知らない王妃に私は同情する」
愛されることも愛することも知らない王妃にとって、愛とはどんなものだと考えているのだろうか。
王妃を崇拝する国民たちに、愛はあるんだろうか。勿論あるのだろうが、その裏に隠れている自分本位な考えもあるのだろう。王妃に近づいて娘を王子の妃に迎えて貰おうとか、あの王妃を一度でいいから跪かしてやりたいとか、王妃にとり入って高い宝石を買って貰おうとか、そういったものの方がもしかしたら大きいのかもしれない。
そんな身勝手な愛を、表面だけの愛を、一生懸命に集めようとしている愚かな王妃に同情する。
恐らく彼女が本当に求めているものは全く違うものなのだから。それに気づくことが出来ないから、いつまでたっても満足することが出来ない。
「そうだね。それを、私が教えてあげることが出来たならこんなことにはならなかったのにね」
「何弱気なこと言ってんのさっ。今からだって遅くないんだよ? 本当に王妃を愛しているのなら、王妃を救えるのは王様しかいないんだから」
「じゃぁ、どうしたら……?」
「そんなの自分で考えなっ」
私が一喝すると、見事に縮みあがった王は、それでも彼なりにいい顔をしていた。その顔が出来るならば、王妃が目を覚ますのも遅くないかもしれない。
「ねぇ、王妃が体を擦り減らしてるって自分の寿命を代償にしてるってこと?」
王が私の目を強く見て頷いた。
王妃の寿命が今どのくらい残っているのか、考えると恐ろしくなる。
愛を得られるのなら、自分は命を失ってもいいってか。そんなの下らな過ぎる。何かを代償にしてしか与えられないものは、愛ではないのだから。
「王様、あんたの腕の見せ所でしょう。王妃が死ぬ前にあんたの愛みせちゃいなよ」
「縁起の悪いこと言わないでくれよ。でも、そうだね。そろそろ本気で彼女に思い知らせないとね、私の愛を」
若干黒さを感じる微笑みに、私はこれで王妃も大丈夫なのではないかと少し安心した。
「あっ、ヤバい」
遠くから怒気を含んだ足音が近づいてくる。
「あかりは愛されてますね?」
「かなりね」
さあ、私の愛すべき人に王の執務室に籠っていた理由をどう説明しよう。