第30話
「あかりは私を信じてくれないのですか? 私が嘘を吐いたと?」
その瞳に捕らえられ、そう聞かれて「信じられない」などと言えるだろうか。
「リオのこと信じてるよ」
瞳を見つめたままそう告げると、リオは目を落として肩を震わせた。
「リオ?」
泣いているのか?
そう思ったのはほんの一瞬のことだった。
リオは笑っていたのだ。クックッと肩を震わせ、少しずつそのボリュームを上げていく。
リオが壊れたように笑っている姿を私は茫然と見ていることしか出来なかった。
はぁ、とひとしきり笑い終えた後に大きく一息吐いて、私を強い瞳で見据えた。先程とはまるで違う強い瞳。その瞳には、憎しみさえ感じられた。
「馬鹿ですね、あかり。私があなたなんかを好きになるわけがないじゃないですか」
笑顔を浮かべてはいたが、声が笑っていなかった。私を地の底に陥れようとする意図を多分に含ませた低い声だった。
「あなたに言ったことは全て嘘ですよ。何から何までね」
人を一瞬で凍らせる瞳と声が一身に注がれた。
「どうして?」
「どうして、と聞くのですか? あなたにはもうお分りなのでは? 私が何のために、誰のために動いているのかを」
そう、私はもう気付いている。ジェラールを見つけたあの日、扉の前で佇む二人を見た時から気付いていた。リオが王妃を見つめるあの瞳をみたときから。それを認めるのが怖くて、気付かないふりをしてきただけなのだ。
「……王妃のため。ジェラの魔力が戻るのを阻止するために、リオは私に近付いた」
「ええ、その通りです」
出来れば否定して欲しかった。
全て嘘だと、私を好きだと言って欲しかった。だが、それは夢のまた夢であることを私は痛いほどに知っていた。リオが王妃に向けていたあの瞳を、私に向けることは一度もなかったのだから。
「私が愛しているのは王妃だけです。この命はあの方だけのもの……」
胸に手をあて、うっとりとそう呟くリオの姿が霞んでいく。
「あかりに何をしたっ」
声のするほうへ目をやると、ジェラールが鋭い目でリオを睨み付けていた。
「ジェラ」
酷く擦れた声が喉を通った。
「真実を告げたのですよ、ジェラール。そもそも好きでもない女との婚約、真実をバラすことでもう嘘を吐かなくても良くなってせいせいしていますよ」
ギリギリとジェラールの歯軋りが聞こえてきそうだ。リオはわざとジェラールを煽るように、私を傷付けた。私が傷付けば傷付くほどに、ジェラールも傷付き、怒りを顕にすることを知っているように。
「リオは敵なのね」
「あなたが私につくのなら、少しくらい可愛いがってあげてもいいですよ?」
「お断わりよ。私はジェラの味方なのっ」
「それは残念です」
残念などと少しも思っていないのがありありと分かる笑顔でそう言い、私とジェラールを一瞥したあと部屋を辞した。
「あかりっ」
ジェラールは威嚇していた体を解放すると、泣き崩れる私に抱き付いた。
「大丈夫。私は大丈夫だから」
何度もそれだけを繰り返し呟いていた。ジェラールにというよりは、私自身に言い聞かせるように。
何故かジェラールが泣いていた。私の涙を吸い取っているかのように。
「どうなさったんですかっ?」
部屋に入った途端に異様な空気を感じたメイヤは、達磨のように抱き合って泣く私たちに悲鳴に近い叫び声を上げた。
「メイヤ……」
安心させようと微笑んだのだが、それを見たメイヤが顔を顰めたのを見ると、どうやら私は失敗してしまったようだ。
「ごめん、メイヤ。兄ちゃんが戻ってきたら全部話すから」
兄ちゃんにも話す必要がある。
これから、王妃とリオがジェラールにどんなことをしてくるか分からないのだ。
私とジェラール、兄ちゃん、エロイ、メイヤの五人がテーブルを囲んでいる。
私は、自分が知っていることを全て事情の知らない三人に話して聞かせた。
エロイに至っては、ジェラールが兄だという事実さえ知らされていなかったようだ。
「よし、行って来る」
「え? 兄ちゃん、どこにいくの?」
「リオを殴りに行って来る」
「待って。待って待って。兄ちゃん、お願い落ち着いて」
暴れ馬の調教は私には荷が重い。それでも、慣れというのは恐ろしいもので、私のことに関して怒り狂う兄ちゃんを何度も止めて来たので、動じないだけの強さを身につけていた。
「行かせろ、あかり」
「あのねぇ、兄ちゃん。リオのことはもういいんだよ。ありがとう。気持ちは嬉しいけどね」
リオを殴ったところで、何かが解決するわけではない。誰かの心が晴れるわけではない。もしかしたら、殴った瞬間はスッとするのかもしれない。だが、その行為が恐らく兄ちゃんを傷付ける。
兄ちゃんは毎日訓練をしているけれど、本当は人を傷付けることをよしとしていないのだ。
「それより、これからどんなことしてくるのかの方が気になるよ」
「王妃なら、二人の命を狙うかもしれない」
この場を黙視していたエロイが突然声を上げたので、一斉に視線が集まった。
「イヤ、狙われるのはあかりかもな。あかりがいるためにジェラールの魔力が戻りつつあるというなら、あかりの存在が邪魔になるだろ? ジェラールの魔力が戻らないのなら、もっと強力な魔法で閉じ込めてしまえる。ジェラールの魔力が満ちる前に動いて来ると見たほうがいい」
「ねぇ、エロイ。王妃はあんたのお母さんでしょ? こちら側についていいわけ?」
「構わない。俺はあいつにとって駒でしかない。愛情なんて一度も感じたこともないしな」
次期国王という位を無理矢理背負わされたことに不満を持っていたのだろう。憎々しげに拳を強く握り締めていた。
「あかりはぼくがまもるっ。そのためにも、あかり、ぼくにあいをちょうだいっ」
ここで意味する愛というのは、ジェラール的には何を求めているのだろうか。抱きしめることか、キスすることか、はたまたその先をお望みか。なんとなく後者であるような気がして、恐ろしいので聞かない。
ジェラールを抱き締めて、頭のてっぺんに愛を込めてキスを贈った。
顔を離すと、不満顔で私を見上げるジェラールと目が合って苦笑せざるをえなかった。
「これじゃたりないっ。もっと」
そうは言っても、ここには兄ちゃんや兄ちゃんや兄ちゃんがいるんだよ? 兄ちゃんが私とジェラールがキスしている姿を目撃したら、どんなことになるか、ちょっと恐ろしくて想像したくない。辛うじてこれまでは、目撃されていないから良いものを。
「あとで……」
「じゃあ、あとでならいっしょにねてくれる?」
何故だろう。子供の口から出る寝るという単語はお昼寝という意味に過ぎないのだろうけれど、ジェラールが口にすると卑猥な言葉に聞こえるのは。
「もうお昼寝はしたでしょ?」
「ええ、ねたりないよ。りおのけはいがしてとちゅうで起きちゃったんだもん」
どうにかして私をベッドに誘い込もうとするジェラールとの攻防は暫く続いた。
「ジェラ。灯里は俺が守るから心配すんな。お前は自分の体を元に戻すことに専念しろっ」
兄ちゃん。だから、ジェラールが自分の体を取り戻すには私の愛が必要なんですっ。きっと、ジェラールはあんなことやこんなことをご所望なんです。許していいのですか?
「うん。分かった」
あぁあ、嬉しそうに返事しちゃってるよ。
これで、私の逃げ場は断たれたように思う。リオへの気持ちという逃げ場も、兄ちゃんという逃げ場もない今、どうやってジェラールのアプローチから逃げればいいだろうか。