第34話
夢を見た。
心を掻き乱されるような夢だった。
私がベッドに寝ていると、ジェラールが現われた。私はジェラールがベッドに潜り込むことを当たり前のように感じていた。まるで毎日寄り添って寝ているように、ジェラールも当然のように横になり、これまた当然のように口付ける。毎日行っている行為のようにそれを当然のように受ける私は、自ら誘うようにジェラールの首に手を回した。
丁寧に与えられる心地好い快楽を何の抵抗もなく受け入れていく。
瞳を閉じてその快楽に酔い痴れていると、突然乱暴な愛撫に変わる。普段ない乱暴な所作に驚いて目を開けると、目の前にはリオの顔があった。突然襲いくる恐怖感と不快感に声をあげようとするが、その声はリオによって唇を塞がれることで消えてしまった。
不快な愛撫はどこまでも続き、私は全身をくまなく愛されていく。
泣き叫ぶ私はジェラールの名を何度も何度も呼んでいた。
リオが自身の欲望を果たした時、私は強い視線を感じた。
ジェラールが私とリオの痴態を見ていたのだ。悲しそうに歪むジェラールの瞳が私を射ぬく。決して責めてなどいないその瞳が、余計に苦しかった。
私は懸命にジェラールの名を呼ぶ。だが、ジェラールは悲しそうに頭を二度三度と振り、私に背中を向けてどこかへ行ってしまった。
ジェラールの名を泣き叫びながら、目を覚ました。
あのリオに犯された感覚が生々しく、自分の体を抱き締めて声を殺して泣いた。
怖い。誰かに縋り付きたいのに、今の私を見られるのが怖くて誰も呼ぶことが出来ない。
ベッドの上で、肩を震わせて泣いた。
「灯里。どうした?」
「兄ちゃん」
泣きじゃくる私の嗚咽は兄ちゃんには届いていたようだ。
「嫌な夢を見たのか?」
コクコクと頷くと、その振動で涙が飛び散っていく。
兄ちゃんがベッドサイドまで歩み寄ると、私を抱き寄せた。
「もう大丈夫だ。俺がいるから怖い夢はもう見ない」
頭をポンポンとリズムよく叩かれると、幼い頃を思い出す。
幼い頃の私は、怖い夢を見ては兄ちゃんに泣き付いた。こんな風にポンポンと叩かれると、すぐに眠気は訪れて、怖い夢など忘れてぐっすりと眠るのだ。
「兄ちゃん、もう朝?」
「ああ、まだちょっと早いけどな」
「どんな夢を見たんだ?」
今まで兄ちゃんが私の怖い夢のことについて尋ねることがなかったので、少々驚いた。
「……怖い夢。兄ちゃんに話すのはちょっと抵抗があるんだけど……」
私は、震える腕を握り締めながら悪夢の内容を兄ちゃんに話した。話している間中、兄ちゃんの表情が気になった。実際に兄ちゃんが表情を変えることはなく、無表情が崩れることはなかった。
「それが現実になることはないぞ。灯里にはジェラも俺もついてる。エロイだってメイヤだってついてるんだ。な、そうだろ?」
「そうだね。ただの夢だもんね」
私に余地夢を見るような能力なんてないのだから、たかが夢くらいで動揺する必要はないのだ。
「兄ちゃん。私ね、ジェラと生きていくって決めたよ。だから、もう兄ちゃんは自分の幸せ探してよ」
三役をこなしていた兄ちゃんが優先するのはいつも私だった。せっかく彼女が出来ても私を優先するあまり、彼女たちはみんな離れて行ってしまった。私がいくら大丈夫だと諭しても、兄ちゃんは聞き入れてはくれなかった。
「私よりも大事な存在、作って?」
「まあ、そのうちな」
きっと兄ちゃんには探すつもりはないんだろう。作るつもりが全くないわけではないところがせめてもの救いだろう。
これ以上言ってもどうにもならないのを私は知っていた。
「灯里がジェラを選んで良かった。俺は最初からリオを信頼していなかった」
「リオに何か怪しい点でもあった?」
「あったといえばあったが、なかったといえばなかった」
「何それ、どっちなの?」
私が小さく笑うと、兄ちゃんもにやりと笑った。
夢の恐怖から段々と解放されていく。強張った体から無駄な力が抜けていく。
「なんというか、俺にはあいつが危なっかしくて仕方なかったよ。本当の自分というものを把握できずに、どこにもいけず途方にくれているように見えた。あいつは、王妃を愛しているって言ってたんだろう?」
「うん」
「うーん、俺にはそうは思えないんだよ。少なからず俺にはお前を想っているように見えた。実際お前を好きだったんだろうと思うよ。お前を手放せなくなるのを恐れて、慌てて切り捨てたように思える。愛していると想い続けていた王妃と初めて好きになった女。最初はどんな理由で灯里に近付いたとしても、生まれてしまった感情に戸惑っていたんだろうよ」
兄ちゃんの考えでは、リオは私を好きになっていたということになる。私には、それが本当かどうか分からないが、それを聞いた私がリオに対して何をすべきなんだろうか。
「兄ちゃんは、私に何を求めてるの?」
「何も求めちゃいないさ。灯里は灯里の好きなようにすればいい」
兄ちゃんは、リオを救って欲しいと思っている。この私にだ。信頼していなかったなどといいながら、リオをよく観察し、案じていた。
「私に何が出来るのよ? もし、兄ちゃんが言うようにリオが私を好きだったとしても、私にはジェラがいるんだよ?」
「灯里にとってリオはなんだ?」
「なんだって言われても……」
「裏切られたことを怒っているか?」
「もう怒ってなんかないよ」
「灯里にはリオが幸せだと思うか?」
「ううん」
リオと対峙したあの時、リオが幸せだとは思えなかった。
「リオは王妃を愛していると思うか?」
「……ううん。愛の意味をはき違えているような気がした。主従関係のような二人に愛が本当にあるのかな? イヤ、世の中にはそういう関係だってあるのかもしれないけど、リオが望む愛の形ではないような気がする」
リオは家庭を夢見ていた。そんな気がする。
私と小さなジェラ、そしてリオ。何度となく訪れたそんな場面で、リオはいつも楽しそうだった。幸せそうだった。
母親を亡くしたリオにとって、母の温もりというものを知らない。母の愛に渇望していたリオに優しく近付いて王妃は、ていのいい駒を仕立てあげた。
ならば……
「……母の愛」
呟けば、兄ちゃんが微笑んで頷いている。兄ちゃんも同じ考えであるらしかった。
全ては決まったというように、二人でにやりと笑う。この光景を見れば、二人が似た者兄妹であるとしみじみと思ったであろう。
「灯里、熱は下がったのか?」
「えぇ、いまさら? もう、ないと思うよ。昨日ぐっすり寝たからね」
「そうか。今日の朝飯は俺が作るからな?」
「兄ちゃんが? 食えるんでしょうね?」
「当たり前だ」
そう言ってでこぴんをおみまいされた。
兄ちゃんが料理が出来ることくらい知っている。両親が死んで間もない頃は兄ちゃんが料理をしていたのだから。仕事から帰って、家事もなにもかもをこなそうとしていた兄ちゃんを見兼ねて、二人だけの家族会議を設けたのだ。そこから、兄ちゃんは仕事、私は家事と分担を決めた。
兄ちゃんなら、全てをこなしていたかもしれない。だが、養われているだけはイヤだったのだ。
夢の余韻はもう奇麗に消えていた。その代りに心に沁み入る優しさと誰かを救いたいと思う願望が芽生えた。